魔充つる腐血の大地


この様な説がある、と魔術師ヨハンが言った。


「転移元と転移先…これら2点を行き来したものは、一度死んでいるのだと。我々の肉体は転移の瞬間に微塵と砕け、瞬く間に転移先で再構築されているのだと…。この回廊は生から死、そして死から生への“道”であり、我々の精神が転移先で再構築された複製へ浸透するための過程であるらしい。…師の受け売りだがね」


真っ暗な回廊。

はるか先には光点が見え、そこが出口だと思われる。

足元はぼんやり見えるものの、左右は闇色の名状しがたい霧で覆われている。勇士一行はそんな暗い昏い回廊を歩いていた。


帝国からやってきた者達にとって、“この場所”は2度目である。

1回目の時はケロッパなどがはしゃぎまわり、ゴッラが彼を捕まえて運んだという何とも情けないアクシデントがあった。

つまり、アリクス王国側の面々にとってはこの回廊は初めての経験になるのだが、流石に魔王を殺しに行こうという面々だけあって誰一人としてうろたえたりはしなかった。


「ふうん、じゃあ差し詰めこの暗い場所は“かの世”って事かな、ヨハン君!」


ヨハンの後ろを歩くケロッパが元気よく尋ねると、ヨハンは前を向いたまま“そうかもしれません”と答えた。かの世、とはあの世でもこの世でもなく、その間に存在すると考えられている世界だ。幽界とも呼ばれるその世界には、生と死の概念が存在しないとも言われている。


「道から外れたりはしないほうが良さそうだ。僕は先ほどから何度も魔力を打っているんだが、反響がない。この回廊…壁の先はもしかしたら“何もない”のかもしれない。何もない…虚無というのは怖いんだよ。虚無に何かが入り込むとする。すると何が起こるか?それは、その何かも無くなってしまうんだ。虚無とは初めから何もない事を意味するのではない。“常に何も無くなってい続けている”事を意味するのだ。つまり、この壁の先が虚無であったならば、そこへ入り込む事は消滅を意味する」


ケロッパが深刻そうに言うが、流石の豪胆な勇士達と言えども、不気味に過ぎる闇色の霧の先に行こうなどとは夢にも思わなかった。


「迷宮に似たような空間がある。そこでは如何なる光源も意味を為さないんだ。ただただ真っ暗な空間が広がっている、そんな場所。俺たちは“狭間”と呼んでいる。ただ、そこは別に踏み入ってはいけない禁忌の場所ってわけでもないんだ。ただ視界が不自由なだけで自由に入ったり出たり出来る。しかしこれは…俺たちの横に広がるこの空間は絶対入っちゃいけない気がする。根拠はない。ただの勘だ」


根拠はないというが、迷宮探索者カッスルの言葉にはある種の確信が込められている。



闇が支配する回廊を、縦列で歩く一行の姿がある。

先頭のカッスルとタイランは、回廊の奥へ進むべく力強い足取りで歩みを進めていた。彼らは時折お互いに目配せをし、好奇心に溢れた表情でお互いの故郷について語り合っていた。


「…だからね、龍帝は西域や東域よりは極東に侵攻したくて仕方ないのよ。でも極東ってアレじゃない?中域は広大だし人も多いけれど、所詮人は人に過ぎないからね。極東を守護する神々の前では人なんていくらいたところでって感じよね。龍帝も神様みたいなものだし、そこらへんの小さい神様よりは余程強いけれど、数の暴力っていうのは侮れないからね。だから西域や東域にちょっかいを出す余裕なんてないのよ。…ただ、もしも極東が中域の手に落ちる何てことがあれば、中域は喜んで東西に攻め込むと思うわよ」


「やだねえ、魔族との戦争が終わったら次は人間同士の戦争かよ。それにしても中域にも魔族は侵攻してるんだろう?いくら中域が外国との交流を断っているからって、こういう時くらいは力を貸してくれてもいいのにな」


カッスルの嘆きにタイランは苦笑で応じた。


「まあねえ、でも過去の大戦を紐解いても、中域はそこまで被害を受けていないのよね。龍帝は神に等しいとされているけれど、やっぱり神様が直接護っていると魔族サンも侵攻しづらいのかしら」



