第3話 ゼミ

 始業式が終わると、ユイは業務の詳細を話したいと言われ、事務長のローリンに校長室へと連れて来られた。

 その部屋は、ラインバーグが先日まで使用しており、几帳面に片付けられていた。また要人が来訪してもいいように、部屋内には接客用のソファーなどが用意されるなど、一人で使うにはかなり大きな部屋であった。


 ユイは部屋内を見渡して、入り口で説明を始めようとする事務長を制すると、接客用に用意されたソファーに腰掛け、事務長にも向かいの席を勧める。

「ありがとうございます、イスターツ閣下。では、いくつかの業務について説明させて頂きます。まず通常の業務ですが、主に午前は各省や王家の要人との会談や折衝、そして会議など、校長にはこの学校の顔として働いて頂くことになります」

「それは毎日なのかな。私は、実は朝が苦手で……」

 ユイが嫌そうな表情を浮かべると、ローリンは驚いた顔をした。


「では、閣下は何時頃からなら、御出勤いただけるのでしょうか?」

「そうだね、出来れば午後からの業務がありがたいんだが」

「……それは無理です。午後には、閣下の講義やゼミがありますので。さすがにその時間には、面談等の時間をとることは難しいと思います」

「講義……ゼミ……私がするのかい?」

 ユイは予想していなかった業務に、思わず戸惑いを隠せなかった。


「ええ、ラインバーグ前校長は、校長業務の傍ら、現場から離れてはいかんと、常々言われておりました。そしていつも午後は、直接学生たちに指導を行われておりました」

「あの親父、そんなことまで……勘弁してくれよ」

 ユイが学生の頃は、当時の校長は当然指導など行なってはいなかった。間違いなく、ラインバーグが始めた事だとユイは確信し、遠くにいる軍務大臣に対して怨詛の愚痴を呟く。


「とりあえず、こちらが一週間分のスケジュールです。一応、来週以降は、午前でも出来る限り遅い時間に面会等のスケジュールを組むようにします。ですので、面会や予定のある日は必ず出席してください」

「はぁ、わかりました。善処のほどよろしくお願いします」

 そう言って、ローリンから受け取った、厚みのあるスケジュールの束をパラパラとめくると、その日程にユイは頭痛を感じた。


「次に講義の話なのですが、士官学校の各学年に対して、週一度講義を行なって頂きます。題材や資料等で必要な物がありましたら、事務部の方へ要望を出してください。またゼミに関しては、主に最高学年の学生が対象ですが、閣下には御自身のゼミを持って頂きます」

「ああ、私もアーマッド局長のゼミに所属しておりましたので、システムは分かります。ですが、ゼミは一学期からの配属が原則のはずで、二学期からの募集や配属など聞いたことがないのですが……」

「その点は安心してください。閣下には、ラインバーグ大臣が指導されていたゼミを引き継いで頂きます。ラインバーグ閣下のゼミは、二学期から指導するものがいない状態となっておりますので。もっともあのゼミの学生に関しては、全科から選抜された優秀な生徒が所属しておりますので、その意味では閣下にはそれほど負担にならないのではないかと思います」

 ローリンがそう告げると、ユイはこの仕事を断りに行った時のラインバーグの話を思い出し、小さな声で嘆いた。


「……校長で楽ができるっていうから、ラインバーグ大臣の口車に乗ったのに、これは嵌められたな」

「なにかおっしゃいましたか?」

「いえ、お話はわかりました。それで、何名のゼミ生を指導すればいいのですか?」

 ユイは、現状を諦めると、渋々具体的な内容を尋ねることにした。


「閣下に御指導頂くゼミ生は三名です。こちらはラインバーグ大臣が用意しておりました引き継ぎの資料です」

 そう言ってローリンは更に数枚の用紙を渡す。そこにはラインバーグゼミに所属している学生の詳細なデータと、指導内容が事細かに記されていた。


「……わかりました。それで、私はどちらで指導を行えばよろしいんですか?」

「このあと閣下に使用頂くゼミ室の前まで、私がご案内します。今日は始業式のあと、最高学年は各自ゼミでの授業予定になっております。閣下のゼミ室には、既に学生が来ていると思いますので、ちょうど良いでしょう」





