●別荘にて

○予想内の予想外

 押し寄せる風と風切り音。内臓がひゅっと縮こまるような、奇妙な感覚。


「「きゃぁぁぁーーー!」」


 私とサクラさんの絶叫が重なる。……まだ落ちてる?! いつまで続くの?! 地面が近いわ! いつ?! いつ魔法を使うのメイドさん?!

 本当は2、3秒らしかったのだけど、体感にして10秒近く落ちていたんじゃないかしら。


「【フュール・エステマ】!」


 初めて聞くメイドさんの大きな声に驚いていると、不意に猛烈な上昇気流が私たちを包み込んだ。舞い上がる黒・白金・茶色の髪。はためく衣服の裾。何がすごいって、こんな状態でもなおメイドさんスカートの中を見せないこと。これが玄人……プロの仕事なの?!

 ゆっくりと落下の速度が収まっていって、宙に浮いたような状態になる。そして、上向きの風が収まると――。


「あいたっ!」「ふぅ……」「よ、っとと」


 私、メイドさん、サクラさんが順に着地を決めた。……私以外の2人、立ったまま着地できるって、おかしくない?


「ひぃちゃん、泣いてるけど大丈夫?! お尻、とっても痛そう……」

「うぅ……。だ、大丈夫。この涙も生理現象よ……」


 膝を折って心配してくれるサクラさん。その横で、少しかがんだメイドさんが私に手を差し伸べてくれる。


「お嬢様、立ち上がれますか?」

「……情けないけれど、少し待って欲しいわ。それよりメイドさん。1ついいかしら?」


 雪のない温もりのある地面にお尻をついたまま、メイドさんを睨む。


「【フュール】じゃないじゃない! 1つ上の魔法よね?!」


 メイドさんが叫んだ魔法【フュール・エステマ】。その中の『エステマ』は「もっと・上の」といった意味を持つ言葉ね。共通語に訳すと「風よ、もっと」になるわ。もし何も知らずに私が【フュール】だけを使っていたら、今頃は……。

 いつも言葉が足りないメイドさんをたしなめたつもりなのだけど。


「ですが【フュール】であることには変わりありません。なので、嘘ではありませんよ?」

「なっ?! よくもまあそんなこと――」


 平然とした顔で言うものだから、私がさらに語気を強めて文句を言おうとしたところで。


『――ゥ……』


 声が聞こえた。野生動物か魔物かと思って周囲を見てみるけれど、何もいない。もしかしてと思って天を見上げてみると、真ん丸な影があった。一生懸命羽をはばたかせて、落ちてくる。ひときわ大きな雪玉にも見える彼女は――。


「ポトトちゃん?!」


 サクラさんが驚いた顔で空を見上げている。そう、飛べないはずのポトトが飛んでいる。いいえ、正確には落ちているだけなのだけど。


「ポトト。ついに、飛んだのね……って、そうじゃなくて。メイドさん!」

「かしこまりました。【フュール・エス――」


 メイドさんが詠唱を終えるより早く。再び、どこからともなく上昇気流が巻き起こる。その風はポトトを包み込んで、ゆっくりと着地させた。

 メイドさんは魔法を使っていない。ということは……もしかしてポトトが? そんな有り得ないことを私の頭が導き出そうとしていると、


「よいしょっと。頑張ったね、ポトト」


 ポトトの背中の上で動く影があった。それは予想外だけど予想内の人物。


「ふぅ……。うーん! これで苦手な事務から解放されます!」


 ポトトの背中から下りて一仕事終えたようなさわやかな笑顔で言ったのは、アイリスさんだった。つまり、さっきの風魔法はアイリスさんの手によるものだったみたい。


『ク、クルールッルー!』

「よしよし、頑張ったわね、ポトト。でも、あなたなら飛べるって信じてたわ」


 翼を広げてすり寄ってくるポトトを慰めるかたわら。


「アイリスさん、どうしてここに?」


 恐る恐る聞いた私に、彼女はにっこりと微笑む。


「スカーレットちゃんが言ってくれたじゃないですか。親善大使としての私の仕事は、スカーレットちゃんの大切な仲間であるポトトのお世話。そして、ポトトがこうしてスカーレットちゃんを追ってしまった」


 つまり、とアイリスさんは続ける。


「死滅神様から直々にお世話を頼まれた私としては、役目を放棄するわけにはいきませんよね。なのでこうして、ポトトを追うしかありませんでした」


 仕方が無かった。そんな風に言っているけれど。


「さてはアイリスさん。わざとね?」

「まあ! 人聞きが悪いですよ、スカーレットちゃん。これはあくまでも、キリゲバに見つかってしまっただけの、不慮の事故なの……」


 なるほど。さっきポトトから下りる時に本心が漏れていたにもかかわらず、このとぼけ方。ついさっき、メイドさんにも見せられたような気がするわね。だけど、今回は良いの。どんな理由だとしても、アイリスさんと一緒に居られるんだから。

 そう思うと急に活力が沸いて来て、足腰に力が入るようになる。土をはたきながら立ち上がった私は背後――別荘を見上げる。


「とりあえず、中に入りましょう。メイドさん、別荘の鍵はあるの?」

「いいえ。ですが、死滅神であるお嬢様だからこそ扉を開くことが出来るかと。ひとまず入り口へ向かいましょう」


 そう言ったメイドさんと私を先頭に、サクラさんとアイリスさん、ポトトが続く。


「おっきなログハウス……。そう言えば、ここだけなんで雪が積もってないんだろ?」

「この場所だけ局所的に地熱が高いのだとか。この場所を見つけたからこそ、ご主人様が別荘を建てられたのです」


 周りを見渡しながら言ったサクラさんの問いにメイドさんが答える。そう言えば、さっきお尻をついたままでもひんやりしなかった。


「地熱……ってことは、温泉!」

「はい、お風呂が自慢だとご主人様も仰っていました」

「みんなで温泉、良いですね!」


 サクラさんの弾んだ声にメイドさんが懐かしむように言って、手を合わせたアイリスさんが相槌を打つ。にぎやかな会話を聞いていると、あっという間に入り口に着いた。

 一見すると、何の変哲もない木の扉。だけど、よく見れば鍵穴が無い。試しにドアノブを回してみても、うんともすんとも言わなかった。動物たちが居るとも言っていたし、見た目のわりにはとても頑丈そう。チラリとメイドさんを見てみると、


「お嬢様。お嬢様しか使えないスキルをご使用ください」


 彼女はそう言って頭を下げる。私だけ……そう言うことね。ドアノブに触れたまま、私は〈即死〉を使ってみる。すると、軽い解錠音が鳴ってドアノブが回るようになった。


「わ、すごい仕組みね」

「はい♪ ご主人様と召喚者様共同合作、〈即死無効〉のスキルだけを持つドアノブです。実はこのドアノブ自体が魔石で作られていて〈即死〉を使うと〈即死無効〉が発動する、つまり魔素が流れる仕組みを利用しているのです」

「そ、そう……」


 饒舌じょうぜつに語るメイドさんをよそに、私は別荘の扉を開く。果たしてどれくらい、死滅神について分かるかしら。私自身のことも、何か分かれば良いのだけど。

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