新生活
あれからずっとティはミューズの側から離れなかった。
(住み慣れた場所を離れるのは不安よね)
ティが寂しがらないようにと甲斐甲斐しく世話をする。ブラッシングや、爪を切り、ヤスリで磨いてあげたりなど出来る限りの事をした。新天地についたらもっと甘やかしてあげようと考える。
(私も新しい所へ行くことにはなるけれど、お父様達を思い出せば、寂しくはないわ)
ティのように愛されてる、というのは欠片も感じない別れだった。
家を離れる為と契約の為と、ティを連れて挨拶をしに戻ったら、猛獣を見てスフォリア家に絶叫が響き渡ったのだ。
その後少し落ち着いた後に、マオが謝礼金についてなどの契約などを取り交わす。
スフォリア家が理不尽な事を言うとティが低い声で唸り威嚇した為に、滞りなく契約は進んだ。
内容として、ミューズはとある辺境伯の養子となり、ティとは婚約者のような契りを交わすことや、スフォリア家とは今後関わりを持たないことなどを話す。
縁を切る、という重大な事柄故に、多くの謝礼金を手切れ金代わりに渡す事で、なんとか納得してもらえた。
最後にミューズの世話をする為の、使用人の雇用に関しての話もする。
たかだか数人だろうと軽く許可を出したミューズの父だったが、希望者は思ったよりも多く、残る者はほぼほぼいなかった。
王家の提示した給金はここより多く、皆がミューズの努力を認めているため、応援したかったのだ。
ミューズがいなくなる事で辞める者もおり、その者には王家が新しい職場探しを手伝う約束もする。
スフォリア家の辞めてしまった使用人の代わりも王家が斡旋をし、なんとか新生活を始められそうだという目処がつき、話し合いは終わった。
「ようやく行ってくれるのね。生意気な使用人達もいなくなるし、清々しますわ」
三日間の滞在を経て、ようやく出発する日になった。
義妹のイヤミも今は気にならず、これからティと過ごす新しい生活にワクワクする。
「これからよろしくお願いしますね、ティ様」
馬車の中で二人になり、ふかふかのたてがみに触れる。
ぐるぐると喉を鳴らし目を細める顔は、とても可愛い。
「あぁ、ティ様。ふかふかのたてがみと筋の通った鼻筋。黄緑色の瞳もとてもキレイです」
うっとりとした目で褒められ、ティは照れているようだ。
ミューズの細い指がたてがみを梳いていく。
「新しい屋敷につきましたら、一緒にお風呂に入りましょう。スフォリア家では入れなかったですものね」
むぎゅっと抱きつき、たてがみに顔を埋める。
きゅうぅと、困ったような声がティから聞こえた。
「お風呂はお嫌いですか? マオからは毎日入っていたと聞きましたが」
緊張してるのか、耳がぺたっとしている。
「そうですね、私では不安ですよね。マオに習い、私もティ様をふかふかに出来るようがんばります」
そんな楽しい生活を想像し、話をしている内に新しい屋敷に着いた。
付いた先はミューズが養子となった辺境伯の持つ別邸だそうで、敷地はとても広く、庭も駆け回れそうなものだ。
「凄く立派で広いのね。ティ様、後で一緒にお散歩しましょう」
きちんと草なども刈られ手入れをされていた。
来る前にしっかりと手を加えていてくれたようだ。
屋敷に入ると、皆荷物を運び入れ移し替えたり、食材や不足品の買い出しに出かけたりと大忙しだ。
「ミューズ様はティ様と同じ部屋になるです」
マオに案内されたのは、大きな部屋で大きなベッドがあるところだった。
「こんな大きなところでいいの?」
「ティ様は大きいので、これくらいはないと駄目なのです。あとで仕立て屋も呼びますので、ドレスなどの購入なども行いますね。全て王家が予算を出すですよ」
「えっ?! でも……」
既にスフォリア家に多額の支度金を払っている。そこまで甘えては申し訳ない。
「国王陛下より賜っておりますので問題ないです。エリック様からもティ様の面倒を見るためのお給金だと思って、との伝言です」
「ありがとうございます」
あまり断り過ぎても失礼になりそうで、お礼を述べた。
その間もチェルシーはテキパキとミューズの荷物をバッグから出し、クローゼットなどにしまっている。
「ミューズ様のそばにはあたしかマオがいますので、何なりとお申し付けください」
ニッコリと言うと片付けが終わったチェルシーが、他のところも手伝いに行くといった。
「何かあればベルを鳴らしてください。夕飯の際に声掛けをしにきますので、それまでティ様とお二人でごゆっくりなされてください」
そういうとあっという間に行ってしまった。
「チェルシーもマオもすごいわ」
段取りよくこなしていき、風のように去っていく。
二人きりなのでミューズはベッドに腰掛けてティを呼んだ。
「床じゃなくて、ベッドに乗りましょう。こんなに大きいんですもの」
スフォリア家のベッドではティが大きすぎて乗れなかったが、ここのなら大丈夫そうだ。
恐る恐る乗ってきたティをよしよしとする。
しっぽが嬉しそうに揺れているのを見て、増々嬉しくなった。
(ティの事は人間だと思って色々な話をしてくれ)
そうエリックに言われた事を思い出した。
この子はとても賢い子だし、変な事は言わないようにしよう。
「えと、ティ様。改めて私はミューズ=スフォリア……じゃない、ミューズ=パルシファムです。これから一緒に暮らすのですけれど、少しずつ私を知っていってもらえたらと思います」
ベッド上にてちょこんと正座をすると、ティも伏せて真剣に聞いている。
「好きなものは木苺のケーキ、趣味は薬草などの栽培や農業について学ぶこと、あとは恋愛小説が大好きです。実家には父と義母と義妹がいます」
黄緑の目が真っすぐこちらを見ている。
「本当の母は五年前に亡くなりました。義母と父が再婚したのは三年前。そこから少しずつ家が変化していったのです」
ミューズの目が長い睫毛で伏せられた。
それまで大事にしてくれていた父が義母と義妹の味方をし、ミューズを蔑ろにし始めたのだ。
「勉強もがんばったつもりだし、家庭教師をつけてくれたのも感謝してるの。でも家督を譲らないつもりなら、もう少し早く言ってほしかったなぁ」
勉学に追われ、パーティや夜会を我慢することもあって、ろくに恋愛も出来なかった。
「結構頑張っていたつもりなのに」
思わず涙が溢れる。
口にして初めて気がついたが、父に頑張りが認められなかったのは思った以上にショックだったのだ。
無条件に愛されるはずの家族の愛が受けられなかったのが、たまらなく寂しい。
ぺろりと頬を舐められ、ティが困ったような目でこちらを見ている。
大きい前足は肩に置かれ、慰めているようだ。
「ありがとう……」
ひとしきり泣き、ティに慰められたあと、お風呂について思い出す。
「そうだ、マオに頼みましょう」
ベルを鳴らすとチェルシーが来てくれた。
「ティ様のお風呂についてマオに聞きたいの。良かったら呼んできてもらえるかしら」
「かしこまりました」
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