猛獣のお世話係
しろねこ。
猛獣のお世話、喜んで!
「猛獣のお世話係、ですか?」
ミューズが聞き返すと父は頷き、そして王家から来た手紙を渡してくる。
国王が大事にしている猛獣がいるそうなのだが、その世話をしてくれる令嬢を探しているとの内容だ。
条件は、結婚適齢期の女性で未婚の者である事。
猛獣のお世話係になった者は、とある領地を与えるので、そこで住み込みで働く事。
猛獣が満足したら充分な謝礼を渡すのまを約束する事……など、もっと色々と書いてあるが、要点はそのようなものだった。
「なぜ私が? 私は家督を継ぐのではなかったのですか? 万が一選ばれたら、しばらく戻ってこられませんが……」
「その必要がなくなったからよ、お義姉様」
唐突に部屋に入ってきたカレンに、ミューズはため息をつく。
「カレン、いくら家族だけといってもノックをし、許可を得てから入室なさい」
無作法な義妹に何度言ったかわからない注意をするが、反省する素振りはない。
「お義姉さまはすぐに小言ばかり、厳しすぎますわ」
カレンはそういうと、父と同じソファに座り、同意を求める。
「お父様もそうは思いませんか?」
「そうだな。二人きりの姉妹なのだから、もう少し優しくするんだぞ、ミューズ」
困り顔でこちらに注意をする父を見て、頭が痛くなる。
どうにも妹に甘過ぎるのだ。
「それよりも必要なくなったとは、どういう事ですか?」
本題に戻ろうと話と頭を切り替える。
「私とユミル様の婚約が決まったのよ」
それを聞いてミューズの顔から表情が消えた。
ユミルはミューズの婚約者候補であったはずだ。
同じ公爵家だが、彼は次男の立場だから、スフォリア家に婿入りするという話で進んでいたはずなのに。
「お父様の話では私との婚約を考えている、との話でしたが……先方もそれでよろしいのでしょうか?」
「先方との話も済んでいる。姉妹どちらとでもいいと。しかしユミルは出来れば……カレンの方がいいと言っていた」
「ごめんなさいね、彼は私の方が好きみたいなの」
くすくすと優越感に浸った笑いだ。
数回しか会ってないが、ユミルは誠実そうに見えた。それなのに、こんな我儘で礼儀も知らないカレンを選ぶとは。
「ユミル様は、お義姉さまの目が不気味だと言っていたわ。そして真面目でつまらないと」
カレンの棘のある言葉にとっさに俯いてしまう。
左目は父に似た青い色、もう片方は母に似た金色の瞳だ。
金の瞳など滅多にいないので、ミューズは昔から好奇の目に晒されていた。
ちぐはぐな目の事を何度も誂われ、ミューズは子どもの頃より悩まされている。
どうやらユミルも嫌がっていたようだ。
「ユミル様と結婚すれば、ユミル様と私でスフォリア領を治めるから安心して。色気もない、頭でっかちのお義姉さまとでは将来を共にするのは嫌なのだと申されてましたし。残念ながらお義姉様はユミル様に選ばれなかったの」
お可哀想に、と言いながらカレンは笑みを隠しもしなかった。
(だから自分にこのお世話係に行けと言ったのか)
未婚の令嬢とあるから、婚約している令嬢は駄目だからであろう。
将来を誓った相手がいるなら、条件を満たさないと言われかねない。
「それに手懐けられればお金も貰えるし、領地ももらえる。良いことづくめよ」
自分ではいかないくせに、お金と領地は掻っ攫おうという考えだ。
自己中心的な言葉ばかりで、話にならない。
「お父様、断ることは出来ますか?」
一縷の望みをかけてそう問うた。
これまで領主となるべく仕事をがんばり、父の執務も手伝ってきた、むしろ半数以上はミューズの仕事だった。
そこまで頑張っていたのだから、今回の件は納得いかない。
ミューズは必要な人材のはずだ、いやそれ以上に、父にはカレンを止めてもらいたかった。
ミューズを家族として大事にしているのか、カレンに向かって、馬鹿な話はやめなさいと止めてはくれないのか。
「ミューズよ、この件はお前に任せたぞ。仮に選ばれれば領地は広がり、スフォリア領も豊かになる。無理だった際は、カレン達の邪魔をしないよう、あの離れをあげるから、あそこで過ごすように」
