第二十話 灰被り鼠(グレイ・ラット)

  俺たちは《灰被り鼠グレイ・ラット》という組織の頭目の案内により《地下市場アンダー・バザール》の最下層・一号窟から下層街へと出た。セインはネミルたちと共に、仲間の子供の様子を見てくると言い、向こうに残る。


 ハルトリアに来る前、丘すそに広がる下層街の街並みは見たが、実際に訪れたのは初めてで、俺たちは興味深く辺りを見渡す。中層街とは違って未整備で、剥き出しの地面や簡素なほったて小屋、テントなども目立つ。だが、住民にはそれほど暗い顔は見られず、活気もあった。


 頭目が連れて来たのは、そんな中でもまだしっかりとした店舗。

 中に入ると食欲を刺激する香りが漂い、すきっ腹に響いてくる。


「うっす、邪魔するぜ」

「お、アルトロさん、お元気そうで!」

「良かったらこっちに座って下せえ!」

「いや、今日は客人がいるから奥に入るんだ。悪ぃな」


 頭目の男はずいぶん人気な様子で、口々に話しかけられて楽しそうに受け答えしながら、カウンター席に顔を出した。


「わりぃな、かみさん。ちっと奥の部屋を貸してくんねえか?」

「らっしゃいアルトロの旦那! 旦那が仕切ってくれてるおかげで今日もなんとかやれてるよ。良かったら奥でお連れさんと食べて言ってくんな!」


 小太りのおかみさんに案内されるまま、テーブル席の並ぶ一角のさらに奥にある部屋に移動する。取り巻きたちも各々散らばってゆき、部屋には頭目と俺たちだけが遺された。


「さぁ、取りあえず飯だな、奢るぜ! なにがいい? そう品数はねえが、どれも悪くねえ味だ。労働者に倒れられちゃ敵わねえし、ここは衛生管理も力を入れてっから心配すんな」

「……わかった。ふたりともどうする?」

「いやっほぅ! おいらは~……このA定食! 大盛りにしてもいいかな?」

「がっつくなよ……チロルは?」

「ほえぇ。えと、わたしは、バゲット野菜サンドというのが、美味しそうなので……」


 リュカが待ってましたと言わんばかりに両手を振りあげ、チロルはそれに遠慮がちに言葉を添えた。


「ははは、元気な嬢ちゃんたちだな! 構やしねえよ、好きに頼みな! だけど、この店のメシは結構多いぜ。食べきれんのか?」

「できる! おいらは出された食べ物は残したこと無いもんね!」


 楽しそうな笑いを向けたアルトロに、自慢げに胸をドンと叩くリュカ。あの細っこい体の中にどうやって大量の食物が収まっていくのかは、未だに謎めいている。


「ハハッ、ならいい。お前さんは?」

「俺はB定食を」


 遠慮も失礼だし、さほど悩まずに適当に選んでおいた。


 提供されている定食は三つだ。


 A定食――アベール牛のモツ煮込み。

 B定食――フルル鳥のグリル焼き。

 C定食――豚ハムとロッコリのグラタン。


 どれもこの国では割とメジャーなメニューである。

 アルトロと呼ばれていた男もA定食を頼み、注文を確認したおかみさんが離れていく。


「さて、遅れたが名乗らせてもらおうか、俺っちは《灰被り鼠グレイ・ラット》の頭を張ってるアルトロ・ゲラードっていう者だ。兄さん方、よろしくな!」

「ああ。俺はテイル・フェイン、冒険者だ。こいつらも同業だな」


 チロルとリュカがそれぞれ頭を下げると、アルトロは目を細めた。


「ああ、聞いた。あんたもだが、こんな嬢ちゃんたちまで勇敢に戦って皆を守ってくれたらしいじゃねえか。もう一度ちゃんと礼を言わせてくれ」


 素直に頭を下げる男。他の住民たちとの接し方をみても偉ぶったところは無く、自然体なのがこの男に人望が集まる理由かもしれない。


 自分よりもふた回り以上年齢の高い大人に頭を下げられ、獣人娘ふたりは困り顔を浮かべた。


「ぜ、全部テイルさんの功績なのです。わたしたちは、言われた通りしただけで」

「おいらなんて、周りでバタバタしてるだけで終わっちゃった。たいしたことできなかったよ」

「いやいや、それでも立派なもんさ。自分より強そうな相手に立ち向かうってのは、なかなかできることじゃねえ。ましてや、相手は魔物でこっちの話なんか聞いてくれやしねえからな」