一般的に中域と一言で言った場合、それは“零国”を意味する。

龍帝と呼ばれる絶対君主が強力な中央集権体制を敷いており、龍帝は零国では神と同一視されている。


また、零国の民は龍帝を心から信奉している。

龍帝こそが世界の覇者であり、零国こそが世界の中心…心の底からの願いは地脈の流れにも干渉し、中域の地脈を流れる魔力は龍帝に注ぎ込まれている。

レグナム西域帝国も同様に皇帝に巨大な求心力があるが、これは零国のそれとはやや毛色が違う。

レグナム西域帝国の民は皇帝サチコをただただ愛するのみであり、世界の支配者である、という想いを抱く事はない。


中域が過去の大戦で魔軍からの被害が東西両国よりも小さいのは、これが原因であった。転移の大魔法は地脈の魔力を利用するというのが基本であるため、その魔力を龍帝が奪っている為に魔王といえども零国領土内に魔軍を直接送り込む事ができないのだ。



「でも、今代の龍帝はなんというか…支配欲求っていうのかしら。そういうのがすごく強いと聞いた事があるわ。私のお師さんがね、龍帝の教育係だからちょっと教えてもらったんだけれどね。子供の妄想みたいだけれど、龍帝は世界征服をしたいらしいのよ。その世界には魔族の支配領域も含まれていて…」



クロウとファビオラは黙って歩いている。

前方ではカッスルとタイランが談笑しており、ファビオラは自分もクロウとあのように話したいと思っていた。

いや、話すだけではない。

ファビオラは5つの目的を持っていた。


それは護衛、討伐、性交、妊娠、出産である。

クロウを護り、魔王討伐を手助けし、戦後はクロウと交わり、妊娠し、出産する。


フラガラッハ公爵家は代々勇者の露払い役になれと育てられている。この場合の勇者とは光神から選定される正統勇者ではなく、アリクス王国側が恣意的に選定した勇者の事を言う。

なぜならば正統勇者は中央教会の紐付きだからだ。

アリクス王国としても公爵家が教会勢力と結びつく事は望ましくない。


ではアリクス王国側が恣意的に選定した勇者といえばなんなのかというと、これはケースバイケースだ。

アリクス王国は定期的に国家存亡の危機に直面しているが、そのたびに状況をひっくりかえせるような強力な戦士を便宜上の勇者として任命することも多々ある。

今回のクロウのようなケースだ。


フラガラッハ家の者はそういった“勇者”と親しくなり、勇者が女性ならば孕ませ、勇者が男性ならば自身が孕み…というような事を代々してきている。

勿論無理やりではない。

“勇者”は子作りしたからといってお役御免ではなく、強力な戦士であるのだから、今後も長くアリクス王国に仕えてもらう必要がある。無理やりヤって、わざわざ敵対する必要はどこにもない。


(クロウ様は恋人がいらっしゃるのかしら?いても構いません。アリクス王国は一夫多妻…しかし、そもそもクロウ様は誰かに恋をする事などあるのかしら)


ファビオラがちらりとクロウを見ると、クロウはぼんやり前方をみながら淡々と前へ歩いている。緊張、恐れ、気負い、使命感…そういうものは窺うことが出来ず、ただただ自然体だった。


クロウ様、とファビオラが声をかける。


「はい」


クロウはすぐに短く返事をした。


「クロウ様は…戦後は何をしたいとか、考えてたりするのでしょうか」


ファビオラの質問にクロウはやや考え込んだ。

何も考えていなかったわけではなく、クロウとしては魔王と相討ちという形になって死ぬつもりであったからだ。

だがそれをそのまま言うわけにはいかない事を理解する程度にはクロウも社会性がある。


「…庭師の弟子をしたいです」


ゆえに、クロウは何となく出来る事のうちからやりたい事を選んで答えた。


庭師の弟子


なんともよくわからない回答にファビオラは怪訝な表情を浮かべる。


「庭師ではなく、庭師の弟子ですか?」


ファビオラは尋ねた。

クロウは前を見たまま頷いた。


「ええ。僕は草むしりの才能があります。黙々と長時間、ずっと雑草を抜いていられる。しかしそれが出来るからといって庭師になりたいというのは傲慢でしょう。だからまずは弟子入りから始めて、技術と感性を磨いて、そして庭師になります」


