【急】第七章 物語を動かすのはいつだって
第35話 彼女のあんなこと
気が付けばスマホばかり見ている。
満員電車に揺られていても、昼飯後にエナジードリンクを飲んでいる時も、企画書を作成している時も、ちらちらスマホの画面に意識が向いてしまう。
改めて『もう一度お会いできませんか』とメッセージを送っても、既読にはなるが何の音沙汰もない。木掛さんの言う通り、本当にもう二人の関係は終わってしまったことなのだろうか。そんなマイナスなことばかり考えているから――
「エイジさん危ない!」
「う、え?」
店長が「上! 上!」と指差す。気が付くと、カゴ車に積み上げられた、ものすごい量の販促物がこちらに向かって崩れそうになっていた。店長が真っ青になりながら駆け寄ってくる。慌てて、二人でなだれの起点になりそうな不安定な販促物を一つ一つ、荷降ろしたので、難なきを得た。
今日は、再び、商品バイヤーの依頼で、顔馴染みに店舗へ陳列応援に来ていたのだ。ふうっと互いに安堵の表情を浮かべて、額の汗を拭う。商談前に怪我でもしたら一大事だ。バイヤーにまぬけな顔を売るところだった。
「よかったあ。エイジさんがぼうっとしながら、カゴ車動かしているから、心配しちゃったよ。どうしたの? 何か悩み事でもあるの? バイヤーにいじめられているとか」
「すみません。暑くて、ぼーっとしていただけですから」
「そう? なんかぶつくさ独り言してたけど……。き……飢餓? なんか、よくわからないけどお腹減ってるの? ごめんね、適当に休憩していいから。なんならサンプルの滋養強壮剤あげるから遠慮せず言ってね」
「い、いや、ほんとに大丈夫ですからっ」
「ほんとに? ならいいけど。なんか心配事があるならいつでも相談にのるよ」
御社のお嬢さんに振られたんです、なんてとても言えない。
「それに、この前みたいな事故があったら大変だからさ。わざわざ応援にきてもらって、怪我でもされたら申し訳ないからね。もう、うちには販促物は送らないでって、バイヤーに言うよ。なんでもかんでも販促物設置すれば売れるってわけじゃないから」
ほんとですね、と共感し合い、この危機は笑い話になろうとしたのだが、ここで、妙な小骨が刺さる。
そういえば――。
◆◇◆◇
あれから、木掛さんとの関係は修復することなく時は流れて、あっという間に金曜日になった。
今日はサンサン薬局の商談日。
ついに、念願の商談アポが取れたのだ。
切っ掛けこそ木掛さんへのアプローチが先だったが、まずは顔を売って、どんな小さな依頼にも応え、先方が抱える課題を店舗で聞き取りするなど、地道な活動が実を結んだ結果だ。売上を左右する重要な新商品の提案とあって、上司も同行することになった。
商談はもちろん大事なのだが、木掛さんのことも同じぐらい俺にとっては大事だ。商談が無事終わったら、彼女を外に連れ出して真意を確かめよう。上司の目をかいくぐって
正直、彼女に会うのは少しだけ怖く、必要以上に緊張してしまった。
会えたら嬉しいんだけど、その笑顔に癒されるんだけど、どんな顔して接したらいいのか分からない。それこそ、ストーカーみたいに思われたら目も当てられない。こんな状況になって初めて、網走に飛ばされた先輩から忠告された意味が理解できた。
だから社内や得意先はやめとけってことか。
上手くいけば、そりゃ毎日が楽しいけど、フラれた日には逃げ場の無い、最悪な状況が延々と続くというわけだ。
道中、あまりに俺が無口であったためか、隣にいた上司から心配された。よくわからないがエナジードリンクまで奢ってくれた。
しかし、俺の心配をよそに、受付スペースに木掛さんの姿は見えなかった。
木掛さんもずっと受付に張り付いているわけじゃないし、休憩にでも行っているのだろう。
ほっとしたようなしないような。
まずは仕事モードに切り替えなくては。
頬を両手でぱしんと叩き、気持ちを入れ替える。
中年女性の受付に案内され、俺と上司はエレベーターに乗って、四階にある商談ブースへと向かった。
結論から言えば、商談はスムーズに決まった。
提案した商品や企画の魅力というよりも、上司がすぐさま提示した条件、つまり販売リベートが、商品バイヤーの満足いくものだったというのが大きい。
結構、頑張って、それこそ深夜まで残業して販促計画を練ったのだが、シビアな世界では最後にモノを言うのがお金だ。少し寂しくもあるが、提案内容はうんうんと頷いてくれたことも事実。
今まで箸にも棒にも掛からず、それこそ商談アポすら取れなかったのに、こうして話しを聞いてもらい採用まで頂いたことに、心の内で喜びを噛みしめた。
これで俺の目標達成は確実となった。
雀の涙のボーナスも幾分は期待していいかも。自然と頬が緩む。
商談が一通り終了し、強面の商品バイヤーは先ほどまでの険しい顔を解き、穏やかな表情に変わる。雑談ムードになりかけた時、プルルルッと商品バイヤーのスマホが鳴り、「失礼」とばかりに着信に出た。
「……はいはい、えっ、そうなの? 了解、了解、また木掛さんかよ」
……っ!
