美容室では小粋なダンスでご参加下さい【肆】

高峠美那

第1話 カラスの喝采をあびるお客

 秋の夕暮れ、やっと涼しさを感じる風にホッと息をつきながら、麗奈れいなは職場へと急いでいた。べつに遅刻しそうだとか、約束があるとか、そういうわけではない。ただ学校が早く終わればワインディングの髪にロットを巻く作業練習が出来る。


「ユナちゃんに時間測ってもらおう。今日こそ、二十分きりたいなぁ」


 春から美容学校に通い始めても、週四日は、美容室 Lifeライフで働いている。

 身体がキツイなんて思った事はない。


「うちは色んな意味で特別よね。しおれて項垂うなだれたお客が生気に満ちて帰って行く店。他にあるかなぁ。でも時々心臓に悪いおだいもあるけど」


 Lifeライフで働くスタッフは、人の姿はしているが人では無い。実は幽霊…。

 麗奈はそんな幽霊美容室で働く唯一の人。この美容室が大好きな麗奈にとって、彼らが何であるかは関係ない。そう思える数々の出来事を知っていたから。


「あれ?」


 路地を曲がると、まだ小さいがレモンとわかる緑色の果実をたわわにつけた立派な木と、お洒落な古民家風の店、麗奈の職場がある。


Hair dressingヘアドレッシグ Lifeライフ


 その店の前で、誰かが言い争っていた。初めは、親子喧嘩なのかと思った。でも、どう考えても構図がおかしい。尻餅をついてあたふたしている男に、胸ぐらを掴んで睨みつけているのは、十歳前後の小さな少年なのだ。


 少年の後ろで、乱暴な振る舞いを止める訳でもなく黙って見ていた女が麗奈に気付いた。一般の日本人女性より十センチは背丈があるだろうすらりとした美人。


呉羽くれは と申します」


「あっ。はいぃ!」


 麗奈は、あやうく舌を噛みそうになりながらもなんとか笑顔をつくった。笑顔は、人が持つ最大の武器だと教わっている。


「いらっしゃいませ。スタッフの麗奈です。お店開けていいか、今、聞いてきますっ」


「…スタッフ? あなたが?」


「えーと、まだ見習いですが…」


 あからさまに疑う女に、しどろもどろになりながら答えた。

 すると胸ぐらを掴まれていた男が少年の手を払いのけ、麗奈に飛びかかった。まさに鬼の形相。更に男の言葉に、麗奈は息を詰めた。


「あんた!! 騙されてるぞ! ここは化け物屋敷だ! 奴らは人の脳ミソを食い尽くして身体を乗っ取るっ…ぐふ…っ」

 

 男の手が麗奈に触れる寸前、少年の蹴りが入る。子供の何処にそれ程の力があるのか、大の男が再度地面に縫いつけられた。


「黙ってもらえますか…。それ以上しゃべると、自分の子孫は残せませんよ」


 見た目の年齢とは、そぐわない凄み。黙って立っていれば、女のコに間違われそうな赤みかかった長い髪を、ゆるく横で結んでいるのは鼈甲べっこうの髪飾り。

 浮世離れした小さな少年の手で、男の顔が苦痛に歪む。

 

「ぐーうぅ…。こんな…、怪しい店! 化け物屋敷以外に何が…ぁ」


 ガッ!! 少年の足が、男の股ギリギリを踏みつけた。ジャリ…と、石を砕く嫌な音。


「ひぃ――――!」


 夕日を背にする少年の異様なまでの迫力に、男はもつれる足を懸命に動かし逃げ出す。


『カー、カー』と、カラスがやんやの喝采かっさい

 怖い。朱色の空が陰の妖気を強めるようで…。


 リンと、涼やかな音で弾かれるように振り向くと、着物問屋の若旦那のような、いつもの着流し和服のセキが、店先に出た。


「行った?」


「セキさん! あの、今の人は…」


「大丈夫。時々降って湧いたようにああいうたぐいの人が出て来るの。放って置けばそのうち飽きるわ」


「でも…」


「それより?」


 セキが笑顔をつくったまま親子?を見た。あ…っと、慌てた麗奈は、二人が男を追い払ってくれたのだと説明する。


「そう。じゃあ、お礼を言うべき? それともわざわざ怖がらせて追い返した理由を問うべき?」


「―――っ!!」


 笑っているが、いつも穏やかなセキの初めて見るキツイ視線。慣れた手付きで、スルリとたすきを肩に回し、挑むような表情はゾクリとするほどの美形…なのに、オネェ言葉はセキだから。


 夜の闇が急速に落ちていく。


「オーナーは?」と少年がセキを見上げた事で、互いに知り合いだとはわかる。ただ、セキが二人を見る視線は好意的にはみえない。


「女性は支度に時間がかかるものよ。そんな事も分からない?」


「ふん。僕に嫌みが言えるとは随分偉くなったね。セキ」


「あらん。オーナーの教えがイイからねぇ♡     今日はアキ君の七五三の予約?」

 

「…僕の名前はアキアカネだ。何が言いたいの? さっきの人間? 招かざる客へは、恐怖を与えるのが一番でしょ。二度と来たくないと思わせればそれでいい。それでも来るなら、身の程を教えてやらないと」


「身の程ねぇ…。がいい考えだこと。さすがはアキ坊や♡」


「アキアカネだ。ウサギはライオンに立ち向かわないよ。なぜか知ってる? 近づけばわれるから。あの人間はウサギじゃないの? なら、九割馬鹿なゴミ同然の人間なんじゃない?」


「――っ。九割馬鹿って…」


「もういいわ!」


 木目の扉が開いた。白いブラウス、髪を結い上げ覗くうなじは色っぽく、怒った顔さえイキイキと感じる美しい店のあるじ。  


「人はね、一割の力があれば、どんなどん底にいても、自ら幸運を手繰たぐせる事ができるのよ!」


 いつの間にか明りが灯されていた店内から、オーナーを先頭に華やかなスタッフ達が本日のお客を出迎える。


「いらっしゃいませ。Lifeライフへようこそ!」


 

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