クロウの言には筋が通っていた。

しかしどこかおかしい事にファビオラはすぐに気づく。

空気が致命的に読めていないのだ。

しかし、そのどこかズレた回答からファビオラはクロウの性根のようなものを看破する。


“ああ、この人は平和主義者なんだな”という気付きは、クロウのどこかずれたコミュニケーション能力を好意的に見せる事に一役買っていた。


ちなみにクロウはファビオラの言う通りの平和主義者だ。

ただし、やや過激な平和主義者でもある。

かつて彼は魔族の戦士、カルミラと対峙したときにこの様な言葉を発した。



「殺されるっていうのは…死ぬ事とは違うと思う。でも今の俺には、それがどう違うのかがよく分からない…心では何となく分かる。でも言葉に出来ないんだ。殺すことには尊敬がない、尊重がない…ああ、違う気がする…何といえばいいのか…とにかく」


「俺自身が殺されてみなければ、それは分からないのかもしれない。でも…笑ってくれ、俺は誰かが誰かを殺す事が嫌なんだ。みんな笑顔で自ら死んでほしい。俺自身も笑って死にたい。だから、殺しを増やすような人がいるなら、俺はその人を殺すんだ。おかしいだろ?俺はそんな俺がたまらなく嫌いなんだ…」



殺しを増やすような人を殺す、つまり魔王を殺す事でみんなが不当に殺される事なく、笑顔で自ら死ぬ世界を実現するため。

勇者クロウは剣を取ったのである。


この辺りの感性をファビオラが理解し、受け止める事ができるのであればあるいは彼女の目的も達成できるかもしれないが…



ヨハンとヨルシカは特に何か言葉を交わすこともなく、無言で歩いていた。

彼らは精神の深い部分で交わっており、互いの精神状態や想いというものを何となく理解しあえる関係なのだ。


時折触れ合う手の甲と甲、そこから伝わる互いへの想いはいまさら言葉にする必要はなかった。

勿論あえて言葉にする意味もないわけではないが、少なくともこの場で睦言を言い合うというのは流石のヨハンも出来ない事だった。



後方からはラグランジュ、ゴッラ、そしてゴッラの肩に乗るケロッパの3人組連れだって歩いている。ケロッパなどは興味津々で暗黒の回廊を観察していた。


ランサックとザザは女の話をしており、一口にいって下世話なものだった。ラグランジュなどは彼らの下ネタが癪に障ったか時折後ろを振り向き二人を睨みつけるが、ザザはハナからラグランジュを相手にしていないし、ランサックなどはにやにやと笑うだけだ。二人は別にラグランジュに嫌がらせをしようとしているわけではなく、単に普段通りの会話をしているに過ぎない。

女の話か酒の話か…アリクス王国でも有数の強者二人の会話としては下賤に過ぎるが、それは同時に彼らの精神のタフさを証明してもいた。



最後にカプラ。

彼女は黙々と一人で歩いている。


アリクス国王が抱える諜報部隊の隊員である彼女は進んで殿を務めた。カッスルが先頭、カプラが殿、これは二人に求められている役割を考えれば当然の配置であった。

迷宮探索に造詣が深いカッスルが先行し、冒険者でいう所の上級斥候であるカプラが後方からの奇襲を警戒、さらにカッスルの見落としを防ぐダブルチェックの役割を果たしている。


黙然と歩いているように見えて、カプラのアンテナは広範囲に張り巡らされており、周囲の如何なる異変も見落とすまいと気を張っていた。


カプラは無口だ。

無駄話はしない。

そして仕事はきっちりとやり遂げる。

彼女はアリクス王国に強い忠誠心があるが、それだけが理由で魔王討伐行に志願したわけではない。

彼女には目的があった。

アリクス王国領内で暗躍する外法の魔術師、アルベルト・フォン・クロイツェルの救済である。



カプラはかつてアリクス王国の隣国、テーゼル公国で孤児として過酷な日々を送っていた。

テーゼル公国はアリクス王国から自治権を付与されている暗黙上の属国であった。国家元首であるテーゼル公爵…その五代前のテーゼル女公爵が人魔大戦中、下魔将と相討った事による功績として、当時のアリクス国王から自治権を付与されたのだ。


