第2話 幽霊博士

 訓練所からやや離れた位置にある新築の校舎。

 その校舎の片隅に、普段は家主のいないアイン研究室と呼ばれる実験部屋が存在する。


 この部屋は半年前に突然この学校を訪れた男の為に用意された部屋であり、そしてフェルムの担当教官となる変人博士の部屋でもあった。


「アイン先生、アイン先生! いい加減起きてください」

「ん……ああ、フェルムか。こんな時間に珍しいね」

 肩を揺さぶられた黒髪の男は、目の前で頬を膨らませる学生を目にして、目を擦りながらそう口にする。

 すると淡い銀髪の学生は呆れた表情を浮かべながら、真っ昼間にもかかわらず堂々と昼寝をしていた、だらしない研究者に向かって抗議を口にした。


「珍しいねではないですよ、まったく。先生は週に一回しかこられないんですから、しっかりしてくださいよ」

「ん……はは、たしかにそうだね。でも、ほら。今日はこんな素敵な昼寝日和だからさ、なんていうかもったいないじゃないか」

「昼寝日和ってなんですか、昼寝日和って。というか、卒業レポートの草案は見てくださったんですか? あれが通らないと、下手をすれば僕は留年なんですよ」

 復興されたラインドル王立大学の最上級生にあたるフェルムは、目の前のどうしようもない男に対し心底呆れたような表情となると、躊躇することなく苦言を呈した。


 ラインドル大学の最上級生には、卒業の条件として卒業レポートが課されることが創立時に取り決めとされている。そしてそれが提出され担当教官の認可を得ない限り、たとえ学年主席であるフェルムといえども留年せざるを得なかった。


 それ故に、周囲の自らより劣ると考えている学生たちが次々とレポートを進めていく中で、優秀であると信じて疑わない自らが後れを取っているという事実に、フェルムは隠し様のないいらだちを覚えていた。


「留年ねぇ……別に悪く無いと思うけどな。のんびり学生生活を送れるって結構なことじゃないか」

「あのね、先生。他所から来た先生は知らないかもしれませんが、この国はムラシーンという男によってめちゃめちゃにされ、ようやく国として軌道に乗り始めたところなんですよ。正直言えば、今すぐにでもこの国のために働きたいくらいなんです」

「別にそんなに急がなくてもいいと思うけどな。君は十分に優秀だし、この国もほらこんなに平和さ。焦る必要なんてどこにも無いよ」

 どちらが目上で指導者なのかまるでわからないやりとりを行いながら、アインは苦笑いを浮かべつつ自論を述べる。

 一方、目の前の男のあまりに適当な生き方と見解を受けて、フェルムは大きな溜め息を吐き出さずにはいられなかった。


「はぁ……先生はこれだから」

「ま、君の卒業はともかく、レポートは約束していたみたいだから目を通すことにしようか。ちょっと待ってね」

「やっぱり読んでなかったんですね……」

 机の片隅に先週預けたままの姿で置かれていた草案をアインが手にすると、フェルムは目の前の教官をジト目で睨みながら、疲れたように肩を落とす。

 だがそんな学生の様子などまるで気にする素振りも見せない黒髪の男は、頬杖をつきながら、手にした草案を次々と読み進めていった。


「ふむ、なかなかに素晴らしいね。付加魔法の応用発展形として、常時固着化のために魔石を流用するという考え方は確かに目の付け所としては悪くない。だけど……ううん」

 受け取った草案をさっと斜め読んだアインは、そこで黙りこむと、眉間に皺を寄せながら黙りこむ。

 一方、そんなアインの反応を訝しく感じたフェルムは、やや低い声で先を促してきた。


「だけど?」

「どう言えばいいかな……正直言って、そつがなくて面白味にかけるかな。すでに概念としてはほぼ確立している仕組みだしさ。申し訳ないけど、来週までにもう一度書きなおして持ってきてくれないかい?」

「先生! もうほかの同級生のみんなはレポートの本文にとりかかっているんですよ。なのに、僕だけ未だに草案止まりで書きなおしなんて……しかもなんですか、その抽象的な書き直し理由は」

 依然として寝ぼけ眼のまま書き直しを命じた黒髪の男に対し、フェルムは目を吊り上げて反論する。

 するとアインは困ったように苦笑いを浮かべ、ゆっくりと口を開いた。


「ああ……他の子達はそうなんだ。でもさ、他の生徒は他の生徒。そして君は君。そうじゃないかい?」

「それはそうですけど……」

「フェルム君。まあ正直に言えば、そのレポート案はよく出来ている。でも、あんまりこんなことはいいたくないんだけどさ、逆に言えばそこまで止まりだよ」

「……よく出来たレポートのどこが悪いんですか?」

 アインの発言に対し、依然として納得出来ない表情のフェルムはすぐさまその言動に噛み付く。

 すると目の前の黒髪の男は、弱った顔つきを浮かべながら二度頭を掻いた。


「別に悪くはないさ……だけどね、将来君はこの国で上に登っていくことを目指しているんだろ? だとしたら、この程度のこじんまりとして小さくまとまった内容しか書けないようじゃダメさ。例えレポート一つとってしてもね」

