59話 好きな人の隣にいられる資格
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「明日から2学期か……はあぁ」
窓の外側がもう暗くなり始めた夜。
俺は自分の部屋のデスクに突っ伏したまま、スマホのキャレンダーを見ながらぼそりと呟いていた。
まあ、夏休みの課題も全部終えたし、
「………天知」
そういえば最近、天知とは滅多に会えなかった気がする。
しばらくはイラストを描くのに集中するって言われて、天知の家に行くのを控えていたのだ。頭を冷やすのにはちょうど良かったのかもしれない。
最近、天知と一緒にいるとどうしても……そういう欲求が収まらないから。思い返せば、よくも一線を越えなかったなと感心してしまう。
俺もあいつも、お互いのことが好きってちゃんと分かっていて、あの狭い部屋でずっと一緒にいたのに。
「……行くか」
天知は甘えん坊だ。それにたぶん、あいつは俺ともっと触れ合いたいと思っている。スイッチが入った時の天知は言葉の通り蕩けていて、ずっと俺を求めて来るから。
さすがに、これ以上我慢させたくはなかった。
俺は速足で2階の階段を降りて、ドアを開いてダイニングキッチンに入る。
そうすると、ちょうどテーブルで談笑を交わしている義父さんと母さんの姿が見えてきた。
「あら?どうしたの、優。お腹減ってきたの?」
「いや、別にそういうわけじゃないが……えっと、話があって」
「うん?話?」
「ああ」
目を丸くしているお母さんに肯いた後、俺はお義父さんに目配せをする。
お義父さんはその合図を察して微笑んだ後に、椅子から立ち上がった。
「よっし、じゃ後は親子二人に任せるぞ」
「えっ、
「まあまあ、俺のことはいいから。どうやら優のヤツ、けっこう大事な話があるようだしな」
お母さんに話を振る前に、義父さんには予め説明をしていた。実の父親に会って話がしてみたいということ、そして俺が抱いている不安まで全部。
それを聞いた義父さんは俺の気持ちを汲んで、席を外すことにしてくれたのだ。頑張れよ、と身近な応援だけを残して。
おかげで俺は、さっきまでお義父さんが座っていた椅子に腰かけて、お母さんと向かい合うことができていた。
お母さんはコーヒーを飲みながら、いつものように微笑んでいる。
「それで、どうしたの?優がこんな風に話を持ち掛けるなんて、珍しいじゃない」
「まあ……ちょっと言いづらいことだけどさ。単刀直入に言うわ」
「うん、言ってごらん」
俺は大きく息を吸った後、言い放つ。
「あの人とは、まだ連絡取ってるだろ?」
「……………あの人って?」
「決まってんだろ、父親のことだよ」
その言葉を聞いたお母さんは、大げさに言うと驚愕したような顔で俺を見つめていた。
「優………」
「たぶん、離婚した後も向うは俺に養育費を払う義務があるはずだ。番号くらいは、未だに持ってるはず」
「…………」
お母さんは戸惑った顔でだいぶ間を置いた後、苦笑を滲ませてくる。
「……まさか、優からあの人の話が出るとは思わなかった」
「……そうだな。俺もなるべく、母さんの傷をえぐるような真似はしたくなかったが」
「ふふっ、やっぱり優しいわね、私の息子は。そうよ。私はあの人の番号を知っている。連絡はほとんどしてないけどね」
「そっか………………で、こっからが本題なんだけどさ」
俺は身を乗り出して、焦ったように両手を合わせてから言った。
「俺、あの人に会ってちょっと話がしたいんだよ」
「…………会うって、直接?」
「いや、それ以外ないだろう?聞きたいことも色々あって……なんか中途半端な説明だけど、あの人に会ってみないと、何も変わらないような気がして………俺、けっこう昔のことを引きずってるからさ」
「……………………」
「だから、母さんから連絡を入れて欲しい。日付は向こうの都合に合わせて構わないから、ゆっくり話せる場所と時間を決めて欲しいって。お願いできるかな」
「…………もちろん、それはできるけど」
お母さんはなんて言うか、物凄く悲痛な顔で俺を眺めていた。たぶん、俺が抱いている緊張感を見抜いたのだろう。
……実際に、合わせた両手の手先が物凄く冷えてるし。
「どうして急に?優、今まであの人のことなんて全然気にしてなかったじゃない」
「さっきも言った通り、ちょっと変わらなきゃいけないと思ってな」
「変わるって、どんな風に?」
「…………思春期だから、そういう時もあるんだよ」