カプラはテーゼルの商家の生まれだ。

カプラの生家では化粧品を取り扱っており、特に白粉が人気を博していた。というのも、従来の白粉というのはどれも人体に有害な成分が混入されていたからである。

その点カプラの生家が取り扱う白粉は違った。

値段こそ張るものの、人体への悪影響は無く、むしろ肌の状態が良くなる作用まであった。

発明者は魔導協会所属の三等術師である。

魔導協会の勢力が大きいのはこういった分野にも手が伸びているからであろう。


そんなカプラの生家はアリクス王国の貴族と取引関係にあり、家族でアリクス王国を訪ねる事もままあった。

ただの貴族ではない。

公爵である。


魅惑の熟女、ジョアンナ・ゼイン・フォン・プピラ女公爵はアリクス王国のいわばファッションリーダーのような存在である。

流行の化粧、流行の服装、流行の仕草。

そういったものが彼女から生み出されている。


だがそれは表の顔で、彼女の裏の顔はアリクス王国の諜報や謀事謀略の第一人者だ。彼女は“月眼”の血統魔術を継承しており、その効果はまるで月から見下ろす様に周辺状況を広範に俯瞰できる様になる魔術なのだが、これは彼女の裏の活動の大きな一助となっていた。単なる視界拡張の魔術ではない。

血統魔術とはその血筋にしか使えない魔術であり、この制限が魔術の効果を大幅に向上させる。

ジョアンナの月眼は月が輝く夜であるならば王都内どころか、周辺諸国にまで範囲が及ぶ。


ともあれ、ジョアンナ女公爵は自身の表の顔から来る理由でカプラの生家に目をつけていた。テーゼル公国はアリクス王国の属国のようなものという事情もあって、アリクス貴族であるジョアンナがカプラの生家との取引関係があってもおかしい話ではない。


こういった関係もあって、カプラの生家は大きな利益を得て大層繁盛していた。しかしある時、両親を火事で失い、その後親戚に引き取られるも虐待を受け、親戚の家から脱走をする事となる。

以降彼女は街の裏路地や廃墟で生活し、泥棒やスリを行って食べ物を手に入れていた。


そんなある日、彼女は一つの出会いを得る。

初めての友人との出会いであった。



「ねえ、アル。あなたって元貴族様なの?皆そう言ってたよ」


ある日、カプラはアルベルトに尋ねた。

テーゼル公国の貧民街で彼らは出会い、知己を得た。


といっても出会い方は酷いものだ。

路地裏で飢えで死にかけてるアルベルトに、黴の生えたパンを与えたのがカプラだった…そんな出会い方だ。

ちなみに貧民街では黴パンは十分“食事”といっても過言ではないまともな食物である。


アルベルトは正しくはアルベルト・フォン・クロイツェルと言う。クロイツェル伯爵家の嫡男であったが、事情があり伯爵家を出奔している。だが彼には元伯爵家嫡男にふさわしい魔力があり、それをもってすれば貧民街でも暴力なり恐怖なりを以て食料を得る事が出来た筈だ。


しかしアルベルトはそれをしなかった。

この時の彼にはまだ貴族の誇りとも言うような青臭いモノがまだ残っていた。

だがそれが彼を苦しめる。

如何に魔力があろうと飢えには勝てないのだ。

そこをカプラが救った。


アルベルトもまた施されてばかりではない。

カプラの身体を狙う少女趣味の変態を叩きのめした事もある。


二人はそれ以来、知人以上友人以下の様な関係を続けている。


「…どうだろうね」


アルベルトは俯いたまま答えた。

彼が返答をボカした理由は自身でも何とも判じがたい罪悪感が原因であった。


貴族であると認めてしまえばそこに責任が発生すると彼は考えていた。貧民が生まれるのは何故か?貴族が必要以上に搾取するからではないのか?この理屈はある側面では事実ではある。


己が好意を抱く少女は何故このような貧民街に堕ちる事になったのか?それは自身の貴族としての不履行が原因の一端を担ってないと堂々と言えるだろうか?


