第2話 カール side

 カール・ディ・フォルトナム公爵令息は、馬車に揺られながら先日のことを思い出していた。幼馴染であり想い人である、リアン・ディ・パシュート公爵令嬢から相談があるからと呼び出された日のことを。

  リアンに呼び出されたその日、パシュート家の広大な庭を二人で歩き散歩をしながら話をすることにし、庭へ出てしばらくお互い無言であるいた。そうしてカールはリアンが話すのを待った。そうしているうちに、リアンは立ち止まると振りむいてこう言った。


「カール、私、王太子殿下との婚約が決まりそうですの」


 リアンは俯き、その大きな瞳から涙をこぼした。カールは慌ててリアンへ駆け寄ると


「リアン、それは決定してしまったことなのか?」


 と訊いた。リアンはゆるゆると首を振ると


「まだ決定してはおりません。でも、パシュート公爵令嬢が婚約者で決まりだろうと王太子殿下の側近が話しているのを聞いてしまったのです」


 と大きな瞳を潤ませてカールを見上げた。カールはその瞳に彼女も少なからず私を想っているに違いない、と確信した。心が通じ合っているというのに、私達はこのまま引き裂かれてしまうのか? と胸が引き裂かれる思いがした。そしてリアンを見つめ


「きっと大丈夫。大丈夫だよ」


 そう言って、リアンの肩を抱いた。リアンはカールの胸の中ではらはらと涙をこぼした。そうはいったものの、カールもどうしたらよいのかわからなかった。王宮が決定を下せば、それに逆らうすべなどない。

 リアンは美しく豊かなブロンドの髪に、アイスブルーの大きく美しい瞳。あどけなさも残した容姿をしていて、どこか危うさを感じさせる美しさがあり、男性が見たら誰でも手を差し伸べたくなるだろう。かく言う幼馴染のカールも、庇護欲をそそる幼馴染を『私が守ってやらねば』と日ごろから思っていた。


 王太子殿下とて、こんな儚げな彼女を見たら放ってはおくまい。


 リアンは以前から王太子殿下の婚約者候補と言われており、リアンに手を出すことは王宮から目をつけられることに直結していた。カールは父親の立場も考え迂闊にリアンに手出しをすることはできなかった。


 こんなに後悔するならば、もっと早くに彼女にプロポーズをしてしまえばよかった。


 今更悔やまれたが、どうすることもできない。そんなことを考えていると馬車は目的地に着いて現実に引き戻された。

 カールは今年十八になり、もうそろそろ結婚のことを考えねばならない年頃となっていた。が、未だに相手が決まっていないため、両親の厳命により、お茶会など出会いの場となる催しは全て参加を強制させられていた。今日も、ディスケンス公爵家のお茶会の誘いを受け、参加しにやってきたところだった。

 だが、当然カールはそんな気分にはなれずにいた。馬車を降りるとディスケンス公爵夫人が出迎える。


「いらしてくださって、嬉しいですわ」


 とほほ笑むと、カールの耳元に顔をよせ


「ご令嬢たちは貴方を心待ちにしてましたのよ?」


 と言うと後方に目をやった。カールがそちらを見ると、ひそひそと何事かを話しているご令嬢たちと目が合う。カールが微笑むと黄色い声が上がった。ディスケンス公爵夫人はカールが持っているバラを見ると


「あら、どなたかに差し上げますの?」


 と訊いてきた。カールは今日、リアンもこのお茶会に参加することを知っていたので、リアンの好きなバラをプレゼントしようと持参していたのだ。今更こんなことをしてもどうなるわけでもないし、こんなことをすれば、社交界で噂になってしまうことも分かっていたが、何かせずにはいられなかった。


「はい、庭できれいなバラが咲きましたので、バラが好きな友人にプレゼントしようと思ってます」


 そう答える。流石に想い人にプレゼントするとは言えなかった。ディスケンス公爵夫人は


「あら、そうですの。素敵ですわね。でも、てっきり噂の一つもないフォルトナム公爵令息にもついにそういった女性がいるのかと思いましたのに」


 とほほ笑んだ。カールは


「期待に応えられずすみません、運命の女性とまだ巡り会えていないのです」


 と返した。もちろん想っている人はいますよ。と、大っぴらに言えたならどんなに良かったか。カールはそう思いながら苦笑した。そこに後ろからディスケンス公爵夫人に声がかかり


