新生活

 あれからずっとティはミューズのそばを離れない。


 ミューズも、よく撫でてあげて、ブラッシングしたり、爪をヤスリで磨いたりして、甲斐甲斐しくお世話をしてする。


こうして穏やかに過ごせるようになり、本当に良かった。


 家を離れる前に契約と挨拶のため、ティを連れてスフォリア家へと戻ったら、屋敷中に絶叫が走ったのだ。


 まさか猛獣が家に来るなど思ってもなかったのだろう。


 だが領地や謝礼金についての話になるとがらりと変わる。


 「領地や屋敷はミューズにではなく、スフォリア家に頂けるのですよね?」

 などの理不尽な事を言われた時は、ティが低い声で唸り、爪を出すと何も言わなくなり、滞りなく契約を進めることが出来た。


 ミューズはとある辺境伯の養子となり、ティとは婚約者のような契りを交わすことになった。


 現スフォリア家とも関わりを持たないことを条件に、多くの謝礼金を手切れ金代わりに渡してなんとか納得させる。


 そしてミューズの世話をするため、使用人の連れ出しを許可することを求めた。


 たかだか数人だろうと許可を出したミューズの父だが、希望者は思ったよりも多く、残る者はほぼいない。


 王家の提示した給金はここより多く、皆がミューズの努力を認めているので、残る気はないそうだ。


 家族がいる為遠い辺境伯領についていくことが出来ないものについては、希望があれば王家が新しい職場探しを手伝った。


 スフォリア家の辞めてしまった使用人の代わりも、王家が斡旋をしてなんとか見つける。


そこそこの給金の為に、集まるものもそこそこなものだが。


しかしこれでスフォリア家も何とか新生活を始められそうだ。


「ようやく行ってくれるのね、生意気な使用人達もいなくなるし、清々するわ」

 カレンが忌々しげに毒づく。


 ミューズ達は五日間の滞在を経て出発する事になった。


 これからのティとの生活にワクワクしているので、義妹のイヤミも今は何も気にならない。


「これからよろしくお願いしますね、ティ様」

 馬車の中で二人になり、ふかふかのたてがみに触れる。


 ぐるぐると目を細める様子は、とても可愛い。


「あぁ、ティ様。ふかふかのたてがみと筋の通った鼻筋。瞳の黄緑色がとてもキレイです」

 うっとりとした目で褒められ、ティは照れているようだ。


 ミューズの細い指がたてがみを梳いている。


「新しい屋敷につきましたら、一緒にお風呂に入りましょう。スフォリア家では入れませんでしたから」

 むぎゅっと抱きつき、たてがみに顔を埋める。


 きゅうぅと、困ったような声がティから聞こえた。


「お風呂はお嫌いですか? マオからは毎日入っていたと聞きましたが」

 緊張してるのか、耳がぺたっとしている。


「そうですね、私では不安ですよね。マオに習い、私もティ様をふかふかに出来るようがんばります」

 新たな目標を胸にミューズは張り切る。






 新しい屋敷に着いた。


 ここは養子となった辺境伯の持つ別邸だそうだ。


 敷地は広く、庭も駆け回れそうである。


「凄い、後で一緒にお散歩しましょうね」

 きちんと草なども刈られ、手入れをされている。


 皆屋敷に着くと、直ぐ様荷物を出して、片付けを始める。


必要なものの買い出しなどにも出かけたり、大忙しだ。


「ミューズ様はティ様と同じ部屋になるです」

 マオに案内されると大きな部屋で大きなベッドがあるところだった。


「こんな大きなところでいいの?」

「ティ様は大きいので、これくらいはないと駄目なのです。あとで仕立て屋も呼びますので、ミューズ様のドレスなどの購入も行います。全て王家が予算を出すですよ」 


「えっ?! でも……」


 既にスフォリア家に多額のお金が支払われている。


そこまで甘えては申し訳ない。


「国王陛下より賜っておりますので、問題ないです。エリック様からも、ティ様の面倒を見るためのお給金だと思って、との伝言です」

 早速外商の手配をします、とマオは出ていった。


 マオがそんな話をしている間にも、チェルシーはテキパキとミューズの荷物を片付けている。


「ミューズ様にはあたしかマオが付きますので、何なりと用事をお申し付けくださいね」

 片付けが終わったチェルシーは、他のところにも手伝いに行くといった。


「何かあればベルを鳴らしてください。お食事の際には声掛けしにきますので、それまではティ様とお二人でごゆっくりなされてください」

 そういうとあっという間にチェルシーも部屋を出ていってしまった。


「チェルシーもマオもすごいわ」

 段取りよくこなしていき、風のように去っていった。


 気を遣い、二人にしてくれたようだ。


 言葉に甘えて少しゆっくりしようと、ミューズはベッドに腰を掛けてティを呼ぶ。


「床じゃなくて、ベッドはどうですか? こんなに大きいんですもの、ティ様も一緒に乗れそうですわ」

 スフォリア家のベッドでは乗れなかったが、ここのなら大丈夫そうだ。


 恐る恐る乗ってきたティをよしよしとする。


 しっぽが嬉しそうに揺れているのを見て、嬉しくなった。


(ティの事は人間だと思って色々な話をしてくれ)