「最悪だわ……」

 エミリーは、始業式を終えてゼミ室に戻ってくると、頭を抱え、机に突っ伏していた。


「ちょっと、そんなに落ち込まないでよ、エミリー」

「まぁ、知らなかったんだから仕方ないだろ」

 同じゼミ生のレイスとアンナは、先程から頭を抱えて、嘆いているエミリーを慰める。しかしエミリーは朝の光景を思い出し、自分の発言を省みて、二人の慰めも届かないほど、ショックを受けていた。


「だって、イスターツ閣下は三位よ、三位。しかも救国の英雄。絶対、私は退学にさせられるわ」

「噂で聞く限りは、そんなことで退学にさせるような、おかしな人ではないと思うけどなぁ」

 レイスはエミリーの反応に、考えすぎだと思って彼女に反論した。彼が口を閉じたまさにその時、ゆっくりとゼミ室のドアが開くと、一人の男が入ってきた。

 彼の姿を認め、レイスとアンナは、驚きとともに思わず黙り込んだが、突っ伏したままのエミリーは、彼に気づかず口を開いた。


「考えてみなさい。帝国軍四万の陣地に単身で乗り込んで、それを壊滅させる男が、おかしくないとでも本気で思っているの?」

「おかしくなんて無くて、普通じゃないかなぁ……」

「いいえ、きっと普通じゃないに決まっている。ああ、なんであんな事言ってしまったんだろう」

「ああ、後悔はだれにでもあるよね」

「そうよ、だらけたおじさんを見つけたから、ちょっと相手してみただけなのに」

「おじさんは、ないんじゃないかな。お兄さんだと思うけど……」

「あなたね、人が真剣に悩んでいるのにそんなどうでもいいことにって……えっ!」

 レイスの声ではないと気づき、思わず顔を上げたエミリーは、そこにいる男の姿を認めた瞬間、驚きの声を上げ、口をパクパクさせる。


「ごめんごめん。先に挨拶しようと思ったんだけど、何やら君が悩んでいるようだったからね」

「え、いやっ、これは、えっと、その……」

 ユイは、慌てて動揺するエミリーの頭の上に、二度左手をポンポンと乗せると、そのままゼミ室の奥に向かい、ラインバーグが使っていた椅子に腰掛けた。


「さて、まず最初にお互い自己紹介をしようか。私は今日からラインバーグ大臣に代わり、君たちの担当となった、ユイ・イスターツだ。以後よろしく」

 ユイがそう自己紹介すると、レイスが左右を見回し、自己紹介を始めた。


「陸軍科所属のレイス・フォン・ハリウールです。剣が好きで、昨年の学内武術大会で優勝しました。噂では、閣下は東方の剣術を使われると伺っています。そんな閣下のゼミに所属できることを嬉しく思います」

 レイスがそう自己紹介すると、アンナに目配せをした。


「魔法科所属のアンナ・エルメラドです。付加魔法が得意で、一学期はラインバーグ校長に、主に付加魔法の研究と、実践での運用研究を見て頂いておりました」

 アンナの紹介に、ユイは一つ頷く。そして皆の視線は、未だに放心しているエミリーに集中した。


「えっと、エミリー君、自己紹介をお願いできるかな?」

 ユイはゼミ生の資料から名前を確認し、エミリーに声をかけると、エミリーは慌てて自己紹介を始めた。

「エ、エミリー・フォン・サンフィスです。魔法科に所属していて、得意魔法は結界魔法と一部の攻撃魔法が使えます。よ、よろしくお願いします……」

 エミリーがなんとか自己紹介を終えると、ユイは三人に向けて笑顔を見せた。


「さて、ラインバーグ閣下からの引き継ぎの資料は、ここに来る最中に目を通させてもらった。どうも君たちは非常に優秀なようだね。学年で、アンナ君が三席、レイス君が次席、そしてエミリー君が主席か。さすがラインバーグ閣下のゼミだね」

 そう言ってユイは苦笑いを浮かべると、アンナが答えた。


「ありがとうございます。ラインバーグ教室は、閣下から軍部の様々な方をご紹介頂けたり、現場の講師をお呼びされるので、一番人気だったんです。だから私たちはみんな、このゼミに入るために頑張りました。希望ゼミは成績順で決まりますから」

 ラインバーグゼミはラインバーグ教室とも呼ばれ、その指導はラインバーグ本人に加え、かつてのラインバーグの部下や彼の友人など、現場における各分野のエキスパートを招くことが多く、圧倒的な人気を有していた。

