天空王者ゲルゲの空

怪人トウフ男

第1話

「どうして貴方は、いつもいつも宿題を忘れてくるのかしら?」

 ふええ、そんなのゲルゲにもわかりませんよぅ。

「今日の授業中も、ずっと上の空で、ノートに落書きばっかりしていたでしょう」

 ゲッ。見られていたのですか。恥ずかしさで顔が熱くなるのを感じます。

 今のゲルゲなら完熟トマトと良いお友達になれそうです。

「ごめんなさい先生……」

「先生は謝ってほしくて言ってるわけじゃないのよ。どうしたらうまくいくか、一緒に考えましょう?」

 先生の眉間のシワが柔らかくなりました。ずっとその顔で話してくれたら良いのになあ。じっと観察していて気がつきましたが、先生はよく見ると変な顔つきをしています。しばらく考えて、右目と左目が違う方向を向いてるからだと結論づけます。

 斜視なんでしょうかね。ロンパっちゃってます。一度気がついたらずっと見てしまいますね。あんまりまじまじと見つめているのも失礼でしょうから、視線を外します。

 先生の頭は、ゲルゲからはちょうど窓と重なって見えます。

「ゲルゲさん。貴方はきっと他の人より脳のドパミン分泌量が少ないのよ。それは仕方のないことよ。貴方のせいじゃない。でもね……」

 ゲルゲは、いい加減つまらなくなってきた先生の説教に飽き、脱出経路を横目で伺います。カーテンが揺れています。窓が空いている証拠です。


「あっ、待ちなさいゲルゲさん! まだお話の最中ですよ!」

「ごめんなさい先生。ゲルゲは行かないといけないところができたのです!」


 ゲルゲは椅子から立ち上がると、窓までちょうど三歩分。ホップ、ステップ、ジャンプで外に飛び出します! 職員室の窓が空いていてラッキーでした。新型コロナが流行っているから換気していたのですね。窓の木枠を蹴っ飛ばし、眼前に雲ひとつない青空が広がります。

 地上3000メートルの鉄塔は伊達じゃない。全球のパノラマです。ゲルゲはいつもこの美しさに息を呑み、うっとりしてしまいます。先生は後ろの方でまだ何か叫んでいましたが、疾走/跳躍するゲルゲの耳には届かないのです。


 そうだ、飛空薬を飲まなくちゃ。

 飲むタイミングが遅れると、変形する前に地表に叩きつけられて、ぐちゃぐちゃの肉片になってしまいますからね。去年のフィーネルバみたいに。あれは悲しい事件でしたね。ゲルゲは事件の一部始終を塔の上から目撃していたのですが、フィーネルバちゃんの最期の姿は、地面に真っ白に咲いたクロッカスのようでしたよ。

 チョッキについた意匠が風でハタハタとはためきます。

 腰にぶら下げた周防色のポシェットから桃色の錠剤を取り出します。

 主成分はメタンフェタミンです。ゲルゲたちマージロイドはメタンフェタミンを摂取することで飛行に適した体に変貌するのです。

「あげげげげげ…やっべ! きっく! これ効く効く効くぅうー!」

 がんぎまりです。体がひとまわり大きく広がり、後ろ羽がマントのように展開します。羽の筋繊維一本一本に神経の感覚が延長します。同族にはこれを、腕が四本に増えたようだと表現する人がいますが、ゲルゲに言わせれば腕とこれとは全く別の器官です。

 羽の表面はとてもとても繊細で、その触腕は驚くほど機敏にして鋭敏。さらに、磁場、圧力、加速度を詳細に感じ取ることができるのです。例を挙げれば……


 おっと、お目当てのものを見つけました。


 騒音と光害を撒き散らす厳しい自動車です。前に何度か見たことがあります。ゲルゲは不良の自動車と呼んでいます。派手なカラーリングと電飾はまさに不良の自己顕示欲の象徴。いや、不良なだけなら全然かまいません。むしろゲルゲはその立場にいくらか同情的です。充分な愛情を得られなかった人々が、己の存在を無視するな、ちゃんと見てくれと言わんばかり。むきだしの彼らの孤独な心のようです。見ていて胸が張り裂けそうになります。

