○魔性の女ね
ポトトに急いでもらったことが大きかったのかしら。幸いにも、夜7時くらいに着いた宿『フィンデリィ』にはまだ部屋の空きがあった。リアさんがここだと言った部屋は1人用の部屋だったからさすがに断念。代わりに、上階の4人部屋に泊まることにしたのだった。
そうして1か月ぶりにたどり着く、きちんとした寝床。私たちが真っ先に行なったのはご飯でも、観光でもなくて……。
「おっ風呂~!」
入浴だった。控えめに叫んだサクラさんが、真っ先に洗い場へと駆けて行く。フィンデリィには大きな浴槽だけじゃなく「蒸し風呂」というのも用意されていて、それが印象に残っているとリアさんは語った。
「サクラ様、お風呂場で走ると危ないですよ?」
メイドさんがサクラさんを注意しながら後を追っていく。髪が長い人が多い私たちは、基本的に2人1組で髪を洗う。メイドさんがサクラさんについて行ったということは、今日の私の相手はリアさんだった。
「私たちも行きましょうか」
「はい。お手伝いします」
手近な椅子に座って、まずは私が髪を洗っていく。2日に1度は水浴びをするようにしていたけれど、潮風と日差しに当てられた私の髪はとても傷んでいる。まずは丁寧に汚れを洗い流して、髪が栄養補給をする準備をしないと。
「ふん、ふふん、ふんふんふん♪」
久しぶりのお風呂! 鼻歌を歌いながら、私は髪全体を濡らしていく。首を振ってお湯を払った後、いよいよ待ちに待った洗髪の時間だ。私がいつも使うのはこれ。風水堂という商会が販売している洗髪剤と、保湿クリーム。洗髪剤には香草と石けん、保湿クリームには髪用の香油なんかが使われている……らしいわ。
いくつか物を試したのだけど、これが一番私の髪質に合っていた。
「スカーレット様。失礼します」
「ええ、よろしくね、リアさん」
手で丁寧に洗髪剤を泡立てたリアさんが、背後から私の髪と頭皮を洗ってくれる。その力加減、指使いには、誰かを気持ちよくさせることに長けているリアさんの器用さが存分に振るわれる。洗髪の手順や技術についてはメイドさんから聞いたのでしょうけれど……。
「うーん! 気持ち良い! リアさんの洗髪は最高ね」
「……ありがとう、ございます」
思わずこぼれてしまう笑顔のままリアさんを振り返ると、リアさんは少しだけ目を見開いて賛辞を受け取ってくれる。っと、うっとりしている場合じゃないわ。気を取り直して、私自身も毛先を中心に洗髪剤で髪を洗う。気をつけないといけないのは、力を込めないこと。優しく、揉み込むように。髪を傷めないようにすることが大切だった。
軽く洗って洗髪剤と共に皮脂を流した後、もう一度同じ工程を繰り返す。すると、今度こそ泡立ちが良くなった洗髪剤によって汚れが浮き上がって来る。髪からも私にとって馴染みのある香りがし始めて、気分も上がって来る。そこにリアさんの絶技が加わるんだもの。心も体も弛緩しきりだった。
「ねぇ、リアさん。フェイさんの記憶が戻るってどんな感じ?」
リアさんはファウラルで過ごしたフェイさんの記憶を取り戻したと言った。思い出すのは、別荘でメイドさんが私に語り聞かせた人格形成うんぬんの話だ。たった数か月しかないスカーレットとしての記憶と、数十年以上あるフェイさんの記憶。人格を形成するのが記憶なのだとしたら、ちっぽけなスカーレットとしての人格がフェイさんの人格に上書きされる、みたいな話だったと思う。
自分の中にある、知らない誰かの記憶が蘇る。その感覚が知りたくて、私は背後に居るリアさんに聞いてみる。
「どんな、ですか……?」
困惑したようにほんの少しだけ眉尻を下げるその言動は、私の知っているリアさんだ。“自分”と言う物が希薄で、口下手だからこそ肌を重ねて相手を知ろうとする、そんな不器用な女の子のままに見える。つまり、まだリアさんはリアさんのままだということだと思う。
「いいえ、難しいことを聞いたわね。忘れて?」
「はい。……洗髪剤を流します。スカーレット様、目を閉じてください」
私が目を閉じると、リアさんがシャワーで泡を流してくれる。この時もシャワーの水圧が直接頭皮に届かないように手を伝わせてお湯をかけてくれる。まさにメイドさんがいつもしてくれていることをそのまま、リアさんは再現してくれていた。
洗髪剤でひしと汚れを落とすと、
「じゃあ、今度はリアさんの番ね。座って?」
立場を変えて、今度は私がリアさんの細い背中の後ろに立つ。リアさんの白髪は色艶がとってもきれい。髪の毛の1本1本が細いのが彼女の髪質かしら。体つきも含めて、こういうところはメイドさんにそっくりね。
リアさんは洗髪剤にこだわりがないみたいだし、私と同じ風水堂の物を使っていく。よく動く柔らかい頭皮の汚れ浮かせるように。マッサージをするように。リアさんに負けないくらい、私も丁寧に真っ白できれいな髪を洗ってあげる。
「耳もきちんときれいにしましょう?」
普段はほとんど髪に隠れている小さな耳の裏と溝も、指でなぞってきれいにする。ここって、洗髪剤や石けん、耳垢が溜まりやすいのよね。触った時にざらざらしていたらその証拠で……。
「んっ……。んっ……」
ぎゅっと目をつぶって、口に手の甲を当てて甘い声を漏らすリアさん。気のせいか、彼女の体臭である甘ったるい香りが強くなる。その甘い体臭に、私の洗髪剤の香りが混じると……なぜかしら。リアさんが私の物になったような気分になる。
他人から自分の匂いがするって、不思議ね。それに、いつも攻め攻めなリアさんが何かを堪えているような姿を見ると、得も言われない気持ちになる。
「ふぅ……ふぅ……。落ち着いて、
このままではなんとなくまずい気がして、私はすぐにリアさんの髪に着いた洗髪剤を洗い流す。後は保湿クリームを塗りこんで、髪を巻いてあげるだけ。耐えるのよ、私! なんて言い聞かせてみても。
「スカーレット様。来て、下さい」
椅子に座ったまま頬を上気させ、両手を私に向けて広げたリアさんの引力には、逆らえなかった。……もう、全部がどうでもいいわ。このまま、リアさんの柔らかな身体に身を任せて――。
「はい、そこまでですよ、お嬢様? リアも」
「め、メイドさん……」
湯浴み着を着たメイドさんが、私とリアさんを引き離す。
「何を風呂場で発情しているのですか。そもそもホムンクルスには発情などないでしょうに」
「だ、だけど。リアさんの魅力の前にはそんなこと――」
「だけど、ではありません。さっさと身体を洗って、サクラ様と一緒に蒸し風呂を堪能なさってください」
「むぅ……」
「可愛らしく
手で追い払うような仕草をしたメイドさんによって、リアさんの身体を洗う係を奪われてしまう。
リアさんはステータスを持っていない。これはきちんと確認したことだ。だけど、人をおかしくする天性の何かが彼女にはある。自分の意思に反して、リアさんの“求め”に応えようとしてしまう。
「意に沿わないことをしてしまうという意味では、リアさんを相手にした人も被害者なのかも……? なんてね」
メイドさんやリアさんに比べるとまだまだ貧相な身体を洗い終えた私は湯浴み着を着直して、サクラさんが待つという蒸し風呂へ向かうことにした。
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