第10話 騎士アレク・ハーバート
アレク視点です。
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俺がモニカ様と出会ったのは、俺が7歳、モニカ様が6歳の頃だ。
モニカ様は、ブラウン公爵に連れられて、母君、兄君、姉君と共に一家総出で王城を訪れていた。
ブラウン公爵は、9歳になった嫡男を陛下と大臣達に紹介するために登城していた。
この国では18歳で成人を迎えるが、高位貴族家の嫡男はその半分の9歳から本格的な文官教育が始まる。
公、候、伯爵家の嫡男は、その時期が来ると順番に王城に呼ばれ、挨拶をするのだ。
その間、夫人とモニカ様、エミリア様は中庭で二人が戻るのを待っていたのだが、モニカ様は騎士を描いた絵物語がお好きで、騎士団を見学したいと仰った。
エミリア様は荒事が苦手という事で、中庭でお一人で待つ事になさったようだ。
どうやら、殿下はその時にエミリア様と出会い、一目惚れしたらしい。
一方、俺は騎士団長である父、ハーバート伯爵について来て、騎士団の訓練に混ぜてもらっていた。
物心ついた頃から木剣を振るい、将来は騎士になるのが目標だった。
手合わせには参加出来なくとも、間近で騎士達の戦い方を見て観察出来るだけでも勉強になる。
その日は観戦だけでなく、珍しく若手の騎士が稽古をつけてくれていたのだった。
手加減しつつもきっちり稽古をつけてくれる騎士に、俺は必死に食らいついていく。
足がもつれて体勢を崩したところに、運悪く騎士の木剣が頬を掠め、肌が少し切れてしまった。
「きゃあ! 大変!」
普段聞き慣れない高いトーンの声が聞こえて、俺は驚いた。
そちらに目をやると、金色の髪を肩口で揃えた女の子が、両手で顔を覆って震えていたのだ。
隣に座っているのは、その子の母親だろうか、心配そうな顔をしている。
「アレク、すまん。大丈夫か?」
「はい、大丈夫です。かすり傷です。……あの、そちらの御婦人方は?」
俺は手拭いを頬に当てて止血しながら、稽古をつけてくれていた騎士に質問する。
「ブラウン公爵夫人と、御令嬢のモニカ様だ。見学にいらしている」
「そうですか。気付きませんでした。……あの、公爵夫人様、モニカお嬢様、俺は大丈夫ですから、ご心配なさらないで下さい」
俺は、心配顔の公爵夫人と、未だに震えているモニカ様に声をかけて安心させる。
モニカ様は顔を覆っていた手をずらした。
指の間から青い瞳が覗いている。
「本当に? でも、血が出ているわ」
「押さえていればすぐ止まります。いつもの事ですから」
モニカ様は完全に手をどけたが、まだ心配そうに見ている。
俺はにこりと笑ってみせた。
笑うと頬の傷が引き攣れて痛んだが、それよりもモニカ様を安心させたかった。
それが俺とモニカ様との出会いだった――。
だが、俺は殿下と違って、その頃から恋に落ちていた訳ではない。
俺がモニカ様への恋心を自覚したのは、この二、三年のことだ。
幼馴染で元々仲が良かった殿下だが、五年ほど前に正式に近衛騎士兼側仕えとなってから、共に公爵家を訪れる事が多くなった。
殿下がエミリア様と過ごされている時に、俺とモニカ様もお茶の席に同席することが多かったのだ。
モニカ様も俺に好意を持ってくれていた――というか後から知ったのだが、モニカ様は幼い頃から騎士に憧れていて、たまたま王城で出会った俺を覚えていたようだ。
俺が、時々エミリア様に会いに来ていた殿下の御付きの騎士になっていて、大層驚いたらしい。
いつしか俺とモニカ様の想いは通じ合い、殿下にも、ブラウン公爵家にも、ハーバート伯爵家にも、結婚のお許しをいただいた。
だが、俺は殿下の側近、モニカ様はエミリア様の妹。
殿下の結婚が無事に済むまでは、婚約を公にすることはできない。
俺とモニカ様は、殿下とエミリア様が会う時にだけ二人で会う事が許されるという関係だった。
モニカ様は昨年度は同じ学園に通っていたが、先週から一年間限定で、語学の勉強のため隣国の貴族学園に留学している。
俺が騎士として未来の国王夫妻に仕えたいと思うのと同じく、モニカ様も大好きな姉夫妻のために、結婚した後も外交官として働きたいのだそうだ。
