第13話 わたしには興味ないわけ?
その夜、再び入山(標高150メートル以下の里山に)。
カナコの待つ里山の頂上目指して、ぐんぐん林道を駆け足で登っていく。
暗闇の中、カナコは切り株に腰を下ろして、夜空を見上げていた。
「おーい、星でも見えるか?」
「見えないね~。人間って自然を壊し過ぎじゃない? 山や森を開拓して家やマンションばかり建てても、そんなに喜んでる人も虫も動物もいないのに、なんで止められないんだろうね。業ってやつかね。そりゃあ、わたしたちだってマンションに迷い込んでひっくり返っちゃうわけよ」
たまにカナコは深いことを口走る。そして、ちょいちょい虫感も出してくる。顔も仕草も可愛らしい至って普通の女の子なんだが、なんとも言えない妙な感覚に陥る理由がこれだ。
「でも風は気持ちいいよね」
日中に比べて、少しだけ冷えた風が山肌を撫でていき、土と葉の匂いを運んでくれる。月明かりに照らされて、暗闇でもわかるカナコの金髪が風に揺れた。街中では味わえない心地良さがある。
就職を機に福岡から上京して三年も経つのだが、この里山に登ったことなんか一度もなかった。自宅からすぐそばに、こんな気持ちいい場所があることすら知らなかった。
気が付くと自宅と会社の往復で、どんどん時は流れていった。毎日、満員電車に揉みくちゃにされて、休みの日なんか、平日の睡眠不足を補うために寝貯めするだけ。こうして、自然の中に身を委ねてみる発想すらなかった自分にぞっとする。
心の余裕ってやつが、あまり無かったように思える。
「わあ、コーラもってきてくれたのね。ありがとう。早速飲むよ」目を輝かせてお土産のコーラに飛びつき、「かあー、うまい」と、おっさんみたいな感想までも付け加えた。
こちらも同様にぐびっと一口、染み渡る。
なんだろう、何物にもとらわれないこの自由な空間と、自由すぎる
カナコと一緒にいると余計にそう思ってしまう。
「んで――今日はどうしたわけよ」
そんな感傷に浸っている俺に、カナコは揶揄うように指をくるくる回す。
「決まってるだろ。てゆうか、コレよコレ」
とポケットから一枚のメモ書きを取り出した。
『今日も里山にいます。カナコ』と達筆な文字で書かれた置手紙。習字でも習っていたのかと思うばかり。
「帰ったらドアに挟まってた」
「ああ、ばれちゃった」カナコは、たははと頭を掻く。
俗に言う確信犯。
ばれるもなにも、気付いて欲しかったんだよね。
「そういえば、俺が働いている時は何してるのよ」
「わたし?」と、きょろきょろして自分を指差す。
「自分以外いないだろ」
「まあ色々よ。こう見えてね、結構忙しいわけさ。…………あっ! 今、こいつ絶対暇だよなって目でわたしを見てたでしょ? そーゆーのってよくないと思うな。偏見っていうの? そういう目していると嫌われちゃうよ」
「誰によ」
「決まってるじゃない。わ・た・しによ」
カナコはムスッとしながらあっという間にコーラを飲み干した。喉元へ込み上げる炭酸を恥じらいながら堪えて、「残念でした」と舌を出す。
何が残念なのかわからないが、こんなにコーラをぐびぐび飲むなら、まとめ買いして渡してあげるか。なんてことを思っていると、先ほどのカナコのセリフが引っかかった。
偏見……。
そんな目……。
俺は確かめるように前のめりになる。
「なあなあ、俺って、なんか変な目してる?」
「変な目? なにそれ」
「いや、なんていうの? その、人を馬鹿にした目っていうの? さっきカナコが言ってた偏見ってやつ?」
「うーん。エイジさんにそんな印象はないけど」
「ほんとに?」
「うん。どちらかと言えば、優しい目をしてると思うな……」
余韻を残すように、小さな声でぽつりと言われた。
なぜか、その一言に妙なこそばゆさを感じてしまう。なんていうか、『なんていうか』としか言いようがないことを、たまに言ってくる。
