第15話 教師は終わりぬ

 士官学校を揺るがす大騒動が起こった一か月後の昼。軍務庁舎の旧親衛隊室では、士官学校の校長である男が、勤務時間中にコーヒーを飲みながら、頬杖をついて読書をしていた。


「先輩……いい加減、学校に行きませんか?」

「何だい、エインス。その不登校児を学校に誘うような言い方は? お前も入口の看板を見ただろ。ここは親衛隊室兼『第二校長室』だ。校長が校長室にいるのは当然だとは思わないか?」

 ユイが言うように、以前汚い字で親衛隊室と書かれていた看板には、その横に小さな字で、第二校長室という文字が付け足されていた。その看板を初めて見た瞬間、エインスが全身を脱力させたのは、ほんの一週間前の話である。


「先輩。普通の校長室は、校舎の中にあるものなんですよ」

「おいおい、だいたいここの親衛隊室だって、本家は王城にあるじゃないか。外に校長室があったって悪く無いだろ?」

 ユイは王城に設置された新親衛隊室のことを指して、親衛隊長であるエインスに対して、反論をした。


「普通は悪いんですよ、それ。はぁ、先輩に使われる新しい事務長の気苦労がわかりますよ、僕は」

「ん? プリオのことか? あいつはいいな、前任のローリンとは違い、融通が利いて非常にやりやすい。その上、有能なんだから、本当に非の打ち所がないよ」

 前任のローリンに代わり、事件の後から内務省より派遣され、新事務長となったのが若手官僚であるプリオ・ウルカンテであった。ユイは彼のことを思い浮かべて、迷いなく絶賛した。


「なんか先輩の評価って、融通が利くことのほうが、有能であることより評価されていませんか? まあ、それはいいですけど、なんで今日も暇なんですか。一体、講義はどうしたんですか、講義は」

 エインスは、最近毎日のように、午前か午後にこの旧親衛隊室に暇つぶしに来るユイに対して、わずかに非難めいてそう言った。


「ああ、今日はゼミの講義だったんだが、リュートとアレックスに任してきた。リュートなんか最初は渋っていたのに、最近はあの硬い顔をしながら、わざわざ俺のところまで講義日程を聞きに来るんだぜ。しかも、講義が無い日はなんか寂しそうに帰るし、アイツを知ってる奴にとっては、ちょっとしたミステリーだよ」

 ユイは、仕事に関してはまさに堅物であるリュートが、学生のためにそれとなく一喜一憂したり、真剣に取り組む姿に、彼の新しい一面を見出していた。しかしその事実は、エインスにとっては、頭痛の種でしかなかった。


「あのねぇ、先輩。最近リュート先輩が、士官学校の授業に熱を上げているせいで、僕の業務がうなぎのぼりに増えているんですよ。最初はあの人も遠慮していたのに、最近は『じゃあ、エインス任せた』の一言ですからねぇ。悪夢の八十八期の中で、あの人だけはまともだと思っていたのに……」

「はは、リュートをまともだと思っていたなんて、お前は人を見る目がなかったんだな」

 そう言って、エインスの発言をユイは笑い飛ばすと、エインスはどっと疲れたようにその場でため息を吐く。そして、ユイの顔を改めて見直すと、前から聞きたかった話題を切り出した。


「それで、先輩、そろそろ事の顛末を教えてはくれませんか? 断片的には、事務長がクビになったとか、魔法科の最年少教授がスパイだったとかってことは、聞きましたし、いくつかの人事や取り調べ記録からわかります。でも当事者じゃないので、今回の事件の全体像はさっぱりで……」

「そうだな、私もお前の口から、そろそろ真相を聞きたいと思っていた頃だ。いい機会だから一緒に拝聴させてもらおうか」

 やや低く響く声とともに、旧親衛隊室のドアが予想外の人物によって開けられると、ユイもエインスも、思わず驚きの声を上げた。


「「ラインバーグ大臣!」」


「ああ、楽にしろ、いつも陰口で言っているみたいに、あのタヌキおやじが来たとでも思っていたらいい。それよりあの手抜きの報告書では、詳細がさっぱりわからんかったから、そろそろちゃんとした話を聞かせてもらえるかな」

 二人の反応に、笑いながらラインバーグは室内へと入ってくると、手近にあった椅子に腰掛けた。まさかのラインバーグの登場に、エインスへの話は煙にまこうと思っていたユイも、仕方ないとばかりに口を開いた。


「ええと、どこから話しましょうか……そうですね、まず全ての事件の始まりはローリンがワルムから、より正確に言うならば、ワルムを経由する形でラインドル王国から、多額の賄賂を受け取ったことが始まりです」

「ラインドルの国自体からですか!」

 国家による犯行支援と聞いて、エインスは思わず驚きの声を上げた。国家関与によるこのような犯行は、下手をすれば戦争のきっかけになりうる。だから、エインスは、ワルム個人、もしくはその協力者がローリンを取り込んでいたと考えていた。