離れとは本邸から少し離れた、小さい建物である。
領主にはそぐわない。
「つまり、私は行っても行かなくても領主じゃなくなるのですね……」
あれ程頑張ったのに、あれだけ努力したのに。
涙が出そうになるのをぐっと堪える、こんな二人の前で泣きたくはない。
「そういうことだ。家督はユミル殿に移るようにしよう」
庇い立てもしない父にもはや掛ける言葉はなかった。
「ここが王宮……大きいわね」
あれから父と何を話したかは覚えていない。
身の回りの物や母から受け継いだ物は持参し、古くからの使用人には別れの挨拶をした。
戻って来れるかわからないし、戻ってきたとしてもこの部屋にはもう住めないのだと、離れの事を話す。
使用人たちは憤慨し、もしも戻って来なかったら皆辞めると言ってくれた。
怒る皆を宥め、もしも領地に行くようになったら付いてきてほしい、戻ってきたらまた世話になるという話をする。
了承してくれる者が多く、嬉しかった。
付いて行く侍女はチェルシーのみだ。
あまり大人数では邪魔になるだろうし、これからどうなるかわからないからだ。
「大きなところですね。ドキドキします」
チェルシーは何かあったらあたしが守りますねと、震える手で拳を握った。
これから件の猛獣に会うのだから、震えてしまうのは仕方がない。
「猫くらいなら飼ったことはあるけれど、猛獣って、どんな動物かしら?」
「きっと恐ろしい見た目でですよ。万が一の時はあたしが食べられますので、その隙にミューズ様はお逃げくださいね」
「不吉なことは言わないの」
そう言っていると、遠くから女性の悲鳴が聞こえた。
「「………」」
ミューズ達以外にもお世話係候補の令嬢達が来ているようだったが、その声だろうか?
タイミングよくノックがされ、二人はビクッと抱き合ってしまう。
「失礼します」
入ってきたのは小柄な少年だ。
「はじめまして。僕はこの度お世話をお願いする猛獣の従者で、マオといいます。早速なのですが、ミューズ様には猛獣に会って頂きたいのです」
マオと名乗る従者は抱き合う二人を見ても表情一つ変えず、部屋を出るよう促す。
二人はマオの後をついていった。
猛獣に従者とは、とても大事な存在なのだろうか。
「もしもお世話係になれば、とある領地に屋敷があるため、そちらをお使いください。猛獣に選ばれなかった場合は、ここまでの旅費と幾ばくかのお礼をさせて頂きます」
「お世話とはどういった事でしょうか?」
具体的に何をするかなどまだ何も聞いていない為、心配であった。
「基本的な事は僕がしますが、お世話係の令嬢には、猛獣と共に生活をしていただきたいのです。本を読んだり、一緒にご飯を食べたり、お話をしてもらうなど」
お世話、というか共に過ごす相手のようだ。
やがて大きな部屋に着く。
中に入ればそこには国王夫妻と王太子夫妻の姿はあるが、肝心の猛獣はいない。
緊張しつつもカーテシーをし、声掛けを待つ。
チェルシーも一歩後ろに下がって深く頭を下げ、待機する。
「スフォリア公爵令嬢、顔をあげよ。わしはアドガルム国国王アルフレッドだ。此度の要請はぜひ令嬢の力を借りたいと出したもの。ここまで来てもらい、感謝している」
「スフォリア家長女、ミューズでございます。私でお役に立てる事があれば、なんなりとお申し付けください」
「ふむ。まずは顔をあげよ。これから面会をしてもらうからな」
ミューズはゆっくり顔を上げると、まずは王太子妃と目が合った。
「ミューズ様、やはりあなただったのですね。報告書を見たときは驚いたわ。あなた嫡子じゃない、なぜここにいらっしゃるの?」
猛獣の世話係になったら、嫡子としての領主の仕事ができなくなるのだ。
心配するのも無理はない。
「レナン様に覚えて頂けてるとは光栄です。義妹のカレンが婿を取ることになりましたので、私は跡取りではなくなったのです」
「なぜカレン様が? ミューズ様は領主となるべく頑張っていらしたのに。おかしな話だわ」
