第6話 望まぬ褒章

「皆さん、今日は私のためにお集まり頂き、ありがとうございます」


 パーティー会場の奥に用意された演壇。

 その壇上に上がったエリーゼは、会場内の一同をゆっくりと見回すと、微笑みながら最初にそう声を発した。


「まさか昔のようなことは言い出さないよね?」

「あるわけ無いだろ。いいから黙って聞いていろ」


 カーリンでのとある事件を指したユイの発言を聞くなり、リュートは冷たい声で彼を黙らせる。

 怒られる形となったユイは苦笑を浮かべながら肩をすくめると、再び壇上のエリーゼへと視線を向けた。


 すると、時を同じくして、壇上のエリーゼは会場に集った人々に向けて言葉を紡ぎ始める。


 来場への感謝、亡き父への思い、そして女王となる自分への協力の要請。

 その一つ一つを丁寧に、そして真摯に語りかけるエリーゼに対し、ユイを含めた聴衆の大多数は彼女に視線が釘付けとなった。


 そうして彼女の演説に一区切りが付いた所で、水鏡のように静まり返った会場は、途端に割れんばかりの拍手に包まれる。

 そんな好意的な会場の反応に微笑みを浮かべると、彼女は大きく一つ頷き、そして再び口を開いた。


「このクラリスを支えてくださっている皆さん。私は皆さんに二つのことをお約束します。一つは皆さんにとって誇ることができる国へとこの国に導くことを。そしてもう一つ、この国を支えて下さる皆さんが安心して頂ける国づくりを目指すということをです」


 エリーゼはそこで一度言葉を止めると、少しの間を取る。

 そして再び真剣な表情を浮かべ直すと、多くの初耳の者にとって衝撃と呼んでも良い発表を口にした。


「そのために、私は皆さんに御報告することがあります。皆さんは我が国を苦境から救い、そして先日は同盟国であるラインドルを崩壊の危機から救った、一人の英雄をご存知だと思います。この度、貴族院の方々との協議の上、これまでの功績を称え彼を貴族の一員に加えることを決定致しました」


 会場はその言葉を受け、一瞬どよめきが上がる。

 貴族院に属する者を除いた皆々は、何十年ぶりかの新貴族の誕生に驚きを隠せなかった。


 しかしそんな会場の戸惑いを余所に、まさかこんな場で突然発表されると思っていなかった当人は、表情を強ばらせながら今にも逃げ出したい衝動に駆られる。

 だがそんな彼の心情など、この場に居合わせた貴族たちには、当然推し量ることは不可能であった。


 妬みや羨望といった様々な感情の入り混じった視線。

 それが一斉にユイへと向けられたところで、いつの間にかエリーゼの側へと歩み寄った一人の老人が、にこやかな笑みを浮かべながら口を開いた。


「皆の者。先ほどエリーゼ女王陛下から発表があったとおり、ユイ・イスターツ三位を我らが貴族の一員に迎える。これは女王陛下と我ら貴族院との決定事項である」


 既に高齢と呼んで差し支えない年齢にもかかわらず、覇気に満ちた貴族院議長ブラウ公爵の発言に、ざわついていた者達は途端に静まり返った。

 そして皆の視線が自らに集中したことを自覚した彼は、一度軽く咳払いをする。そして彼はエリーゼへと向き直り、改めて口を開いた。


「さて、エリーゼ様。彼に与えられる爵位ですが、この国の危機を、つまりこの場にいるもの皆を救ってくれた彼に対し、子爵や男爵では不十分ではないかという声も少なくない。そこで彼には、伯爵位に就いて頂きたいと思うのですが、如何でしょうか?」

「えっ、伯爵? 彼を伯爵にですか?」


 ユイの爵位に関しては今後の調整事項としていたがゆえに、突然のブラウからの提案と、ましてその内容にエリーゼは目を見開く。

 するとそんな彼女に向かって、ブラウは大きく頷いてみせた。


「左様。彼のような英雄が我が国にあると他国に示すためにも、これくらいの爵位はむしろ当然だと思いますが」

「そうですね……たしかに彼は伯爵になるのにふさわしいと私も思いますわ」


 貴族院との交渉において、できれば領地の配分がある男爵をと考えていたエリーゼは、ブラウの提案に一抹の違和感を覚えながらも、それを拒否するだけの理由を有していなかった。

