戦慄のマンティコア 1
「そろそろ、リンにも魔物を捕まえてもらいましょうか」
「……へ?」
ソラが王都の叙任式を経て、再びハンの街へ戻ってきて半月。
一月ほどはソラの左腕が動かなかったこともあり、魔物売りの稼業は一旦休んでいた。だがどうにかソラの左腕も動くようになり、リンへの座学もそれなりに終えた現在である。
朝食の席で、ソラはリンへ唐突にそう告げた。
「……あたし、が?」
「魔物売りの弟子になって、まだ一匹も捕まえたことがないというのは困りますよ。座学もそれなりに終えたことですし、そろそろ実践に入ろうかと」
「え、えっと……大丈夫、なの?」
「僕のやり方を、何度も見ているでしょう? やり方は変わりません」
ハンの街へ戻って、大迷宮に挑んだこと三度。
ケルピーを二頭、ガルムを一頭と小遣い稼ぎ程度の魔物しか捕まえることができていないが、それでも一応ながら三度とも成果を持ち帰っている。この三度の懾伏全て、ソラはリンに一部を任せて補佐させた。
そろそろ、リン一人でもいけるかなと考えた今日この頃である。
「勿論、危険があれば僕が補佐します。アレスとベルガも当然一緒に行きます」
「……じゃあ、あたしがアレスに命令していいってこと?」
「ええ。アレスとベルガには、僕の次に命令に従うべき相手としてリンを指定しています。まずは彼らを使って、リンなりに懾伏してみてください」
「うぅん……」
もじもじ、と動くリン。
そんなリンの様子を見て、ソラは頷いた。
「トイレは我慢しない方がいいですよ」
「違うわよ! ちょっと悩んでただけ!」
「あ、そうなんですか? 何を今更、悩むことがあるのか分かりませんが」
「だって……あたし、まだ一人でやったこと、ないし」
初めてのグリフィンの懾伏。
二度目のスレイプニルの懾伏。
三度目、四度目、五度目の大迷宮挑戦――いずれも、リンはソラの補助をしていただけだった。実際、リンに全てを任せたことはない。
事実、魔物売りの仕事は命がけだ。
下手に拘束を間違えれば魔物が暴れるし、タイミングを間違えば拘束することもできない。さらに懾伏するまでの間、沈静の香で落ち着けようとして抵抗を受け、怪我をするということだって珍しくはない。
そのあたりは、既にソラも通ってきた道である。
「完全に一人で任せるというわけではありませんよ。僕もサポートします」
「……本当に?」
「ええ。今までと違って、主がリンという形になるだけです。僕が従ですね。基本的には、僕はリンの命令に従います。間違っていれば教えます」
「うぅん……それなら、まぁ……」
「と、いうわけで」
そしてソラは鞄を取り、その中から一部を取りだしてテーブルの上に置く。
それは金貨――枚数にして五枚だ。
「準備の段階から、リンにまずやってもらいます。懾伏するのに何が必要で、何が必要でないか。レイオットさんのお店にまず一緒に行きましょう」
「うん、分かった」
「まぁ、浅い階層でやりますから。出てきてもケルピーやガルムくらいのものですよ。それを考えて、罠の設置なども考えていきましょう」
ソラは立ち上がり、鞄を抱える。
リンを弟子にとって、既に二月弱――そろそろ、一度やらせてみるべきだろう。
その上で、失敗するのは構わない。
失敗を重ねて、失敗を糧に成長していく。それが、人間というものなのだから。
「よう、ソラ坊にリンの嬢ちゃん」
「どうも」
「こんにちは」
レイオット商店。
馴染みのそこへ行くと、いつも通りに店主のレイオットが迎えてくれた。そして割とまだ日も高い時間だというのに、この店には他に客の姿を見たことがない。
だが、それは決してこの店が流行っていないからというわけでなく、純粋に客層の理由だ。魔物売りゾリューのやり方をしている魔物売りは、ソラの他にも何人もいる。そしてその全てが、この店で必要なものを購入しているのだから。
純粋に他の客と出会うことがないのは、その滞在時間の短さである。
この店に来る者は、悩むこともなく自分の必要なものを買えば、さっさと帰るからだ。
「んで、今日は何が必要なんだ?」
「ええ。今日は、それもリンに任せています」
「よ、よろしくお願いします」
「おー、ってこたぁ初めてか。頑張れよ、嬢ちゃん」
うひひ、と笑うレイオット。
かつて、ソラも師と共にこの店を訪れて、必要な物を購入するのを見届けてもらったことがある。ソラもその時点で、何が必要かを判断した上で、レイオットから購入した。
師の視線という重圧を感じながら注文したあの日も、今となってはいい思い出だ。
「えっと……な、縄を、三束。それに沈静の香木を三つと、炭、燻製肉をください」
「あいよ。ちっと待ってな」
特注の縄、沈静の香木、専用の炭、沈静の香木で燻した肉。
その四つが、魔物を懾伏させるために必要なものだ。そして、その全てがこの店でしか手に入らない。
程なくしてレイオットが奥から、リンの注文通りに揃えて持ってきた。
「あいよ、お待たせ。沈静の香木は三つで良かったな?」
「あ、はい」
「香炉はソラ坊のをそのまま使うのかい? 何なら、嬢ちゃんも自分のを持ったらどうだ?」
「えっ……」
ちら、とリンがソラを見る。
ソラはその視線に対して、頷くだけで返した。沈静の香を焚く香炉は、ソラも一つしか持っていない。リンが自分専用のものを持つのも、悪くはないだろう。
「じゃあ、お願いします」
「あいよ。それじゃ全部で……そうだな」
にやり、とレイオットは笑みを浮かべ。
そして含みのある視線でソラを見てから、改めてリンを見た。
「よし、可愛い嬢ちゃん相手だし、まけてやろう。全部合わせて金貨二枚だ」
「えぇっ!?」
「ちょっ、レイオットさん!?」
予想外の値付けに、思わずソラもそう声を上げる。
同じ物をソラが購入した場合、間違いなく金貨四枚くらいにはなる代物だ。さらにリン専用の香炉までつけておいて、半額以下である。
普段、適正価格で購入しているソラとしては、さすがに看過できなかった。
「なぁに、初めてだしな。経費があんまり掛かっても辛ぇだろ」
「だからって、大盤振る舞いし過ぎではないですか? 僕の半額以下とか」
「この店の主は俺だ。値付けも俺がやるんだよ」
レイオットの堂々とした言葉に、何も返せない。
その代わりに、ソラは大きく溜息を吐いて。
「分かりました。次からは、僕の買い物もリンに任せることにします」
「そんときはまけねぇぞ」
ちぇ、とレイオットの言葉にソラは舌打ちで返した。
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