死にたいリザードマンと陽気なカミナリガール

@zamasu

第1話

 今さら死ぬことに後悔なんてなかった。


 深夜、静かな街。俺はビルの屋上に立っていた。そこに安全用の柵は無い。低い段差のみが数十メートル下の地面と、この場所を隔てている。

 それは、人の生き死にを分けるにはあまりに簡素に見えた。たいていの人間はここに立てば、慎重になるだろう。小さな子供なら、恐怖を感じるかもしれない。しかし、俺は慎重にならないし、恐怖も感じない。

それだけ、俺の覚悟は固まっていた。


 ひと月前、俺以外の家族全員が雷に打たれて死んだ。

 ただの雷ではない。それは黒い雷だった。

 黒雷(こくらい)、二十年前に初めて日本で観測されたその気象現象は、いびつな発色からそう呼ばれていた。

 通常の雷と黒雷の違いは、光る色だけではない。

黒雷は人体にしか落ちない。まるで人を狙うかのように、他の物体に落ちることは決してない。

炸裂すると、肉体をことごとく破壊したのち、無造作に再構築する。再構築されるとき、一度分裂した体の部位は肉団子がこねられるかのごとくまとまり、生命機能の完全に停止した肉塊となる。

 俺の家族はそれが原因で死亡した。


 しかし正確に言えば、俺のせいだった。

キャンプ場で家族と喧嘩をした俺は、身一つで森をうろついていた。その後、泊まっていた施設まで戻ると、黒雷が多発しているため警報が出されていると知る。

 俺が連絡を取ろうと思ったときにはすでに遅く、警報の発令を聞いた家族は俺を探すために森を歩き続け、黒雷に打たれて死んでいた。

 俺は今日まで罪悪感と自己嫌悪に苦しみ、結果、生きることから逃げようと決めた。


 左右に立ち並ぶビル同士の距離はほとんどない。俺はこのビルより少し高い隣のビルの壁に手をつくと、段差に両足をのせた。

 眼下に広がる、十五年間過ごした世界に別れの一瞥をする。

俺のことなんて誰も見ていない。その現実をことごとく突きつけるかのように、自動車が次々と通り過ぎていく。ヘッドライトの光を向かいのビルのガラスが反射させ、俺の前髪を照らす。

 その光に視界を遮られたとき、隣のビルから足音が走ってくるのが聞こえてきた。


 振り向くよりも先にそれは俺にぶつかり、俺は屋上の地面に倒された。

「……!」

「どぅへっ!」

 間抜けな声が、俺の腹の上から聞こえた。


「あたた……失敬失敬」

 俺より一つか二つ年上くらいの少女だった。彼女は能天気に謝罪すると立ち上がり、胸のあたりまで伸ばした薄い茶髪をかき上げた。

「ん?」

 少女は俺の顔と屋上の作りを見て、何かを察したような表情をした。続けて片方だけ口角をあげると、やれやれといった様子で俺に手を伸ばす。

「ほら、立って」

 俺は無言で彼女の手を取り、その場に立つ。向かい合うと、俺の方が少し背は高かった。

「ど、どうも……」

 ヘッドライトの光が、一瞬だけ彼女の顔を照らす。綺麗だと思った。


 彼女は俺の目を責めるように見て、不満そうに言う。

「君、もしかしてここから飛び降りようとしてた?」

 直球の質問だった。少女の親指は、彼女の推測する通り俺が飛び降りようとしていたルートを指している。

 はい、死のうとしてました、なんて堂々と弱みをさらせるような性格はしていない。

 否定するでもなく俺が気まずそうに目線をそらすと、彼女は下から俺の顔を覗き込んだ。


「あのさあ、そういうのやめてくれる? 目の前で死なれると寝覚めが悪いんですけど」

 そっちが突然現れたんだろと言い返したくなるのをおさえた。俺は視線を横にずらして、屋上に設置された換気扇を見つめる。

「君、暗いなあ……。よく言われるでしょ? 初対面でもわかるよ。見るからにそんな感じだもん」

切れ味のある言葉だ。死んでほしいのかほしくないのか、はっきりしてほしい。

次から次へと言葉が飛び出すおしゃべりな口は俺に気を使わない。かなり傷つく。でも、家族が死んでから周りに同情されてばかりだった俺には少し新鮮だ。


 俺が返す言葉を探していると、彼女はあきれたような表情で言った。

「ああもう、私急いでるの。とにかく今日死ぬのはやめてよね」

自由人な彼女にあっけにとられていると、彼女は俺の胸に人差し指を突き付けた。

「わかった?!」

 俺は反射的に、コクコクとうなずく。

 少女はそれに納得したのか、柔らかく笑った。

「じゃあね」

 少女は駆け出し、来たのと逆側に並んでいるビルの屋上へと降りていく。


 嵐のように現れては去っていった美しい少女。俺の反応を待たずに次々と言葉を並べる自由な彼女は、どんな人生を生きているのだろうかと思った。

 どんな人に愛され、どんな人を愛しているのだろうか。少しだけ、彼女の生きている世界が気になった。


 ふと我に返ると、換気扇の排出口の下に、さっきまでは無かったものが転がっていることに気づいた。

小瓶だった。それがさっきぶつかったときに少女が落としたものだと気づくのに、時間はかからなかった。

俺は小瓶を拾うと、彼女の降りていったビルの方へ身を乗り出した。

 