 でもあれは街に暴力をバラ撒く暴力装置なのです。


 ゲルゲは飛行をやめ、付近の電柱にふわりと着地。

 お気に入りのポシェットからお気に入りのマジックワンドを取り出します。

 くるくるとバトンのように回して。

 (びしっ)と相手を指差し、次に自分を指差し、歯をカチカチと鳴らします。

 ゲルゲなりの死の宣告です。通行人が怪訝な顔でゲルゲを見上げてきます。

 意図するところは伝わってなさそうでしたが、それでいいのです!


 不良の自動車は、それと似つかわしくない閑静な住宅街の中に停車していました。

 付近に複数の人影があり、なにやら揉めているように見えました。

 ゲルゲは曇りなき眼(まなこ)で見定め決めるために近づきます。


 ……ふむ?


 タイヘン! いたいけな女性が暴漢に襲われています。

 ゲルゲは正義の心を燃やし、暴漢たちを懲らしめることにしました。

 因みに女性を助けるとかそういう気持ちは一切ありません。

 自分がカッコよく登場するための隙を、物陰からこっそり伺います。


「やめてくれよぉおん。ミーはなんにも知らなぁあい。この、手にはまってるやつ、はずしてほしいにゃぁあああん」

「ウンウン分かった。お兄さんの話は後でちゃんと聞くから。とりあえず車に乗ろうか?」


 ……なるほど。女性は手を拘束されているようですね。なんて卑劣な集団でしょう。ゲルゲは感心してしまいました。みればみるほど用意周到な連中で、不意な襲撃にも対抗策を持っている可能性がでてきました。厄介な相手です。考えなしに突っ込む訳にはいかなくなりましたよ。


「大きな声ださないの。近所迷惑でしょ。今のお兄さんは少し気が動転してるの。落ち着いた方がいいでしょ? 落ち着けるところでゆっくり喋ろう?」

「嫌だにゃぁあああああ!!! ミーはまだ死にたくなあぁああい! おだんごもおまんじゅうももっと食べたかったにゃぁああああ!!! おねえさんをころしてしまったのはたまたまだったんだにゃぁああアあああああああ!!!!!」

「叫ばない叫ばない叫ばない……さ・け・ば・な・い・っ! ゆうっ! とるっ! やろがァアア!!!! なんやねんなさっきから聞いていればぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあ子供みたいに! お兄さん歳いくつ!? 情けないと思わんのかッ私らも好きでこんなんやってんのとちゃうねんぞ!!! 話なら署でゆっくり聞く言うてるやろが耳聞こえてへんのんかィ!!!!」

「(ビクゥッ!)……………………………(ミーは大人じゃないにゃぁん)」

 女性の声も大きかったですが、暴漢はそれ以上の大声で怒鳴りつけました。

 とうとう本性を現しましたね。さっきまでの聞き分けの良さそうな、でも有無を言わさない態度の時点で、ゲルゲは演技に気づいていたのですよ。可哀想に女性はショックで身を固くし、押し黙ってしまいました。もはや怯えを目で訴えるばかりです。



「助かったにゃぁあん。ありがとにゃぁああん。お礼がしたいにゃぁあん。あとなんて呼べばいいかにゃああん?」

「なら、ついてきて下さいですよ。ゲルゲには使命があるのです。ゲルゲのことはゲルゲと呼ぶがいいですよ」

 お礼をもらうことは吝かではなかったので、快くこの申し出を承諾すると、次の目的地を目指して体を吹っ飛ばします。時間は待っちゃあくれませんよ!

「待ってよゲルゲちゅわぁああん」


 ゲルゲたちは、未だ青空に煙を吐き出し続ける不良の自動車(with火炎)に別れを告げ、走り出しました。あれパトカーって言うんですね。

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