「そ、そう……? えへへ」「て、照れるのです……」


 褒められたふたり嬉しそうににやけ、アルトロは今度は俺に賞賛を向けてくる。


「そしてスゲエのは、この子らにその勇気を持たせたあんたさ、テイルさんよ。腕もさることながら、命がかかった場面で人に信じさせる、そんなことは中々できることじゃねぇ」


 アルトロのやけに友好的な笑みに、俺は好意だけでなくなんらかの思惑を感じ、話の続きを促す。


「……俺たちをそうやって褒め殺しにするのが目的じゃないんだろ? 別に用件があるんじゃないか?」

「おおっと、誤解しねえでくれ。ちゃんと労いの心は持ってる。が……実はあんたに頼みたいことがあるってのも確かだ」


 やれやれである。ライラに注意されたばかりだと言うのに。

 だが、条件次第では願ってもない幸運。モチーフ探しに活路を見出せることになるかもしれない。


「交換条件ってことなら、話を聞いてもいいぜ」

「よっしゃ! だがその前に、せっかくの料理が冷めちまったらもったいねえしな。さ、遠慮なく食ってくれ!」


 従業員が大皿をいくつも運び、瞬く間にテーブルは彩り豊かな料理に埋め尽くされた。全員でアルトロに礼を言い、度重なる移動で腹が減った俺たちは、勢いよく手を動かし始める。


「う~んま~っ!! ぴりうまでとろけちゃうよ、このおにく!」

「お野菜シャキシャキで、すっきり新鮮なのです!」


 ご満悦で食事をほおばるふたりにならい、俺も頼んだフルル鳥のグリル焼きにナイフを入れ、一切れ頬張った。


(むっ……!)


 ――美味い。下処理が丁寧なのか、鳥の臭みがほとんど感じられず、パリッと香ばしい皮とモチっとした絶妙な焼き加減の肉が舌の上で踊る。タレもコクがあり絶妙な味わいだ。


 アルトロがそんな俺たちの様子を見て、口元を緩めた。


「うめぇだろ? 限られた素材を生かせるように、こっちの料理人も日々工夫してんだぜ?」

「いいな……。あにき、そっちのもちょーだい! 色々食べたい!」

「お前なあ……後で残しても知らんぞ?」


 リュカがあーんと口を広げ、俺は切り分けた肉を放り込んでやる。すると彼女は両手で頬を包み込み体をくねらせた。


「こっちもおいし~!」

「……リュカちゃ~ん、お食事中に席を立つのはあまりよろしくないのですよ。大人しく、するです!」


 姉っぽく振る舞いたいチロルがリュカの腕を引いて席につかせるも、彼女のはしゃぎようは止まらない。俺は目の前で苦笑しているアルトロに思わず頭を下げた。


「騒がしくてすまん」

「いーや、賑やかでいいじゃねぇか。どこでも仲間や家族と囲む食卓はこんなもんさ」

 

 彼は嬉しそうに頷き、食事にいったん区切りがつくと、口を拭い話し始めた。


「さて、交換条件つったが、あんたら闇市でなにを探しに来たんだい? 同じ卓を囲んで飯を食ったら、もう仲間だろ。今回のこともあるし、まずはそっちの話から聞こうじゃねえか」