 そうエリックに言われた事を思い出した。


 この子はとても賢い子だし、変な事は言わないようにしよう。


「えと、ティ様。改めて私はミューズ=スフォリア……じゃない、ミューズ=パルシファルです。これから一緒に暮らすのですけれど、少しずつ私を知っていってもらえたらと思います」

 ベッド上にてちょこんと正座をすると、ティも伏せて真剣に聞いている。


「好きなものは木苺のケーキ、趣味は薬草などの栽培や農業について学ぶこと、あとは恋愛小説が大好きです。実家には父と義母と義妹がいます」

 黄緑の目が真っすぐミューズを見ていた。


「本当の母は五年前に亡くなりました。義母と父が再婚したのは三年前で、そこから少しずつ、家が変化していったのです」

 ミューズの目が、長い睫毛で伏せられた。


 それまで大事にしてくれていた父が、義母と義妹の味方をし、ミューズを蔑ろにし始めたのだ。


「勉強も頑張ったつもりだし、家庭教師をつけてくれたのも感謝していまふ。でも家督を譲らないつもりなら、もう少し早く言ってほしかったなぁ」

 勉学に追われ、パーティや夜会への参加も我慢することが多く、ろくに恋愛も出来なかった。


「結構頑張っていたつもりなのに」

 思わず涙が溢れる。


 口にして初めて気がついたが、頑張りが認められなかったのは、思った以上にショックだったと気がついた。


 無条件に愛されるはずの家族の愛が受けられなかったのが、たまらなく寂しい。


 ぺろりと頬を舐められ、ティが困ったような目でこちらを見ている。


 大きい前足は膝に置かれ、慰めているようだ。


「ありがとう……」

 ひとしきり泣き、ティに慰められたあと、お風呂について思い出す。


「そうだ、マオに頼んでみましょう」

 ベルを鳴らすとチェルシーが来てくれた。


「ティ様のお風呂についてマオに聞きたいの。良かったら呼んできてもらえるかしら」


「かしこまりました」






「ティ様用のお風呂は今はないのです。いずれ改築しようとは思ったのですが、とりあえず、使用人用のお風呂を使うです」

 使用人用のお風呂はまぁまぁの広さがあり、男性用・女性用と2つある。


 出来上がるまではどちらかを借り、使用人達は時間制で使ってもらうつもりだった、と言われれた。


「それなら私とティ様で使えばいいわ。そうすれば皆困らないでしょう?」

 主用のお風呂は広く立派だが、まさかその提案をされるとは思わなかった。


「ミューズ様は嫌ではないのですか?

 その、ティ様は結構毛が抜けますよ」

 夫婦であれば共有もするだろうが、ティは動物だし、何より土足で汚れやすい。


「しっかりと浴室を清掃すれば大丈夫よ。それに私もマオに教わって、ティ様をキレイにしたいの」


「ミューズ様が、ですか?」

 さすがにビックリだ。


 普通のご令嬢がそんな事を言うだろうか。


「私の手でティ様をふかふかにさせてあげたいの。私はお世話係でしょ? それに色々な事でお世話になったから、恩返ししたいのよ」

 ただお金を受け取るだけなど嫌だと話す。


 変わったご令嬢にマオはティを見た。


「ティ様が良ければですが……大丈夫なようですね。お願いします」

 ミューズにはティが首を横に振り、嫌がるように見えたが、マオがいいと言うなら大丈夫だろう。


 ティはびっくりしていたが、マオの一瞥に大人しくなる。


「早速お湯の準備をするです。ティ様を洗うと服が濡れてしまうので、今日は僕が汚れてもいい服を貸すのです。後日ミューズ様専用のをご用意しますので、お待ち下さい」

 短めのズボンと袖のない服に着替え、二人でティにお湯をかけ、石鹸を泡立てる。


「たてがみのほつれを解いていきましょう」

 二人でもくもくと梳いていく。


 マオを見ると服の裾から、身体のあちこちについている傷が見えた。


 ここ最近のものではなさそうだが、ティにつけられたものではないのか、と少し気になってしまう。


「この傷は、ティ様につけられたものではないですよ」

 視線を感じたマオはさらっと言った。


「僕は孤児だったのです。そこで酷い目に遭い、体は傷だらけなのです。しかし、国王さまに助けられて、最初はエリック様の従者となり、そして今はティ様の従者になったのです」