「あら、呼ばれているみたい。わたくし失礼いたしますわね」


 と、ディスケンス公爵夫人は去っていった。カールは誰とも話す気にはなれず、なるべく目立たないように柱の陰に行き、リアンが来るのを待っていた。柱に寄りかかり庭を眺めていると、いつもの聞きなれたリアンの声が聞こえた。カールは振り向こうとしたが


「婚約者候補になるなんて、フォルトナム公爵はどうするのです?」


 と言う言葉を聞き、そのまま柱の陰にとどまる。どうやら、リアンと他のご令嬢たちが王太子殿下との婚約の話をしているようだった。自分の噂話をされていることに気まずさを覚えながら、


 どうするも何も、婚約者に選ばれてしまえば断れまい。私のことをどうこうすると言った話でもあるまいに。


 とイライラしながら聞いていた。すると、リアンが信じられないことを言った。


「やだ、フォルトナム公爵令息とはそもそも何でもありませんわ。向こうが勝手に言い寄ってきているだけですの。王太子殿下との婚約が決まれば、選ぶも選ばないもありませんわ」


 と答えた。あの可憐な、儚げなリアンが言ったセリフとは思えず、カールはしばらく動きを止めた。そこで入口付近が騒がしくなる。リアンにばれないように振り返ると、どうやら王太子殿下が訪れたようだった。一斉に王太子殿下の婚約者候補たちが王太子殿下へ群がる。もちろんその中にリアンの姿もあった。

 ディスケンス公爵家に婚約者候補が集まっていると聞いて、何かしら理由をつけて顔を出しに来たことは明らかだった。個人的に対応するよりも、全員集まっているときに声をかけた方が不公平にならず、不満の声もでないからだ。

 しばらく、王太子殿下とその婚約者候補たち盗み見ていると、王太子殿下は一人一人に挨拶して回っている。リアンにも挨拶をしていたが、リアンは頬を染め、うっとりと王太子殿下を見つめている。どう考えても王太子殿下との婚約を嫌がっている顔ではない。


 先日私の胸の中で流した涙はなんだったのか。


 カールは化け物でも見たような気分になった。と同時に、急速にリアンに対する気持ちが冷めていくのを感じた。

 そこで肩をたたかれる。振り向くとそこに、親友のオニキス・フォン・スペンサー男爵令息が立っていた。オニキスとは、オニキスの母親が、カールの母親のレディズ・コンパニオンをしていたこともあり、そのつながりで昔からの親友だった。


「お前も駆り出されたのか、お疲れさん」


 オニキスは苦笑交じりに言った。カールはそれどころではなく、リアンに視線を戻す。カールがリアンを見つめていることに気が付いたオニキスは


「なんだ、彼女が来てるから参加したのか」


 と言った。オニキスとは親友だったので、カールがリアンに想いを寄せているのを話していた。その後もカールが黙ってリアンを見つめているのをみて、オニキスはカールを慰めるように


「お前、彼女が王太子殿下と婚約するって心配しているのか? だったら一つお前が安心することを教えてやるよ、誰にも言うなよ? 王太子殿下はあと数年は婚約しないらしいぜ」


 と耳元で言った。カールはオニキスを振り返ると


「今なんて?」


 と、オニキスに聞き返す。オニキスは満面の笑みで


「あの王太子、相当人間不信でさ、誰も信用してないからな。婚約者候補って言って公爵家の連中を縛るだけ縛っておいて、自分は国の一番利益になる国の王女と結婚するんだって、お袋が言ってたぜ」


 と言った。カールは


「お前の母親はその情報をどこから?」


 と訊くと、オニキスは肩をすくめて


「お袋はレディズ・コンパニオンだぜ? そらぁ、王室関係者のご婦人とかな、いろんなところから情報が入るわけよ。って、誰にもいうなよ? お前のことは信用してるから話したんだ。それに安心しただろ? 愛しのリアンが王太子殿下の婚約者にならなくて済むんだからな」


