第33話 【木掛さん視点】その投げ掛け

「木掛さんに話があるんだけど、お昼休みに一緒にコーラ飲まない?」


 私の目の前に現れたその子は、会社を訪れるなり、一直線にこちらに向かってきて単刀直入にそう言った。


 いつものように毎日が過ぎていく。

 何の変哲もない毎日が。

 決まった時間に起きて、歯を磨いて、メイクをして、押し競まんじゅうのような満員電車を乗り継ぎ、会社に出社。タイムカードを押して、制服に着替えて、受付に座って、笑顔を振りまいて、ベルトコンベアのように事務対応して。


 受付スペースから見る視界は狭い。自動ドアから見える殺風景なビルの景色だけだ。


 そんな灰色な毎日に、鮮烈な彩りをもった存在が訪れた。

 彩りとは、文字通り鮮やかな色をもつという意味で。今まで私が出会ったことがない人だった。


 グリーン。それしか表現しようがない。


 ライトグリーンの短いシャツワンピに、モスグリーンのスニーカー(ネオバランスのロゴが見えた。偽物かしら?)。腕にはエメラルドのブレスレッド。全身緑なのに、髪の毛は目にも鮮やかな金髪。


 普段、会社を訪れる人なんか決まっている。スーツ姿の営業さん。それに、宅配業者。だいたいその二種類の人たちだけ。一般の人なんかまず来ない。だから余計に目立った。


 その子は自動ドアをくぐると、周囲を見回すのでなく、前傾姿勢のまま一直線にこちらに向かってきた。明らかに場違いな彼女の登場に、アポ待ちをしている数人の営業さんが、少しだけざわつきだす。その子は意にも介さず、ずんずんと足を鳴らして、だんと受付テーブルに両手をついた。


「木掛さんですよね?」


「あ、はい」


 なんで私の名前知っているのかしら? ああ、そうかネームプレート。


「話したいことがあるんだけど」


 どうやら、仕事でも何でもなく、私個人に会いに来たらしい。

 時計を見ると、午後二時前。遅い昼食の時間だ。私はその子に誘われるままに、近くのファーストフード店でお茶をすることになった。


 私たちは対面に座り、まずはお互いを観察することにした。


 一言でいえば可愛い子。

 鮮やかな金髪と、エメラルドグリーンのアイラインを入れている。

 今時の子、なのだろうか。私よりも年下なのは間違いない。お肌の張りからして高校生に見えなくもない。


 彼女に押し切られるがままに二人でお茶しにきたけど、正直全く面識がない。人違いだろうか。でも、はっきりと私の名前を呼んだ。『木掛』って名字なんてありふれてるし、『木の係さん』の間違いかもしれない。

 彼女うんぬんの前に、私に個人的に会いにくる人なんか今まで誰もいなかった。

 だからこそ、なぜ?

 そんな、もやもやしている私を真っ直ぐ見つめてくる。



「わたし、カナコっていいます。カナブンの妖精です」



「えっと……」


 どうしたのかしら。何の意味かわからない。聞き間違いかしら?


「木掛さんとは、初めましてというか、初めてじゃないというか、まあそんな感じかな。わたしは知ってるんだけど、こうやって話すのは初めてだね。あ! でも一度肩がぶつかった時に喋ったかも。でもそれは会話じゃないか。あはは」

「はあ……」


 なんだろう、この不思議な感覚。狐につままれたようなふわふわした感覚。


 それに――妖精っていうのは、

『YO! SAY!』って意味?


 最近の若い子の流行りなのかしら?

 そういえば、テレビでラップバトルが流行ってるって特集されていた気がする。もしかして、この子なりのアイスブレイクってやつかしら。

 よく見ると、初対面で、かつ大人の私に少し緊張した顔をしているわ。そんな中、積極的に自分から話し易い状況にしてくれるなんて、すごく良い子なのかも。

 でも、私は音楽を聴くのは好きだけどラップに詳しくない。

 とりあえずこれが正解かしら。


「初めまして……ではないんですよね? でも、私は初めましてなので自己紹介するわね。私の名前は木掛優です。サンサン薬局本社の受付をしています。私も音楽は好きですよ。流行りの音楽とかダウンロードして、通勤電車で聴いてるんですよ。最近では、ボーカルの声が素敵なyodoushiとか聴いてますよ」


 うん。これが正解だよね。お互いの趣味を理解し合うって大事な気がする。


 私の自己紹介に、きょとんと目を丸くするカナコと名乗る女の子。


 えっ、不正解かしら。私もきょとんとなった。


「ねえ、木掛さんって虫が嫌いなの?」

 唐突な質問。

「えっと……、虫は好きですよ」

 なんだろう。この質問、どういう意味があるのかしら。

「じゃあ、なんでサンサン薬局で働いてるの? この会社って殺虫剤をたくさん売ってるでしょ? この前お店に行ったら山盛りしてたよ」


「ああ」なるほど。「確かに、うちの会社は殺虫剤をたくさん売ってるけど、だからといって皆が皆、虫が嫌いってわけじゃないんですよ。殺虫剤だけじゃなくて、無益な殺生をしないように虫よけスプレーも売ってるんですよ。ちなみに私は昆虫好きだし、会社も私も供養祭とかに定期的に参加しているんですよ」


「ふーん。そうなんだ。なんか木掛さんって虫が嫌いだと思っちゃった」


 彼女はほっとしたようにコーラをずずっと一飲みした。


「カナコさんは昆虫が好きなの?」

「わたし? 好きもなにも元カナブンだし。好きっちゃ好きかな。あっ! 全部が全部、虫が好きじゃないよ。まあ天敵? カマキリとかカラスは嫌い。ちょーうざいしね、あいつら。ん? カラスは鳥か? あはは」



 ……私、疲れているのかしら。少しだけ眩暈が。



 営治さんと水族館であんなことになってしまって、眠れない夜が続いたせいかもしれない。ここのところ目に隈もできているし、化粧水のノリもよくない。普段よりメイクの時間がかかっている。


 カナコさんは綺麗にLサイズのコーラを飲み切ったあと、こう切り出した。


「あのね。今日、木掛さんに会いにきたのは理由があるのよ」

「やっぱり私に会いにきたんですね」

「ん? 木掛さんって言ったじゃない。『木の係さん』って人に会いにきたわけじゃないよ。だいいち、そんな係がいるのなんて、わからないしね」

「そ、そうですね」この子、なんだろう……。不思議なシンパシーを感じてしまう。

「あのね、えっと……、その、なんだ……」


 カナコさんは、急にもじもじし出す。私から目を逸らしてきょろきょろ周囲を眺めたり、柔らかそうな頬にかかる前髪を触ったり、何かを伝えようと口をもごもごさせる。


 私は黙ってその続きを待った。可愛らしい女の子だ。そして、とても自分に正直そうな子。私とは違う。きっと、素敵な人生を歩んできたんだろうな。それは、この後の彼女から発せられた言葉からもよくわかった。

 カナコさんは意を決したように真っ直ぐに私を見つめる。


「木掛さんって、エイジさんのことが好きなの?」


「えっ……」


「どうなのさ。あなたはエイジさんのことが好きなの?」


 彼女は胸を張って、こう繰り返した。


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