第8話 ソーバクリエンの野戦Ⅰ

 ソーバクリエン。

 それはクラリス王国南部に位置する大平原の名前である。


 この青々と夏草のしげる大平原は防衛陣を築く地点として、軍上層部の誰もが想定していた場所であった。

 それはクラリス王立軍が帝国軍よりもはるかに多くの兵力動員に成功したため、大規模な部隊展開を行うには、ソーバクリエンの果てしない広さこそが最も適していると考えられたためである。


「陛下、いよいよです」


 王立軍は今回の戦いのため、全体を大きく三つの陣へと分割している。

 その三つの陣のうち、最後尾となる第三陣の中央部にオラド国王率いる本陣が置かれていた。


 副司令官を任された軍務大臣のメプラーは、草原の向こうに行軍による砂煙が上がる様子を見てとると、隣にたたずむオラドに向かいそう告げる。


「わかっている。しかし私は言うまでもなく素人だ。基本的に指揮はメプラー、お前に一任する。頼んだぞ」

「はっ。ではこの後、陛下には兵達に開戦の檄を飛ばして頂きますので、よろしくお願い致します」


 メプラーはオラドの言葉を受けて頭を下げると、彼は兵士達への鼓舞を依頼する。


「分かった。では準備を致せ」


 オラドはメプラーの言動に一つ頷くと、すぐに指示を飛ばす。

 そして指示を受けたメプラーたち上層部の人間は、一斉に合戦の準備を始めた。


 そんな本陣の中、参謀長としてオラドのそばに控えていたアーマッドも忙しく戦闘準備を行っている。

 しかし彼の視線は時折左翼に配置されたシャレムの一党へと向けられ、彼らに対する定期的な警戒も怠ってはいなかった。


 さて今回の戦いでメプラーたち軍首脳部が立てた作戦は、釣り出し戦法と半包囲戦法を用いる二段構えのものである。


 歩兵と騎馬兵と魔法剣士を中心とする第一陣、弓兵と魔法士を中心とする第二陣、そして本営を置く第三陣と全体を三つに分け、最初に第一陣のみを敵軍に向かって突出させる。

 そして彼らの進軍に敵の前線が呼応して釣り出すことに成功した場合、第一陣の兵士達は緩やかに後退しながら、敵の前線を味方の下へと引きずり込む。

 そして第二陣に配置した弓兵と魔法士で釣りだした敵軍を崩し、混乱した敵軍に対して温存しておいた本体を含む全軍で一気に攻勢をかけるというものであった。


 しかし敵の前線がこちらの第一陣に呼応しなければ、この作戦は成り立たない。


 その場合は二つ目の作戦として、敵と衝突する前に第一陣の進軍速度を落とし、第二陣と第三陣をそれぞれ左右に展開し一気に前進させる。

 そうして全軍を半月の形に編成して、数的優位を利用した半包囲体勢を敷く。これが彼らの考えた二段構えの作戦の概要であった。


「陛下、全軍の出陣準備が整いました!」


 各部隊から準備完了の報告を受けオラドの下に駆け寄ると、メプラーは決戦の用意が整ったことを伝える。


「そうか……それではこれより、兵士達に向かい出陣の檄を飛ばす。よいか?」

「もちろんです、陛下。全兵士が今か今かと、陛下の出陣のお声をお待ち致しております」


 頭を垂れながらメプラーがそう返答すると、初陣のためにやや気分の高揚が見られるオラドは大きく一度頷く。

 そしてあらん限りの声で兵士達に向けて語りかけた。


「勇敢なるクラリス王国の将兵達よ! 今、まさに悪しき野望を秘めし我々の敵である帝国が、我が国を侵略しようとすぐそこにまで迫っている。しかし我々は知っているはずだ! 我々の背後には二百万のクラリスの民がおり、そしてその中には君達の家族がいることを。彼らは今も帝国の影に怯え、そして震えている。私ことオラド・フォン・エルトブートは、諸君らに約束しよう。諸君らの守るべきものを守るため、私は諸君らとともにこの戦場で共に戦うことを。そして諸君らも私に対して約束してほしい。私とともに、我が国を守るため共に戦うことを。さあ、出陣だ!」