「ああ、ラインドル王国は現在内戦中だ。優勢なのは宰相派らしいんだが、彼らは今以上の軍事増強を進めていてね。その宰相派が、ワルムを介してクラリス王国の技術と魔法士を狙っていたようだ」

「でも、技術はともかく、魔法士を手元に置くだけなら、金さえ積めばいくらでも集まりませんか?」

 エインスが首を傾げながら、そう疑問を呈すると、ユイは首を左右に振って、その意見を否定した。


「フリーの魔法士なんて、魔法大国である南部のフィラメント公国にでも行かない限り、簡単には集まらないさ。うちの国も、魔法士は全て士官学校で育成され、そのまま魔法省へ入るのが普通だし、野良魔法士なんて、本当に魔法を使えるか怪しい奴もザラだ。傭兵で安定して雇うっていうのは、現実的じゃないな。それにラインドルは魔法後進国だし、自前の魔法士育成機関が、この内乱のせいで機能停止している。そこで、最も近くのクラリスから、優秀な学生を奴隷同然に輸入して、戦力補強を図ろうと考えるに至ったんだろう」

 ユイがそのように解説すると、エインスはひとつ頷き、納得した。


「なるほど、そんな裏があったんですね」

「ああ。ワルムは、国家のためにやっていた部分もあったが、単純によりよい環境での研究や実験を餌にされていたようだ。それに釣られて宰相派の考えた計画に参加したみたいだね。まぁ、でもそのために誘拐までやってしまうわけだから、マッドサイエンティストってやつは困ったもんだよ」

「先輩も結構、手段を選ばない時がありますけどね」

「まったくだ。そのくせ、こいつはなんだかんだと言い訳をしよるから、一層たちが悪い」

 エインスもラインバーグも、こぞってユイを非難し始め、ユイは二人の反応に困ったように頭を一度掻く。


「私の糾弾に来たんですか、まったく。話を進めますよ。予算の件の仕組みは、単純にワルムに他のゼミ以上の予算を割く代わりに、ローリンにその分のキャッシュバックをするというものでした。もっとも、新任のワルムに大量の予算を割いたら怪しまれるので、ローリンは一度アズウェル先生のゼミに、予算を計上していたようですが」

「アズウェル教授と言ったら、あの幽霊教授ですか?」

 エインスは彼が学生時代に、ユイに連れられて数度だけお目にかかったことのある気むずかし気な教授の姿を脳裏に浮かべて問いかける。

 するとユイはあっさりと首を縦に振り、彼の言葉を肯定した。


「ああ、あの人はあの学校でも一番の古株だからな。事務部の若手が、あの異常な予算案を気にしたこともあったようだが、ローリンの目があることと、アズウェルの名前のせいで、だれも何も言えなかったようだ」

「なるほどのう。確かに隠れ蓑にするなら、アズウェルは適任じゃな。なんせ、自分の研究外のことにはまったく興味を持たんやつだからな。それにいまおる教授連中も、多くは奴に借りがあるしのう。しかもあやつは会議に出んから、まさに偽造予算案を組むにはうってつけだわな。しかし私のところに送られた予算案には、別にアズウェルの奴の予算が、飛び抜けて多かった記憶はないが……」

「たしかアズウェル教授と閣下は、士官学校の先輩と後輩ですよね。それもあって、閣下が見れば、アズウェル教授に接触する可能性があったからでしょう。だからローリンは幾つかの予算案のパターンを作成し、相手によって配り分けていたようです」

 ユイがそう説明すると、ラインバーグは疑念は持ちながら、結局自分が騙されていたことに、わずかに肩を落とす。ユイはそんなラインバーグの姿に気づいて、やや切り出しにくそうに話を続けた。


「さて、最後に誘拐の件ですが、どうも三年間で、十二人もの生徒が誘拐されているようですね」

「えっ、そんなにですか。それでその子たちは?」

 エインスは二桁もの誘拐者がいたことに驚き、ユイに詳細を問いただした。


「詳しいことはわかっていないが、ワルムの自白からだと、意識を失わせた上で、ラインドルの諜報機関の男に引き渡していたらしい。もちろん自分のゼミだけ人が減ると、周りに怪しまれるから、各ゼミから優秀なやつをまんべんなく誘拐したみたいだ」

 ユイがそう答えると、ラインバーグは大きなため息を吐き、思わず天井を見上げた。


「そうか……本当ならば、私がいるうちに、何としてもワルムを摘発せねばならなかったんだがなぁ」

「いや、閣下のところに上がる報告書は、残念ながら事務長が全て改ざんしていましたから……それでも校内の異変に気づかれ、私に申し送って頂けたから、こうしてワルムを捕らえることができたのだと思います」

 ユイがそう言ってラインバーグを慰めるも、ラインバーグはゆっくりと頭を振る。そして僅かな自問自答の後に、ユイに向かって口を開いた。

 

