○与えてくれた痛み

 パンッと乾いた音が響く。続いて、


「馬鹿っ!」


 怒気が込められた叱責の声が私――ではなく隣に居るアイリスさんに放たれた。驚きで何も言えないでいる私の視線の先では、叩かれた頬を押さえて呆然とするアイリスさんがいる。

 場所はウル王国の首都、ウルセウにある白亜の城『グレーゲン城』。その1階にある石畳の大広間での出来事だった。

 凱旋がいせんのようなものを終えて大広間で王様と王妃様に歓待を受け、1時間ほど経過した後。城の外で待つメイドさん達のもとへ引き返そうとした私を「会わせたい人が居る」と、アイリスさんが引き留めた。そうして私、アイリスさん、そしてアイリスさんが会わせたかった人と3人だけが広間に残されたのだけど……。


「イリア、お姉さま?」


 少し赤くなった頬に手を当て、目の前の女性――イリアさんに向き直るアイリスさん。


「馬鹿っ! 馬鹿アイリス! 飛空艇から飛び降りて! 1か月も危険な魔物や動物の居る森で過ごして……。どれだけ心配させればいいの?!」

「す、すみません……」


 さっきまで私と笑い合っていた顔も、今は見る影もなく曇ってしまっている。それは、目の前に居るイリアさんが本気で怒って、アイリスさんを心配していたことが分かったからでしょう。

 地面を見つめて反省するアイリスさんを、不意にイリアさんが抱きしめた。そして、


「セシリアが死んでしまって、私の妹はもうあなたしかいないの……」

「ごめん、ごめんね。イリアお姉さま」


 薄っすらと涙を流すイリアさんを優しく抱き返して、アイリスさんはただただ謝り続けていた。




「見苦しい姿をお見せしました、死滅神様。わたくしは、イリア・フレーゲ・ウィリエル・ウル。この国ウルの王女をしております。以後、お見知りおきを」


 アイリスさんが着ているものよりも淡い青色のドレスの裾をつまみ、優雅にお辞儀をしたイリアさん。身長は高くて、170㎝中ほどはありそう。アイリスさんと同じ深い金色の髪は胸元ぐらいまであって、ゆるく波打っている。大きくて大海原と同じ深い青色の瞳は優しげな印象を受けた。

 整った顔かたちは人間のそれだけど、先端がとがった長い耳から森人もりひと族ね。年齢は……聞かない方が良いんだったわ。


「あ、いいの。こちらこそ、アイリスさんに無茶をさせてしまったから……。本当に、ごめんなさい」


 私もアイリスさんに別荘にとどまる理由を与えてしまったことを深々と謝罪する。一緒に居られることを喜んでいたけれど、思えばあの場所は危険な森の中。実際、ヘズデッグに襲われて私も死にかけたわけだし、それはアイリスさんも例外ではない。危うく、イリアさんからまた1人家族を奪うことになっていたかもしれなかったことを、今になって猛省する。

 光沢のある黒い手袋を握り、イリアさんからの糾弾を待つ。そんな私に対して、


「いいえ。アイリスの悪い癖が出ただけでしょう。何も死滅神様が謝ることではありません」

「そうですよ! 私の独断なので、スカーレットちゃんが謝ることじゃありません!」

「アイリス。胸を張って言うことではありません」


 そんな王女姉妹のやり取りが返ってくる。


「そう言ってもらえるとありがたいけれど、イリアさん。私はもう1つ、あなたに謝らなければならないの」

「セシリアのことでしょうか? であれば、謝罪の必要はありません」


 機先を制されてしまって、呆けてしまう私。そんな私の顔がおかしかったのか、手を口に当ててクスリと笑ったイリアさんは言葉を続ける。


「死滅神様は自らのお役目を果たされただけでしょう? であれば、わたくしを含め、フォルテンシアに生きる人々は誰も、あなたを責めることなどできません」


 確固たる口調で言い切るイリアさん。その表情は柔らかくて、きちんと現実を受け止めているのだと分かる。そのうえで、王女として、フォルテンシアに生きる者として、私を許してくれる。

