第28話 #27
「そっか。ついにカケルも知ってしまったか」
「優子さんもハルカさんも知ってましたか?」
「うん。ずっと前からね。あと、ダイキにも私から伝えた」
ダイキの方を見ると、数年前よりも逞しくなった腕をどっしりと構えるように組んでいた。全てを知っているかのような顔で僕の目を見て首をゆっくりと縦に1回振った。
「桜命症は、やっぱり治すことは出来ないんですね?」
「あぁ、そうだね。チハルがここへ働き始めてすぐに私もその病気のことを知らされた。かれこれ15年以上は前だろうね。それ以前もそれ以降も症例が少なすぎるその病気は治療法はおろか、延命法も分かりきっていないんだとよ」
「そうですか……。彼女はどうして、おれだけには伝えてくれなかったんだと思いますか?」
「君を傷つけたくなかったっていうのが一番大きい理由だと思うよ。チハルはいつも言ってた。今が幸せすぎるから死ぬのが怖くなる。カケルくんも悲しませてしまう。関係が深くなるにつれて思い出も増えていくだろうから、いざ命の終わりが来るって思うと怖くてカケルくんとの関係を深めることが出来ないんだって。だから、彼にはこの病気のこと、言わないでってずっと釘を刺されてた。私が悪い女に見える方が都合が良いってね」
「……」
ハルカさんは、チハルさんのこれまでを振り返るようにそう語った。その言葉を受け止めていくうちに僕も気持ちが込み上げていく。
「でもね、カケルくんは嫌な顔ひとつせずに関係をはぐらかす私と一緒にいてくれる。むしろ、無意識に私を笑顔にさせてくれる。言葉で彼に壁を作っているのに、私自身は彼を求めている。その気持ちが少しずつ強くなっているって言っててね。すごく悩んでた。幸せそうなのに悩むチハルを見てると、私も何とかしてあげたかった」
「あ、いいこと教えてあげるよ。カケル」
「何ですか?」
しんみりしながら話すハルカさんの隣から、優子さんが空気を変えてくれそうなほどの笑顔を見せて僕に言った。
「最期に見る顔は誰がいい? ってチハルに聞いたら、即答でカケルって言ってたよ! 実際に目の前にいたら悲しませてしまうから写真で見せてほしいって言っててね。付き合いの長い私やハルカ、ミクを差し置いてね。憎いやつだよ、アンタは」
「チハルさんがそんなことを……」
「フフ、それと同時に立派な男だよ、アンタは」
「立派な男……」
「何てったってオレの親友だからな! カケルは!」
「アンタも十分立派だけど、カケルには負けるね」
私もそう思う! と両手を激しく叩きながらハルカさんが笑った。それにつられるように優子さんも大きな声を出して笑った。
「優子さん」
「ん? 何だ? カケル」
「優子さんもハルカさんも、チハルさんとは会ってないんですか?」
「会ってないね。3週間前に突然ここを辞めてね。そこからは連絡も取ってない。チハルがさ、そろそろ自分に限界が来そうってのが分かったんだろうね。辛い思いをさせたくないからって。手紙だけよこして私らの前からもいなくなったよ」
「そうですか……。ハルカさんも会えてないんですか?」
「そうだね、約束してたんだけどね。最期を迎えても一緒にいるって。それでもやっぱりチハルは私たちに悲しい思いをさせたくなかったんだと思う。正直、めっちゃ寂しいけどね」
「そうですか……」
頼みの綱であった2人の前からも姿を消したチハルさん。彼女の顔を見たいと思う度にそれを実現することが出来ない大きな壁が僕の、僕らの前に立ちはだかる。僕らはその壁に圧倒されるように地面の方を向いて黙り込んだ。沈黙のなか、僕は彼女が姿を消す前に書いた手紙をもう一度読みたくなって鞄から探り当ててゆっくりと取り出した。
「カケルくん、それは?」
「チハルさんが僕の前からいなくなる前に書いていた手紙です」
