第30話 最終章 今までも、今日も、これからも #29

 

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 辺りを見渡すと、満開の桜の木に似せたピンク色の照明が今日の主役である僕とチハルさんを祝福し、包み込んでくれているように立ち並ぶ。目線を上にやると、穏やかな満月がそこに浮かんでいるようにまん丸いライトが僕らを照らしてくれている。僕とチハルさんの結婚式が始まって30分近く経とうとしているのに僕は今も心臓が破裂しそうなほど激しく動いている。そんな僕の状況など知る由もないダイキが屈託のない笑顔を僕らに向けながらマイクを握って話している。


 「まさか僕たちより早く2人が結婚式を挙げるとは夢にも思っていませんでした! 多分それは、今あそこに座っている今日の主役の2人もそう思っているはずです!」


僕らの方へ腕を伸ばしながらマイクを持って話す、かっちりとした黒いスーツに赤色の蝶ネクタイをしているダイキが声量を考えずにそう言って笑った。ダイキの手元から放たれたように光るスポットライトが彼の元を離れ、僕とチハルさんをまばやく照らす。今日の式に参加してくださっている全ての人たちの視線が僕らの方へ向いたのが、スポットライトしか点灯していない式場内でもすぐに分かった。僕の心臓がドクンと大きく1回跳ねた。改めて座席を見渡すと、僕が職場で唯一この式場へ呼んだ辻係長、そして親友のダイキ。優子さんにハルカさんとその隣に座る娘のチナツちゃん、それにミクちゃんとタクシードライバーのトシユキさんがそこに座っている。人数は決して多くはないけれど、僕はこの人たちの目の前で結婚式を挙げることが出来て世界で一番幸せだと実感している。人生で初めての真っ白なタキシードに身を包み、隣には光り輝く純白のウエディングドレスを着てチハルさんが微笑んでいる。今日の彼女は間違いなく神様よりも天使よりも神々しい。夢かと思ってしまうほど幸せな瞬間を僕は、僕らは生きている。ただ、今までに味わったことのない緊張がピークを迎え、今にも心臓が口から飛び出しそうにもなっている。


 「僕の挨拶はここまでです! それでは、主役に今のお気持ちを思う存分話していただきましょう! カケルくん! よろしくお願いします!」


席に座っているみんなの拍手が荒波のように僕へ向けられた。いつになく心臓が大きく動いている。頭の中が真っ白になりそうだった。一言目、何て言うんだっけ。僕はおろおろと目線が動く。すると、隣に座るチハルさんが優しく僕の左手を握った。彼女の方を向くと、


「大丈夫。落ち着いて。みんなキミの背中を押してくれてる。焦ることないよ」


彼女は僕にだけ聞こえそうな声で僕の耳の近くでそう言った。その瞬間、僕の頭の中を彼女がリセットしてくれたように落ち着いた。そして僕はひとつ大きく深呼吸をして口を開けた。


 「本日は僕たち2人の結婚披露宴にご出席くださりありがとうございます。たくさんのお祝いの言葉も頂戴し、本当に感謝申し上げます。また、先ほど僕たちのことを面白おかしくお祝いをしてくれたダイキ、どうもありがとう。緊張して心臓が張り裂けそうなので、ここからは普段通りの話し方でお話しさせていただきます」


みんなが座っている座席から少しの笑い声が聞こえ、僕の心の中は幾分か落ち着いた。隣のチハルさんを見ると縦に1回、ゆっくりと首を振った。


 「僕たち2人が今日こうして晴れやかな式を挙げることが出来たのは、皆様の支えがあったからです。今日はそのことを皆様に直接感謝の気持ちを伝えることが出来てとても嬉しく思います。本当にありがとうございます」


マイクからゆっくりと口を離し、僕とチハルさんは頭が一本の糸で繋がっているように同じタイミングでゆっくりみんなへ頭を下げた。みんなは僕ら2人を包み込んでくれるように暖かい拍手を送ってくれた。拍手が鳴り止み、再びゆっくりと体を起こしていく。みんなの方を見渡すと、不意にダイキと目が合った。ダイキはニカっと真っ白な歯を剥き出しにして僕に笑顔を向けた。


