第2部 prologue

prologue

 エルムンドの魔法戦争。


 後にそう呼ばれることとなった、ケルム帝国とフィラメント公国との戦いから早三年。


 大陸西方の国々はそれぞれの国内に多数の問題を抱えるが故、表立っては国家間同士の対立が引き起こされること無く、各々の時を刻んでいた。


 魔法戦争にて勝利国となったケルム帝国は、フィラメントにおいて多数の権益を手に入れることには成功していた。しかしながら、帝都近くまで侵攻されたという戦争の傷跡は、決して浅いものではない。


 難攻不落を誇っていたエーデミラス要塞が失われた他にも、帝都以南はフィラメント侵攻により多数の被害を抱えていた。そして魔法戦争の際に切り捨てられる形となったこの地域の人々は、複雑な感情を現在も帝国に対して有している。


 これらの地域に対する保証や復興だけでもどれほどの期間を要するのか、その試算するだけで帝国の首脳陣にとって頭の痛い話ではあった。しかし彼らは現在それ以上の課題を抱えていた。


 そう、それは集合魔法である。


 帝国が長い年月と費用を費やしてようやく開発した超大規模魔法。それがある男の存在によりあっけなく無効化され、そしてついには他国から防御策まで編み出されるに至っていた。


 もちろん先の魔法戦争においては、最初にその魔法を打ち破ったある男の協力によって、その効果を存分に引き出すことができたことも事実ではある。しかしながら帝国は最終的にその男の取り込みに失敗し、今後の集合魔法の運用に関し暗雲が立ち込めていた。そしてこの事実は、帝国の軍事力信仰に深い影を生み出していた。




 国は変わってフィラメント魔法公国。


 先年の戦いで敗戦国となったこの国が抱える課題、それはケルム帝国の比ではない。

 フィラメントは帝国との併呑こそ免れ、どうにか国家としての体は保ったものの、戦後の混乱は目を覆うばかりであった。


 もともとこの国は魔法の研鑽を志す者達の寄り合い所帯がその母体である。それ故に、国が傾くや否やより適した環境を求めてフィラメントを離れていくものが後を絶たなかった。

 結局のところ魔法士という人種は、現在においても自らの魔法探求のみを目的として生きている者が少なくないという事実が、この状況からかいま見える。


 さて、そんなフィラメントにおいて何よりも最大の問題は、この国の指導者を三人同時に失ってしまったことにある。

 それ故に現在、フィラメントの方向性を明確に決定できる者が不在に近い状況であり、混迷と言うよりも狂騒状態と言うべき現状が生み出されるのも必定とさえ言えた。


 そんな中で唯一の例外がディオラム家である。

 御三家の他の家同様、ディオラム家も魔法戦争において当主を失う事態に陥っていた。しかしながら、戦後の混乱期にこの地へと舞い戻ったある女性の存在によって、かの家はどうにか離脱者を最小限にとどめることに成功していたのである。


 一度ディオラムから追放され、それにも関わらずフィラメントの存続に貢献した女性。そんな赤毛の禁呪使いの存在を中心に、新生フィラメントの国づくりはようやく動き出そうと、まさに胎動を始めていた。




 所変わりキスレチン共和国。


 大陸西方ではケルム帝国と並び称される大国であり、そして唯一の民主主義国家である。

 その国家形態は選挙と呼ばれる行為によって、一定の条件を満たした市民により選択された議員が、彼らの指導者の役割を担う体制であった。


 しかしながらひとつの国家の中には多数の考え方が存在する。

 ましてや自由と平等を標榜するキスレチンにおいては、国民一人一人の考え方は実に様々であった。


 それ故に、彼らの代弁者達も様々な考え方を持つものが選出されてはいたが、国家運営はあくまで多数派による運営である。

 結局のところ、彼らはいくつかの派閥に分かれて多数派工作を繰り返すこととなり、それがますます国家としての内部対立と停滞を生み出していた。


 そんなキスレチンにおいて政治結社とも呼ばれる政策集団が三つ存在する。


 自由都市同盟、民主改革運動、そして統一宗教主義戦線。


 自由都市同盟。いわゆる同盟派とも呼ばれる彼らは、キスレチンの首都であるカーゼ出身の議員が中心となり、比較的温厚な保守主義の一派である。

 彼等は現状において議会の最多数の議員を擁しているが、それは過半数には満たず、それ故に彼らにフリーハンドな政権運営を行わせないことが、キスレチンの停滞の原因の一つであると彼等は主張している。