明らかにアルベルトの考えすぎなのだが、この時の彼の思考は合理性を欠いていた。


「ああー…いや、別にだからどうだって話じゃないよ!単に耳にしただけだしさ、なんか理由があったりなかったりするんでしょ!?っていうかあたしもごめんね。ここじゃあそういうのナシなんだった。みんないろんな過去があるだろうからさぁ。それよりね、この前…アリクス王国の方から人が来てさ、私に会いに。ねえ、何の用だったとおもう?」


カプラはにんまりと笑いながらアルベルトに言った。

どうやら良い用件であるらしい、とアルベルトは考え、しかし見当もつかない。


「分からない?まあ仕方ないか!ええとね、私が商家の生まれだっていうのは言ったでしょ?その人はね、まだ家があった頃、取引があったアリクス王国の貴族様の使いの人だったんだよ」


それでね、それでね、と続けるカプラの話を、アルベルトはどこか寂しさを覚えながらも聞いていた。

彼女はここから、僕のところから去って行ってしまうのだろう、と。


「でさ、私はアリクス王国にいって、そのお貴族様の下女みたいなことをすると思うんだけど…良かったら…アンタも来ない?うちの家の下働きだった~みたいなこといえば大丈夫だよ!不細工だけどアンタって真面目だし…」


「不細工は余計なんだけどね。でもごめん、僕はやらなければいけない事があるんだ。それが終わってからなら…いいけれど…」


「ええ~…?まあそういう事なら深くは聞かないけれどさ。だったら約束だよ!そのやることっていうのが済んだら、絶対にアリクス王国にきて!私はプピラ公爵家っていう所で働く事になるからさ、直接…はまずいか、まあ王都でなら連絡取る方法なんていくらでもあるでしょきっと!だから絶対来なさいよ!…絶対だからね?」


アルベルトは曖昧に頷き、去っていくカプラを見送った。

カプラの誘いをアルベルトは断った。


やるべきことなどは彼にはない。

なのに断ったのはなぜか。

アルベルト自身もカプラとは別れがたく感じていたのに何故か。


これは特に深い理由はなかった。

強いていえば男の見栄のようなものである。


いつの頃からか、アルベルトはカプラを異性として意識していた。

気になる異性、カプラ。

だがその相手の自分はどうか?


見栄えは非常に悪く、貴族家から出奔したという悪評もある。

そんな負い目を抱えたまま、更にその相手から手を差し伸べてもらう?アルベルトにはそんな事はとても出来なかった。


見栄である。


気になった異性に対して、男というのは時折愚かな言動をすることがあり、この時のアルベルトにはそういった思春期特有の発作が起きていた。くだらない、そして悲しい、死に至る発作であった。



プピラ公爵家に引き取られたカプラは暫くは下女としての仕事をこなしていたが、ある日、当主であるジョアンナに呼び出されて彼女の運命を変える衝撃的な事を告げられた。


「良い?カプラ。あなたを引き取ってもう大分たったわね。あなたを引き取った理由を教えたいのだけれど、その前に伝えておくべき事がいくつかあるわ」


ジョアンナはその細く艶めかしい指を一本立てて言った。


「一つ。あなたの両親はわたくしの手の者だったという事」


指が二本立つ。


「二つ。あなたの両親は火事で死んだとされているけれど、事実はそうではない。彼らは殺されたの。あなたの親戚の手で」


指が三本。


「三つ。その親戚は今はもう人間ではない。彼らは最初は人間だったけれど、魔族にそそのかされ、その手先となり、そして人を辞めた。尻尾を出すまで相当時間が掛かっちゃったわね」


指が四本。ここまで来るとカプラの顔色はもはや蒼白といっても良かった。事故だったからこそ諦めもついたのだ。それなのに…


「四つ。あなたは見込みがある。私は外を見る事が得意だけれど、内を視るのも得意なの。私の眼は特別なのよ。だからね、あなたが望むならこの始末、あなたに任せてもいい。別に急いで始末しなくても良いのよ、だから少し余裕があるってワケ。仇、討ちたいでしょう?サルファの。エイリの。あなたの、両親の」