「「オオォォォォ!」」

 オラド国王の出陣の掛け声に、王立軍の兵士達から尽きることのない歓声が送られた。


 その歓声を耳にしながらオラドは自らの剣を胸の前に当てると、そのまま天へ向かって突き上げる。

 そして掛け声とともに、剣先を帝国軍へと向け、高らかに指示の声を上げた。


「第一陣、進め!」


 オラドの放ったその声に呼応し、王立軍の第一陣は隊列を維持しながら帝国軍に向かい進軍を開始する。

 そして彼ら第一陣が王立軍本体と帝国軍の中間点まで部隊を進めた段階で、オラドは次のなる指示の声を上げた。


「第二陣、構え!」


 オラドの発したその号令を受け、第二陣に所属する魔法士と弓兵達は戦闘に向けて覚悟を整える。そして、いつでも戦闘を開始できる状態で第一陣の動きを見守った。

 しかし彼らの準備も虚しく、第一陣がやや帝国寄りと言っていい地点まで部隊を進めても帝国前線は微動だにしなかった。


「報告します。第一陣が敵軍へと近づいておりますが、敵の前線は現状位置のまま前進する気配を見せておりません!」


 情報部に所属する伝達兵の報告を受け、副司令官であるメプラーは舌打ちを一つ行う。


「ちっ、釣り出せんか……参謀長、君はどう考える?」


 メプラーは隣に控えたアーマッドに向かってそう問いかけると、彼は顎に手をやってわずかに思考を巡らせる。


「そうですね……今回の戦いにおいて、敵方の戦力が我が軍より少ないことは明らかです。ですので、前線を突出させた場合、後方に遊兵が生まれてしまう可能性を考えているのではないでしょうか? 兵数の劣る彼らとしては、きっと少ない兵を少しでも有効に活用し、戦力差の少ない状況で戦いたいと考えているでしょうから」

「なるほど、それも一理あるな。では、君はどう手を打つべきだと考えるかね?」


「もしこのまま第一陣だけを単独で突出させれば、いかに相手が少数とはいえ、各個撃破されかねません。敵の反応は十分にわかりましたので、こちらから積極的に攻める必要はないと考えます。予定通り全軍で半月陣を形成し敵を包囲下に置くことを目指すか、もしくは第一陣を一度完全に引かせ防御に徹するのは如何でしょうか。何しろ我が軍の方が、兵站の面でも圧倒的優位にあるのですから」


 敵が釣り出し戦術に乗らなかった場合に予定していた半包囲作戦に加え、アーマッド自身が教師時代に学生へと講義してきた防衛戦用の防御案を提案する。


「ふむ……たしかに防御に徹することも悪くはない。しかし当初より敵を釣り出せない場合は、敵の包囲を目指すと計画していたのだ。それに第一陣は国王陛下の進撃命令でを受けて出陣させた部隊でもあるし、安易にその命令を取り消すわけにはいかん。やはり当初の計画に沿って全軍を前進させることとしよう」


 メプラーは国王の面子も考慮に入れた上でそう決断すると、すぐさま第一陣に向かって進軍速度を遅らせるように命令を送る。

 そしてそれ以外の全軍向かい、急ぎ第一陣に追いつくよう進撃命令を下した。


 この時点でメプラーの脳内では、これから帝国軍を半包囲し彼等を蹴散らしていく青写真が浮かび上がっている。

 しかし実際の現実は彼の想定と異なり、進軍速度を緩めるはずであった味方の第一陣は首脳部の命令と全く異なる動きを見せ始めていた。




「連隊長! 本陣から進軍速度を落とせとの指示が届いております」

「なに……速度を落とせだと?」


 今回の第一陣に選抜された魔法連隊に所属し連隊長を任されていたムルティナは、部下からの報告に対し眉をひそめる。


「はい。敵がこちらの進軍に呼応して来なかったため、一度進軍速度を落として体勢を整え直せとのことです。そして第二陣及び第三陣が我々に追いついた段階で、改めて全軍で敵陣に向かうと御命令が下っております」

