第4話 苦難その1

 ボケはときどき外へ出たがったので、窓を開けてやると、そこから地面に飛び降りて遊びに行った。窓丈しかないカーテンは閉めていたが、そんなに長い時間遊んでくるでもなく、器用に窓枠に上ると、カーテンをくぐって戻ってきた。


 遊び場は、大抵はブロック塀で囲まれた隣の神社のようだったが、ときどきアパートの前の駐車場のそのまた先の道路を横断して、向こう側の建物のある方へ走って行くこともあり、そんなときは車にはねられないか、ハラハラさせられた。


 たまに朝遊びに出て、私の出勤前に戻ってこないときがあり、やむを得ず出勤して夜帰ると、外階段の下で私を待っていたりすることもあった。


 そんなある日、大家から電話がかかってきた。猫を飼っていることがバレたのだ。私は近日中に引っ越しすると言わざるを得なかった。


 不動産屋に行って物件を探したが、ペット可の物件はほとんど一軒家で、家賃も相当高い。そんな中、幸いペット可のアパートを見つけたが、家賃は今のアパートの二倍近かった。しかし背に腹は代えられない。


 私は新しいアパートに移った。そこは二階だったので、前のアパートのように窓から出してやるわけにはいかない(窓は通路側になかった)。完全室内飼いにするつもりだったが、外暮らしの長かったボケのストレスが溜まってきた。


 それで、つい魔が差した。夜、玄関ドアを開けっぱなしにして、ボケが外へ出るのを容認してしまったのだ。当然、ボケは外へ出て階段を降りていった。

 すぐに戻ってくるだろうと思っていたが、時間が経っても戻ってこない。私は心配になり、探しに行った。夜なので大声で呼ぶわけにはいかないが、小声で呼びながら周辺を探し回った。


 だが見つからない。私は焦ったが、夜も更けてきたので、あとはボケの帰巣能力に期待するしかなかった。しかし玄関ドアを開けたまま朝まで待ったが、やはりボケは帰ってこなかった。


 次の日から、帰宅後にボケを探す日々が始まった。後悔しても始まらないが、三日、四日と経つにつれて、死にたくなってきた。それほど大事な存在を失ったことに、ようやく気がついた。


 そうしてもうほとんど諦めかけた十日目、前のアパートへ行ってみたら、ブロック塀の上に見慣れた猫がいた。その猫は私を見ると、塀を飛び降りて勢いよく私に駆け寄ってきた。


 ボケだった。信じられない。昨日見に来たときはいなかった。新しいアパートから直線距離でおそらく四、五百メートル。十日かけて、ボケはここにたどり着いて私を待っていたのだ。


 私はボケを抱きしめて、ただ泣いた。

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