「それ、私も見てもいい?」
「あ、はい。もちろん」
ハルカさんに手紙を渡すと、ハルカさんはチハルさんの書いた字を左から右へと視線をゆっくりと動かして読んでいく。するとハルカさんは、ある場所から目を離さずにじっとそこを見つめていた。
「どうかしましたか?」
「最後の文章のさ、あの公園に行ってお酒を飲みたいって書いてある場所の公園、私、場所分かるかも」
「え? ホントですか?」
「うん! この店の近くにさ小さな公園があるの! そこで昔から私と優子さんとチハルさんとで仕事を終えてから朝まで色んなことを話しながらコンビニで買った色んなお酒を飲んだりしてたんだ! 金曜日の夜はそこで3人で過ごすのが日課になってたんだよね! チナツが生まれてからは忙しくてなかなか集まれなかったけどね」
「あぁ、鴨川公園で飲んでたね! 確かによく飲んだ! 色んなバカもしたし、チハルもいっぱい笑ってたね! 公園って言われりゃ、真っ先にアタシもそこを思い浮かべるね!」
そう言いながらハルカさんと優子さんは手紙を見つめている。
「じゃあ今からそこに行ってみないか?」
ダイキは徐にそう言うと、掴んでいた手のひらぐらい大きなサイズのピザをひと口で自分の口に入れた。ダイキはピザを口に入れる度に「美味っ」と言いながらピザを咀嚼している。視線は一気にダイキの方へ集まった。
「それもそうだね! 今から店閉めて行ってみるか!」
「うん! そうしよっ! 男たちで早くピザ平らげて! ダイキ! ピザ美味いんでしょ!」
「あ、食いすぎてちょっと腹痛くなってきた」
僕らはテーブルの上に広げていたピザやらグラスやら、手分けしてあらゆる物をテキパキと片付けていく。ダイキは本当に腹を痛めたようで、僕らが片付けを終えるまでトイレから出てくることはなかった。
✳︎
「ダイキ、お腹大丈夫?」
「おう! バッチリ復活したよ! 体もめっちゃ軽いぞ!」
「片付けるのが面倒だっただけじゃないの?」
「確かにな! 片付け出した途端、トイレに駆け込んだもんな!」
「いやいや優子さん! ガチで痛かったですって! 自分でもビックリするぐらいの量が出てきたんすから!」
「ダイキ! そういうのは話題に出さないで!」
「いやいや、ハルカが言い出しただろ!」
「私じゃないし! カケルくんだし!」
僕らは店を出てからこんな話題で騒ぎながら鴨川公園を目指して歩いている。チハルさんがそこにいるのかすら分からない状況なのに、今から他の店に向かっているようなテンションで話をしている。ただ、僕はこの歩いている道に見覚えがあった。そして、目的地に着く頃にはそれは確信に変わっていた。公園の中には愛嬌の全くない、あの茶色いカバのモニュメントがあった。間違いない。この公園は、ずっと前に彼女が仕事を終えるまで僕が待っていた公園だった。あの頃から何も変わっていない。ハルカさんと優子さんも感慨深そうにあのカバを見つめている。すると、カバの先にあるベンチからクスクスと人が笑っているような声が聞こえてきた。
「あ……」
「みんな、相変わらず声大きすぎ。すぐ分かったよ」
彼女がそこに座っていた。昨日会っていた彼女なのに、僕は何故かすごく久しぶりに彼女を見つけた気がする。月明かりに照らされる彼女はやっぱりどこか人間離れしているように見えて、まるで今から僕らとは住む世界の違う場所に帰っていこうとしている異星人のように思えた。それほど彼女が美しかった。彼女をじっと見つめていると、僕は魔法にかけられたように涙が溢れた。
「チハルさん……」
「カケルくん、また泣いてるの? 意外と泣き虫なの、今更知ったよ」
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