発展 6
◆◇◆◇
帰り道はやはり蒸し暑く、バスに座っているだけで体力が奪われ汗が噴き出てきた。ようやく涼しくなってきたと思っていたのに、最悪な気分だ。バスから電車に乗り換え、最寄り駅からまたバスに乗り換え、やっとの思いで家に着いた。
しかし母親が風呂に入っていたので気持ちが悪いまま先に夕食を済ませ、風呂に入るころには時計は十一時を回っていた。
ザブンと勢いよく湯船につかり天井を見上げると、自然とため息が出てきて、体が一日の終わりを感じ取った。指先から徐々に力が抜けてゆく感じがした。そして、天井からポタンポタンと滴り落ちる水滴の音を聞きながら今日一日の情報を整理し始める。
冬野とこのような関係が始まってから、風呂の時間や寝る前の時間に無意識に一日を振り返ることが多くなった。きっと毎日に色が付き始めたのだろう。学校でもただただ本を読んでいた頃と比べると周りをよく見るようになった気がする。そのため、担任はしゃべるときによく首をよく左右にひねるというどうでもいいことにも気づくようになった。
まあそれは置いといて、やはり振り返って出てくることはほとんど冬野のことだった。それも他のクラスメイトと話しているのをいつの間にか目で追っていた時の情景や、放課後の話している時に彼女が見せる笑顔など、本当に些細な事ばかりだ。
まったく、とても典型的でわかりやすすぎる。これは完全に異性として意識してしまっているな。さすがに自分でも自覚はしていたが、決定的なところまではまだ至っていないようだ。
そこに至ってしまうと、今のこの目に映る景色が変化してしまう気がする。高校生の色恋に関する興味と中途半端な知識に、純粋な楽しさを享受しているこの気持ちが侵食されるのが怖かった。
しかし同時に、いずれはそのような感情を抱いてもいいのかもしれない、とも思っているので、別にそれは負の感情からかかるブレーキではないとも理解していた。とにかく、今はこの振り返りの時間が至福だ。
そして、途中からいつの間にか冬野のあの発言のことを思い出していた。
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「ねぇ・・・アキト君はさ、自分の昨日までの記憶がもし書き換えられてるとしたらどうする?・・昨日までの記憶がちゃんと自分のものだって言える?」
「えーっと・・・さあ、それは想像もつかないね」
「・・・あはは、そうだよね。ごめんね、変なこと聞いて。ちょっとまじで、今のはなかったことで・・お願いしますっ!」
顔の前で手をパチンッと合わせながらそう言う冬野の顔はいつも通りに戻っていた。
「まあ、この冬野と過ごした記憶が書き換えられて作られたものだったとしても、この時間は嫌いじゃないから、それでもいいって思えるかな」
「・・・え?」
「ん?なんか変なこと言った?」
「えーっと、いやー、変ではないけどそういうことサラって言えちゃう人なんだなーって。ちょっと意外だったかもっ」
冬野はまるで五才児が喜ぶかのようにキャッキャしていた。別に喜ばせようとして言葉を選んだつもりはなかった。純粋に感じていることを言ったら図らずとも彼女を喜ばせてしまったらしい。
「・・そこまで喜ばれるようなことは言ってない気がするけど」
照れ隠しにしては下手すぎたかもしれない。
「まったくー、陰キャなのにやるときはやりますなぁ」
「陰キャ言うな」
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まったく、代表的でありきたりな青春の一ページだ。いつか大人になったら、あの時は輝いていたって思える日が来るのだろうか。
そんな出来事を振り返っていたら、長く湯船に浸かりすぎたせいか、はたまた別の原因か、のぼせてクラクラしてきたので、甘ったるい記憶に別れを告げ現実に帰ってきた。
風呂から出ると、僕以外はすでにみな寝ている中、静まり返った台所の電気をつけ冷蔵庫から乱暴に麦茶を取り出した。古い電気カバーの中に小さな虫の死骸が溜まって、カランカラン音を立てながら明かりがちらついている。
なんとなくそれを眺めながら茶を飲んでいると、ポケットの中で携スマホが鳴った。冬野からのメッセージだ。時刻は零時を超えている。こんな時間にどうしたのだろう。
画面を開くと、「日が暮れる頃に教室で」という文章がひたすら並ぶ中、一番下に見慣れない文章があった。
『やっほー!起きてる?』
文面的に何かあったわけではなさそうだ。
『起きてるよ』
少し素っ気なさすぎるだろうかと思う間もなく返信が来た。
『明日はなんと早帰りです!ホームルームが終わり次第、特別棟四階のトイレ前まで来るように!なお君に拒否権はありません』
早帰りで人が多いからいつもと違う教室で集まりたいのだろうか。だとすると、冬野が僕との関係を二人だけの秘密のように扱ってくれているみたいで若干高揚してしまったが、幸い文面のやり取りだったので悟られることはない。携帯は便利だ。
『わかったよ』
とだけ返信して、平然を装った。
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