 一方、そんなエリーゼの返答に気を良くしたブラウは、満面の笑みを浮かべると、再び会場へとその視線を向ける。


「皆の者、女王陛下のお言葉である。只今を持ってユイ・イスターツ三位は、伯爵に除されることとなった」


 そのブラウの高らかとした宣言が会場内に響き渡った瞬間、無数の拍手が自然発生的に生みだされていった。


 一種異様な雰囲気となったパーティー会場。

 その中において、現在の話の主役である当人は言い様のない違和感を覚えると、押し黙ったままその理由を求めるために高速で脳細胞を働かせる。


 そして彼が一つの結論に達し、断りの言葉を発しようとしたまさにそのタイミングで、再びブラウが一同に向かって言葉を発した。


「さて、女王陛下のまさに初めての勅命を受ける栄誉に預かるユイ・イスターツ三位。どうぞ前へと出てきたまえ」


 ブラウによる勅命という言葉。それを耳した瞬間、ユイはエリーゼへと視線を向ける。

 しかしながら彼女は、ユイの視線に込められた意味を理解することはできなかった。


 だからこそ彼は、この貴族院の描いたシナリオに対して、勝ちの目がないことを悟る。


「イスターツ三位、おめでとう。君はエリーゼ女王が就任され、初めて叙された貴族となったのだ。まさに光栄極まりない話だな」


 ブラウは右の口角を吊り上げながら、壇上に向かい歩み寄ってきたユイに向かい喜色を隠せぬ声でそう語りかける。そして彼はそのまま視線を横へと向けると、再びエリーゼに向かって語りかけた。


「さて、エリーゼ様。こうして新しい伯爵殿が誕生したわけですが、彼の領地をどこにするのか決めねばなりませんな」

「ええ、それはそうですが」


 エリーゼはようやくここで初めて、これまで感じていた違和感が疑念へと転じた。それは目の前の公爵が、あまりに事を急に進めようとしていると感じたためである。


「さて家の継承でない場合、新貴族の領地に関しては、かねてより王国預かりとなっている領地から選定されることとなっております。そして調度都合が良いことに、現在伯爵領に見合う土地が一つだけ存在しておりましてな」

「……レムリアック」


 眉間にしわを寄せ、険しい表情を浮かべたユイは、ボソリとその名を口にした。

 すると、ブラウは一瞬目を見開いて驚きを示したが、その表情はたちまち勝者の笑みとも呼ぶべき愉悦に満ちたものとなる。


「さすが比類なき英雄どの。彼の地をご存知とは、このブラウ感服しましたぞ」

「ちょっと待って、ブラウ公。レムリアックですって!」


「ほう、エリーゼ様も彼の地をご存知でいらっしゃいますか。現在王国預かりとなっている土地の中で、唯一伯爵領の要件を満たす彼の地は、これまでの浅学非才な貴族の者にはやや手に余っておりました。ですが、彼の地の伯爵に叙されるのが英雄殿となれば、これはレムリアックに光がともされたも同然。ちなみにこれに関しては、我々貴族院一同の期待するところでもあります」


 女王に向かい形式的な敬意を示しながらも、もはや彼女が一度飲んだ規定事項であり、決して有無を言わせないという明確な宣言。

 その悪びれる様子を一切見せない堂々たるブラウの発言に、エリーゼは気圧されて二の句が告げなかった。


 そうして場の主導権を握ったブラウは、壇上にて立ち尽くしている黒髪の男へとその視線を固定する。そして彼は胸元から小さな筒を取り出すと、そこから取り出した一枚の紙を手にしながら、いやらしく口元を開いた。


「ユイ・イスターツ三位。今日を持って君は我等貴族の仲間に加わり、ユイ・フォン・レムリアック伯爵と名乗ることが許される。さあ、ここに用意した任命書を受け取りたまえ」