 と小声で話した。カールは先日のリアンのことを思い出し気分が悪くなり、吐き気がした。リアンは、王太子殿下の婚約者に自分が決まりそうとだと言った。そしてその話は王太子殿下の側近が話していたのを聞いたのだといったが、そもそも公爵令嬢のリアンは王太子殿下の側近と接点などないはずだ。恋は盲目とはよく言ったものだ。こんな簡単な嘘を見抜けなかったとは。婚約者に決まりそうなどと嘘を言って、私の気を引こうとしたのだろう。

 そうして考えてみればみるほど、カールはリアンの計算高さに気づく。リアンはいつもはっきりとは言わずに、匂わせるようにしか気持ちを言ってこなかったし、相談をしてきてもこうして欲しいと直接はっきり言うこともなく匂わせるだけ。そうやってこちらが勝手に動くように仕向け、操作しているような言動が多かった。

 オニキスはカールの様子がいつもと違うことに気づき


「大丈夫か? 何かあったのか? あー、そうそう、うちの妹のサファイアもきてるぜ。少し話してやってくれよ」


 と、オニキスは話を変えようとしたのか、妹のサファイア・フォン・スペンサー男爵令嬢を呼んだ。サファイア嬢とも昔からの付き合いだった。サファイアはこちらに来ると、カーテシーをした。カールは笑顔を取り繕い


「こんにちは、久しぶりだね」


 と言った。サファイアは笑顔で


「フォルトナム公爵令息、こんにちは。いらしていたんですのね」


 と言った後、カールが手に持っているバラを見ると、一瞬物憂げな表情になると笑顔に戻り


「お話の邪魔をしてはいけませんので、わたくしは失礼いたします」


 と、去っていった。サファイアは小さいころはカールを兄のように慕っており、会うと瞳をキラキラさせながら駆け寄ってきては、よく自分の今日あったことなどを話してくれたり、相談事をしてきたものだった。いつしかその眼差しに憧れ以上のものを感じていたが、だからといってサファイアが言い寄ってくるようなことはなく、どちらかと言うと一歩引いたような態度をとるようになった。

 おそらく、大人になるにつれて自身の置かれた立場を考え、こちらに立ち入らないようにしたのだろう。カールは去っていくサファイアの背中に向かって思わず呟く


「大人になったな」


 それを聞いていたオニキスは大きく頷くと


「まあな。そういえばあいつ嫁ぎ先が決まりそうなんだ。相手は二十も上のおっさんだけど。金持ちだから、お袋みたいに働かなくとも食うには困らないだろうって親父が言ってたな」


 カールはギョッとしてオニキスを見る。オニキスも驚いた顔をし


「なんだよ、お前うちの妹がお前に気があるからちょっとうざがってたろ? 良かったじゃないか。安心したろ? これでお前はリアンと婚約してみんなが幸せ」


 と言った。カールはなぜか強い焦燥感を覚えた。顔を上げ向こうを見ると、王太子殿下に何とか取り入ろうとしているリアン、そして庭の片隅に目をやるとこちらをじっと見つめるサファイアの姿。

 そして、サファイアはカールと目が合うと恥ずかしそうに俯きすぐに姿が見えない場所に移動してしまった。カールは思う。


 私は今まで何を見ていたのか。このままでは一番大事なものを失なってしまうのではないか? それに気づいた今、すぐにでも行動に移さなければ。


 と。カールは手に持っていたバラをオニキスに押し付け


「お前にやる」


 と言うと、不平を言っているオニキスを置いてディスケンス公爵夫人の元へ行き声をかける。


「ディスケンス公爵夫人、申し訳ないが急用を思いだしたのでこれで帰らせていただきます。本当に申し訳ありません」


 と言うとディスケンス公爵夫人は一瞬残念そうな顔をしたが


「あら、しょうがないわね」


 と笑顔を見せた。カールは軽く頭を下げ立ち去ろうと一歩足を踏み出したが、立ち止まるとディスケンス公爵夫人を振り返り


「先ほど、運命の女性と巡り会えていないと言いましたが、撤回します。私には運命の女性がいます」


 と言った。ディスケンス公爵夫人はまっすぐにカールを見つめ返すと


「なら、頑張りなさい」


 と言って微笑んだ。カールは頷き、踵を返すと入口へ向かった。王太子殿下はもう去ったあとのようだったが、まだそこには王太子殿下の婚約者候補たちがいた。もちろんその中にリアンもいた。リアンはカールに気づくと