 次に改革派などと称される民主改革運動であるが、彼等は地方出身の議員が多い。特に他国との国境周辺の有力者がその中心を担っていることもあり、その主張の大なる部分は、首都であるカーゼだけが他地域に比べて利益を享受しすぎているというものであった。


 それ故に、彼等は全国民への平等と利益を確保するために、積極的な対外拡張政策を唱えている。しかしながら、その支持は同盟派には今二歩程及ばずに万年第二派の地位に甘んじていた。


 そして最後に戦線派とも呼ばれる統一宗教主義戦線である。

 彼等に関しては他の二派とは些かその構成が異なった。それは彼らの支持母体が魔法廃絶主義で有名なクレメア教団に有るためである。


 キスレチンの東に赤海と呼ばれる内海があり、その更に東に存在する巨大宗教国家のトルメニアを発祥とする宗教団体がクレメア教である。

 その信徒は大陸中央部を中心としてその近郊の国家に少なからず存在し、特に自由を標榜とするキスレチンにおいては信仰の自由が保証されていることから、大陸西方の周辺諸国に比べその信徒の数は圧倒的に多かった。


 そうして数を増やしていったクレメア教団の信徒が、キスレチン国内における自らの主張を代弁するために立ち上げたのが統一宗教主義戦線である。

 もちろんクレメア教発祥の地であるトルメニアであれば圧倒的多数の派閥となっていたであろうが、いくらその信徒の数が多かろうともあくまで他国。それ故、これまで戦線派は常に第三勢力に甘んじてきていた。


 これら主だった三勢力に加え、更に有象無象の小規模集団が少なからず存在している。その為、キスレチンにおいては国家の方向性を決定づけるための意思統一が積年の課題であった。


 しかし先年の魔法戦争と時期を同じくして、同盟派の有力議員ととある敵対国家との癒着問題が明るみとなる。彼らは彼の国によって嵌められたと主張するも、同盟派は急速に人々の支持を失い、そして帝国の窮地にもかかわらずその後背を打つという戦略を取ることが出来なかった。


 そしてキスレチンは現在、改革派と戦線派が手を結ぶという衝撃的な政情変化が起こり、国内における更なる政治的対立と混乱が懸念されている。




 さて次に、西方の騒乱において何らかの形で常にその渦中に巻き込まれ続けていたクラリス王国。


 彼の国は、貴族院クーデターとも呼ばれるフェルナンド・フォン・ロペン伯爵による貴族院への告発に端を発した大事件が発生し、国を完全に二分する騒動へと進展することとなった。


 いわゆる王家派と貴族院派と呼ばれるそれぞれの陣営は、クーデター直後には多数の小競り合いが引き起こされた。しかしながら、王家派の一部将校の活躍もあり直接的な戦闘活動は極短期間に収束を迎えることとなる。


 この事件を契機にして王家派が国家の実権の多くを確保するに至るも、残念ながら貴族院の所領にまではその手が届かなかった。そしてそれ故に、依然としていつでも内乱状態へと移行しかねない状況が持続しているとも言える。


 この火薬庫の前で火遊びをしているかのような状況ではあるが、王家派の若手将校達の努力もあり、彼の国は現在のところ内乱状態へと陥ることなく、ゆるやかに王家派優位で事を進められていた。


 だがこのような現状に対し、貴族院とて指を銜えてただ見ているだけではなかった。それ故に、どの段階で貴族院が巻き返しのために反撃へと転じるのかが注視されており、まさにその様は嵐の前の静けさと言えるものであった。




 これら大陸西方の主な国々に加え、その周辺の小国家もそれぞれに内部事情を抱えるが故に、まったく身動きがとれないでいる現状。



 まさに停滞とも呼べる淀み。



 しかしながらそんな大陸西方の中で、たった一カ国だけ既に内乱を終結させた国家が存在する。


 北の雄、ラインドル王国。


 歴史が淀み、まるで止まってしまったかのような大陸西方の時間は、火種がくすぶるこの地へと訪れたある男によって、再び歩き方を思い出したかのようにようやく時を刻み始めることとなる。

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