第六話:落胆
俺はエルの脇に立つと、ぽんっと肩を叩く。
すると、エルはゆっくりと目を開けた。
「もういいぞ」という意味を込め頷いてやると、あいつはそれを察して両手を耳から離す。
「あの
「悪い。尋問して色々聞き出そうと思ったんだが、どうも奴らの親玉は用心深かったみたいでな。あいつが吐こうとした瞬間、呪術で口封じされちまった」
「呪術ってことは、近くに術者が?」
「いや。あくまで俺が気配を追った限り、こいつら以外に他に敵は居なかった。監視されている気配もねえから、事前に術式を施したと思っちゃいるが。エル。お前も念のため探ってみてくれるか?」
俺の言葉に、あいつも警戒しながら周囲を見渡す。
「……暗いから完全に把握は難しいけれど、見る限りそれっぽい人影はなさそうだし、強い気配もないわね」
「そうか。ま、情報を大して得られなかったのは残念だが、まずは良しとするか」
俺達は互いに小さく笑いあったんだが、その時ふとエルの右腕に巻かれた布が目に入った。
暗いため色は見にくいが,一部がどす黒く変色している。
これは……。
「お前、その腕はどうした?」
「え? ああ。さっき突然異様な眠気に襲われた時に、咄嗟に矢で刺したの」
「何だと? それで、どうやって屋根の上に出た?」
「廊下の窓からよ。丁度部屋から出た時に眠気に襲われ異変を察したのよ。で、廊下の突き当りの窓から外を見たら、姿は見えないけれど師匠の声が聞こえて。それで」
「まさか、その腕でここまで上り、あれだけの技を放ったってのか?」
「勿論。この程度の怪我で、足を引っ張るわけにはいかないもの」
最後まで口にしなかったが、こいつはこいつなりに俺の力になろうとしたって事か。
「……ったく。無茶しやがって」
「この程度で戦えないなんて言い出したら、『
平然と答える彼女に、その名で呼ばれているプライドを感じる。
まあ、それはそれで、こいつらがここまで頑張ってきた成果であり証。
悪いことじゃねえんだが。
とはいえ、傷を見てねえものの、これ以上腕を酷使させるのも可哀想だな。
「さて。じゃ、ちゃちゃっと戻るか。廊下の窓は開けっ放しか?」
「ええ」
「分かった。少しの間じっとしてろよ」
「え? きゃっ」
俺はすっとエルの脇に立つと、左腕を彼女の腰に回し、片手でぐっと引き寄せ抱きかかえた。
「な、何を!?」
「そんな腕じゃ戻るのも大変だろ。行くぞ」
俺に身を預ける形になったエルは、そのまま沈黙する。
ちらりと見えた表情に浮かんでいたのは気恥ずかしさ。
……ま、何となく予想は付いちゃいるが。奴の頑張りに対するご褒美くらいに思っとくか。
俺は器用に屋根の上を駆け上がり、廊下の窓があるであろうあたりでそのまま屋根から飛び出し身を反転する。
そして、建物に向け右手で鉤爪付きのロープを投げつけると、屋根の端に鉤爪を引っ掛ける。
伸び切ったロープにより、弧を描くように俺達は空中をぐるりと移動すると、流れでそのまま開いた廊下の窓に飛び込んだ。
ふぅ。こういう立体機動はお手のもんだが、流石に誰かを抱えてって経験はほとんどねえからな。うまくいって良かったぜ。
俺はゆっくりとエルの脚を廊下につけると、腰から手を離す。
「あ……」
ぽつりと漏れたあいつの声。
……随分と名残惜しそうだが、無視を決め込むか。
俺は廊下の窓から顔を出し、器用にロープを
振り返ると、そこには顔を逸し、目を伏せるエルが、恥ずかしげに
「……とりあえず、俺の部屋に来い」
「え?」
はっと顔を上げたエル。
少し目が潤んでいるようだが、そんな奴に俺は正直に現実を突きつける。
「アイリは寝てるしティアラもいねえんだ。腕の応急手当がいるだろ」
「あ……そ、そうね」
再び目を伏せたエルの少し残念そうな顔。