「カール! 貴方も来ていたのね。今日はてっきり来ないと思っていたから驚いたわ。だって、その、この前あんな話をしたばかりだもの」


 と、瞳を潤ませた。


 自分だってお茶会に参加しているではないか。


 そう思いながらカールは納得した、リアンは自分に想いを寄せているカールが、あんなことがあった後でお茶会に参加するとは思いもよらなかったのだろう。実際カールも親からの厳命でなければ、参加しなかったのは確かだ。だからこそ、油断したに違いなかった。普段カールに見せる態度と他の令嬢たちに見せる態度も全く違っていたし、あの王太子殿下に媚びる姿をも見てしまっては、百年の恋も一瞬で冷めるというものだ。そう思いリアンを見ると、媚びて上目遣いの彼女のどこが良かったのか全く分からないほどだった。これだけしたたかなら、誰かに守られなくともたくましく生きていけるだろう。


 それに比べてサファイアは......


 そう思い、カールはリアンに作り笑顔をして見せ


「君が落ち込んでいるかもしれないと心配したが、思っていたより元気で安心した。私はこれで失礼するよ」


 と、挨拶もそこそこにディスケンス公爵邸を後にした。あの返事だと、リアンはカールが心配してお茶会に参加したと勘違いしたかもしれなかったが、もうそんなこともどうでもよかった。

 カールは馬車に乗り、すぐに両親のもとへ戻ると


「私はサファイア嬢と結婚します。彼女は婚約が決まってしまいそうなのですぐにでも婚約を結びたい」


 と父親へ伝えた。サファイアは男爵令嬢だ。父親は反対するかもしれなかったが、それを押し切ってでもカールはサファイアと結婚するつもりだった。だが、父親は反対するどころか逆に


「そうなればよいとずっと思っていた。あんなにお前を想っている娘はいない。お前もやっと人を見る目が養われたのだな。安心したよ」


 と言った。母親はもちろん親友の娘であるサファイアとの結婚に大賛成だった。それからは、慌ててスペンサー家に使者を出し、すぐに婚約の契約を結んだ。

 サファイアは確かに自分を愛していると確信していたが、なぜか婚約した後も以前と変わらず一歩引いたような、いつも憂いた表情を見せることが多かった。


 婚約した今、カールは今まで気持ちに答えられなかった分、サファイアを思う存分甘やかしたかった。だがサファイアは媚びることもなく、控えめで、我が儘を言うこともない。カールはどうしたらサファイアを喜ばせられるか考えた。とにかく毎日少しでも時間ができれば彼女のもとへ通った。誕生日にはプレゼントも花もカードも送った。もちろん彼女は心の底から喜んでいるのが分かった。だが、なぜかいつも


「大事な思い出にします」


 と、ひとしきり喜んだ後に辛そうな表情をした。

 ある日サファイアとお茶をしているとサファイアがカールのジャケットの袖口に目をやると


「フォルトナム公爵令息、袖口のボタンが……」


 と言った。慌てて袖口を見るとくるみボタンが一つとれてしまっていた。カールは


「これは、恥ずかしいね。実はこのジャケットを気に入っていてね、何度も着ているから取れてしまったのだろう。ボタンを全て変えなくては」


 と照れ笑いをした。サファイアはなぜか頬を染め


「あの、恥を承知で申し上げるのですが、ボタンを変えるのなら使ったあとのボタンをいただけないでしょうか?」


 と言った。なぜこんなものを? しかも使い古しを欲しいなどサファイアの家はそれだけ困窮しているのだろうか? ならば援助もやぶさかではない。もしくは純粋にこのボタンが欲しいなら、新しいものをサファイアのために注文してあげよう。カールはそう思い