 そのまるで勝ち誇るかのような笑みを目にしたユイは、その場で一度大きく息を吸い込む。

 そして、改めて自らの脳細胞を急速に活性化させていった。


 ブラウ達が描いているであろう未来を写しだしたキャンバス。

 それをまるで上からペンキをぶちまけたかのように、完全に塗り潰す事ができるシナリオを彼は模索する。


 そしてたったひとつだけ、多大なるリスクと引き換えに得ることができる、極々細い道のりが彼の脳裏に思い浮かんだ。


 ユイはほんの一瞬ためらう。

 だがこの場においてこれ以上の選択肢を取ることは叶わぬと腹をくくると、彼はブラウに向けてゆっくりと一歩踏み出した。


「おめでとう、ユイ・フォン・レムリアック伯爵。これからは君も我々の仲間だ。共にこの国のために働こうではないか」


 険しい表情を浮かべながら自らの正面へと歩み寄ってきたユイに対し、ブラウは嬉々としてそう口にした。

 そのブラウの歪んだような笑みを目にしたユイは、一度呼吸を整える。


 そしてギリギリのところで構築した自らの脚本に則り、突然彼らしからぬ爽やかな笑みを浮かべた。


「ありがとうございます、ブラウ公爵。ただ私は浅学非才の身であります。それ故に、伯爵などという大それた役回りをうまく勤め上げることができるか自信がございません」

「はは。何を言うのだ、伯爵。そなたのこれまでの歩み、それこそが君のレムリアックにおける成功を何よりも保証しているではないか。それとも伯爵は、エリーゼ様の初めての勅命を拒否するおつもりかな?」

「そうではありません。ですが私は庶民の出であり、皆々様と違い領地の経営など素人同然と言えましょう。ですので……」


 ユイはそこで一度言葉を切った。

 途端、その空間のすべての者の視線は彼へと向けられる。


 そうして自らの一挙手一投足に会場内の関心の全てが集中していることを自覚した彼は、意を決したかのように改めて口を開いた。


「ですので、レムリアック領を拝領するに辺り、大公とエリーゼ女王陛下に二つほどお願いがございます」


 完全にこの場の主導権を握っていたと確信していたブラウは、思わぬユイの発言にやや戸惑いを見せる。


「ほう。救国の英雄と呼ばれる君に自信がないとは、いささか意外であるな……それで願いとは何かね?」

「その前に、レムリアックと言えば、あのクラリス南西部に位置するレムリアックのことと考えます。あのような厳しい地域を私に与えてくださったということは、つまり逆に私に対する深い期待と受け取ってよろしいでしょうか?」

「もちろんだ、伯爵。確かに彼の地を見捨てられた土地などと悪く言う者も存在する。しかしながら、彼の地にはこの国で最も多量で上質な魔石が埋蔵されていることもまた事実である。それ故に、いやだからこそ、英雄と呼ばれる君に期待して彼の地を任せるのだよ」


 ブラウの返答を耳にして、物は言いようだなとユイは内心で苦笑いを浮かべる。

 レムリアックは王国で最も上質な魔石が大量に埋蔵されている土地であること、それ自体は決して偽りではない。しかしながら、そんな土地に人が移り住んで行かないことこそ、彼の地には深い問題が存在することを端的に示していた。


「なるほど、それほど期待して頂いているとは光栄の極みです。ですが、あの土地はたしか大病としてしられるルゲリル病の発生地と伺っております。そのせいで命を落とす者も少なくなく、外から働き手を呼び込むこともなかなか難しいと伝え聞きます。そこで一つ目のお願いなのですが、十年ほどの間だけで結構ですので、人を呼び込むためにも税を軽減頂き、彼の地での経済活動に関して自由に商取引を行なわせて頂ければと考える次第です。いかがでしょうか?」

「むぅ……税の軽減と申すか」


 完全にシナリオ外の提案を受け、ブラウは一瞬考え込む。

 病がある限り、如何に彼の地が税制面で優遇されようとも、人など集まらないことは明白であると考えられた。


 しかしながら、少しでも可能性の芽を摘むという意味では、わざわざ奴に少しでも有利な条件を提示することもないと彼は考える。そして拒絶の言葉を告げようとブラウは唇を動かしかけた。