 けれど、私の気が済まない。人の命を奪う私はきっと、誰にも許されてはいけない。だから、


「だけど、思うところはあるでしょう? だったら――」


 それでも気が済まない私が改めて謝罪しようとすると、


「それとも。死滅神様はセシリアが憎くて殺したのですか?」


 優しい表情から一転、鋭い目つきで私を見下ろす。一国の王女として私と言う人物を測ろうとするその目の見えない圧力に、思わず体が震える。……だけど、屈するわけにはいかないわ。自身の生きる意味ジョブには、常に正直で居なければならないはずだから。

 遠洋の海のような深い青の瞳をまっすぐに見返して、胸を張って、私は答える。


「いいえ。死滅神としての役割を果たしただけよ。だけど、職業衝動に従ったという意味では間違いなく、自分の意思でセシリアさんを殺したわ」


 逃げも隠れもしない。真正面からイリアさんの審判を受ける。その結果は――。


 ――パァンッ。


 乾いた大きな音と衝撃が私の頬を襲う。倒れるギリギリのところで踏みとどまって、私を叩いたイリアさんを見返す。


「ちょ、イリアお姉さま?! 大丈夫、スカーレットちゃん?!」


 スキルで手当てをしようと私に駆け寄るアイリスさんを手で制する。そんな私を見下ろすイリアさんは少し満足したように笑う。


「では、これで手打ちとしましょう。以後、わたくしがセシリアの件で死滅神様に何かを言うことも、思うことも無いということ、ここに約束します」

「そう。……心遣い、感謝するわ。アイリスさんも、手当は必要ないから」


 ジンジンと響く、頬の痛み。この痛みを私はきちんと受け入れなければならない。


「アイリスも。セシリアの件はこれで終わり――」


 ――パンッ。


 本日3度目。乾いた音が大広間に響く。今度はアイリスさんが、イリアさんを平手打ちした。


「イリアお姉さまこそ馬鹿なの?! 私の大切な友達をぶつなんて!」

「えぇっ?! だ、だって死滅神様はセシリアの件で負い目があって、アイリスの我がままに付き合っていたのでは……?」


 イリアさんの言っている意味が分からなくて、私は首をかしげる。


「そうでなければ、危険な森の中にいつの間にか作っていた別荘に1か月も滞在する理由が……」

「別荘は前任の死滅神が建てたもので、アイリスさんのものでは無いわよ? それから、アイリスさん、私、1か月も付き合ってくれたの」

「……え?」


 今度はイリアさんがぽかんと呆ける。何か、致命的な勘違いがありそうね。そして、そのことにイリアさん自身も気づいた様子。みるみるうちに顔が青ざめていく。


「まあ! そうだったのですね。わたくし、てっきり妹が負い目を利用しているとばかり。なので、これきりで死滅神様が縁を切れるようにと……。ああ、どうしましょう。今すぐ治療を――」

「いいえ、大丈夫よ。むしろもう何発か貰うことも予想していたし。そうだわ、アイリスさんも思うところがあるでしょう? 今からでも――」

「もう、お姉さまも、スカーレットちゃんも! ほんっとうに、余計なお世話!」


 早とちりしたイリアさんと、いまさら掘り返そうとした私を説教するアイリスさんの声が広間に響く。その後、3人仲良く頬を腫らしながら別荘での様子を面白おかしく語り合った。

 そして夕暮れを前にイリアさん、アイリスさん姉妹と別れて城を後にする。桟橋の向こうには、健気に待ってくれていたメイドさんの姿がある。ポトトとサクラさんは先に宿を探しに行ったのでしょう。


「……本当、アイリスさんといい、イリアさんといい、良い人たちばかりで困ってしまうわ」


 だけど、イリアさんからの本気の1発には確かに、様々な想いが込められていたように思う。今も頬を熱くするこの鈍い痛みを絶対に忘れないために。私は痛む頬をさすり続けた。

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