第9話
「ずっと会っていなかったというのに、二人はクラウスに懐いているな」
「クラウスがいない間も、この子達は毎日ヘイムス王国の方を眺めていましたからね」
「それはお前も同じだろ、アデリナ」
「ふふふ、当然ですよ、あなた。母が子の幸せと安全を願わない日なんて、ありません。――そうだ、クラウス。貴方を思って、二人と私で油絵を描いたの。受け取って」
「これは、騎士号授与の絵画……。この女王に跪く騎士は、もしかして俺ですか?」
「そうよ。三年かけて仕上げた力作なの。女王は、アレクサンドラ王女の成長したお姿を想像したの。王への不敬かとも思ったけど、これは絵画ですもの。きっと許して下さるわ。私は直接王女様にお目通りしたことがないから、二人が下書きしてくれたの」
「……確かに。俺は本物そっくりですが……アレクサンドラ王女は、少々大人びていますね。少なくとも、このように女性らしい肉体はまだしていないはずです」
「いつか王女様もそうなると思ったんです! 義兄さん、王女様にはもう挨拶をしたんですか?」
「義兄様、明日にでも確かめてきて」
「え? 俺がか? 最近の王女殿下になら、二人の方が会ってるんじゃないのか?」
「うん。でも、社交界でしか会えない。戦争始まって滅多に開かれないし、王女様はすぐ戻っちゃう。だから、殆どが想像。確かめてきて欲しい」
「二人とも、ありがとう。まあどちらにせよ、会いに行く予定だったよ。素敵な贈り物、ありがとう」
「クラウス、血は繋がっていなくても、大好きよ。無事に帰ってきてくれてありがとうね」
「私も義兄さんは優しくて大好きです」
「私も……大好き」
「そうかそうか。家族仲が良くて何よりだ! エロディア、マルター、父さんのことはどうだ? ん?」
「……え」
「まあ……どちらかと言えば好き、ですかね?」
「――……娘が反抗期だ」
「あ、あなた、元気を出して……」
「はははっ。仕方ないですよ、父さん。二人とも、照れくさくて素直になれないんだよな」
「お前の優しさが身に染みるな……。大人になりおって」
「出征を控えていますからね」
「――また、クラウスはいってしまうのですね……」
アデリナは悲しげに目を伏せた。
「……いいかクラウス。まず生き残る事だ。結果としてそれが国を護ることに繋がる。決して無謀な事をするな。私にとって『敵に捕縛されることは死よりも重い屈辱』だ。私達のような者は、取引の材料にされるからな。どんな顔をして帰れるというのか。お前も、無理そうなら遠慮無く撤退しろ」
「分かりました」
父の神妙な顔に、クラウスは頷く。
他国の正規軍相手の初陣を前に昂ぶる気持ちを抑えられないのは、やむを得ないことであった。
間もなく兵の編成も終了し、父が率いる軍にクラウスは従軍することとなった。
この戦は、国家存亡を賭けた大事な一戦であった。
複数の戦線を抱えるアナント王国にとって、一つの戦線の崩壊は国家の崩壊をも意味する。
クラウスは朝から迷惑かとは思ったが、どうしてもアナに挨拶をしたくなった。
あまりに朝早いため、起きている可能性は低い。
ダメ元でアナの私室の扉を優しくノックすると――。
「――どうぞ」
まさか返事が返ってくるとは思わなかった。
虚を突かれながらもクラウスはゆっくりと扉を開け、室内に入った。
「来ると思ってたよ」
「ばればれでしたか」
「……やっと帰国したのに。私に挨拶なく戦に行くなんて、絶対ない許さないって、信じてただけ」
「それは何とも、有り難いですね」
「帰ってきて初日に来なかったのは……寂しかった」
「それは、すみません。夜になると王宮にいるのは難しく……」
「……なら、寂しいけど仕方ない」
「ご理解頂けて嬉しいです」
「それで?」
「戦に行ってきます」
クラウスのその言葉を聞いたアナは、不機嫌なオーラを発し始め無言になった。
「どうかしましたか?」
「……ただいまも言わずに、行ってきますなの?」
その言葉で、クラウスは自分が言葉選びを間違えた事を悟った。
「すみません。――三年前の約束を果たしました。アレクサンドラ王女。――私は、あなたの騎士となる為、あなたのもとへ帰ってきました」
「うん。お帰りなさい」
そう言うと、アナは表情を変えずにクラウスの肩にそっと身を寄せた。
「もう、行ってらっしゃいなんだ。……冷たいね」
「ええ。ですが、次もまた帰ってきます。あなたの剣となって敵を倒した後、すぐに帰ってきます」
「――約束。今日は、その挨拶に来たの?」
「そうです。……それと、どうしても顔が見たくなって」
「そう、なんだね。それじゃ、仕方ないね」
「三年振りですが……エロディアやマルターが想像した姿ほど、成長していませんでしたね」
「私は、成長が遅いタイプ。成長期が遅れてくるやつ、なんだよ」
心なしか嬉しそうに微笑んだアナは、つっと自分の手の甲をクラウスの前に差し出した。
「どうしました?」
「挨拶」
そこまで言われて、クラウスはアナが何を求めているのか理解した。
手の甲にキスをするというのは、挨拶の作法として確かに存在する。
とはいえ、キスされるという行為であるため当然嫌いな相手からされたいものではない。
クラウスはスッと優しく手をとり、アナの手の甲にキスをした。
クラウスのキスした手を、アナは大切そうに胸元へ寄せた。
「行ってきます」
「絶対、帰ってきてね。……生きてね。私は剣が折れるのも傷つくのも許さないよ」
「わかりました。決して折れず、あなたを護り続ける守護剣であり続けましょう」
念押しのように言われた言葉に、クラウスは笑顔で頷く。
アナント王国兵として出征する初陣の緊張は、いつの間にか霧散していた――。
王都正門まで続く大通りを、クラウスは動員された兵達と進む。
通りの左右には見送りに来た観衆がおり、口々に声援で見送ってくれた。
「――クラウスっ! おい、クラウスっ!」
自分の名前を呼ぶ声に気が付き、視線を向けると――。
「――エド!」
かつて一緒に剣術を磨いたエドが、人々を掻き分けながら並走し、声を張り上げていた。
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