「お前もいろいろ話してくれたから、私も少し話をさせてもらおうか。ユイ、おそらくお前は今年度限りで、士官学校長を解任となりそうだ」

 突然の話に、その場は凍りついた。そして、エインスはやや時間を置いて落ち着きを取り戻すと、ラインバーグに尋ねた。


「えっ、だって先輩はこの秋に校長に就任したばかりですよ。なぜそんな早くに……」

「ユイ、士官学校の今年の卒業生の、士官志望先リストは見たか?」

 ラインバーグの予期せぬ問いに、ユイは考えることもなく、答えた。


「いや、だって士官志望先なんて形式だけのもので、陸軍科は陸軍省、魔法科は魔法省、戦略科は戦略省って決まっているじゃないですか」

「それが、今年は違うんだ。いまの軍部には第四の勢力があると言われておる。つまり、そこの若いのが長を務めている組織がな」

「まさか……」

 ユイはラインバーグの指すものが何かに気づき、やや顔をひきつらせる。


「ああ、全卒業生の四割が親衛隊を第一志望としておる。つまり親衛隊が一番人気というわけだ」

「四割……ほんとですか?」

「ああ、先の大戦の英雄であるユイ・イスターツが作り、ライン大公の長子が長を務める組織。そして英雄イスターツはワルム事件を解決し、学生たちの評価が一層上がったとなれば、むしろ四割で済んで各省は胸をなでおろしておるわ」

 ラインバーグの説明に、ユイは思わず頭を抱え、机に突っ伏す。しかし隣のエインスはその理由が思い至らず、ラインバーグに尋ねた。


「えっと、それだけ聞くと、ユイ先輩が辞める理由には、少しもならないと思うんですが」

「エインス、少し考えてみろ。まあ、希望者全員が親衛隊に入れんにしても、今後もこの傾向が続けば、あっという間に親衛隊は一大勢力となろう。そんなことを各省庁の上層部や貴族連中が喜ぶと思うか?」

「……そういうことですか」

 ラインバーグの説明に、エインスはようやく納得すると、隣で依然苦悩している男に、視線を移す。


「はぁ、やっと安息の職を見つけたと思ったのに……」

 ユイはようやく机から体を起こし、頭を二度掻くと、深い深い溜息を吐いた。


「あとは例の学徒動員の反対が全てだな。もっとも、学徒動員を止めるためにお前を校長にしたわけだが」

「一応、学徒動員の議案は全部突っぱねましたけど……って、そのために私を送ったんですか。私が内政部や、主戦派や、貴族連中に嫌われているのは、全部閣下のせいな気がして来ましたよ」

 帝国との防衛戦の後、急速に兵士不足に陥ったクラリス軍は、兵数増強が急務となっていた。現状の国防体制において南部方面は、前回の戦いで帝国軍の魔法士部隊が壊滅した事もあり、問題はないとされている。しかし、北のラインドルは、軍備拡張を進める宰相派が国を牛耳る勢いであり、今後内戦が収束すれば、まず間違いなく弱体化したクラリス王国を狙うと考えられていた。そのため、兵士増員の手軽かつ人件費の安い方法として、士官学校と幼年学校兵による学徒動員案が、しばしば議題となり、ユイが士官学校長として、その全てを突っぱねていたのである。


「だから、罪滅ぼしもかねてな、まだ来季の人事が決まる前に、お前の希望を聞こうと思っておる。もちろん叶えられる範囲でだが」

「働かなくて、コーヒーを飲んで、本を読んでいたら給料がもらえる、そんな職場はないですか」

「それって、ここじゃないですか! ダメですよ、先輩が来ると他の人を巻き込んでサボりそうですから」

 エインスが、親衛隊の部屋に居座る気満々のユイに対し、慌てて釘を刺す。


「お前、役職が上がったら、ちょっと冷たくなったんじゃないか?」

「まぁ、エインスが冷たいかどうかはともかく、親衛隊はダメだ。軍閥化と言われるところが落ちだろうて」

 ラインバーグが、そう否定すると、ユイは弱った表情を浮かべた。


「はぁ……他に閑職はないんですか、閑職は?」

「四位までなら、大都市の軍務長なんかもあるんだがのう。三位となると、閑職と言えるものは、お前が今就いとる士官学校長くらいかな。だいたいわしがお前に楽をさせると思うか?」

 ラインバーグのその返答に、ユイは肩を落とす。そして頭を一度掻くと、観念したように真面目な表情となり、おもむろに口を開いた。


「……じゃあ仕方ないですね。どうせ働かされるなら、外務省に配属して頂けますか?」

「外務省?」

 ラインバーグは予想しないユイの希望に、思わず聞き返した。


「ええ。外務省は、内政部と軍部からの共同人事ですよね。なので、可能なら外務省に配属して頂きたいと思います」

「ふむ、あえて聞こう。お前はなにを考えておる?」

 ラインバーグはユイの表情から、明らかに何か考えのある発言だと感じ、ユイにその狙いを尋ねる。


「いや、大したことはないんですが……ちょっとラインドルでの駐在大使を拝命させて頂きたいと思いまして」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る