その名前に瞬時に反応してしまった。
今、彼女の名前を口にしたよな。
「じゃあ仕方ないな、今から変更かけるよ。わかったわかった」
商品バイヤーは深いため息を吐き通話を切った。
「すみません、どうしたんでしょうか?」
思わず、食い気味に尋ねてしまった。
「ん? ああ、御社には関係ないから、気にしないでいいよ」
「そうですか……」一旦、余計な詮索はやめようとするが、やっぱり気になり食らいつく。「先ほど、バイヤーが『また、木掛さんかよ』って。その、木掛さんって受付の方ですよね?」
「ん? なに、木掛さん知ってるの? って、そりゃ知ってるか。受付嬢だもんね」
「そ、そうですね」
「てゆうか御社は大丈夫?」
「大丈夫といいますと……」
「いや、なんていうの、身内の恥っていうか、木掛さんってしょっちゅう案内間違えるんだよ。誰それに会いに来たって言ってるのに別の人へ繋いだり。終いには社長の訪問客まで追い返したことだってあるし」
「……」
「正直、困ってるんだよね。話が全然通じないんだよ。急にわけわかんないこと言う――」
「大丈夫です。木掛さんはちゃんとご案内して頂いてます」
「……そう? なら良かったけど。失われた世代ってやつかね。あんなにレベルが低くても、コネならうちに入社出来るからね。御社に言ってもしょうがないんだけど、まあ使えない。あんなレベルが低い子も珍しいわ。仕事云々の前にコミュニケーションが絶望的だから、受付みたいに簡単な業務すら満足に出来ない――」
「木掛さんは頑張っています」
再び話の腰を折ると、商品バイヤーは穏やかな表情を一変させて顔を曇らせる。
「お、おい、営治!」上司が止めに入るが、自分でも気づかないうちにムキになり、
「受付ってたくさんの方の相手をしないといけないので、それこそ、色々な方の気を遣わないといけないし、大変なお仕事だと思うんです。それに人間だから、ミスもあると思うんです。確かにミスによって円滑に業務が回らない事実もあると思うのですが、彼女も若いし成長過程だと思います。コミュニケーション下手も裏を返せば、気遣いしすぎる優しい性格という見方もできます。僕らみたいなメーカーは、商談前なんてもの凄く緊張するんです。だからみんな彼女のほんわかした雰囲気に癒されています。御社の明るい社風にも一役買ってると思います。もしよかったら、彼女の個性を引き出すような、例えば――」
「おい、営治! すみません、大変失礼しました」
上司は俺の肩をどんと叩き、一緒に頭を下げろと目配せする。隣に上司がいなかったら、俺は商品バイヤーと口論になり、そのまま行き着くとこまで行ってしまったかもしれない。
「おたく、なんなの?」
商品バイヤーは威圧的な声色で、俺と上司を交互に見やる。
俺は悔しかった。あの時、木掛さんは俺にこう言った。
――私、受付って仕事には誇りっていうか、真面目に取り組んでいますので。
あの水族館の時。
どんな心配性から、こんな返答になったのか未だに俺には分からない。今となっては知る由もない。
でも、彼女ははっきりと俺にそう言ったんだ。
もしかして、木掛さんはあんな性格が災いして、うまく周りとコミュニケーションが取れず、人知れず苦労や寂しい思いをしていたのかもしれない。
結局、俺は上司とともに「大変、出過ぎた言葉を申し訳ありませんでした」と頭を下げ続けた。
ただ、心の中ではずっと歯を食いしばっていた。
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