第22話 外交大使

「やられた……くそ、まさか連中がこんな手で来るとはな」

「貴方のせいではありませんよ、閣下。私達も完全に油断しておりました。まさか貴族院の連中が、こうも露骨な手段を取るなどとは誰も予想出来なかったのですから」


 まるで歯ぎしりするかのように悔しさを隠さぬラインバーグに対し、アーマッドは首を左右に振りながら彼を慰める。


「だが、これでアイツを飢えた猛獣の檻の中に放り込むこととなる。ブラウ達の狙い通りにな」

「……仕方ありません。現在の彼の所属が外務省であることは事実なのです」

「しかし、奴らにとってユイは仇にも等しい不倶戴天の敵と言える存在だ。いつどこで命を狙われるかわかりもせん」


 ラインバーグはユイの身を案じ、そう口にしながら自室を歩きまわる。すると、椅子に腰掛けたままのアーマッドは、彼に向かって問いかけた。


「それで、彼の方はなんて言っているんです?」

「仕方ないから受けると言っておる……あいつがケルム帝国を舐めているのでなければ良いのだが」

「残念ながら、現状は他の選択肢がありません。それにきっと彼にも多少の狙いがあるんじゃないかと思いますしね。例えば彼の地のこととか」


 アーマッドが苦笑いを浮かべながらそう発言すると、ラインバーグは訝しげな表情を浮かべ彼に尋ねる。


「レムリアックのことか?」

「ええ、そのとおりです。彼のことですから、おそらく帝国に販路を広げる機会と既に考え始めている頃でしょう。表向きは違えど、現在の帝国における実質の魔石供給元は彼なのですから」

「……そうかもしれん。だが……」


 ユイのことを本当に大事にしていたからこそ、アーマッドの説明を耳にしてもなお、ラインバーグの不安は払拭されなかった。そんな上司の姿を目にしたアーマッドは、笑みを浮かべながら自分の発言を多少補足する。


「大丈夫ですよ、閣下。帝国も彼に手を出せば自国がどうなるか、想像できない者たちばかりではないでしょう」

「しかしだ、奴に恨みのある兵士や一般人による暗殺の可能性などは否定できまい」

「それは確かにその通りだと思います。ですからこの際、彼にとびきり優秀な護衛を付けてやりませんか? もちろん親衛隊の台所事情は、多少苦しくなるでしょうがね」


 ある特定の人物を想定したアーマッドの提案に、ラインバーグはその人物をすぐに察すると彼に向かって確認する。


「朱の事を言っておるのか?」

「はい。アレックスを護衛につければ、おいそれと彼に危害を加えることは出来なくなるでしょう。更に付け加えるなら、ユイ自身の腕も決して悪くはないですしね。そしてそれに加えて、アズウェル先生の義理の娘さんやカーリン組を何人か付けてやれば、十分とは言いませんが及第点とは言えるのではないでしょうか?」


 現状できる最大限の提案をアーマッドが口にすると、ラインバーグも苦々し気な表情を浮かべながら、仕方ないとばかりにゆっくりと頷く。


「残念ながら、わしらがしてやれるのはその程度のことだけか……」

「仕方がありませんよ。今回のことは、表向き外務省内の人事です。我らが介入できるのはせいぜい護衛の人選程度しかありません。それよりも、当人であるユイ君はどうしたのですか? 既に領地から呼び出しを掛けて、王都に到着していると伺っていますが」


 アーマッドはユイがこの場にいないことを不思議に思い、ラインバーグに向かってそう問いかける。すると彼は、わずかに遠い目をしながら窓の外へと視線を移した。


「アズウェルのところさ。今回のユイの窮地を救うことになった最大の功労者の一人だ。もっとも窮地に追いやった原因でもあるかもしれんが……どちらにせよ、少しくらいはあいつを貸してやっても構わないだろう」








「アズウェル先生、お久しぶりです」

「ふん、お前か。それで何の用だ? 領地からわざわざ王都に足を運んでわしのところへ顔を出すなんてな。言っとくがワシは忙しいんじゃぞ」


 いつものごとくアズウェルは手元の論文から視線を動かさずにユイに対して返答する。そんなアズウェルに対し、ユイは苦笑いを浮かべると、右手に手にしていた紙の束を彼の机の上へと放り投げる。


「すいません。せっかく王都に立ち寄ったので、こいつを先生に渡そうと思っていましてね」

「これは?」

「今回のお礼ですよ。中には、今回のユニバーサルコードアクセスの際についでに判明した解析コードが有ります。もちろん断片的なものですがね」


 周囲を一度確認した後に、ユイがそう告げる。するとアズウェルはその紙の束へと手を伸ばし、パラパラと内容をめくった後に、机の二番目の引き出しにそれを移し、厳重に鍵をかけた。


「……そうか、ならばありがたく頂いておこう。それより、お前はこれからどうするつもりだ? 噂では某国の大使になるという話も飛び交っているようだが」

「おや、情報が早いですね。実はこの度、ケルム帝国の外交大使を拝命しました。今日はお別れのご挨拶も兼ねて参った次第です」


 ユイは外務省で任務を命じられた後に、そのままの足でアズウェルの元へと直接訪問したのである。


「ふん、帝国か……ブラウあたりの差金というところだろうな」

「はは、おそらく正解でしょう。貴族院に所属する外務次官殿直々のご命令でしたから」

「ふん、連中もくだらん事をするものだ。自分たちの手に余るから、帝国に悩みの種を丸投げするというわけか」


 鼻息を一つ鳴らした後にアズウェルはそう口にすると、ユイは彼に対して肩をすくめてみせた。


「手厳しいですね。でも、私自身も一度は帝国に入ってみたいと思っていたので、渡りに船なんですよ」

「それはウォール商会のユイ・イスターツとしてかね?」


 アズウェルの目がわずかに大きく開かれ、ユイに向かって睨みつけるような眼光を走らせる。すると、その視線を浴びせられたユイは、ごまかすように苦笑いを浮かべながら彼の推論を肯定した。