気付けばカナコがこちらをじっと見つめていた。最近、カナコといい、木掛さんといい、妙に俺の顔を観察されることが多くなった。女の子から注目されるのに大して慣れてないから、品定めされているようで少しだけ不安になる。
カナコは「ははあ」と挑発するように笑って、緑色の瞳を光らせた。
「木掛さんのことね」
うっ、鋭い。俺はきれいに九十度に頭を下げる。
「全くわからないんで、どうか教えてくださいっ」
昨夜同様に、俺は木掛さんとのやりとりを詳細に伝えた。
「俺の予想では、コーヒー豆のせいだと思うんだ」
「は?」
「だって――」
善良な市民な俺に『最低』と突き付けたのは、きっと喫茶店で淹れられたコーヒーのせいとしか思えない。コーヒー豆は品種によってカフェインの含有量に差があるため、人の感情を高ぶらせ過ぎるコーヒー豆が使用されている可能性がある。俺たちが飲んでいる豆の濃度が濃すぎて、木掛さんを興奮状態にさせているとか……。
「んなアホなって、自分でも思わない?」
「はい。思います」
「だよね」と小馬鹿にされたあとダメ押しで、「タイムリープ説はどうなったのよ」
「うっ、それは」
「未来からきて、エイジさんを助けにきたんじゃないの?」
「たぶん……」
「たぶんんん~」
じーと睨まれて、ごめんなさいと降参。
「ほら言ったでしょ。彼女は未来人なんかじゃないって。エイジさんを心配してるようで、してないじゃない」
高血圧。
電子タバコ。
労災認定。
そして――
全く身に覚えがない二つの『最低ですね』。
ああ、どうすりゃいいのよ。何か、彼女の逆鱗に触れるようなこと言ったわけ? 全くわからない。
「多分ね、エイジさんは何にも問題ないと思うよ」
救いの手を差し伸べてくるカナコが、自称ではなく本物の妖精に見えた。
「ほんとに?」
「ほんとほんと。笑っちゃうぐらいにほんと。なんか木掛さんって……」
「て?」語尾を合わせるように、固唾を呑んでその続きを待つ。
だが、カナコは何を思ったのか開きかけた口を真一文字に閉じて、遠い目をした。
「まあ、色々訊いてみたらいいんじゃないの」
「ええ~。そこまで言って止められると逆に無性に気になるじゃない」
「なんでもかんでも教えてあげちゃつまらないでしょ。恋愛ってどきどきするのが楽しいんでしょ? 違う?」
「ま、まあ、そうなんだけど……」
「それに、なにさ、毎回思うけどわたしに会いにくるのって全部、木掛さんの相談ばかりだよね。もっと他にないわけ。今日のカナコちゃんはどうしてるのかな、とか」
「だってカナコが最初に『恋を成就させてあげる』って言ったじゃん」
「うっ。そうなんだけど。それはそれ、これはこれよ。わたしも色々忙しいわけさ。エイジさんの恋愛相談ばかりやってるわけじゃないのよ。悪いけどそんなに暇じゃないからね」
「……日中は何やってるのよ。気になってるんだけど」
「い、色々だって。やることはね、たくさんあるのよ。近所を散歩しないといけないし、この里山だって散策したいし、下山してエイジさんのマンションにメモ書き残さないといけないし。他にも山ほどあるからねっ。24時間じゃ足りない足りない」
「……暇だろ」
「暇じゃないからっ!」
この冷静な突っ込みに、蜂の巣をつつかれたような大騒ぎとなる。
ぎゃーぎゃーぎゃーぎゃー、あれやこれや。
ついでに、
「そんなことばかり言ってると、ひっくり返るよ。言っとくけど、自力じゃ起き上がれないからね。どうよ、ちょっと困ったでしょ。あーあ、言われちゃったね。エイジさんってわかりやすい顔してるもんね」
カナコは意地が悪そうにニヤニヤニヤニヤ。ボクサーのように小刻みに首を左右に動かして、挑発的にこちらの出方を窺ってきた。
お次はあなたの番ですよって風に。
いや……。
それって、困るのは自分なんじゃ。
と。
突っ込むのは止めてあげた、夜の里山。
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