第26話 毛玉大きくなる

  その夜に見た夢はとても不思議なものだった。


 真っ白な神殿の祈りの間。私がたった一人で膝を付き祈っている。

 

 氷の刃のような空気に差し込む柔らかい陽の光──そうだ、これは前回の記憶。


 私の周りをキラキラしたものが飛び交い女神像、神殿の壁や床、窓やステンドグラス、椅子やテーブル。私の汚れた足に、乱れた髪に、荒れた指先に触れて癒していく。


 あの光は⋯⋯精霊達?


 いつもああして神殿を綺麗にして私を慰めていてくれたから、いつまでも帰ってこなかったセオス様を叱ってくれたのね。

 

──信じて──

──あの人は来てくれる──

──貴女はここに居てはいけない──


 そうだったの⋯⋯ごめんなさい。慈しみに満ちた彼らの声が響いているのに私は魔力が低いから精霊達を感じる事ができなかったのね。


 ふっと神殿が消えて今度はどこかの森林の中。キラキラしたものが集まる場所が現れた。


『わあっキラキラして綺麗!』

『助⋯⋯て』

『? ⋯⋯!? ルース!』


 私の横をローズブロンドを揺らした少女が駆け抜け、一目散にキラキラしたものが集まる場所へ走り寄ると声を上げた。

 あれは⋯⋯私。そして⋯⋯あれはルセウスが落ちた古井戸だわ。

 

──愛しい娘よ──

──我等の子よ──

──忘れないで──


 あぁ……そうだったの⋯⋯精霊達はいつもそばにいてくれていた。

 私は一人だったけれど独りではなかったのね。


「ありがとう」


 手を伸ばすと光が集まってくる。


──我等はいつでも共にある──


 一際大きな精霊の声が響いて私は目を覚ました。



 お茶会をなんとか終えてほっとしたのは束の間。あの日から少しだけ慌ただしく事が動き出した。


 前回は私とディーテ様が同じドレスだった事が社交界に広がっていたけれど、今回はラガダン王国の生地を使ったドレスの噂が広がりそのルートを開いてほしいと問い合わせが殺到してしまったのだ。

 

 イドラン王太子はこれをエワンリウム王国とラガダン王国の関係改善の好機だと捉えて一度国へ帰り、年が明けると同時に今度は正式にラガダン王国王太子としてエワンリウム王国へ交渉に戻って来た。


 交渉の場にはエワンリウム王国からアレクシオ王太子が席に着き、その補佐としてルセウスが同席している。


 彼らは連日王宮に閉じ籠り状態で話し合いを続けているのだとか。


 生地の交渉よりリシア家で見聞きした事を踏まえてイドラン王太子とディーテ様の婚約締結の是非が主題になっている⋯⋯とは、ルセウスからの手紙で教えてもらっている。

 

 そう、何度も来るの。手紙が。一日に何通も。

 届けてくれる使者の方も苦笑いから真顔になりつつあってなんとも申し訳ない気持ちになる。

 一年間、同じ家で毎日顔を合わせていたから数日とは言え離れているのは久しぶりだけれど、まだ結婚していないのだからこれまでが異常事態だったと言うか、慣れたと言ってもちょっと鬱陶しい時があると言うか⋯⋯なので嬉しいような困ったような複雑な気分である。



 国を左右する彼ら──ルセウス達も大変だけど私にも大変な事が起きているの。


 ⋯⋯セオス様が、なんだか大きくなった。


 セオス様は元々姿を変える事も大きくも小さくもなれるけれどそんな超常なものではなく、身体的な成長をし始めた。


 初めて人間の姿をした時は十歳くらいの子供の姿だったのに日に日に身長が伸びて今では青年の手前くらい?

 この変化にお父様とお母様は「子供の成長は早い」なんてのんびりしたものだった。


 それに合わせてなのか毛玉の時も手の平に乗る程度だったのが両腕で抱える程の大きさに。

モフモフ具合も今やモッフモッフ。


 これはこれで抱き付き具合が良くていいのだけれど、でもやっぱり気になって仕方がない。


「セオス様⋯⋯一体どうしてこんなに大きくなったのですか」


 モサッと毛を揺らしたセオス様は首を傾げたのか「うーん」とその毛を震わせた。

 揺れる毛が柔らかく滑りああっ気持ち良い! と思わず顔を擦り付けているとセオス様が私の顔にをボフッと体当たりしてまた「うーん」と首を捻って毛を膨らませた。


「精霊達がな、どんどん力を流してくるんだ」

「精霊様が?」


 理由は分からないけれど精霊達が少し前から騒がしいのだとか。

 精霊は空気に、光に、水に、土に、花に⋯⋯あらゆるものに宿る。

 土地や森に自然と集まり、そこに住む生き物達や植物を育む。

 精霊達は人前に姿を現す事は滅多になく、姿を見せるのはその土地を守護する為だと言われている。


 セオス様が言うには精霊が力を流しセオス様を急成長させているとか。


「うーん。何かこの国に起きるのかも知れないなあ。アメディア、ボク様は一度神殿へ帰るぞ」

「何か⋯⋯って。わ、私も行きます!」


 ルセウスが居ない。セオス様までも居なくなる。

 私の中で寂しさと不安が渦巻いて咄嵯に言葉が出た。


「⋯⋯、⋯⋯ふむ? 精霊達がアメディアを連れて来いって言っている。まあ、ひとっ飛びだし、すぐ戻って来れば良いか」


 そう言ってふわりと浮かび上がったセオス様はその毛並みをザワザワと奮い立たせ私をすっぽりと飲み込んだ。


 そしてそのまま空高く舞い上がる。

 柔らかいセオス様に必死にしがみつきながら私は思わず目を瞑る。


「アメディア、目を開けてみろ」


 セオス様の声に毛並みから顔を覗かせてみた。


 すると眼下に広がるのは王都。その奥に青々と茂った草原と灰色の岩山とそびえる雪山、そして一面の花畑。その光景があまりに幻想的で美しかった。


「凄い⋯⋯綺麗」

「綺麗だろう。これがボク様の国、エワンリウムだ。花畑の中にボク様の神殿があるんだな。なかなか気が効くな人間は」


 セオス様の言葉に私は息を飲む。


 神殿⋯⋯忘れていた訳では無いけれど、時を戻してもらったこの一年、幸せで、楽しくて⋯⋯あの寒くて寂しくて悔しくて悲しかった記憶を思い出さないように、描かないようにしていた。




 近付く神殿に言いようのない思いが広がりながらも、風に乗って進むセオス様の毛に包まれて空を飛んでいる感覚はまるで夢を見ているような、夢から覚めるような、そんなふわふわとした気分だった。

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