……お前、アイリと同じでわかり易すぎだろうが。
内心呆れながらも、俺は彼女の前を素通りし、そのまま俺の部屋に戻っていった。
§ § § § §
「痛むか?」
「少しだけよ」
「嘘つけ。これだけ深く刺して、多少なわけねえだろ」
互いにテーブルの脇の椅子に座り、エルと向い合せになった俺は、あいつの腕に巻かれていた布を取ると、思ったより酷い刺し傷が目に入った。
二、三度、強く矢じりを刺した跡は、それを無理に抜いたのも相成り、決して軽傷とは言い難い。
俺は
しかし、これだけの傷を負いながら、さっきまで痛みを顔に出さなかったとは。恐れいるぜ。
「消毒してから湿布を貼るから、まずこのタオルを口に咥えとけ」
「これは?」
「間違って舌を噛まないようにする為のもの。まあ、
「こんなのなくても、多少の痛みは我慢できるわよ」
「術で治すのとは違うんだ。言うことを聞け」
俺が強く言葉にすると、渋々タオルを口に加えるエル。
彼女の準備ができたのを見届けた俺は、既にテーブルに置いてある水袋から、アルコールの入った袋を手に取ると、栓を抜いて中身を乾いたタオルに浸す。
そして、エルの腕の傷を優しく撫でるように拭き始めた。
「んぐっ!?」
こんな気遣いも、この傷の前では無力だったのか。エルが目を見開き、同時に強く奥歯を噛む。
「少しの辛抱だ。耐えろ」
俺が目だけであいつを見ると、痛みに顔を青ざめさせながらも気丈に頷く。
「んんんっ! ぐぐっ!」
奴の辛そうな声を聞きながらも、優しく、かつできる限り素早く消毒を済ませた俺は、すぐに薬草を塗り込んだ湿布を患部に優しく当てると、そこに包帯を巻いていく。
多少強く縛る必要があったせいか。その時にもエルの辛そうな声がし心が傷んだが、ここは心を鬼にして作業に集中する。
そして。
「これで終いだ。タオルを取ってもいいぞ」
俺がそう声をかけた時には、彼女の髪の毛は乱れ、冷や汗が額に浮かぶほどの疲弊を見せていた。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
流石にやや虚ろな目で、俯いたまま荒い息を整えるエルをそのままに、俺は一度部屋のキッチンに向かうと、
「お疲れさん」
「……ありが、とう……」
何とか笑うエルだったが、想像以上の出来事に翻弄されたせいか。
すぐにその笑みは消える。やや震える両手で何とかコップを手にした彼女は、それに口をつけた後、大きなため息を
「一応その湿布にゃ鎮痛効果もあるが、それでも暫くは辛いはずだ。本当はアイリが起きてりゃよかったが、
「……」
俺がそんな声をかけてやるも、あいつは何も言わず俯いたまま。
表情に見えるのは落胆。そしてまたも漏らすため息。
「やっぱりダメね。私は」
コップを両手で持ったまま太ももの上に乗せた彼女は、顔をあげることなく静かに語る。
「……折角私はあなたに逢えた。やっとあなたが導いてくれた道の成果を見せられる。ずっとそう思っていたのに。結局、戦う度に自分達の甘さを咎められ、行動する度、こうやってあたなに迷惑をかけてばかり」
……ったく。
俺は治療道具の片付けをしながら、釣られるようにため息を漏らした。
「おい。自分の行動をどう思おうが勝手だがな。それを俺に聞かせてどうする?」
「あ……その……ごめんなさい……」
その問いかけにはっとしたエルは、未だ憂いを見せながら身を小さくし頭を下げる。
……こいつはもう少しアイリを見習ったほうがいいんじゃねえか?
そんな気持ちを覚えたものの、同時にふと昔のこいつを思い出すと。
「ったく。お前は変わらねえな」
俺は、自然にそう口にしたんだ。
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