 だがブラウが考え込んだほんの僅かの時間。

 その刹那の隙に差しこむように、ユイはあえてエリーゼに向かって言葉を滑りこませた。


「エリーゼ様、もちろんただでとは言いません。もし願いを聞き届けてくださいましたら、十年後からは今の年間に収めている税の十倍を収めるとお約束致しましょう。これで如何でしょうか?」


 ユイは一気にそうまくし立てると、悲痛な表情をしているエリーゼに向かって笑みを見せる。

 そのユイの笑みを受け取ったエリーゼは、彼の意図はわからなかったものの、それが彼からのメッセージであることは理解した。


 だからこそ彼女は会話の主導権をブラウから奪い取ると、この場にいる全ての貴族に聞こえるよう、明瞭な声を発した。


「いいでしょう、伯爵。もし今の十倍の額の税を納めるというなら大変な素晴らしいお話です。そこまで王国に富をもたらして頂けるのでしたら、貴方の提案を断る理由など存在しません。そうですよね、ブラウ公?」

「いや、しかしそれは……何より本当に十倍の税など納めることができるとはとても……」


 先ほどエリーゼに対し、ユイの伯爵任命という提案を飲ませたばかりのブラウは、急速に動き出した状況の変化に思考が追いつかない。

 すると、そんな彼をたたみかけるように、ユイは微笑みながら彼に向かって口を開いた。


「はは、ブラウ公。先ほどあなた方は私に期待し信頼して下さるとおっしゃった。そんな私を信じては頂けませんか? もし私がこの約束を違えるようなことがあれば、私は伯爵位及び軍部での役職の全てを辞する所存にて、事にあたるつもりです」


 そのユイの言葉が発せられた瞬間、会場は再びどよめきに包まれる。


 この国に住まうものでルゲリル病を知らぬものはほとんどいない。

 それは風土病ともいうべき病であり、その病にかかれば体が次第に動かなくなっていき、最後には呼吸も心臓も止まってしまうまさに死に至る病である。


 その病の存在がある為、どれほど魔石が埋蔵されていようとも、古来より彼の地に住むもの達以外の住民は存在せず、レムリアックは未だに放置され続けていたのである。


 そんな土地であるからこそ、その場にいた大多数の者にとって、ユイの口から発せられた提案はまさに自暴自棄のようにしか映らなかった。

 そうして一瞬会場に空白の間が生まれると、突如一人の男が、笑い声を上げ始める。そして皆の沈黙を切り裂くかのように、壇上のブラウに向かって口を開いた。


「良いではありませんか、ブラウ公。あの英雄殿が自らの進退をかけると言われておるのです。この英雄殿の意気込みを汲み取らずして、我が国をこれ以上発展させる事ができましょうか」


 その言葉を発し、会場内からの視線を一身に集めた者は、メレンバル侯爵家の長子であるフィールであった。彼の自信に満ちた姿をブラウは目にすると、一度重々しく頷き、そして口を開く。


「うむ、汝の申すとおりだな。エリーゼ様もお認めのようであるし、伯爵の手腕に期待する意味でも、その提案を認める方向で調整させて頂こう」


 ブラウのその言質をとった瞬間、ユイは満面の笑みを浮かべると、すぐに今度は申し訳無さそうな表情を浮かべる。


「ありがとうございます。では失礼ながら、もうひとつのお願いに関しまして、述べさせていただいてもよろしいでしょうか?」

「うむ。しかし二つも願いがあるとは、伯爵もなかなかに欲張りだな。だが、今日はエリーゼ様の女王就任という正にめでたい日だ。どうぞ言ってみたまえ」


 ブラウのその返答を耳にした瞬間、ユイは頭を掻きながら苦笑いを浮かべると、その場の誰もが予想もしない願いをその口から発した。


「実は庶民出身の私が、皆様と同じように『フォン』の称号を名乗るのを非常に恐れ多く感じております。ですので、ご温情をかけて頂いた皆様に恥ずかしくない実績を積むことができる時までは、今までどおりユイ・イスターツと名乗らせて頂きたいと思っております」

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