第58話 繋ぎの王妃⑤
その夜からバーネットは同じ夢を見続けた。
どこか見たことも聞いたことも行ったこともない場所。
深い深い谷底まで続く石階段の前に彼女は立っていた。
毎晩毎晩、バーネットは繰り返しその階段の夢を見て、そして少しずつ彼女はその崖の下へ下へと降りて行った。
普通ならそんな怪しい場所へと足を踏み入れることなどない。なのに不思議と恐怖は彼女の心にはなかった。
『おいで。お前を待っているよ』
冷たい地の底から響く声は、普通なら恐ろしいと感じるところだが、不思議と彼女は怖いとは思わなかった。
時間が来て、朝になると夢は覚める。そしてまた次の夜、物語の続きのように昨晩終わった場所から夢は始まる。
『おいで、おいで』
そう声が呼び続ける。
その階段は長い間誰も足を踏み入れていなかったのだろうか。階段の石を覆う苔がそれを物語る。
夢なのだから、転んでも怪我はしないだろう。そう思いながらも転んだらどうなるのかわからないため、慎重にバーネットは岩に掴まりながら降りて行った。
そしてようやく谷底に辿り着いた。
『こっち、こっちへ』
声のする方へと導かれるようにバーネットは歩いて行った。
ようやく彼女が辿り着いた先には、棘の茨を体中に巻き付かせた美しい女性が浮かんでいた。
しっかりと大地に根を張った茨がその太い幹をくねらせて、その棘を彼女の体に食い込ませている。
どれほどの苦痛だろうか。
幹の間から除く女性の顔には生気がない。生きているのか死んでいるのかもわからない。
美しいその顔に、バーネットは見覚えたあった。
「女神・・トリシュ?」
この世界の殆どの国が信仰している女神。目の前の女性はその女神像にそっくりだった。
しかしそんな筈はない。
そう思っていると、女性の瞼が僅かに震えてパチリと目を開けた。
真っ黒に塗りつぶされたような目。普通ならある筈の瞳も無い、ただ真っ暗な穴。
バーネットはその目に吸い込まれるように近づいていった。
透き通るような青白い肌。茨に絡みつく白く長い髪。青白い唇の中で、目だけが真っ黒なその女性は、バーネットがすぐ側で立ち止まると、ニタリと口角を上げて赤い舌を見せて笑った。
『我が名はオルケイラ』
「オル・・ケイラ?」
女神トリシュによく似ていて、しかし彼女では無いと思った時から、バーネットは彼女が何者か気づいていた。
『ようやく、会えたな。そなたが来るのを待っていた』
唇は動いていない。その声はバーネットの頭に直接響いてきた。
「待っていた?」
その言葉を聞いて、彼女は王妃から聞いた「あの方」という言葉が浮かんだ。
『そなたの思っているとおりだ』
考えを読まれたと気づいたが、驚かなかった。相手は女神なのだ。人の常識では計れないことを理解している。
「なぜ、私を?」
『そなたが選ばれた者だからだ』
「選ばれた?」
『そうだ。世の中では『月宮の主』こそが選ばれた存在のように思っているが、それは違う。そなたらこそが真実選ばれた存在なのだ』
その言葉に彼女は目を見開いた。自分が「選ばれた存在」? 「月宮の主」ではなく?
『すぐには信じられないだろうが、真実だ。ウッ』
その時茨の幹が蠢いた。そしてズブリと棘が彼女の体にさらに食い込んだ。
「だ、大丈夫ですか!」
その傷みを想像してバーネットは苦痛に顔を歪めた。
『この茨は我の力を吸って存在し続けている。水もない。光も届かないこの場所でこの茨は我の力を糧にしている』
「そ、そんな・・」
『もう何千年。我はこの場所でこうしている。そして我の力を吸ったこの茨も、ずっと我を拘束し続けている』
それはまさに茨の檻。女神の力を吸い続けてきた茨は、すでにただの茨ではない。己の養分が不足すると、こうして彼女から搾り取るのだと彼女は言った。
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