第20話 #19


 「ねぇみんな、提案があるんだけど」


最初に全員でグラスを合わせてから3時間ほどが経ち、みんなの顔が熟れたトマトみたいな色になった時にチハルさんが右手を上げた。


 「どうしたの? チハル」

 「あのさ、車で来たのって私とハルカとカケルくんじゃん。今日はここに車、停めさせてもらって今からみんなでタクシーに乗って私の家で二次会しない?」

 「え? 車はどうすんだよ」

 「さっきね、お手洗いに行った後、この店の店長と喋るタイミングがあってさ、明日の朝ぐらいまでここに車停めてちゃダメ? って聞いたらアンタみたいに美人に言われたら即答でオッケー出すよって言われてさ。それならもう全員で朝まで過ごしたいなって思っちゃって。もちろん、みんなの明日の予定もあるだろうから出来ればでいいんだけど、どうかな?」

 「オレは明日、撮影が無くなっちまってちょうど休みだからハルカとカケルさえいいならいいけど、どうだ?」

 「私も明日は夜のスナックだけだから問題無いよ! 楽しそうだし!」


ハルカさんもダイキもチハルさんの家に行く気満々の様子でそう言うと、チハルさんを含めた3人の視線が一気に僕の方を向いた。幸運は幸運を呼んでくれるようで僕も気分が高まってきた。


 「おれも休みなんで大丈夫です。ここの店の駐車場さえ大丈夫なら」

 「やった。それなら決まりだね」

 「うし! そうと決まれば勘定だな! カケル! 2人で出すぞ!」

 「あ、うん」

 「え? 何で? 私たちも払うよ?」

 「ここはオレらにカッコつけさせてくれよ! 4人での初めての場だしな!」

 「そうですよ。次、開催する時はお姉さん方に任せるつもりですけど」

 「ふふふ。そうだね、じゃあ次は私たちが払わせてもらうね」

 「ちゃっかり次の予定も約束させるカケルくん、やり手だね!」


茶化されながら僕とダイキでお金を払い、10数分で僕らを迎えに来たタクシーへと乗り込んだ。みんなテンションが上がっていながらも、運転手に迷惑をかけない声量や振る舞いが出来ているところが大人だなぁと素直に感心した。僕も高鳴る心臓の音を誰にも聞かれないように平然を装う。


 「カケル坊、今日は俺の隣だな」


運転手が眉間に皺を寄せながら凛々しい表情で右側の口角だけを上げながら僕を見つめている。鋭い目つきを向けるこの人に見覚えがあり、カケル坊という珍しい呼ばれ方もしっかりと覚えている。


 「え? あ、ト、トシユキさん」

 「おぉ、覚えてくれてて嬉しいよ。今度はチハルより早く気づいてくれ」

 「ふふ。ハードル上がっちゃったね、カケルくん」

 「は、はい、頑張ります」

 「相変わらず真面目だな、カケル坊」


ハッハッハと渋く大人の色気のある笑い声を車内に響かせながら僕らを乗せた黒色のタクシーはゆっくりと動き出した。


           ✳︎


 「私トシユキさん、久々に見たなぁ!」

 「うん、ちょっと前にこの街に帰ってきたんだって。また前みたいにウチの店に来てもらおうよ」

 「トシユキさんって?」

 「さっきの運転手のおじさんだよ」

 「そうそう! カケルくんもよく知ってたよね!」

 「前にチハルさんと一緒に乗せてもらったことがあって」

 「マジか、オレだけ置いてけぼりじゃん!」


チハルさんの家に着いて10分もしないうちに、僕らはさっきの店で盛り上がっていたぐらいに笑い合っている。僕はこの歳になってようやく、「友達」という存在が分かってきた気がしている。みんなの笑顔を見ていると、僕は何故か泣きそうなぐらいに嬉しくなって胸が熱くなる。酒が回っているのもあるかもしれないけれど、僕は本当に油断すると泣いてしまいそうになっていた。


 「何かさ、ハルカやカケルくん、ダイキくんとこうして話していると昔からの知り合いみたいに気兼ねなく話が出来るんだよね、私」

 「私も! 実は小学校とかで被ってたりしてね!」

 「被ってたとしてもその頃は縁もゆかりもない赤の他人だけどな!」

 「……」

 「カケルくん、体調悪い?大丈夫?」


顔を伏せていた僕を、隣からチハルさんが覗き込むように見つめる。


 「おれ、みんなと友達になれて本当に良かったと思ってます」


僕が不意にそう言い放つと、時間が止まったようにみんなの動きがピタリと止まった。あまりに当然止まったものだから僕も慌てながらみんなを見た。


 「い、いや、ちょっとクサいこと言ったかもしれませんけど、いまみんなの顔見てたら不意にそう思っちゃって、その……」

 「オレもだよ!カケル!」


ぐいっとダイキがテーブルから身を乗り出し、わしゃわしゃと豪快に僕の髪の毛を撫でて、口を大きく開けて笑った。ダイキの頬は照明に照らされて相変わらず分かりやすく赤く染まっている。