レナンは怒っているようだ。ミューズとは学年は違うものの首席同士であった為に、気にかけていたらしい。
話をして意気投合もし、姉妹のように親しくなったのだが、そんな彼女に家族よりも気を遣って、優しくしてもらえて嬉しい。温かい気持ちになった。
「そのような事情で私がスフォリア家の代表として来たのです。申し訳ございません」
我儘なカレンが画策し、ミューズを遣わしたのはレナンもわかった。
(昔からミューズ様を虐げていましたものね)
しかし家の事情に他人であるレナンは口出しも出来ない。
ミューズとレナンの話を聞いていた、王太子エリックも訝しげな顔だ。
「本当におかしな話だ。スフォリア家の家督というものは複雑な関係が……まぁこの話は後にしよう。それで、ミューズ嬢は納得してこの場にいるのか?」
お家事情についてよりも、ミューズの気持ちが聞きたいと王太子は話を切り替える。
「はい。もしも選ばれましたら、誠心誠意頑張りたいと思っております」
どのみちもう本邸には戻れない。
領主にもなれないなら、新天地も悪くなさそうだ。
命の危機さえなければだが。
「君のことはレナンに少しだけ聞いているから、人柄については信用している。後は覚悟を知りたかっただけだが、大丈夫そうだな」
ミューズの決意を秘めた顔を見て、エリックは安心したようだ。
「では、猛獣ティに会ってもらおうか」
合図と共に、奥からのそりと大きな影が現れた。
長い鬣を持つ、巨大な獣だ。
猫のような容姿だが明らかに人より大きい。
しなやかな足運びをしているが、歩く度に床と爪が当たり、カチャカチャと音が鳴る。
長い尻尾は警戒しているのか僅かに揺れていた。
口元からは鋭い牙が見え、怯えているのか怒っているのか、唸り声が漏れている。
薄紫の毛が体全体を覆い、黄緑の目がミューズを真っ直ぐに見つめていた。
後ろに控えているチェルシーが、悲鳴をあげないようにと、手で口を抑えたのがミューズの目にも映る。
だが、チェルシーの反応とは裏腹に、ミューズには猛獣が可愛く見えて仕方なかった。
(あのふさふさに触ってみたい)
爪や牙でやられたらひとたまりもないだろうなとは思ったが、不思議と恐怖感はない。
この猛獣が人を襲うなんて、何故か考えられないのだ。
猛獣を見ても何も言わず、動かないミューズの姿に、恐怖で喋れないのだろうなと皆は思った。
「あの、触れてみてもいいでしょうか?」
だが、その口から出た言葉は予想と違うものだった。
皆が驚いているとミューズは近くまで行き、そっと手を伸ばす。
ティが逃げも威嚇もしないのを確認して、恐る恐る頬のあたりに触れてみた。
「すごくなめらかな触り心地……ティ様は大事にされているのですね。とても柔らかいです」
きちんと手入れされている毛並みだとわかる。
ティが逃げないので体の方も触れてみた。
嫌がる素振りはないので、暫し堪能させてもらった。
(暖かくて、もふもふ……本当は抱きしめてみたいけれど)
流石に王族の前でそれは駄目だろう。ティを驚かせてしまうかもしれないしと自重した。
「触れさせて頂き、ありがとうございます」
ニコリと微笑み、ミューズはティの頭を優しく撫でる。
ティは気持ちいいのかその場に座ると、ミューズに頬ずりをした。
「受け入れてもらえたのでしょうか? 嬉しいです」
喉をさするとゴロゴロという音が大きくなる。
ミューズからしたら、最早大きい猫ちゃんにしか見えない。
(こんなに触れさせてもらえるなんて、幸せだわ)
じっと瞳を覗き込まれ、なんだか恥ずかしくなってしまう。
もふもふと触るのを止められない。
「怖くはないのか……?」
静かに様子を見ていた国王が言う、その声は震えているようだった。
「怖くはありませんわ。失礼かもしれませんが、とても優しく、可愛らしい子です」
たてがみを撫でつつ、ブラシが欲しいなぁと思った。
手ずからお手入れしてあげたいと欲がむくむくと湧き上がってくる。
