第3話 貴族令息はニート

 王都は大河のほとり、小高い丘の上に築かれている。住居や車道は古い城壁からはみ出て、尚も拡がり続けている。首都だけあって人の往来も盛んだ。馬車がひっきりなしに脇を通り抜け、幸不幸な教会の行列に行き当たり、公示人が王の布告を読み上げる。また百を越える職業ギルドがあり、材木商通り、象牙職人通りなど名のついた通りも見かける。市場には珍しい植物、厳つい刀剣、遠い異国の香辛料があり目移りしそうだ。


 しかし、そんな石畳の通りを脇目も振らず、足取り荒く突き進む人物がいた。

 

 吉田である。


 道は貴族街へと続いている。正式な通りの名は別にあるので俗称だが、王城から少し離れた区画に貴族の邸宅が集まっているのである。吉田が目指すガライの屋敷は、かつて王の重臣だったことあり、周辺の家々に比べても広く、石造りで丈夫な印象を受ける。ただ、権力者である父が没したこと、主が王都に寄りつかず長く不在だったこともあり、所々手入れが行き届いておらず、埃も目立つ。

 その荒れた庭先に荷車を持ち込み、家人とともに家財を詰め込んでいたのは腹痛と称していた貴族令息である。


「あれ? 生きて帰って来たの?」


 その一言で吉田は悟った。彼が死地へ、吉田を身代わりに送り込んだことを。


「お前」


 吉田は令息の胸倉を掴み、高速で揺さぶる。


「お~ま~え~っ!」


 ありったけの怨嗟を込めて叫ぶ。


「こら平民、無礼ですよ」


 ぴしゃりとその腕を叩いたのは、まだ三十代と思しき若い未亡人だ。


「うるせぇ! こっちはもう少しで死ぬところだったんだぞ!」


 先ほどまでの恐怖と比例する怒りですっかり地が出ている吉田は、ホテルで働いていたとは思えない乱暴な口調で言い返す。


「どこの馬の骨とも知らぬあなたを拾って衣食住の面倒を見てやったのです。役に立つのが当然です!」

「施しとセットの処刑なんて聞いてねぇ! そんなアンハッピーセット要らねぇんだよ!」


 生活の世話をしてくれたと恩なんて、どこかへ吹き飛んだ。十分な食事と安全な寝床を与えられ、毎日大切に毛繕いされている生贄の羊だって、自分が死ぬ運命だと知ったら野生に戻ろうとするだろう。

 しかし、吉田も悪い。盲目的に感謝せず、疑うべきだった。だいたい赤の他人、それも異邦人を何の見返りもなしに養う人間がどこにいるだろう。自分の馬鹿さ加減に辟易しつつも、気を失いかけている貴族令息に少し気が晴れた吉田。家の実権を握っている未亡人に王の伝言を告げる。


「王様が、許してやるから6000ドゥカート用意しろと仰いました」

「ろくせん……」


 あまりの額に家人たちは一斉に沈黙する。


「条件に出すくらいだから安くはないと思うけど、命が助かるならその方が良いんじゃないですか? 王は特に期限のことは言ってなかったわけですし。

あなたがた、お貴族様なんですよね? 先祖伝来の土地を売るとかして工面できませんか?」


 日本でも中世ヨーロッパでも、特権階級は所有する土地からの地代や年貢で生活しているはず。しかし、喪服に身を包んでいる夫人は血の気が引いた白い顔だ。


「土地なんて持ってないわ。前は国の北に広大な領地があったらしいけど、何年も前に賤しい傭兵団に奪われたの」

「それじゃ、今までどうやって収入を得ていたんです?」


 ようやく解放された貴族令息が頭を押さえながら答える。


「父が王宮の役職についていた。国の裁判官だ。王からの俸禄以上に裏の収入があったと聞く」


 なるほど袖の下か、と吉田は頷く。裁判官に判決の融通を期待する金持ちはさぞかし多かっただろう。


「しかし任命してくれた前王が死に、父も死んだので役職を罷免された。王に嫌われている俺は宮廷の職についていない」

「ってことは、無職? でも、家来も雇って、食事も豪勢で、普通に生活してましたよね?」

「財を切り崩して生活していた」


 つまり、ニートである。絵に書いたような金持ちの道楽息子っぷりだ。


「主だった家財は売ってしまった。王都と拠点としている地方都市に所有している二つの屋敷が全財産だ。簡単に売れないし、売ったとしても買いたたかれてせいぜい千ドゥカートだ。それに家を無くして、その後我々は、どうやって生活すればいい?」


 吉田は絶句した。

 自分のした約束は実現不可能だった。王だって、家族の仇の窮状くらいのこと知っていて、この金額を算出したに違いない。


「六千なんて大金よ! 先祖伝来の土地を売るわけにはいかないし、なんでそんな約束をしてきたの! せめて半分、四分の一、十分の一なら……」

「まあまあ、母さん。ヨシダが王と話をつけなければ俺は処刑されてたんだよ?」

「この使えない人間が、あなたの代わりに処刑されていれば良かったのに」


 ガライ家の面々は好き勝手言っている。

 その内、王のお膝元である都を逃れ、本拠地の地元に帰ろうと算段をはじめた。


 吉田だって、家に帰りたい。異界の地で無性に泣きたくなった。

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