第2話 #1
「いつになったら覚えるんだよ」
「お前、ここで働いて何年経ってんだ?」
「給料泥棒って言葉、お前にピッタリだよな」
「時間の使い方って小学生の頃、習わなかったか?」
山中さんから言われる悪口なんか数え出したら100個以上は軽く思い出せる。あの人の脳内にはそれほどボキャブラリーがあることが逆にすごいと思ってしまうほどだ。今日もいつもと同じように1日中、その暴言を全身で受け止めた。疲れきった体は鉛を全身に纏ったようにずっしりと重い。そんな体をズルズルと引きずるように歩いて男子更衣室へ向かう。着ていると体の可動域が明らかに狭くなる硬い素材の作業服を脱ぐと、今日も地獄のような時間が終わったことに達成感を感じる。
「あぁ、今日も頑張ったなぁ……。おれ。うん、よく頑張った」
ロッカーからトートバッグを取り出し、その中から着替えを勢いよく取り出す。僕は生まれ変わるように、もぞもぞとズボンを履き替えて僕の体が2つ入りそうな大きいサイズのパーカーを頭から被った。着替えにも体力を使ったのか、僕は無性に座り込みたくなって更衣室に設置されているパイプ椅子に腰かけた。ほぼ立ちっぱなしの1日だから、こうやって仕事後に座る瞬間は温泉の浴槽に入った時よりも絶対に気持ちいいと断言出来る。
「ん?」
トートバッグからスマホを取り出しロック画面を開くと、誰かからメッセージが届いていた。確認すると送り主は幼稚園からの幼なじみで親友のダイキからだった。最近では、僕の唯一の友人と言っても過言ではない。ダイキというその3文字を見ただけで泣きそうになっている僕の心の中は、今にも崩壊する寸前なのかもしれない。
『久しぶり! 半年ぶりぐらいだよな! 元気してるか?』
ダイキからこういうメッセージが来ると、大体次に来るメッセージの内容は近いうちに居酒屋とかでメシでも行こうと誘ってくる流れだ。
『久しぶり。何とか今も社会人続けてるよ』
何ともありきたりな文章をそのままダイキへ返してスマホの画面を消した。すると、1分もしないうちにダイキからメッセージが返ってきた。急ぎなのかもしれないと思い再びロック画面を開いた。
『カケルは流石だな。てか急なんだけどさ、今からメシ行かね?』
僕の予想していた内容のメッセージが見事に届いた。ただ、今送られてきた短いメッセージには何か切迫した気持ちが込められているような気がした。
だから僕はそのメッセージをすぐに返信し、体重が2倍になったかと錯覚するほど重くなった足を何とか動かして車に乗り込んだ。それからダイキに指定されたファミレスに目的地を設定して車を動かした。普段よりもスピードを出して僕はそこへ向かった。
ナビの予想より少し早く、車は10分ほどで目的地のファミレスへ着いた。時間も時間だったから駐車場には見慣れた黄色い車だけが停まっていた。夜のこの空気に反抗しているような明るい色のこの車はすぐにダイキのものだと分かった。僕はその車の隣に停車して足早にファミレスの中へ入った。客の入店を知らせる独特なリズムの電子音が鳴ると、口の周りにびっしりと髭を生やした店員が気だるそうに厨房から出てきた。
「しゃいませ、お一人様っすか?」
「いや、そこに連れがいます」
「あい。ごゆっくりどうぞー」
僕の方を向いてニシシと歯を見せて笑うこの時間帯唯一の客の方へ手を向けると、店員は何の感情も持たないような顔のままそう言って、のっしのっしと厨房の方へ戻っていった。僕も店員と同じぐらいゆっくりと疲れた足を引きずるように歩いてダイキの方へ向かった。黒いスニーカーに全身も黒色のジャージを着ているという何とも犯罪者みたいな見た目なのに、190センチ近い長身と銀色の髪の毛と、甘いマスクという表現が相応しい顔面の三拍子で、どこのモデルがこんな時間にファミレスにいるのだろうと思った。最近のマンガでこんなキャラクターがいた気がするのは気のせいだろうか。
「お疲れ! 早かったじゃん! カケル」
「うん。職場、わりと近かったからさ」
「こんな時間まで大変だな。もう日、跨いでんじゃん」
「まぁ慣れっこだよ。残業無い日の方が少ないし」
「さすが、真面目なサラリーマンだなぁ!」
「……ただの社畜だよ」
「ハハ、相当ストレス溜まってんな!」
「あぁ、溜まってる。こんな時間なのにがっつり食べたくなってるんだから相当だよね」
「おう、いいじゃん! 食いたいやつ頼んじゃえよ! カケルはスタイルいいんだからちょっとぐらい食べても見た目変わんねえよ」
「モデル体型のダイキがそう言っても説得力無いよ」
ダイキに促されるまま僕は自分の体が今一番欲した牛挽き肉100%のハンバーグを注文した。さっきの店員も暇をしているのだろう、注文したものはお互い5分ほどで僕らの目の前に届いた。僕の食欲をピンポイントで刺激する美味しそうな音を立てながら横たわる目の前のそれをナイフで切り分けると、そこから流れ出す肉汁がさらに僕の食欲を刺激した。両手を合わせ僕はすぐに切り分けた肉の塊を一欠片口に入れた。予想以上に熱くて僕の口の中は一瞬で大パニックになった。
「ハハハ! 冷まさないからだぞ! 落ち着いて食えよ」
「だって熱い方が美味いじゃん。てか、この時間に食べるハンバーグ、めっちゃ美味いんだけど」
「確かにめっちゃ美味そうだな。けど、オレの頼んだこのビーフシチューもめっちゃ美味いぞ!」