「話が早くて助かる。実は――」


 俺は彼に早急に珍しくかつ、人目を引くような素材を見つけたい伝えた。

 すると、彼は顎に手を置き唸った後、パチッと指を鳴らす。


「ううむ。そこらじゃお目にかかれんもん、ってことだよな。お……ひとつだけ心当たりがあるぜ。《竜涙》つうアイテム知ってるか?」

「……まさか、持ってるのか!?」


 俺は目の色を変える。


 《竜涙》――文字通り竜の涙。ドラゴン系の魔物が稀に落とす貴重なドロップアイテムで、サイズにもよるが希少性は他の素材とは比較にならない。


 だが、ドラゴンは最弱でもAランク以上で、生息数も多くない。なにより馬鹿げた強さなので倒すには相当のリスクがかかる。もしこの男がそれを持っているというのなら……。


 席を立ちかけた俺の顔を見て、アルトロは落ち着かせる様に手のひらを前に出す。


「へ、その顔じゃお気に召したようだな。だがちょいと待ちな。今からこちらの条件を提示しよう。今回のこともあるし、そいつをこなしてくれりゃ、必ず《竜涙》はお前さんにくれてやる。だが、これも危険な仕事なんでな。受けるかどうかは慎重に決めた方がいい」


 アルトロの言葉に、俺たちは食事の手を止めて真剣な顔で聞き入る。


「わかった、詳細を聞かせてくれ」

「……実はな。ここ数日で下層街の孤児なんかが、結構な数攫われてるみてえなんだ。俺たちが総出で足取りを追ったところ、どうやら街外れの森にある洞窟を根城にした盗賊崩れどもが、裏の売人に奴隷にして流そうと集めてやがるってことが分かった。オメエさんたちには、その賊……特に頭の賞金首を退治してもらいてぇ」

「賞金首か。どんな奴かはわかってるのか……?」


 アルトロは、懐から人相書きを取り出して広げて見せた。

 そこには、頭頂部が禿げた、長髪の欲深そうな男の絵が描かれている。


「こいつさ……《大鉄鎚》のウルガン。どうやら傭兵崩れらしく、かなりの怪力で大岩も素手で砕いちまうほどとある。だが、どうだい? あんなデカブツを倒せるようなあんたらなら、ちょちょいのちょいって奴、だろ?」

(簡単に言ってくれるな……)


 魔物には魔物の、人には人の恐ろしさがある。

 手段を選ばない方法で攻められれば、相手よりいかに能力が勝っていても倒されることはままある。狡猾で残忍な悪人であればなおさらだ。

 

 ただ、アルトロが提示した報酬は、今の俺にとって絶対に必要なものだ。

 尻込みしている余裕は無い。やるしかないのだ。


「その話、乗った。いつ発つんだ?」


 するとアルトロは拳で手のひらを打って喜ぶ。


「やってくれっか、っしゃぁ! ならすぐ、明日の朝にでも出発だ! なぁに、そう遠い場所じゃねえ。半日もあれば帰って来れるほどの距離だからな。っし、そうと決まれば――」

「待った、その前に本物かどうか確認させてくれ」


 俺の引き留めにもアルトロは動じずに、勢いよくうなずく。


「いいぜ! じゃ早速俺っちたちのアジトに案内しよう……と言いたいとこだが」


 立ち上がり、移動しようとした俺とアルトロだったが……後のふたりが続かない。


「はぐはぐ、ちょっとだけ、待って……! ご飯は残さない……それがおいらのプライド、むぐむぐ、あむっ……!」

「リュカちゃぁん~……こぼれてますよ。もうちょっと綺麗に食べてください~……」

「ぶふっ……くく、まぁ、飯くれえゆっくり食わせてやろうぜ」 

(こいつは本当にもう、気が抜ける~……)


 まるで栗鼠のように頬を膨ませて定食を咀嚼するリュカの顔にアルトロは吹き出し、高まった気分のやり場を失くした俺は椅子にぐったり身体を預けると、しばし天井を見上げていた。

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