俺は彼女を呼び止めようとして、やめた。彼女は確かにまだそこにいた。

 しかし、数人のガラの悪い男たちと対峙している。


 そのとき、男の一人の怒声が響いた。

「お前はもう袋のネズミだ! さっさと試験薬をよこせ!」

 スキンヘッドの中年の男は、口ひげを震わせて怒鳴る。

「バーカ! 誰が渡すもんか! このハゲぇえええ!」

「こんのガキぃ! これはあえて剃ってんだよ!」

「ハゲはハゲだろ、バアアアアカ! これは絶対にお前らには渡さない!」

 そう勇ましく叫ぶ彼女だったが、上着のポケットに手を入れると急に顔を青くした。


「って、あれ……確かここに……どっかで落とした……?!」

 スキンヘッドの男は憎そうに舌打ちをすると、取り巻きの若い男たちに指示を出す。

「てっめえ、しらばっくれやがって……お前ら、ぶっ殺せ! 小瓶は死体から探す!」

 少女は逃げようとするが、男たちに囲まれて退路がない。


 俺の手にある小瓶が当該のものであることは間違いなかった。

 怖い。

男たちは見た目からして、明らかに表社会の人間でないとわかる。本能的に、自分よりも力の強そうな生き物が怖かった。それにスキンヘッドの男の言葉からして、目的のためなら手段を選ばない連中のようだ。

でも、その恐怖はあくまで本能的なものだと自分に言い聞かせる。

それはつまり、死への恐怖だ。俺は死のうとしていただけあって、死への恐怖は今さらないはずだ。なにより、ここで彼女のために行動しないことに対する後悔の方が怖い。

それが俺の理性が出した答えだった。


俺は小瓶を握り締めて叫んだ。

「おい!!」

 男たちと少女の注目が、一気に俺に集まる。全員がハッとしたような顔で、俺の手にあるものを見た。

「これだろ! 俺が持ってる! だから彼女を解放しろ!」


 返事は、男たちの声ではなく銃声が代わりにした。

ほぼ同時に数発の銃弾が俺の体をえぐる。右手は手首から先がもがれ、手のひらごと小瓶を屋上の地面に落とす。胸や腹にも弾は当たり、俺の肉体をいともたやすく貫いた。


全身がよろめく。

バランスを崩した俺は、ビルの屋上から追い出されるように落下していった。

 あんなに死のうとしていたのに、いざとなると迷いと後悔があった。

 背後から視線の先に広がっていく街を見て、それを痛感する。


 そのとき、俺の落ちてきたビルの屋上で何かが破裂するような音が鳴った。

 音のした方向には夜の街に光る、黒い雷があった。

空から落ちてきたわけではない。バチバチと一秒ほどその場で放電すると、それは地面に落下していく俺を追いかけ始めた。


 一瞬で駆け抜ける閃光。

俺は、雷に打たれた。背骨が破裂するような痛みが生じたかと思うと、次の瞬間には停められた車のボンネットの上で、大の字になっていた。

 無意識に起き上がる。結果論だが、体は動くと気づいた。

「なんだ、これ……」

 俺の腕の皮膚は黒く反射するガラス片に覆われている。

 破壊されたガラスの破片が刺さっているのではなく、俺の腕を包むように覆っていた。


 続いて、右の手首から肉が盛り上がるようにして、手のひらが再生されていくのに気づいた。その右手はガラス片と肉体が混ざって構成されていた。

 車の警報音が鳴り響いていることにハッとし、ボンネットから地面に転がるように降りる。

 運転手の女と目が合った。震え、怯えている。

一体、何を恐れているんだ。そう思っていると、彼女は気絶した。

 

窓ガラスの反射する像を見て、目を疑う。自分が写っているはずの位置に自分がいない。

 少し体をずらすと、像ははっきりと映った。

 鏡で見慣れた、黒い短髪や幼さの残る少年の顔ではない。

 頭から手先までを覆う黒光りするガラスの鱗。縦に筋の入った真っ赤な両目。牙や爪が獰猛に鋭く尖っている。

 人の大きさになった爬虫類、トカゲそのものだ。

 

 恐怖で喉が震える。その振動は少年の悲鳴としてではなく、化け物の咆哮となって、街に響いた。


 俺は、怪物になっていた。


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