「確かにそっちもめっちゃ美味そうだね」
ダイキは既に夕食を済ませていたはずなのに、僕に合わせて同じようなメニューを頼んだんだと思っている。僕はダイキのこういった僅かな優しさが昔から好きだ。それを言うと調子に乗るのは目に見えているから絶対本人には言わない。
「ダイキ、髪の色いい感じだね」
「あぁ、これな。前の撮影でさ、ちょっとビジュアル系バンド路線の衣装を着せられてさ。それに合わせてスタイリストに染められたんだ。意外と好評だし気に入ってんだ」
「おれもずっと染めたりしてないからマジで羨ましいよ」
ダイキのフリーランスモデル活動は、今もコンスタントに仕事が来ているようで羨ましく思えた。僕も大学時代は髪を染めていた。今のダイキほど奇抜な色をしたことは無いけれど、明るくなった自分の茶色い髪の毛が当時は気に入っていた。そういうことを思い出すと、より一層その頃に戻りたい気持ちが強くなった。
「カケルの会社は髪の色とか染めちゃダメなのか?」
「んー、帽子を被るから見えたりはしないんだけど原則的にダメなんだよね。女の人とかは普通に染めたりインナーカラーとかしてる人はいっぱいいるけどね。いちいち注意されるのめんどいし」
「そっか。カケルもたまには開き直ってもいいんじゃないか?オレみたいにこんな色してみたら?」
「上司に丸刈りにされるよ」
「ハハハ! そうなったらパワハラだ! っつって反抗しちゃえよ」
「それが出来たら苦労はしないって」
「だよな。悪い悪い」
普段も笑いのツボが浅いダイキだが、今日は一段と浅い気がする。へへへと笑いながら湯気の上がるシチューを口に入れてダイキは僕を見つめた。じっと見つめられているものだから不思議に思って目を横に逸らした。僕がさっき思っていたダイキが何か思い詰めているようなことは一切なさそうなのでひとまず安心はした。再び視線を戻すと、ダイキがじっと僕を見つめていた。
「何だよ」
「カケルさ、いきなりだけど彼女、欲しくね?」
思いもよらない角度から飛んできた質問に、僕は自分でも分かるくらい瞳孔が開いた。
「別に? え、何でいきなり?」
「カケルってさ、スナックって行ったことあったか?」
「んー、そういうのは1回もないかな。スナック、キャバクラ、ガールズバー、風俗なんておれには無縁の世界だよ」
「実はオレもさ、26年間行ったことないんだよ。この見た目で」
「意外と真面目だもんな、ダイキも。まだ童貞だよね?」
「お前もだろ!?」
ダイキの発した声が誰もいない店内に響き渡った。何か反応があるかと厨房の方を振り向いてもさっきの店員が来る様子もない。まるでこの店を貸し切っているみたいな気持ちになって、僕は一層大きな声を出して笑った。僕らしかいないこの空間だから、ダイキも気を遣わなくていつもより大きな声を出したのかもしれない。
「だからさ、今度オレたちが両方休みの日で行けそうなタイミングがあったら、夜の街を歩いてみないか? オレたち2人とも身長デカいし、顔も悪くないじゃんか。結構目立つと思うんだよな」
「自分で言っちゃうところ、流石だよ。悪い方向に目立たないといいけどね。おれ、結構そういう所苦手なんだよなぁ」
「カケルはそう言うと思ってたよ! だからさ、オレのワガママ聞いてくれたお礼に今度さ、お前の好きなBLUE RINGSのライブのチケット当たってるから一緒に行こうぜ? もちろんオレの奢りで」
「マジで!? 絶対行く! いつ!?」
今度は僕の声が店内に響き渡った。壁にかけられた時計を見ると、1時半をとっくに過ぎていた。こんな時間にこんな場所でこんな大きな声を出しているのは僕らぐらいだろう。というか、職場以外で大きな声を出したのはかなり久しぶりだったかもしれない。そんな僕を見たダイキは口を大きく開けて笑っていた。
「すごい食いつきようだな。バンド愛が伝わってくるよ」
「当たり前じゃん。中1から好きなんだから。マジで奢ってくれんの?」
「あぁ。二言はねえよ」
「やった! マジで楽しみにしてる」
「じゃあカケル、交渉成立だからな?」
「分かったよ。行ってやるよ。またいつ休みかメッセージ送るよ」
「あぁ。なるはやで頼むわ」
それからもしばらく会話が弾み、店を出る頃には2時を回っていて新聞配達をするような断続的に聞こえてくるバイクの音が、まるで僕らが家に帰るのを促しているように僕の耳に届く。僕とダイキはまたすぐに約束を果たすことを誓い合って分かれた。15分ほど車を走らせ、一人で住んでいるアパートの鍵を開けてトートバッグをソファの上に置いた。それから流れ作業のようにパーカーから部屋着のスウェットへ着替えてからソファの上に寝転んだ。手を伸ばすとそこに届いてしまいそうな低い天井を見上げながらさっきの時間を振り返ってみる。ダイキとの会話はもちろん楽しかったけれど、何よりも体がとっても軽く感じる。体につけられていた錘が外れたように軽くなっていることに驚いた。ダイキ本人は何も思っていなかっただろうけれど、僕はさっきの時間があったおかげで今日は死にたいと思うことが普段の日よりも少なかったことに気がついた。だから僕は、改めて心の中でダイキに礼を言っておいた。
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