 「あはは! 今更何言ってんの! カケルくん! そんなこと、私ずっと前から思ってたよ!」

 「本当にね。カケルくんはやっぱり可愛いね。今、改めて思った」

 「そ、それは流石に馬鹿にしてません?」

 「してないよ」


みんなの笑い声と一緒に僕の笑い声も部屋に響く。僕は目の前に広がるこの光景がこれからもずっと続いてほしいと本心でそう思った。


 盛り上がってから随分と経った。4時間ぐらいだろうか。僕らはたくさん酒を飲んだ。テーブルに溢れかえっている空き缶の量を見ると、これまでに飲んできた量とは圧倒的に違っているように見えた。鉛が乗っかっているように重い瞼を閉じないように必死に目に力を入れる。テーブルにはダイキが突っ伏して眠っている。少しでも体を動かせば、そこに並べられている空き缶がドミノのように倒れていきそうだった。そこから視線を横に向けると、ここにいる全員が座ることが出来そうな大きなソファを独占してチハルさんが気持ちよさそうにすやすやと眠っている。ガチャッとリビングのドアが開き、ハルカさんが戻ってきた。化粧を落としたのか、普段よりも眉毛が薄く、普段よりも目が小さく見えた。


 「お、カケルくんは起きてんだ。今にも寝そうな顔してるけどね」


ニシシと笑うハルカさんの笑顔は、やっぱりチハルさんとそっくりだった。けれど、僕はチハルさんの笑顔の方が好きだと、酒の勢いに乗せて惚気ておく。


 「せっかくの時間ですから。ハルカさんが寝たらおれも寝ますよ」

 「私、まだまだ寝ないよ? お酒もまだ飲むつもりだし」

 「お酒、チハルさんより強いんですね」

 「まぁ子どもの頃から飲んでたからね! あ、ここだけの話だよ、これ」

 「あ、はい。おれ、口かたいから大丈夫っすよ」

 「あはは! 頼れる男だ。てか、カケルくん、今ダイキにも見せたことないすっぴんを目の当たりにしてるけど大丈夫?」

 「ん? 何がですか?」

 「見苦しいものを見せてるからさ! 眉毛とか無いでしょ!」

 「あぁ、おれそういうの全く気にしないです。むしろ、気を許してくれてるんだって思えて好きですよ」


僕はいつになく落ち着いてハルカさんにそう伝えた。よくよく考えると、2人きりでハルカさんと話すのは今が初めてかもしれない。けれど、何だろう。全く気を遣わないでいられる。酒を飲んでいるからだろうか。ハルカさんは再び笑って手元にあったグラスに口をつけた。


 「キミと話すと、チハルがカケルくんのこと好きなの、改めて分かるよ」

 「え? 本当ですか?」

 「うん、多分2人で話すのはこれが初めてだよね? なのに、話していてすごく癒しをくれるの! 声のトーンなのかな? 言葉のチョイスなのかな? 上手くは伝えられないけど、何か優しさが伝わってくる気がする」

 「そうですかね? 自分じゃ全然分かんないし、優しさなんかあるのかなって思いますけど」

 「自分じゃ分からなくて当たり前だよ! ダイキもカケルくんのそういうところを見習ってほしいのに!」


言葉に反応したのか、机に突っ伏していたダイキがモゾモゾと上体を動かして床に倒れ込むように寝転んだ。何本か空き缶が落ち、目覚まし時計のように大きな音がしたけれど、ダイキもチハルさんも全く起きる様子はない。2人は当分目が覚めることは無さそうだ。僕はその音に過敏に反応したようでさっきよりも意識がハッキリとした。瞼が少し軽くなった。


 「いきなりですけど、ハルカさんはダイキのどういう所が好きですか?」


唐突な質問をハルカさんに投げかけた。するとハルカさんは、控えめな笑い声を出して僕を見た。


 「んー、いっぱいあるけどやっぱり顔かな! っていうのは半分冗談で、男らしいところかな。ダイキから聞いたかもしれないけど、私、小3になる娘がいるんだけどね。あ、今日は私のママが面倒見てくれてるんだ。それでダイキはね、いつも娘も私も可愛がってくれるんだ! 私たちが行きたい場所にはすぐに連れてってくれてね、ワガママもいっぱい言わせてもらってる! けど、ダイキは嫌な顔ひとつ見せたことは無くて。何だろ、身長も器も大きいなーっていつも思ってるよ! 本人に言うと絶対調子乗るから死んでも言わないけどね!」