「使用済みを? このボタンが気に入ったのなら、新しいものを君の邸宅まで届けさせよう」


 と言った。サファイアは首を振ると


「フォルトナム公爵令息が使用されてたものが欲しいのです!!」


 と言ったあと、顔を赤くして俯き


「は、はしたないことを言ってしまいました。忘れて下さい」


 と、言った。なんと可愛らしいことか。カールは今すぐにでも抱きしめ自分のものにしてしまいたい衝動を抑え微笑むと


「いいよ、わかった。交換したら使用したものを君の邸宅へ届けさせるよ」


 と言った。サファイアは嬉しそうに微笑むと


「ありがとうございます、大切にします」


 と言った。カールはこんなものをおねだりするサファイアを心の底から愛おしく思いながら


「そんなものでいいの? 私は君が欲しいと言うなら夜空の月ですら手に入れる努力を惜しまないよ」


 と言った。本心だった。サファイアが望めばなんでもしてあげたいと思った。サファイアは


「ありがとうございます。ボタンがいいのです。それを側に置き、いつもフォルトナム公爵令息を感じていたかったので」


 と、笑顔を返した。カールは心の中でそんなボタンではなく、四六時中ずっとそばにいればよい。いずれ結婚したらそばに置いて絶対に離さないと強く思った。そしてカールは改めて、こんなにも一途に自分を想ってくれている相手に巡り会えたことに幸せを感じていた。そして、一生サファイアを守り、大切にしていこうと心に誓った。


 カールは結婚まで離れて暮らすことすら苦痛に感じ、時間を作ってはサファイアに会いに行った。サファイアはいつ行っても嫌な顔一つせず、カールを迎えた。

 頻回にサファイアに会いに行っているうちに、彼女が近所を散歩する時間まで覚えてしまい、その時間に訪問して散歩に誘うことにした。

 ある日散歩に誘うと、ちょうどサファイアが散歩に出るところだったようで、散歩用のドレスを着用していたのだが、ふと見るとおねだりされたボタンがアレンジして使用されていることに気づいた。

 カールは舞い上がった。


 私の婚約者はなんて可愛らしいのだ。今すぐにでもこの胸に抱き、連れ去ってしまいたい。


 そんな衝動に襲われた。サファイアもカールがボタンに気づいたことが分かったようで、ボタンから視線をサファイアの顔に移すと、サファイアは顔を真っ赤にしてうつむいた。カールはそんなサファイアと一緒にいて、彼女を奪ってしまいたい衝動と絶えず闘かわなければならなかった。だが、そんな欲望をサファイアに見せてサファイアを怯えさせるわけにはいくまい、と平静を装って


「ボタン、気に入ってくれたみたいで嬉しいよ」


 と言った。カールは幸せをかみしめていた。リアンを想っていた時は、彼女に振り回されそれだけで必死だったが、今は幸福感の方がはるかに勝っている。毎日が楽しくてしょうがなかった。周囲のものに冷やかされることも多かったがカールはそのたびにサファイアの素晴らしさを語り、黙らせた。

 オニキスに一度


「お前、あいつのどこが良かったんだよ。パシュート公爵令嬢の方がよっぽどいいけどな」


 と言われ、ムッとして言い返した。


「お前こそ、サファイアの一番近くにいすぎてその眼が慣れておかしくなっているのでは? あの美しくも純粋な緑の瞳は、いつも私を想って潤み、心の底から私を愛してくれていることを語っている。こんなに純粋で美しい恋があるか? そもそもそんなに純粋に人を愛せるのは彼女が類まれなるピュアな心を持っているからに他ならない。そしていつも他の者たちに心を砕き、慈愛の心を持っているサファイアは、自分のことより他人を優先し......」


 と、そこまで語ったところで、オニキスに


「わかった、もうわかったから。と言うか、お前がそんなに妹にぞっこんになるとはな」


 と言われる。カールは


「あの美しい魂に今まで気づかなかった私が馬鹿なのだよ。目が曇っていた。天使は身近にいたというのに」


 と言うと、オニキスは呆れたように


「うん、わかった、ごちそうさま。俺はとにかく妹を幸せにしてくれればいいよ」


 と苦笑した。カールは


「もちろん、サファイアをサイデューム王国一の幸せな花嫁にして見せる。彼女を構成するすべてを私は愛している」


 と誇らしげに言った。オニキスは


「わかった、わかった」


 とだけ返した。宣言通りカールはサファイアを甘やかそうとするが、ある日を境にだんだん元気がなくなっていくのに気が付いた。もしかして、サファイアに嫌われてしまったのかもしれない。そんなことを思いながらカールはどうすればよいのかわからず、悶々とした日々を過ごした。


