第12話 夢魔と桜唇
華やかに裳裾を広げる、彼岸花の根っこには劇薬が含まれている。
その白い根毛さえも口に含んだら死に至る。
大蛇が少女の桜唇を頑なに舐め回すように、死は降り積もる。
夢魔に侵された、少女は黄泉比良坂で、冥界の女神に捕まえられなくてはならない。
捕まったら最期、少女は生贄となり、その命の花を絶たねばならない。
空白を貪る君と、他者の視線を拒み続ける私は、どれくらい、抱き合ったのだろう。
君の体温が熱くなりつつある。膨らんだばかりの、乳房が君の平らな胸に当たり、私は否応なしに迫りくる、女の性を知った。
このまま揉み潰されてもいい。
隠し持っている、純潔であってもこの人ならば、奪われてもいい、とふしだらな、想いさえも込み上げてきた。
いつもは身体が女になりゆくのを、痛烈に拒み続けているくせに、この期に及んで、どんな具体的な妄執を大事に抱いているのだろう。
密告した巡査のように、君は私の耳たぶを冗談めきながら、軽く摘まんでいる。
太腿から足の合間にかけて、かすかに震えている。
赤い鬱血で満たされているはずの、襤褸切れの下着の中も甘い蜜で、湿りそうになっていた。
「君も流している。嗚咽を堪え、自分自身を傷つけ、硬く、侮蔑と誓い、過去を偽りながら」
月面から流した、赤い涙が私をこの彼岸花の伝説の血で、赤く満たそうとしている。
恋慕なんて、砂糖で甘味を増した柘榴ジャム。
哀しみを織りなした、恋文は簡単には書けないのに。
このまま情けないくらい、もっと強めに憂愁を吐いてしまえば、ありったけの恥ずかしさで、弄ばれても後悔はない、とさえ、思えた。
君は枯葉をそっと、抱くように、私の奥底を淫靡に掻き探っている。
その命よりも大事な、純潔を滑らかに探し当てるように触れている。
君の手が膨らみ続けようとする、乳房に当たり、私はしこりの奥から、その温もりを感じ取った。
このまま一体となり、汚濁にまみれても、私は君の心の腐食を許せるだろう。
ついには生まれて初めての、口づけでもするんじゃないか、と思えるまでの近さで、互いの吐息がかかり、私は自分が女になっている、とぼんやりとした一抹の、不安を抱えながら理解した。
――女になってもいいじゃないか、いつまでもこの世に君がいるなら。
赤い一線を越える、と甘い期待を乞うた、そのとき、君は悪霊に支配されたかのように、私から素早く離れた。
私は軽く投げ飛ばされ、よろめきながら、囚人のように項垂れる、君の後ろ姿を目の当たりにした。
その衝撃で彼岸花が数本、折り曲がり、夕闇の底で私たちは、底なし沼に溺れたように立ち尽くした。
「僕はいない。ここに僕はいない」
君の悲痛な叫び声は、地の果てまで轟き、轟音に慣れたはずの、鼓膜の奥をつんざいた。
どうしたの? と声かけする前に、君は両肩を激しく震わせながら、私を見下ろすように見つめた。
冷たい瞳は心にある、絶対零度の閾値を自ら、臨んだように凍り付いた。
「なぜ、みんなは普通という檻を疑わないのだろう。何で、決めつける良心を、縛り付ける道徳観を、揺るぎない憶測を、そして、自分自身に燻る灰色の信条を疑わないのだろう。僕はその日の風変りに左右する、自分自身の痛みでさえも怖いのに……」
君は彼岸花の花びらを、怪しげに散らしながら、私を睨みつけるように凝視した。
その刹那、強張った、顔が見る見るうちにしょげた、表情となった。
あっと、息が詰まるような声が聞こえた、と目の当たりすると、木枯らしが路地裏の砂塵まで、吹き渡らせるように君は震えながら、その場で翻した。
大粒の涙が枯れ果てるまで、彼岸花が君を待ち続けている。
この麓の村でご生誕された皇子さまも、きっと生まれ故郷に背を向かれ、その神代より語り継がれた伝説さえも、哀しい歴史によって、闇から闇へ葬られたんだろうか。
私はこの場で色鳴き風を浴びながら、遠い昔日を思っている。
曇りがちの明日がどうなるかさえ、誰も知らないのに、私は待ちぼうけを喰らっている。
君の姿はあっという間に空風に連れて行かれ、鳥居の先へ見えなくなった。
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