 「は、はは。確かにダイキのそういうところ、おれも昔から好きです」

 「すぐに調子乗るし、乗ったらめっちゃめんどくさいんだけどね!」

 「お2人も幸せそうで良かったです」

 「カケルくんはチハルのどんな所が好き?」


酒をテンポよく飲みながらハルカさんはじっと僕を見つめる。その目には僕の言葉を一言一句逃さないという意気込みを感じ取れるように思えた。


 「おれもチハルさんの好きな所はいっぱいありますけど、一番はおれの隣にいて笑ってくれるところですかね。どれだけ仕事や人間関係で疲れていても、この人の笑顔を見ることが出来ればその日も頑張って良かったなって思えるんです。これまでおれ、彼女とかいたこと無いんですけど、もしチハルさんが彼女になったらおれ、幸せすぎて死んじゃうんじゃないかなって思ったりもしますね」


僕の心境を伝え、渇いている喉を潤すために僕もグラスに手をつけた。自分の心の中で抱いていた感情を誰かに伝えたのは、今この瞬間が初めてかもしれない。ただ、チハルさんの好きなところなんて数え出すとキリがない。ハルカさんは僕の言った言葉に反応するように顔をニヤニヤとさせている。


 「カケルくんもチハルのこと、めっちゃ好きなんだね。両思いで微笑ましいよ」

 「おれもチハルさんから好きだって言われてますからね。その言葉、おれの人生の中で唯一の宝物にしてあります」

 「カケルくん、めっちゃいいこと言うね。詩人になれるんじゃない?」

 「いやいや。目指してないです。自分の心境を言ってるだけですから」

 「チハルは幸せ者だなぁ」


ハルカさんは僕の言葉を味わうようにうんうんと首をゆっくり縦に振る。照明が反射しているのか、ハルカさんの目がやたらと光っているように見えた。まるでそこから涙が流れそうになっているように見えなくもなかった。エアコンの駆動音が僕らの沈黙を取り持ってくれているように静かに聞こえる。少しすると、再びハルカさんの口が開いた。


 「じゃあもしさ、チハルがカケルくんの前からいなくなったら、カケルくんはどうする?」

 「え? それは嫌われておれの前からいなくなるってことですか?」

 「うん、そうだね。理由はどうあれ、突然チハルと会えなくなっちゃったらみたいな意味合いだね」


普段は良い意味でわちゃわちゃとしているハルカさんが、今はチハルさんのように落ち着いたトーンで話している。酒を飲む仕草もさっきよりもゆっくりと丁寧にしているように見えた。僕は、突然チハルさんに会えなくなった時のことを考えてみた。考えた途端に、僕は心臓を強く握られたかのようにぐっと圧力がかかって苦しくなった。


 「なんか、考えただけで心臓が少し痛くなりました。チハルさんに会えなくなるのは絶対嫌ですけど、もしチハルさんがそうしたいのなら仕方ないのかなって思ったりはします」

 「というと?」

 「おれが側にいてもいいならいつまでもチハルさんの側にいたいと思ってます。彼女の迷惑にならないのなら」


僕の言葉を聞いたハルカさんは少しの沈黙の後、ふふっと微笑みながら再びぐいっと酒を体に流し込んだ。


 「カケルくんらしい答えだね」

 「もちろんハルカさんもダイキも突然いなくなったら絶対嫌ですよ。ここにいるみんなは、おれの唯一の友達で、唯一の大切な人たちだから」

 「安心して、カケルくん。私やダイキはキミの前からいなくならないだろうし、チハルも絶対キミのことを嫌になったりしないだろうから」

 「そう言ってもらえるなら一安心です」

 「今の言葉、録音しとけばよかったなー! 私のことも言ってくれて嬉しかったけど、チハルに対しての発言も含めて保存したかった! ってことでカケルくん、もう一回言ってもらってもいい?」

 「いやですよ。言ってる方も割と恥ずかしいですからね」

 「あはは! お酒の勢いとかでいけるよ!」

 「いや、そう言われたら余計言わないです」

 「ふふ、チハルに似て頑固だね!」

 「チハルさんに似てるなら光栄ですよ」

 「大好きだね、チハルのこと」

 「はい。当たり前じゃないですか」

 「これ、本人聞いてたらめっちゃ面白くない?」


ハルカさんにそう言われてベッドの方を振り向くと僕らに背中を向けるように寝転んでいるチハルさんの横腹がゆっくりと動いている。顔の向いている方へ回り覗き込んでみると、チハルさんは気持ちよさそうに眠っていた。まるで人形が眠っているみたいに綺麗な顔をしていた。そして、いつもの薔薇のような香りが僕の心を安心させてくれる。


 「大丈夫、チハルさんは寝てました」

 「今カケルくん、チハルの顔、めっちゃ綺麗だなって思ってたでしょ」

 「え!? 何で分かったんですか?」

 「あはは! すぐ分かるよ。キミ、分かりやすいからね」

 「まじっすか、これからは悟られないように意識します」

 「はは! 絶対無理!」

 

ハルカさんの大きな笑い声でも起きないチハルさんと、肉食動物が眠っているのかと思うほど凄まじいイビキをかいているダイキを見守りながら僕とハルカさんもそろそろ寝ようという形に落ち着いた。


 「カケルくん、チハルをベッドまで運んであげてくれる?」

 「はい。分かりました」

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