まあでも、とジョアンナは続けた。


「その、醜く歪んだ悍ましい憎悪に染まった顔を見れば、答えは聞くまででもないわね」



カプラの訓練は凄絶を極めた。

商家の娘を一端の暗殺者に仕立てるというのは楽なことではない。

カプラには確かに才があったが、その才を更に鋭く磨く為に何度も何度も死にかけた。

応急の蘇生措置で一命を取り留めたものの、実際に死んだ事もある。


「あなたみたいな仕事をする者にはね、何か背景がないといけないのよ。復讐心がいいわね。一番扱いやすいから。裏仕事は孤独で過酷、そして報われないものよ。多くの者はそれに堪え切れない。すぐ精神の糸が擦り切れてしまうわ」


「でもあなたみたいに復讐心に支配されてる者は、それが燃料となってどれほど過酷な任務でも死ぬまで頑張ってくれるわ。いい?あなたの両親を殺したのはあなたの愚かな親戚よ。でもね、それをそそのかした者がいるわよね」


「奴らは狡猾で、そして純粋に強い。あなたは色々な意味で力を身に着ける必要があるわ。憎みなさい。憎悪はあなたを強くする」


カプラは鍛えに鍛えた。訓練で、実戦で。

彼女の身体からは既に女の柔らかさは失われていた。

全身が傷だらけで、しかしその傷の分彼女は強くなった。


憎悪が人を強くする…しかし、憎悪は無限の活力を与えてくれるわけではない。彼女が“成りかわった親戚”を事もなく殺害したとき、彼女の憎悪に翳りが見えた。

復讐を果たし、ある程度の満足をしてしまったのだ。


そんなある日、彼女は再びジョアンナに呼び出される。



「順調な様ね。“成りかわり”の始末も慣れたものかしら。奴等を探し出すのは私でも少し骨なのよ。中身がすっかり入れ替わるなら視えるのだけれど、寄生型はちょっとね。だから私は、いえ、私たちは王都の各所へ手の者を置いて常に監視しているのだけれど。見逃しはどうしても出てきちゃうわね。それでね、今日は少し残念なお知らせがあるの」


カプラはごくりと息をのんだ。


ジョアンナという貴族は婀娜(あだ)っぽい振る舞いを好み、その見目も麗しい。しかしその内面は非常に冷酷であることをカプラもこれまでの付き合いでよくよく理解できていた。

ジョアンナが担うのは国内の安全保障、治安維持、情報収集、分析といったもので、これは秘密警察のそれと酷似している。

彼女は国内での問題発生時、拷問、誘拐、暗殺などの非合法手段を取る事もあり、こういった職務が担えるものの性質というのは言わずとも知れる。


そんな彼女が残念なお知らせ、と前置くというのは如何にも不穏であった。カプラの神経回路に不穏の粒子が充満し、冷や汗が頬と背筋を伝う。


「あなた、貧民街で暮らして居た頃、男の子と仲良かったわよね?」


カプラは頷いた。

カプラはいまでもアルベルトがアリクス王国を訪ねにきてくれるのを待っているのだ。

何故アルベルトを知っているのか、とは問わない。

なぜならジョアンナの情報網の前では、カプラの交友関係などは隅から隅まで知っていて当然だろうと思われるからである。


「その子ねえ、なぁーんか…魔族との付き合いがあるみたいでね、ちょっと最近悪さが目立つのよね。あなたも知ってるでしょう?最近ロナリア伯爵家とコイフ伯爵家の関係がよくなかった事。それね、あなたのお友達がやらかしてるっぽいのよね。…外法術師って知ってる?それがあなたのお友達の事よ。……もしかしたら…魔族に弱みでも握られているのかも…」


