第37話 ラインハルト、罠を仕掛ける
ラインハルト視点です。
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私の誕生日から更にひと月ほど経ったある日のこと。
学園で、ある噂が流れ始めた。
「……プリシラ嬢が、男と同居している?」
「ええ、昨日から一年生の間ではその噂で持ちきりですよ」
「恐らくプリシラの幼馴染ですわ。物語では、男爵家は仕送りをする余裕がなくて、プリシラは出稼ぎに来ている幼馴染と同居していた筈です」
ふーん。
「……どうしよう。興味ない」
「俺も右に同じです」
「そのうち何か言ってくるかも知れませんし、それまでは気にしなくても良いのではないかしら」
「エミリアがそう言うなら、そうしよう」
「しばらく突撃して来なくなるといいんですけどね」
噂をするとフラグが立つからやめてほしい。
……ほら来た、面倒くさい。
「ラインハルト殿下ぁー!!」
「アレクのせいだぞ」
「え、俺!? なんでですか」
「じゃあ私は失礼します」
「……エミリアぁー……」
私の天使が何処かへ行ってしまった。
私は懐に仕舞ってあるハンカチに手を当てて、心を落ち着かせた。
エミリアが誕生日に贈ってくれたこのハンカチは、銀色の糸で見事に刺繍が施されている。
バランスも配置も絶妙で、美しく計算されたデザインだ。
糸の処理も丁寧で、何日も時間をかけてひと針ひと針縫ってくれた事がよく分かる、最上の贈り物だ。
特に、『愛しのラインハルト様』と刺繍されている部分がお気に入りで、毎日有り難く拝ませてもらっている。
「ラインハルト殿下ぁー! あの、あの、聞きましたぁ!?」
プリシラはわざとらしく不安そうな態度をしているのだが、どうしよう、私にはやっぱり興味が持てない。
私はアレクに目を向けて助けを求める。
「……プリシラ嬢、殿下が困ってるぞ」
「ごめんなさいぃ。あのぉ、変な噂が広まっちゃっててぇ……でもぉ、私は殿下が一番ですからぁ!」
「いや、それはどうでも良いんだが」
プリシラ嬢の一番など遠慮願いたい。
エミリアが泣いてしまうと困るから、早く自分のクラスに帰ってほしい。
「で、殿下ぁ〜〜〜! なんてお心が広いの! 許して下さるんですねぇ! わ、私ぃ、感激ですぅ〜〜〜!!」
何だかよく分からないがプリシラは一人で謎の解釈をして、謎に満足して、さっさと帰っていった。
それならそれでいい。
「何だったんでしょうね……」
「さあ……」
「あら、もう帰ったのですか? 今日は早かったですわね」
私の天使も食後のコーヒーを三つ買って戻って来た。
エミリアはランチタイムにプリシラが来ると、いつもその隙にコーヒーを買ってきてくれる。
ちなみにアレクはコーヒーが苦手である。
だがまあ、それならそれでいいのだ。
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放課後、エミリアを送るために公爵邸へと向かう馬車の中で、私は確認したかった事を問いかけていた。
普段は二人で先に帰るのだが、今日は話の擦り合わせのためにアレクも一緒である。
「早いものであとひと月で卒業だな。エミリアの知っている物語と、現状を比べてみて……今はどうなっている?」
「うーん、プリシラからすると物語に沿っているかのように見えると思いますわ。殿下とアレクのお陰です」
「プリシラ嬢も、思った以上に物語通りの展開になっていて、少し戸惑っているような印象でした」
「戸惑う? プリシラ嬢にとっては物語通りに進むのは本意ではないのか?」
「それが、最近なんだか雰囲気が変わったんですよね。以前は、物語通りに展開が進むとただ満足そうにしてたんですけど、最近は何だか寂しそうな表情をする事があります。ただ、自分でもその気持ちの変化に気付いてなさそうなんですけど」
「……何かあったのかしら? 私に対する態度も少し変わったような気がするのよね……」
「確かに、エミリア様が復学した時もお祝いにどら焼き持ってきましたね」
「プリシラ嬢の変化か……一応調べてみるか」