「……あら、かなり遅れて来た思春期ね。ふふふっ」
……さすがに、お母さんの前で好きな人のためとは言えない。普通に恥ずかしいし、深堀りされたら面倒だから。
それでもお母さんは一応納得はしてくれたらしく、ゆっくりと肯きながらもコーヒーを一口飲んだ。
「分かったわ。あの人に返信が来たら、すぐに優に知らせてあげるね」
「……ありがとう」
まあ、言いづらい話題もどうにか持ち出せたことだし、ここで切り上げよっか。
このまま立ち上がって部屋に戻ればいいはずだが……久々に、あの人が話題に上がったからか。
俺はたまらず、昔から考えてきたしこりをぶちまけてしまった。
「あのさ、お母さん」
「うん、なに?」
「一つ、聞きたいことがあるんだけどさ」
「言ってごらん」
「………俺のこと、怖いとか恐ろしいとか、そういう風に感じたことはないの?」
その言葉を拾った、次の瞬間。
お母さんの目は、またもや驚愕に似た感情で大きく見開かれて行った。
「怖いって……どうして?」
「いや、俺はあの人の息子だろ?毎晩のようにお酒飲んで、母さんと喧嘩して、しまいにはお皿とか投げて母さんを殴ったりしてた人の……瓜二つの、息子だから」
「………………………優」
「それに俺、ちょっとひねくれてるからさ。母さんもあの事件はトラウマなんだろうし、怖がられても仕方ないと思う。俺だって、あんな風にならないとは言い切れないからさ。だから、母さんが気まずいと感じても別に仕方な―――」
そのまま言葉を続こうとしたところで。
俺の口は、あっさりとお母さんの温もりで遮られてしまった。一気にほんわかとした匂いと熱が、頭を包んでくる。
「……………………………母さん?」
数秒経って、抱きしめられてるなとようやく気付いた。
お母さんは立ったまま座っている俺を抱きしめていて、ちょっとした涙声で必死に言葉を紡いでいる。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい………」
「…………………かあ、さん?」
「本当に、本当にごめんなさい……優。本当にごめんなさい………」
「………………いや、なんで謝るんだよ。別に、母さんは何にも悪くねぇだろ」
「知らなかった……優が、息子がそんなに苦しんでいたなんて、わたし知らなかった……。ただあなたが、あのつらい思い出をよく、乗り越えたとしか思わなかったの」
「……………………」
………心の奥底から、何かがぐっと込み上がって来るのが分かった。
目が段々と熱くなっていく。俺は唇を噛んで、ただただその感情に耐えることしかできなかった。
お母さんは腕を放した後、しゃがんだまま俺の両手をぎゅっと握ってから、俺を見上げてくる。
「あなたは、誰がどう言おうとも私の素敵な息子よ」
「…………………母さん」
「誓って言うけどね?怖いと思ったことは一度もないの。そもそも私は、優がどれだけあの人に似ていようが関係ない。あなたが優しいのは誰よりも私が知ってるから……ごめんなさい。ずっと、優のことを放置してしまって」
「………いや、放置じゃねーだろ。ここまで育ててくれたし、母さんも十分、辛かっただろうし………」
「………ふふふっ。そこよ、優」
「は?」
「今の言葉。私が倒れているのを目の当たりにして、その上に父親が家から逃げ出したというのに、あなたはいつも私のことを先に心配してくれた。ずっと一人で……そんなトラウマを抱えていた。それだけでも、十分な証拠なのよ。あなたは、間違いなく優しい人なの」
「………………………………」
………本当に、そうなんだろうか。
そういえば、天知にも同じようなことを言われた気がする。俺はそういう人間じゃないって。俺のことを、ちゃんと信じているって………。
…………信じても、いいのだろうか。
俺は顔を伏せた後、精一杯下の唇を噛んで涙を飲み込もうとする。
でも零れ落ちた涙は頬を伝って、同じく泣いているお母さんの目にしっかりと映っていた。
「ありがとう……ありがとうね、優。こんなに立派に育ってくれて、本当に嬉しいわ……」
「……………っ、ふぅうぅ………」
………ちゃんと、ちゃんと資格があるのだろうか。
天知の、好きな人の隣にいる資格が………俺にもちゃんとあったんだろうか。
小学生以来に漏らしたことのない涙を流しながら、俺はお母さんの懐の温もりにずっと包まれていた。
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