「でも、レポートが悪いから上に行けないわけではないでしょ。例えばあのクラリスの英雄ですが、軍にいた頃は報告書なんて殆ど出さなかったらしいですよ」

 大陸西方に忽然と現れ、そして彗星のごとく消えていった英雄。

 その男の逸話は、彼の足跡のあるこのラインドルにおいて半ば伝説と化しており、そしてそれ故に誇張された内容も少なくはない。その一つとして、ユイ・イスターツは報告書を書いたことがないというものが存在していた。


 これは報告書などの業務はすべて信頼できる部下に任せ、彼の脳内では数年から数十年先の大陸の未来を常に考えていたと言われる逸話でもある。しかしながら当然のごとく、このような伝説はどこかで屈折と脚色を加えられて伝わっていくものであった。


「クラリスの英雄ねぇ。そいつの噂を私は他人から直接聞いたことがあまり無いからなんとも言えないけど……本当にそんな話もあるのかい?」

「ええ! ホントですか、先生。あのユイ・イスターツですよ、ユイ・イスターツ。本当に知らないんですか?」

 アインの発言を耳にしたフェルムは、驚きのあまり目を見開くと、信じられないものを見る目つきでそう問いかける。


「ユイ・イスターツか……まあ私がその人物と直接会ったことがないのは事実だよ」

「先生なんかが会えるわけないじゃないですか。何しろ大陸西方の英雄ですよ。というか、あれだけ有名な英雄の噂話をあまり知らないなんて……あんまり研究室に閉じこもって、実験ばかりしていてはダメですよ。先生もあの英雄と年齢的には変わらないんですから、もっとシャンとしてください」

「そんなに私はシャンとしていないかな……これでも昔に比べたら、だいぶましになったと自負しているんだけど」

 顎に手を当てながら弱った笑みを浮かべると、アインは小さな声で抗弁を試みる。


「……それでですか? 昔はどんな生活をしていたんですか、まったく。まあそんなことよりもです、先生はどう思いますか? 英雄ユイ・イスターツはやはり暗殺されたのだと思いますか?」

「さあ、どうだろうね。案外自由気ままにのんびりと生きているかもしれないよ」

 目の前の青年の問いかけに対し、アインは顎に手を当てながら、僅かに頬を吊り上げつつそう回答する。


「あのね、先生じゃないんですから。だってラインドルから帝国までの広大な地域を短期間に股に掛け、大陸西方を駆け抜けた英雄ですよ。そんな方がのんびりしている姿なんて、想像もつきませんよ」

 アインのあまりに適当と思われる発言に対し、フェルムは半ば呆れながらそう告げる。

 フェルムのそんな見解を耳にしたアインは、苦笑を浮かべながらわずかに首を傾げると、ずれた話の方向性を正した。


「そういうものかなぁ。ま、今はいない人の話はどうでもいいよ。それよりも現状は君の課題をどうするかさ」

 アインはそう口にすると、一度大きな溜め息を吐き出す。そして改めてフェルムへと視線を向け直すと、彼は再び口を開いた。


「フェルム君、もし君が私を満足させるものを書く自信がないのなら、いっその事こんなレポートなんて書かなくていい。君がそこそこ優秀なことはわかっているから、卒業の認定に関しては僕が責任をもって学長に話をつけるよ。とまあ、それを踏まえて君はどうしたい?」

「……もう一度、先生を満足させられるものを考えて来ますよ。なので、少しだけ時間をください」

 アインの発言に少なからずプライドを傷つけられたフェルムは、理不尽とさえ思われる再提出を受け入れると同時に、軽く下唇を噛みしめる。

 一方、そんな学生の心境を知ってか知らずか、アインはその発言を受けてニコリと微笑むと、軽い調子で助力を行うことを明言した。


「うん、まあ私も君の卒業担当らしいからさ、少しくらいは手伝うよ。後日、君の自宅に必要な資料を届けるように手配するから、参考にしてくれたまえ。じゃあ、そういうことでおやすみ」

 そう述べたアインは、これで言いたいことは全て伝えたとばかりに満足気な表情を浮かべると、そのまま前のめりに机に突っ伏して寝息を立て始める。


 そうして目の前のどうしようもないダメ男の姿を目にしながら、フェルムは右手で自らの顔面を覆うと、行き場のない自らの感情とともに大きな溜め息を虚空へと吐き出した。

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