プリシラ嬢のプライベートに興味などはないが、それが私達にとって良い変化をもたらしているなら、利用しない手はない。
「それで、エミリア。卒業パーティーの日には、何が起こる?」
「……えっと、確か……まず、殿下が、プリシラに自分の夜会服と揃いのドレスを贈ります。殿下はプリシラを迎えに行き、パーティー会場でプリシラをエスコートします。一方、エミリアはアレクと一緒に入場します。そこで殿下は、自分が本当に愛しているのはプリシラで、エミリアはプリシラを貶めていたと……証拠を提示して断罪します。そしてエミリアは修道院送り、アレクはその護衛としてエミリアについて行って行方不明になり、殿下とプリシラは婚約します」
「……最初から最後まで無理がありすぎるんだが」
「ツッコミどころしかありませんね」
「ええ。当日の事はもう無視して構わないと思いますわ。それをひっくり返すためにここまで水面下で頑張ってきたのですから。断罪されるような悪事もしていませんし、証拠だって集まっておりませんわ」
「そうだな。……ふふふ、なら、最後はこっちからプリシラ嬢に、思いっきり罠を仕掛けてやろうじゃないか。ここまで散々振り回された礼だ」
「……えっ?」
「殿下の黒い笑顔……絶対この人
「ふふふ。まあ悪いようにはしないさ」
私は完璧な笑顔を貼り付けて二人を見るが、二人とも引いているような気がする。
何故だ。
そうしてエミリアを公爵邸に送り届けた後。
私は先程の話でひとつ思いついた事があったので、早速行動に移す事にした。
「アレク。私は一つ仮説を立てた。少し検証してほしい事がある」
「何でしょう。少し嫌な予感がしなくもないんですが」
「大丈夫だ、二日ほど張っていれば済む話だ。それに運が良ければ一日で済む」
「……やっぱり……」
アレクはため息をついている。
無理もない、尾行の仕事は非常に神経を使うのだ。
本来は騎士であるアレクに任せるような仕事ではないのだが、今回頼みたい件は公務とは関係がないから、諜報員を動かす訳にはいかない。
「報酬は、二週間の休暇だ。大きな行事のない時なら好きなタイミングで取っていい」
「え、本当ですか? そんなに長い休暇なんて珍しい」
「……今年度は特に振り回してしまったからな。来月にはモニカ嬢も留学から帰ってくるだろう。ようやく二人の関係を公に出来るようになるんだから、思う存分楽しめばいい」
騎士でもあり王太子の側近でもあるアレクには、殆ど休暇がない。
とは言え、私も丸一日の休みなど病気の時以外取った事がないが、それとこれとは話が別だ。
本人はもう慣れているし、休みの日に何をすれば良いかも分からないと言っていたが、私と違ってアレクは公人では無いのだから、休暇は必要である。
「……なら、遠慮なく。で、プリシラ嬢を尾行すれば良いんですよね? 何を調べれば?」
「プリシラ嬢の自宅の場所と、同居人の素性だ。可能であれば後日その同居人に接触したい。尾行と調査が露見しない程度に、その同居人の情報を集めてくれ」
「承知しました」
その同居人が黒か白かは今の時点では分からないが、少なくとも最近のプリシラ嬢の変化に関して何かしらの情報は持っているだろう。
ただ、その同居人がプリシラ嬢に情報を流す可能性は高いから、接触の方法や質問の仕方はしっかり考えなくてはならない。
「私は、エミリアと共に学内で情報収集をする。くれぐれも無茶はするなよ」
「分かっています。……殿下もご無理はなさらないで下さいね」
「ああ、大丈夫だ。ただの情報収集だから」
命が危険になるような事はもう無いし、似たような局面が来ても、もう二度と冷静さを欠く事はないだろう。
何より、自分が危ない目に遭うと、エミリアに辛い思いをさせてしまう事が分かったから。
それに自分は王太子だ。
学園以外の場所では、軽々しく個人の感情で動いて良い存在ではない。
これは、全員が幸せを掴む為に、王太子ではなくラインハルトとして仕掛ける、最後の罠なのである――。
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