「はは、さすがアズウェル先生。断片的な情報からよくそこまで予想しますね」

「情報の分析がわしの仕事じゃ。これだけ鍵が揃っていれば、うちの院生でさえ、答えよるわ」

「院生? 先生が院生を引き取られたのですか?」


 アズウェルの発言の中に混じっていた意外な単語を耳にして、ユイは思わず彼に確認する。すると、アズウェルは面倒くさそうな口調で簡単に経緯を口にした。


「アーマッドの奴が、無理矢理ねじ込んできよった。まあ、確かに多少見どころのあるやつだからしばらく置いてやることにしとる」

「へぇ……先生が見どころあると言うなんて、本当に珍しいですね。それは将来が楽しみだ」


 ニコニコとした笑みを浮かべたユイはそう言ったが、アズウェルはそれに対してはあまり深く言及せず、違う提案を口にする。


「今日は外に出しているから不在だが、いずれ貴様に会わせる機会もあるだろう。それよりもだ、王都に立ち寄っただけというのなら、今日は帰りにわしの家に寄っていけ」

「これはまた珍しい。先生が家に帰られるとは……というか、本当に私がお宅に行かせて頂いてよろしいんですか?」


 普段は研究のために、年の半分くらいは研究室で泊まりこんでいるアズウェルである。そんな彼が家に来いと言ったことに、ユイは純粋に驚きを感じていた。


「いいも悪いも、うちの娘の機嫌を少しなだめろと言っておるのだ。お前に捨てられたと言って、お前がレムリアックへ行ってからずっと不機嫌でかなわん」

「はは、捨てたわけではないんですよ。それにその辺りの話は、私と計画を共に立てた父親が、彼女を宥めてくれていてもいいところじゃないですか」


 クレハの拗ねている様子が容易に想像できたユイは、頭を掻きながらアズウェルに向かってそう発言する。すると、アズウェルは溜め息混じりに一言漏らした。


「ふん、わしが何を言おうと、もう素直に聞くような歳ではあるまい」

「そんなもんですかね……彼女は教授のことを慕っていると思いますが」

「お前の次にな」


 アズウェルはユイの心境を見透かすかのような眼光を放つと、ユイはいよいよ困り果てた表情となり頭を掻く。


「……でしょうかね。まぁ、それはともかく、お礼も渡したので今日はこれにて失礼させていただきますよ。何しろ時間がないもので」

「おい、娘のところには行ってくれんのか?」


 恨みがましい視線を送りながらアズウェルがそう問いかけると、ユイは申し訳なさそうな表情を浮かべて一つの提案を口にした。


「今日は流石に無理です。ライン公と今後のレムリアック改造計画の打ち合わせをしなければなりませんし、それ以外にも色々と準備が山積みですから。でも教授が構わないのなら、帝国には彼女も同行してもらいますよ。よろしいですか?」

「構わん、あいつとて望むところじゃろう」

「……だといいんですが。ともかく今回は助かりました。改めてお礼をいいますよ、ありがとうございました」


 そう言って礼を口にしたユイはそのまま踵を返すと、部屋の入口に向かってまっすぐに歩み出す。するとアズウェルはやや迷いのある表情を浮かべながら、ユイの背中に向かって声を発した。


「ちょっと待て、ユイ。一つお前に言っておきたいことがある」

「なんですか、一体? そんなに、改まって」


 そのままの姿勢でもう一度後ろを振り返ったユイは、アズウェルに向かいそう問いかける。すると、アズウェルは覚悟を決めたかのように、真剣な表情で彼に向かって口を開いた。


「正直言って、いつまで軍人なんぞやっているつもりじゃ? はっきり言って貴様がその仕事をしておることは、この国のためにはなろうとも、この大陸、果ては人類のために何の役にもなっておらん。言うなれば能力の無駄遣いじゃ」

「私は先生と違って、この世界を解き明かすことに、今のところ価値を見出していませんから。たとえあやふやで、そして不安定な世界だとしてもね」


 ユイは彼の問いかけに対して、予め答えを用意していたかのようによどみなくそう答える。すると、いつかも聞いたその回答に対して、アズウェルが荒い鼻息を漏らす。


「ふん、貴様は全く変わらんな。あの頃のままじゃ」

「別に、この世界の形を定義付けたところで、そこに安定した世界が浮かび上がるとは限らないじゃないですか。だとしたら、今あるこの世界を楽しまなきゃ損だと思いますよ」


 ユイがそう口にしながら、両手を広げて首を左右に振る。

 すると、そんな彼の言動を耳にしたアズウェルは、呆れたようにユイを一睨みした。


「楽しむじゃと? ふん、隠居願望のある奴が言うセリフではないわ」

「はは、確かに……そうですね、まあ別に研究が嫌いなわけではないですし、もし隠居して暇になれば、一度くらいは考えてみますよ」


 痛いところを突かれたという表情を浮かべながら、ユイは困ったように頭を掻く。


「ふん、その言葉忘れんからな」

「はいはい、わかりましたよ。まあ先生が現役のうちに、私が隠居することができればの話ですがね。ともかく、今日は後が支えておりますのでこれにて失礼します。また帝国から戻りましたら、一番に足を運ばせていただきますので。それでは」


 ユイはいつもの苦笑いを浮かべ直して頭を一度下げると、こんどこそ本当に踵を返し、そのまま部屋の外へとまっすぐに出て行った。

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