第4話 モンペの言い分
思えば、河田と出会って二年。連続で隣同士の席だったこともあってか、幾度となく助けてもらった。ほとんど集金がらみではあったが、河田がいなかったら乗り切れなかったと本当に思う。
私の勤務している神楽中学校は、集金滞納者が特に多い中学校で有名だった。市営住宅が通学区域内にあるから、就学援助を受けている家庭は多いだろうと、赴任当初から覚悟はしていたものの、予想以上だった。
集金が、滞りがちになってきた家庭には、補助金が入ってすぐに電話するようにしていた。しかし中には、
「昨日振り込まれましたよね?」
「ええ・・・、家族でお寿司屋に行ってしまって・・・。すみません。」
と言われてしまい、途方に暮れたこともあった。困っていた時に知恵をくれたのは河田だった。
「こういう場合は、保護者の了解を得て、補助金を学校振込みにして預かり、処理する方法があるんですよ。俗にいう、校長払いというやつです。ここからは私が相手と交渉して、この方法を取るよう、説得しましょう。」
とすぐさま書類を作成し、動いてくれた。
こちらの言うとおりに動いてくれる家庭はまだいい。とことん払ってもらえないこともある。
「子どもに持たせるのを忘れただけなのに、何で毎回、毎回、電話をかけてくるの?迷惑やわ!」
と電話を頑固に切られたり、
「そんなこと言ったって無いものは払えないんだよ!」
と電話口で怒鳴られたこともあった。
「森川さん、このままでは彼は修学旅行に行けません。お母さんが支払いを拒否しているだけで、お父さんはこの状況を知らない場合も稀にあります。お父さんにアクションを取りましょう。」
と河田が父親の勤め先に電話をして、出発一週間前にようやく、修学旅行費を全額支払ってもらうことに成功したこともあった。
「お父さんの職場に電話するって、すごく大胆な手段ですよね。どうしてかけてみようと思ったんですか?」
と修学旅行で京都に向かう電車の中で、そっと河田に聞いたことがあった。
「あー、彼のお父さんは地方公務員だったから。私たちも教育公務員。同じ公務員でしょ。税金でお給料を頂いている身であることは同じ。滞納は許しちゃダメ。公務員じゃなくてもダメですけどね。だけど公務員は特にダメ。」
時に河田は、毅然と強い姿を見せる瞬間があった。河田は三十年近く教職に就いてきたベテランだ。長きにわたる教職経験が彼女に強さを与えたのだろうか。河田が小さくなるのは主任の鎌田の前だけだった。鎌田より、河田の方が先輩なんだから、言い返したらいいのに、嫌なことがあったら嫌だと抵抗したらいいのに、と私は学年会で河田が鎌田に圧力をかけられているとき、いつも腹の中が沸騰していた。
「それでは十四時になりましたので、校長室において第二回目の卒業式を行います。三年の職員の皆さんは、校長室にお集まりください。」
私は口紅をもう一度塗りなおして、席を立った。二名の卒業生とその保護者は主任が連れてくるとのことだった。
三年職員が校長室に揃い、主幹教諭の的場が外に合図を送った。卒業生にメイとその保護者は既に校長室前の廊下に整列していた。
「卒業生入場。」
的場の声と同時にドアが開き、二名の卒業生とその後ろから保護者が入室してきた。
家庭訪問では一度も見ることができなかった、大倉さつきの顔。
母がフィリピン人とは聞いていたものの、そんなに影響を受けた顔立ちには見えなかった。制服を着用しているからだろうか。彼女は担任の横に立つように言われ、大人しく私の横に立った。
・・・風呂に入ってきたんだな。―
彼女を苦しめ、孤立化を招いてきた体臭は、全くしなかった。
国歌斉唱、校歌斉唱は割愛され、すぐに卒業証書授与に入った。
もう一人の参加者である工藤君から授与された。
「四組、大倉さつき。」
担任の私が呼名したものの、彼女から返事はなかった。黙って校長の前に行き、うつろな目で受け取った。彼女にとって卒業証書はどうでもよい代物なのだろう。彼女は親の手前受け取ったに過ぎない、という態度を崩さなかった。
校長が祝辞を述べ、二回目の卒業式は終わった。一〇分程度の式だった。
式終了後、卒業証書を入れるホルダーと記念品を渡すという理由を使い、もう一度、待機場所の図書室に案内した。メインは未納金回収である。図書室では、一年の学納金担当の坂東がお茶を入れていた。
「三年四組の担任の森川楓です。さつきさん、はじめまして。最後に会えてよかったです。」
さつきは坂東に渡された湯呑茶わんを大事そうに持ったまま、視線を上げようとはしなかった。
「お祝いのお饅頭と卒業証書を入れるホルダーです。私の方で入れますね。」
私はさつきの横にあった卒業証書を手に取り、ゆっくりとホルダーに挟み込んでいった。そして父親を見た。
「それではお父様、最後の学校からのお願いです。弟さんも転校されるということですので、姉のさつきさんの未納分と弟さんの未納分、あわせて九千五百円のお支払いをお願いいたします。」
河田の電話で、督促予告は受けていたはずだ。しかしながら父親は、露骨に馬糞を思い切り踏んだような表情を見せた。
「全く通っていなかったのに、どうして請求されなきゃならんのだ。」
「子供さんの学籍がある以上、支払っていただかなければならないものがあります。未使用で返品のきいたものは、この中に含めませんでした。ですが弟さんの体操服代などは使用済みでしたので、返品がききません。お支払いをお願いします。」
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