モニカ様のいないこの一年間にこのようなトラブルが起きた事は、むしろラッキーだったと言わざるを得ない。
殿下とエミリア様の為とはいえ、俺がエミリア様を好きだと偽り、得体の知れない令嬢の手足となっているのを見ているのは、とても辛いことだろう。
********
ある日の放課後のこと。
俺は、殿下とエミリア様と三人で教室に残って、過ごしていた。
他の生徒はもう皆帰っている。
これは、罠なのだ。
「アレク様ぁー! いらっしゃいますかぁ?」
……来た。
プリシラ・スワローである。
隣にいた殿下は冷め切った目で、エミリア様は嫌な物を見るような目で見ている。
エミリア様はすっと席を立ち、教室から出て行ってしまった。
殿下はエミリア様が出て行くのを、捨てられた子犬のような目で見ている。
というかこの人、演技なんて出来るのだろうか。
「なんだ君は、相変わらず騒々しいな」
俺はため息をついて振り返ると、思わず苦言を呈してしまった。
「ごめんなさぁい。あの、これ、こないだぶつかった時に落とされましたよねぇ?」
プリシラ嬢が差し出しているのは、先日俺が故意に落とした押し花のしおりだ。
「ああ。わざわざ済まないな」
「おや? これはエミリアが昔、城で配っていたしおりじゃないか? アレクはまだ持っていたのか?」
……エミリア様の事となると殿下がしゃしゃり出てきて困る。
「……ええ、まあ」
「あっ、ラインハルト殿下ぁ! こんにちはぁ! 今日もとっても格好いいですねっ!」
「え? あ、ああ、それはどうも……」
「良かったら今度ぉ、一緒にランチしませんかぁ!?」
「いや、遠慮させてもらうよ。……ちょっと失礼」
あ、逃げた。
でもプリシラ嬢にも別に変わった様子はないし、想定内なのだろう。
そしてこういう令嬢だと分かってはいても、やはり苛々するな。
「おい、君。先日から殿下に対して失礼だぞ」
「えー、ランチに誘うぐらい、いいじゃないですかぁ。それよりアレク様ぁ、さっきお返ししたしおり、エミリア様に貰ったものだったんですかぁ? さっきも三人でいらっしゃったみたいですけど、アレク様はエミリア様とも仲が良いんですかぁ?」
「エミリア様は殿下の婚約者だ。俺は殿下の騎士だから、お会いする事もよくあるが」
「ちょっと……お耳、いいですかぁ?」
「……何だ」
そう言って、プリシラは俺に耳打ちをする。
「……アレク様って、エミリア様の事がお好きなんでしょう?」
……吐息がかかって、ぞわぞわと寒気がする。
俺は、小声で返答した。
「……その話、どこで聞いた」
「ビンゴかしらぁ?」
そう言って、プリシラは耳元で続ける。
「エミリアの事、手に入れたいと思わない?」
俺は少し後ずさって、プリシラ嬢の目を見る。
ピンク色の瞳は妖しく光っていて、底知れない何かを感じさせる。
「……俺に何をさせたいんだ」
「私は殿下を手に入れたい。あなたはエミリアを手に入れたい。手を組んで、二人を婚約破棄に持ち込むのよ。そうすれば私は未来の王妃。あなたは、地位や名誉は失うかもしれないけれど、代わりに一生エミリアと暮らしていける。修道院送りになるエミリアの護衛に名乗りを上げて、その道中で攫ってしまえばいいのよ。スワロー男爵領に、匿う場所を提供してあげるわ」
「……っ! 不敬な……! お前、俺がそんな事に協力すると思うのか?」
「ええ、するわ。未来は決まっているの。あなたは、私と手を組む運命なのよ」
「……お前は、何者だ?」
思わず、ごくりと唾を飲み込んでしまう。
俺は、恐怖を感じていた。
騎士として、暗殺者と対峙したこともある。
その俺が、今、本気で逃げ出したいと思っている。
この女は危険だと脳が警鐘を鳴らしている――。
「私は、世界の運命を知る者。私はあなたの手で、王太子妃になる。あなたは私の手で、愛しい女を手に入れる」
――俺の目には、獰猛な顔で狂気の笑みを零す、ピンク色の悪魔が映っていた――。
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