 ある日王族主催の舞踏会があり、サファイアにも招待状が届いていたのでドレスを送ろうとしたが断られてしまった。カールは何かあるのではないかと警戒した。サファイアを迎えに行くと、サファイアはなんと黒いドレスを着用してた。カールはサファイアからの何かしらのサインに違いないと思った。

 そう思いながらも、そのことに触れることもできずに会場にエスコートした。サファイアは会場に近づくにつれ顔色を悪くした。何かあるなら相談して欲しい。サファイアにとって私はそんなに頼りにならない人間なのだろうか? と悩みながらも、とにかく顔色を悪くしたサファイアをテラスへ連れ出した。

 テラスには先客がいた、誰だろう? そう思いながら、立ち止まってしまったサファイアを振り向き見ると、サファイアはその美しい瞳に涙をたたえ、


「心よりお慕いしております。貴方との日々は一生の宝物にします。どうかお幸せに」


 と言った。カールは訳が分からず混乱し固まった。カールと繋いでいた手を離し後退り駆けてゆくサファイア。と、突然背後から腰のあたりに衝撃があった。腰のあたりにしがみつくそれを見るとリアンだった。リアンは


「カール、やっぱり来てくれたのね。私も貴方を愛してるわ」


 と言った。カールは前にリアンがお茶会で、カールのことを『勝手に自分に言い寄ってきた』と言っていたのを思いだした。それと同時に、今は一秒でも早くサファイアを追いかけないといけないのに、それを邪魔しているリアンに猛烈に腹が立った。カールは思い切りリアンを振り払うと


「気持ち悪い、二度とかかわるな。私が愛しているのはサファイアただ一人だ」


 と言うと、サファイアの後を追った。エントランスを駆け抜け外に出ると馬車が走り出したところだった。どんなにみっともなくてもなんでも、なりふりかまわずカールはその馬車のドアに縋り付き、窓をバンバンと叩いた。


 頼む、行かないでくれ


 そう思っていると、馬車のドアが開きサファイアが馬車に乗せてくれた。サファイアを見るとサファイアは泣いていた。サファイアを泣かせたのが自分だと思うと正直自分すら許せないと言う気持ちになった。血相を変えてサファイアを追いかけてきたカールを見てサファイアは


「フォルトナム公爵令息、なぜここに? パシュート公爵令嬢はどうしたのですか!?」


 と、言った。カールは意味が分からず、なんで泣いているのか、自分を捨てるつもりなのか、とサファイアの肩をつかんで問い詰めてしまいたい気持ちを抑えると、乱れた呼吸をなんとか整えながら


「逆に私が聞きたいよ、何故君は私とのことを思い出にしてしまうんだ」


 と訊いた。カールは言った後に、これでサファイアから別れを切り出されたら、これからどうやって女性を信頼して生きていけばいいかわからないと思った。それ以前に、カールにはもうサファイアしかいないのに、とも。カールはサファイアの返事を待った。が、カールの予想に反してサファイアは困惑した表情になり


「何をおっしゃってますの? フォルトナム公爵令息の昔からの想い人であるパシュート公爵令嬢が貴方を選んだのですよ? 断る理由などないではありませんか。わたくしは貴方の幸せを願ってあの場を離れたというのに」


 と言った。カールは内心叫ぶ。リアンが私を選んだ? まさか! リアンは愛されて自分が選ばれると当然思っているに違いない。テラスに現れたカールに、やっぱり私を愛してるのね云々と言っていた。王太子殿下に愛され、幼馴染にも愛され追われているという自分に酔っているだけに違いないのだ。カールは依然として乱れる呼吸を抑えつつ