 「妻に出会うまでの僕は正直ボーッと生きていました。高校ではバスケで全国大会に行ったものの、大学に進学したら燃え尽きたようにバスケを辞め、一緒に出かけたりする友人もできませんでした。社会人になってもそれは続いて、自分が生きるために今の企業に就職して働き始めました。職場の上司がいるこの場で言うのもおかしい話ですが、僕は社会人になった初日にその職場を辞めたくなりました」


辻係長の座っている右の方へちらりと視線を移すと、係長はニヤニヤと笑いながら頷いて僕の方を見ている。そのニヤニヤ笑顔は、どこかダイキのニヤニヤしている時の顔に似ている気がした。僕は気にしないように意識して視線を前に戻した。


 「それから研修期間が終わり配属先が決まりましたが、そこは僕が人生で一番と言えるほど関わりたくない先輩のいる職場でした。僕はそこで毎日絶望しながら夜勤や日勤を繰り返して働きました。お気づきの通り、両親は今はいないので1人暮らしをしているアパートへ何とか命を繋ぎ止めるように帰っていました。そんな日が続いた時に、小学生の頃からの親友だったダイキが久々に会おうと言い出してくれました」


まるで僕の生涯を話すスピーチになっているようなこの時間は、チハルさんに是非語ってほしいと言われた内容だ。チハルさんの生涯も話すよう言ったのに、彼女は頑なにそれを承諾することは無かった。そんな彼女は僕のスピーチをいつものように優しい笑顔で見守っている。


 「まさかそこからスナックに行こうという話になるとは思ってもいませんでした。モデルの仕事で忙しいダイキにそんな時間あるのかなと疑問にも思いました。そしてダイキも僕と同様に夜の街へ行くことは初めてだと無駄に大きな声で意気込んでいました。僕は今でもそれに関しては嘘だろうなと思ってます」


ウソじゃねえぞー! と、当の本人が隣に座っているハルカさんの顔色を伺いながら僕に向かって叫んでいる。式場内に笑い声がこだまして何とも和やかな空気になった。そのおかげで、さっきは嵐のように荒れていた僕の心の中も今は随分と落ち着いているのが自分でも分かった。


 「その街のスナックで出会ったのが妻のチハルさんです。僕は一目惚れでした。この世のものとは思えないほど綺麗なピンク色の髪の毛に、僕みたいに根暗だった人間でも顔色ひとつ変えずに優しく受け止めてくれたくりっとした大きな瞳、思わず抱きしめてしまいたくなり、それと同時に守りたいと思った華奢な体。妻の何もかもがタイプでした。僕が生まれて初めて体験した衝撃でした」


チハルさんは何かを言いたげに僕の方をチラチラと見ている。理由は分かっているけれど、僕はそんな彼女と目を合わせながら言葉を続けた。


 「でも僕はダイキみたいに感情を表に出せないし、思ったことも口に出せませんでした。その店での僕の振る舞いも、客観視をすることがあればどこから指摘すればいいのかが疑問に思いそうなほど絶望的なものだったように思っています。そんな僕を妻は優しい顔で、優しい言葉で包んでくれました。僕はますます妻に魅力を感じていきました」


当時のその場面は、頭の中にある動画フォルダに入っているデータを再生するように頭の中で瞬時に思い出すことが出来る。それを思い出すだけで僕の心はほっこりと暖かくなる。


 「それから偶然、夜勤終わりに行った公園で妻と会ったり再びダイキと店に行ったりして妻と接する時間が少しずつ増えていきました。それと同時に妻へ対する気持ちもますます増えていきました。そして僕はある日の夜、妻に告白をしました。人生で初めてでした。今の僕の状況と同じで、心臓が勢いよく破裂しそうなくらい大きく動いていて僕は必死に落ち着きながら妻へ気持ちを届けました。でも、返事は思っていたようなものではありませんでした」


気を利かせてくれた式場のスタッフの人が、僕のアドリブに合わせて打ち合わせには聞いていない優しいピアノの音色を、聴いているだけで心が洗われるような気持ちになる心地の良い優しい曲調のBGMをかけてくれている。僕の行動に驚いた様子の彼女と顔を合わせて僕は微笑んだ。いつからか僕は彼女と同じように自然と笑顔になることが出来ている。自分の笑顔は好きにはなれないけれど、彼女が笑ってくれるなら僕は喜んで笑う。そう思った瞬間、彼女も僕と同じように柔らかく笑った。

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