 気にしている様子はないが、相当過酷だったのではないだろうか。


 愛情はなかったが、住むところも食べ物もあった自分は、まだ恵まれていたのではないかと恥ずかしくなる。


「ごめんなさい、そんな辛い話があったなんて知らなかったわ」


「僕の苦しみと、ミューズ様の苦しみはまた別なのです。その人が苦しいと思ったら苦しいのです。気になさらないで欲しいです」

 心が読めるんじゃないかと思うくらい、マオはスラスラとミューズの心のわだかまりを解いていく。


「僕は国王様の家族に救われました。なので一生懸命尽くしていくつもりなのです」

 ザバァと魔法でお湯を掬い、体を洗う準備を進める。


「そのお手伝いをミューズ様がしてくださるので、嬉しいです。では、ここからはお願いするのです」

 体はミューズに任せるという事みたいだ。


 ティの耳がぴくんと立つ。


「ティ様は僕に体を洗われたくないみたいで、いつも拒否されてしまうのです。ですが、ミューズ様ならきっと大丈夫なのです」


「触っていいかしら?」

 いつも同じ部屋で寝てたし、少しは親密になれたかしら、と恐る恐る触って見る。


 筋肉は強張り明らかに緊張しているのを感じられた。


「ティ様、しっかり洗わないとミューズ様に嫌われてしまうのです。いいのですか?」

 ビクリと震え、ティはミューズの手を受け入れた。


「優しくしますから」

 撫でるように優しく洗い、肉球の間やしっぽも洗っていく。


 さすがに大事な部分は無理だった。


「きゅうー…」

 情けない声を出し、ぷるぷると震えているティに、可哀想になってしまった。


「すぐに終わりますからね、あと少しですよ」

 魔法でお湯を掬い、二人で泡を流してあげる。


「チェルシーを呼んで風魔法でティ様を乾かすです。その間僕は掃除とお湯の張り直しをするので、ミューズ様も身体を流してほしいのです」

 初めてティを洗ったので、ミューズもだいぶ濡れてしまっていた。


 張り付いた服が体の線を強調してしまい、このままでは外に出られない。


 ティも視線を逸らし、直接見ないようにと気を遣ってくれている。


 マオの好意に甘え、お湯を張ってもらったあとは、チェルシーと二人で浴室に残った。


「ティ様、すごくふわふわになりましたね。あたしも触ってみたいです」


「後で頼んでみましょうか。少しだったら許してもらえるかも」

 ティは基本的にはミューズにしか触らせない。


洗うときはマオの手を借りたが、基本的にはミューズだけだ。


 最初は怖がっていた使用人達だが、猫のようにミューズに甘えるティを見て、少しずつ恐怖心が薄らいだ気がする。


 触りはしないものの、距離は縮み、話しかけられる事も増えてきた。


 ミューズが動物を飼っていた事もあり、受け入れられるのはそう遠くないかもしれない。


「本当にふわふわなのよ、ぜひ触ってもらいたいわ」

 チェルシーに体を洗ってもらい、ゆっくり湯船に浸かっていた。


 その時、ティの吠える声がミューズのいる浴室まで聞こえてきた。


「何事でしょう?」

「急いで向かうわね」

 身体を拭き、急いで服を着る。


 髪を乾かすのもそこそこに、声のした玄関へ向かう。




「ティ様、大丈夫ですか!?」

 駆けつけたミューズは、ティの変わり様に驚いてしまった。


 眉間には皺を寄せ、牙は剥き出しだ。


 低く唸り声をあげ、外に向かい威嚇している。


 毛はブワリと逆立ち、力がこもった前足は大きな爪が見えていた。


 明らかに怒っている。


「マオ、何があったの?」

 皆ティから一定の距離を保ち、立っていた。


 いつも穏やかだったティがこんな状態になるなんて、只事ではないと感じられる。


「呼んでもない客が来たから、怒ったティ様が追い返したのです」

 それを聞いた他の者は答えた。


「ミューズさまの元ご家族と、ユミル様が現れました。何やら話があると」

 訪問の手紙など受け取ってなどいない。


 つまり許可なくここに来たようだ。


「会う予定も話をする予定もなかったわ」


「そうですよね。なので、そのような無作法者は、本来であれば追い返されて当然なのに、何故か自信たっぷりに屋敷に入ろうとしたのです」

 養子に入り、縁も切った、もうミューズとは関係ない人間である。


 なのにここに来るということは、余程ミューズを舐めていたのだろう。


 追い返されるなんて思っていなかったはずだ。


「マオ様はもちろん断り、追い返そうとしました。怒った元旦那様が魔法を使おうとしたときに、ティ様が大きな声で吠えられたのです」

 それまで人に向かい、そのような事をしたことはなかった。


 空気はビリビリと震え、爪を剥き出しにし、ズンズンと近づいていった。


「ティ様に恐れをなしたのでしょう。すぐに彼奴らは逃げ帰って行きましたが、ティ様の怒りが収まらずどうしたものかと思いまして……」

 手を出されるかもしれない、と皆遠巻きになっている。


 ミューズは臆することなく、遠くからティの視界に入り、認識させていった。


「ティ様」


 声をかけ、ティがこちらを見たのを確認してゆっくり歩み寄る。


「皆が怖がっております。どうか落ち着いてください」

 ミューズの言葉にハッとして周りを見る。


 皆の視線に、しおしおと座り込んでしまった。


「皆を助けてくださり、ありがとうございます。あのような姿や声は初めてでしたが、きっと皆を守るため必死だったのですよね」

 よしよしと撫でられ、ティはミューズにすり寄った。


 嫌われたくない。


「ティ様には感謝していますよ。大丈夫ですから」

 落ち着いたようでグルグルと喉を鳴らすティに安堵する。


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