ジョアンナは言葉を切り、カプラを観察した。


「こ、殺す…んですか」


カプラは自分でも意外なほどショックを受けている事に気付いた。

その時初めてアルベルトに対して自身が異性としての好意を抱いていた事を理解したかのような心の震え。

その異性を自身の手で殺さなければならないと思うと、カプラの足は自然と後ずさり始めた。

身体が逃げたがっているのだ。


「まあ待ちなさい。殺せってわけじゃないのよ。まだ完全に白か黒か分からないしね。暫く泳がせる…というか、彼はね、私の眼でも捉えられないの。私は大抵のものを探す事ができるけど、彼を探そうと思っても見当違いの方向へ意識が向いてしまうのよ。余程自分自身という存在に対しての意識が希薄か、もしくは最初から私の魔術を知ってて対策を打っているか…どのみちすぐには行動できないわ。だからね、あなたに言いたい事は、彼をもし救いたいと思うのならば、それだけの功績を立てなさいという事ね。要はもっと精進しろという事なの。これまでの功績も立派なものよ、でもね、足りないの。貴族家二家を争わせようとしたり、そういう真似をされてしまうと、仮に魔族にそそのかされていたり、もしくは洗脳されたりしてるだけとしてもね、命を奪う以外の選択肢はないわ。勿論彼自身が既に成り代わられているという可能性もあるわね」


カプラは鎮火しつつあった心の火に再び燃料を投げ入れられた。

満足をすれば人は弱くなる。

満ち足りぬ思いこそが人を強くする。


ジョアンナは嘘と真を織り交ぜて、カプラを操った。

ジョアンナの中ではアルベルトは完全に黒だ。

行動を追えば、彼の悪意が明確にわかる。

悪意を形と成す為にどういう過程があったのかなど、ジョアンナにとってはどうでもいい話であった。

見つけ次第殺す、それがジョアンナの決である。

しかし足取りを追おうにも途中で途切れ、捜索が進まないのも事実だ。であるなら、最低限利用させてもらおうではないか…というのがジョアンナの考えであった。


だがカプラはそれに乗せられ、自棄にも似たひたむきさでひたすら自分を虐め抜いた。

“仕事”も次々とこなし、功績を積み立てていく。


それは彼女の最終的な目的の達成という意味では、決して報われぬ努力なのだが、皮肉にもそんな過酷な日々が彼女という刃を鋭く磨き研いだ。



「カプラ、あなたは強くなったわ。このアリクス王国であなたが殺せない者は極々限られるでしょうね。勿論、私はあっさりあなたに殺されちゃうでしょうけれど」


ジョアンナは悪女めいた笑みでカプラに言った。


「そんな、私はジョアンナ様に感謝しています!」


カプラは常ならぬ様子でジョアンナの言を否定した。

頭からはすっぽりとフードをかぶっている。

これは彼女の仕事の関係上、姿を晒す事は好ましくないのと、それと全身に刻まれた修錬の痕…傷だらけの身体と顔を隠すためという理由があって身に着けている。


「あら、ありがとう。それでね。ちょっとあなた。魔王を殺しにいかない?私の駒の中で一番有能なのがあなたなの。それが出来たら、そうね。あなたの友達の命を助けてあげる。少なくとも、私の権限の及ぶ範囲では彼を罰しないと約束しましょう。まあこれは命令ではないわ。嫌々いかれても足手まといになっちゃうでしょうし。あくまで提案だし、断ったとしてもあなたに不利益はないわよ」


カプラはその提案を迷うそぶりもなく受ける。

この時点で既にアルベルトは死亡している事も知らずに。

だがジョアンナはカプラを担ごうとしていたわけではない。

ジョアンナ自身もまたアルベルトの死亡を把握できていなかったのだ。


なぜならクロウはアルベルトと交戦、殺害した後、それを報告した相手はルイゼだったからである。

ルイゼもその後次から次に起こるちょっとしたトラブル(王都に入り込んだ魔族の殺害など)のせいで忙殺され、アルベルトこと外法術師の死はアリクス王国上層部への報告にあがらずに宙に浮いてしまったという事情がある。


ともかくも、カプラが魔王討伐行に志願した理由はこういった背景があった。



一行は回廊の端まで辿り着き、目の前で渦巻く赤黒い歪みの前に立っていた。


「この先が果ての大陸か。さて誰から行く?やはりクロウ、勇者たる君からかな?」


魔術師ヨハンが悪戯めいた笑みと共にクロウに言うと、クロウは一つ頷き歪みに歩を進める。

その襟首をヨハンが掴み、ぐいと後ろへひっぱった。


「君がリーダーなのだからしっかり判断しなさい。こういう時は一番死に辛そうな奴を放り込むんだ。君もそれなりに使いそうだから剣士としての眼で判断してみるといいな。さて、誰が一番殺すのが大変そうだと思う?」