「……馬鹿どもめ。敵が迎え撃って来ないのは、奴らが我らの進撃を怯えているからだろうに。現に奴らはあの位置から一歩も動けていないではないか。そんな臆病者達を相手に、なぜ我らが警戒せねばならんのだ?」

「それは……そうかもしれませんが」


 ムルティナの部下は上司の怒気をはらむ物言いにやや気後れすると、それ以上彼を諌める言葉が見つからなかった。


「どうせ本陣の奴らの考えは明らかだ。自分達の手柄の為に、美味しい餌を残しておけというわけだろ。ふん、馬鹿馬鹿しい。なぜ奴らの手柄のために、我らが遠慮せねばならんのか?」

「しかし、このままでは命令無視となってしまいます」

「構わんだろ。どちらにせよ手柄さえ上げれば、多少のことは咎められるに値せん。むしろこんな手柄を立てる好機を逃してなるものか!」


 ムルティナは最前線を駆け抜け、一番槍として敵軍の前線に攻勢魔法を叩きつける計画を戦闘開始前から計画していた。

 それは明らかに出世欲から生み出された計画であるのだが、その計画を彼に抱かせる背景となったのは、学年首席である自らをコケにするかの様なユイ・イスターツの存在である。


 庶民ごときが大公家の子息たる自分より上位にいるという焦りと嫉妬が、彼を明らかな視野狭窄の状態へと陥れていた。


「とにかく、我々はこのままの速度で前進し一番槍を果たす。さあ、前へ進め!」


 決断したムルティナが部隊を鼓舞するようにそう叫ぶと、第一魔法連隊はそのままの速度で進軍を継続する。

 そしてそんな彼らの姿を横目に見た他の部隊長達も、ムルティナ達だけに手柄を独占させてはならないと考え競うようにして進撃速度を上げ始めていた。




 一方その頃、帝国軍の本営では、クラリス王立軍第一陣の予想外の進軍速度に戸惑いの声が上がり始めていた。


「リンエン将軍……一体、奴らはどういうつもりでしょうか? 明らかに敵の前衛は、単独で我が軍へと突入するかのように見受けられるのですが」


 クラリス方面軍の司令官を任されているリンエン将軍に向かい、彼の参謀であるロイスは困惑した表情を浮かべつつ、そう疑問を口にする。


「……ふむ。奴らが我々の魔法に気づき、何らかの対策を行おうとしている可能性は考えられないか?」


 リンエンは今回の作戦における秘中の秘となる鍵を、クラリスに嗅ぎつけられている可能性に言及する。

 しかし彼の若き参謀は上司の問いかけを耳にするなり、すぐさま首を左右に振ってそれを否定した。


「情報が漏れている可能性が無いとはいえませんが……しかしそうだとすれば、敵の取った陣形に説明がつきません。我らの策を予め知っているならば、あのような陣配置を取ることはないと思われます」


 もしクラリスの連中が自分達の狙いに感づいているとすれば、もっと別の形でこの戦いは幕を開けていたはずだとロイスは確信していた。

 それ故、このように真正面から戦闘が行われることとなった段階で、彼自身はこの戦いでの勝利をほぼ確信している。


「なるほど、それもそうだな。だとすれば、まずは正攻法で敵軍を迎え撃つこととしよう。では敵の前線部隊が近づいた時点で、中央を下げて鶴翼陣を敷く。そして敵前線の進軍速度が衰え、奴らの本陣が我らの下へ押し寄せた段階で例の魔法を使用する。良いな?」

「はい、了解致しました。早速手配致します」


 ロイスはリンエンの意を受けると、すぐさま作戦を実行に移すためにその場を駆け出す。

 そしてその場に残された歴戦の勇将は、自軍へと迫り来る敵前線の姿を眺めやり一人宙に向かって呟いた。


「さて王立軍よ、せいぜい楽しませてもらおうか」

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