 また通常は陸軍科、魔法科、戦略科の各科ごとにゼミが用意されるのだが、ラインバーグは将来の軍部を担える視野の広い学生を作りたいと、全科を募集対象として、数名のみの少数精鋭指導を行なっていた。その為、ラインバーグ教室は研究者を目指すもの以外のほとんどすべての学生の憧れであり、エミリー、レイス、アンナも例に漏れずラインバーグ教室を希望したのである。


「そうか。だとしたら閣下から私に変わってしまうことになり、申し訳なかったね」

 ユイは困ったように頭を掻くと、慌ててアンナが首をブンブンと左右に振り、すぐに否定した。


「いえ、あの英雄、イスターツ閣下にご指導いただけるなんで、望外の極みです」

「そうかい? すぐに虚像だとわかると思うけど……一応は喜んでおこうかな。さて、これから君たちと、このゼミをやっていくわけだが、君たちに先に言っておくことがある」

「なんですか?」

 レイスがユイの言葉に思わず尋ねると、エミリーとアンナも身を乗り出して興味を示した。


「大した話ではないんだけどね、とりあえず君たちは全員合格だ。既に卒業単位は、私の名前で成績書に判子を押しておいた」

「「ええっ!」」

 ユイがそう告げた瞬間、三人驚きの声とともに目を見開く。


「ああ、不安なら事務長に確認に行くといい。さきほど、こんな前例はありませんと怒られたばかりだから」

「ちょっと待ってください。もう合格だということは、閣下はなにも教えてくださらないということですか?」

 アンナが思わずユイに尋ねると、ユイは笑いながら否定した。


「ははは、それはないよ。一応、誤解があるようだから先に言っておくと、君たちの成績は、ここに来る前に確認させてもらった。そして私が出した結論としては、士官学校を出て、軍部の一員としてやっていくだけの力は、君たちには既に十分あると確信している。だから卒業を考えて、単位をとるためだけの授業など、まったくの無意味だからそうしたまでさ。今日からは、君たちが本当に必要とすることを好きにやってくれればいい」

 いきなりのユイの話に、エミリーも驚くとともに、ユイに説明を求めた。


「すいません、突然のことでわからないのですが、一体どういうことでしょうか?」

「つまり閣下は、単位など気にせず、自分が必要と思うことを、好きなだけ取り組めと言いたいんですよね」

 レイスが、彼なりにユイの言葉を解釈して、エミリーの質問に答えると、ユイもそれに同意した。


「そのとおりだ、レイス君。これから社会に出れば、自分の自由にできる時間など殆ど無いかもしれない。だから今の時間を有効に使ってくれたらいい。そのための協力は惜しまないよ」

「どんなことでもいいんですか?」

「もちろんだ。例えば、社会に出たら忙しくて昼寝をする時間もないから、今のうち寝溜めておくというのでも構わない。むしろ私ならそうする……まぁ、それは置いておくにしても、とりあえずは研究しようが、自らを鍛えようが、バイトをしようが、それは君たちの自由だ」

 ユイがそう説明すると、エミリーが疑問を口にする。


「でも、失礼ながら閣下。それは無責任じゃないですか?」

「無責任か……私はよくそう言われるので、君の言うとおりかもしれないね。だが、君たちはこれから軍人として、外の世界に出るわけだ。そうなった時に、すべての人が君たちのために、ああしろこうしろと世話してくれるとは、さすがに思っていないだろ?」

 ユイがそう説明すると、三人はそれぞれユイの言葉を噛み締めるように考える。そして、レイスがパッとユイを見ると、口を開いた。


「では閣下、一つお願いがあります!」

「ああ、それを聞く前にひとつ言っておく。私は学園内にいるときはあくまで君たちの一教師にすぎない。ここは軍の施設でありながら、軍隊自体ではないんだ。閣下ではなくユイ先生と呼んでくれたらいい。職員はともかく、教え子になる君たちはね」

「では、ユイ先生。一つお願いがあります!」

 レイスのその言葉に、ユイは彼に視線を合わせると、先を促した。


「なにかな、レイス君?」

「出来れば俺に、ちょっと剣の稽古をつけて欲しいんです」

 そう言って、レイスはニヤリと笑った。



あとがき

9月22日にコミカライズ版やる気なし英雄譚第一巻が発売となりました!

全国の書店様やアマゾン様などネット書店様にてお取り扱い頂いておりますので、ぜひお見かけの際は手にとって見てくださいませ!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る