ヨハンの言葉に、クロウはぐるりと周囲を見渡して、その視線がヨハンの前で止まった。


「そう、俺だ。俺を殺すのは大変だぞ。何せ首を落としたくらいじゃもう死ねなくなってしまったからな」


だから俺がいく、とヨハンは歪みへ足を踏み入れ、そのすぐ後に銀髪の剣士、ヨルシカが後を追った。


自己犠牲というわけではない。

ヨハンなりに勝率を少しでも高める為に身を張らないといけない事もあると考えての事だ。

この面子で一番死ににくいのはヨハンであることは間違いはない。

次点でタイランだろうか。

つまり仮に、万が一転移先に致死の罠が張り巡らされていた場合、一番それに対応出来るのはヨハンである事にも間違いはない。


“駒を減らさず”魔王の元へ運ぶ事は生還する為の一要素となるだろうとヨハンは考えている。

そのためにはくだらない事で死人を出すわけにはいかないのだ。

なにせ…


──ただでさえ全員に死の予感を感じるのだから


ヨハンの予感は当たる。

しかし正しい行動をすることで外す事もできる。

これは正しくない行動、適していない行動をすれば死ぬという事でもある。


だからヨハンは一見自己犠牲にも見えるような殊勝な真似をした。

仮に僅かでも自身の身を惜しめば、それが全員の死に繋がるかもしれないからだ。



「まあ君についてこいとは行っていないがな」


ヨハンは周囲を見渡して呟いた。

隣にはヨルシカがいる。


「何言ったって私はついていくんだからどうでもいいよ…それにしても、私はここ好きじゃないなあ、目に優しくない」


ヨルシカはため息をついて言う。

二人の視界に広がるのは地獄という言葉がふさわしい不気味な光景である。


地面には細い血管のようなものが張り巡らされ、空は赤黒く、血霧が立ち込めている。風の音だろうか?時折ひゅうひゅうと鳴る音はまるで掠れた悲鳴の様だった。


背後で音がする。

ヨルシカが振り向くと、そこには黒色の軽鎧を着込んだ青年がいた。


「やあ勇者殿。果ての大陸へようこそ。幸い罠はなく、待ち伏せもなかったよ」


ヨルシカが軽い調子でいうと、クロウは小さい声で“はい”と答えた。身体が軽く震えている。

まさかこの期に及んで恐れをなしているのかとヨルシカがぎょっとするが、すぐに違うと分かる。


クロウは笑っていた。

震えながら笑っていた。


「ああ、分かっているよコーリング。僕の、俺の最後の戦いにふさわしいね。こんな不気味な所で、命をかけて、世界の為に戦うんだ。みんなが俺たちを褒めてくれるだろうね。意味のある死は意味のある生からしか生まれない。大学時代にね、哲学をかじっていた友人が言っていたんだ。その時は俺は何を言っているんだって思っていたけれど、やっと分かったよ。さあ逝こうコーリング、皆。人殺しを殺してしまおう。世界に平和を取り戻すんだ」


ぎゃりりりという耳障りな音がクロウの腰の鞘から聞こえてくる。

金属が笑う事があるとしたらこういう音を立てるだろう。

ヨハンとヨルシカは血の大地に佇むクロウの首に腕を回して微笑む黒髪の女性を視た。


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「僕は草むしりの才能があります」:

【Memento-mori】閑話:草むしりを参照


魔族の戦士、カルミラ:

【Memento-mori】2章・第13話:穢れし熊を殺してあげたけれど 以降を参照。

クロウに殺害されている。


アルベルト・フォン・クロイツェル:

【Memento-mori】メンヘラと外道術師①~②参照。

クロウに殺害されている。


ジョアンナ・ゼイン・フォン・プピラ女公爵:

【Memento-mori】王都の夜参照。

生きている。


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