「少し毛が絡まっているところがありますから、ブラシが欲しいですね。体も大きいから大きめなのを。あと爪ももう少し切りたいです、このままでは自分の身体も傷めてしまうかもしれませんから」
大きな手を持ち上げ、ふよふよとした肉球に触れる。
外に出ることがないのだろう、とても柔らかくて触り心地がいい。
「ティ様は人を傷つけようと思って威嚇していたわけではなく、怖がっていらしたのですね。今は甘えた声だけ聞こえてきますので」
会った当初に聞こえた低い唸り声は今はせず、代わりにゴロゴロ音だけが聞こえている。
気持ちを代弁されて、恥ずかしくなったのか、ティは少し離れてしまった。
「すみません。怖がってではなく緊張されたのですよね、私も緊張していましたので」
弁解するも、ティは近寄ってきてくれない。
(もっとこのふわふわの毛に触っていたかったのに、失言をしてしまったわ。どうしましょう)
うっかり感じたことを隠しもせずに言ってしまった、そのせいで触れられなくなり後悔する。
二人の様子を見ていた王妃が問いかける。
「ティ、あなたはどう思った?」
恥ずかしそうにしながらも、ミューズのもとに歩み寄り、体を擦り付けた。
この人が良いという事だ。
「決まりですね、ミューズ様。ぜひティをよろしくお願いします」
王妃の目は潤んでいた。
王妃だけではない、国王も目頭を押さえ、涙を堪えている。
「ミューズ嬢、どうかティをよろしく頼む。その代わり、君の望みはいつでもなんでも叶えよう。これは王族としての約束だ、反故は絶対にしない」
エリックも深々と頭を下げ、そんな約束を口にする。
「頭を上げてください、私はそんなだいそれたものが欲しいわけではないので」
ミューズは王族達の様子を見て、慌ててしまう。
「ミューズ様、わたくし達はとても嬉しいのです。あなたがティ様にとても優しくしてくれる事、そして選ばれた事が。実はわたくし凄く望んでいましたわ」
眩しい笑顔で歓迎される。
「ここにいる皆の願いをあなたが叶えてくれるのですから、わたくし達もあなたの願いを叶えます。今は思い浮かばなくても、いずれ何かの時には必ず力になると約束しましょう」
レナンもミューズに頭を下げた。
「スフォリア家の事についてはいずれ話そう。今はまず、二人の生活基盤をしっかりさせないとな」
エリックはすぐに猛獣の従者であるマオに命令をした。
「すまないが、これからすぐに契約をしてもらう。ミューズ嬢はともかく、スフォリア家が反対するかもしれないからな。諸々の注意事項についての書類もあるので、目を通してもらいたい。家に戻り、改めて準備をしてきてもらうが、スフォリア家への詳しい話はマオがするから、安心してくれ」
エリックの命を受けて、マオは一礼をし、準備に向かう。
「ここではなく、とある屋敷を使ってもらうという話は聞いているな? その事でだが、誰か連れていきたい者はいるか? 一応使用人は見繕っておいたが、そちらの侍女の他に付き従う者がいれば、こちら支払いで雇い入れるが」
ミューズは思案する。
環境が変わること、そして自分は良くともこのように大きなティを見て、怖がったり嫌がったりはしないだろうか。
ミューズの視線を受け、チェルシーがそっと口を挟む。
「発言失礼致します。屋敷に数名ミューズ様を慕うものがいまして、もし宜しければ、その者たちを呼ぶことをお許し頂けきたく思います」
チェルシーは何人かの使用人の名を挙げ、自身もミューズについていくと話をする。
「わかった。マオを執事として共に行き、スフォリア家の者と屋敷の使用人の統括をお願いする。人材が不足する場合は、追って補充しよう。それとチェルシーとやら、怖い猛獣に会うというのに声もあげず付き従う君は、優秀な侍女だな。これからはティの事もよろしく頼むよ」
「あ、ありがとうございます!」
王太子に褒められ、チェルシーは思いっきり頭を下げた。
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