第3話 雨雫 《完》

 私はある日、用事で田舎の家より一泊限りの上京をすることになった。

 その時に決めたことがある。


 多磨霊園に赴くことだ。

 なぜだ?

 それは、どうしてもお礼と決意表明を話したい相手がいるからだ。


 その人は、直接話すことも会うことも叶わない。

 私など、20代〜30代だが、相手はもう50年以上前に鬼籍に入っている。


 数十年早く生まれていたら……。

 相手があと十年生きていたら……。

 様々なタラレバが脳内をよぎる。


 いざ、当日。

 空はどんよりと曇っていた。

 青空のかけらもない。


「あぁ、ここだ……」

 広い霊園を迷子になりかけつつ歩き回った。

 ついに私は、お目当ての場所を見つけた。


「本当に……ここなんだ……」


 そこには、白い石に憧れ続けたあの

[菊池寛]の名前!

 そして、その後ろに〔ノ墓〕の文字。


「い、言わなきゃ……!え……笑顔……」

 私は白い石の前に立った。


「菊池先生……、初めまして……」

 言葉が繋げない……。


 ポタポタと零れてきたのは……。


 空からの涙か……

 目からの雫か……


 憧れの人に謝辞を述べられる嬉しさ?

 会えない悲しさ?

 彼に[作家]として認めてもらうことはできない辛さ?

 様々な思いがただただ交錯した。


「菊池先生の本に影響されて……私も小説書き始めました……」

 とぎれとぎれながら、考えていたことを言う。


「作家への道を……導いてくださって……ありがとうございます! ……頑張ります……、頑張りますから……」

 見守ってほしい、この言葉を言うか言わないか……

 その瞬間、さらにポタポタこぼれ落ちる。


 私はただただ屈んで手を合わせた。

 言葉を紡ぐことはもうできなかった……。


 どれだけの時間、その場にいたかわからない。

 私は立ち上がっても、呆然とその白い石を見つめた。


 そよそよと風が吹いた。

 その瞬間に、不思議と頭と肩に温かい感触がした。


「失礼します」

 私はそう言って石に頭を下げた。

 その時、一瞬背中に温かい感触がした。


 まだまだ複雑な気持ちを抱えながら、それでも私は前に進む。

 そう決めたら進むしかないだろう、と思う。


 それが、憧れの先生への誓い……。

 笑顔にはなれなくとも、こうして入力している時は集中できるし、手書きの原稿を書こう、と万年筆を握る手に力がこもる。


 決意を胸に、私は故郷へと戻る。


 私は菊池寛に傾向していると言われてもおかしくない。

 否定しないし、むしろ喜んで肯定する。


 故郷に帰るその日。

 故郷の予報は雨であった。

 だが、帰路に着き不思議と美しい夕焼け空を見た。


 そして、また執筆の日々に戻っていくのだ。

「さあ、今日も書き綴るよ! 頑張り続けるって誓ったから!」

 私は仕事部屋でパソコンを開いた。





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