「なんだって!? 冗談じゃない、私の婚約者は君だ。公爵令嬢に乗り換える訳がないだろう」


 と叫んで、思い切り否定する。カールがそういった瞬間サファイアはまたも暗い顔になってしまい


「フォルトナム公爵令息、義務でわたくしと夫婦になっていただいてもきっと後悔することになりますよ? まだ間に合います。馬車を会場に戻しますから、今からでも公爵令嬢のもとにお戻りになられて下さい」


 と言ってサファイアは御者に戻るように合図をした。カールもなぜサファイアがそんなことを言うのかわからないまま、リアンのところに戻されてはたまらない、と慌てて、サファイアの行動を制し


「だからなぜそうなる!」


 と言ったあと、少し考えた。サファイアはカールを何とかリアンのもとに戻らせようとしている。そして、サファイアと結婚するのを義務と言った。カールはある考えが浮かびサファイアに言う。


「もしかして君は、私がパシュート公爵令嬢を、今でも愛してると思っているのか?」


 それを聞いたサファイアは大きく頷き


「お二人はあんなにも相思相愛でしたのに、ちょっとしたすれ違いでこうなってしまいました。もうお互いに我慢する必要もありません。わたくしは婚約解消しても大丈夫です。フォルトナム公爵令息には想い出をたくさんいただきましたから」


 と、微笑んだ。なんということだろう。婚約してからこちらカールはサファイア以外誰にも目をくれたこともなく、サファイアだけを見ていたというのに、当の本人にそれが全く伝わっていなかったとは。大失態である。カールはそんな自分の不甲斐なさに大きくため息をつくと


「道理で、君が私を愛してくれているのに、いつも憂い表情を浮かべていた訳だ。そんな勘違いをしていたとは」


 そう言って、カールはサファイアにありったけの気持ちを伝えなければ、とサファイアの手を取りその美しい瞳を見つめると


「いいかい? 私はパシュート公爵令嬢を今は愛していない。昔はそんな時期もあったが彼女の打算的な考え方に気がついてしまったからだ。彼女は王太子殿下と私を天秤にかけようとしていた。私は、女性はもう信じられないと思った。だがそんな時に一人だけ打算もなく、私の側でいつも純真な瞳で見つめてくれる存在を思い出した」


 と言って涙の跡が残る、サファイアの頬を撫でた。そして続けて


「君だよ。信じられるのは君しかいないと思った。君が何処かの誰かに嫁いでしまう前にと、私はすぐに両親に伝え、君と婚約することにした」


 と微笑むと、サファイアの縁談が決まってしまうかもとオニキスから聞いた時のあの耐え難い焦燥感を思い出し、その後に強引に自分とサファイアとの縁談を決めてしまったことを思い出していた。そして、今更ながら


「強引に婚約の話を進めてしまい、申し訳なかったね」


 と謝った。


「婚約してからは、私が送った宝石よりも私の使ったボタンをおねだりし、愛用する君にますます夢中になった。今日の黒いドレスを見たときは、君からの何かしらのメッセージだろうと警戒した。それが公爵令嬢のことだったとはね。何度でも言おう、私には君しかいないよ、お願いだ、私を諦めないで」


 と、サファイアを引き寄せ肩を抱いた。これは懇願でもあった。サファイアは顔を上げると不安そうに言った。


わたくしでよろしいのですか? このまま貴方を愛し続けてもよろしいのですか?」


 もちろんだ、と思いながらカールは、胸の中にすっぽり収まっている、愛おしいその存在をそのまま更に力強く抱き締めると


「もちろん、私は君に永遠の愛を誓うよ」


 と言ってサファイアをじっと見つめる。そして目を閉じたサファイアに口づけた。カールはこれでサファイアは自分のものだ、もう絶対に逃がさない。そう思った。そしてサファイアに言った。


「二度と私のもとから離れないこと。いいね?」


 するとサファイアは頬を染め、可愛らしく微笑んでわずかに頷くと


「はい。カール様、愛しています。もう二度と離れません」


 と言った。


 その後、フォルトナム公爵家とスペンサー男爵家の婚礼が盛大に執り行われ、二人は格差を超えた真の愛で結ばれた二人、と後々まで語られる、仲睦まじい夫婦として知れ渡ることとなった。


 こうしてカールの物語は幕を閉じた。

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