第6話 理由
「ユイ、こいつで勝負しろ!」
「勝負しろと言われてもさ……魔法士とビリヤードをやるとか、負けるために勝負をするようなものじゃないか」
古くは王都で貴族や庶民に流行したビリヤード。
だが魔法文化全盛の現代においては、その遊び方は旧来のものと異なる。
以前はボールをキューと呼ばれるスティックで突く遊びであったが、近年は多少限定的ではあるものの、魔法にてボールにアクセントを加えたり妨害したりして遊ぶことが主流となっていた。
それ故、ビリヤードは魔法士に取っては最もメジャーな遊びの一つとされており、マジックボールなどという別称がなされることもあった。
「別にお前が相手なら変わらないと思うが……まあいいだろう。ならばどんな勝負をお前は望んでいるんだ?」
「あのさリュート。君には勝負をしないっていう発想はないのかい? ……まあいいか、魔法が関わらない勝負にしてくれるなら、何でもいいよ」
リュートのユイへの対抗意識は士官学校入学以来のものである。
当時より何かにつけて勝負を挑まれることに、ユイはすっかり慣れてしまっていた。
そしてその長い過去の経験から、ここで相手をしない限りこの後の王女護衛中に絡まれ続けることが容易に想像され、やむを得ないとばかりにユイは勝負を受けることを明言する。
一方、そんな二人のやりとりを後方で耳にしていたエインスは、突然二人の間にひょこっと顔を覗かせると、笑みを浮かべながら一つの提案を行ってみせた。
「トランプなんていかがですか? あれなら魔法使わずに遊べますし。それに三人でできますので、僕も参加することが出来ますから」
そのエインスの提案を受けて、後であまり厄介な事態にならない勝負だと判断すると、ユイもすぐさま同調の意を示す。
「トランプなら構わないかな。というわけで、勝負を切り出したんだからさ、リュート、君がトランプを借りてきてくれないかな?」
「……いいだろう。帰ってくるまでに、逃げるんじゃないぞ」
荒い鼻息をひとつ立てたリュートは、伯爵家の手近な使用人を探すためまっすぐ部屋から出て行く。
そうしてその場に残されたエインスは、ユイへと向き直るなり、やや懐かしげな表情を浮かべた。
「改めてユイ先輩、お久しぶりです」
「ああ、三年ぶり……かな。少しは身長も伸びたかい?」
「……僕はもう二十歳を過ぎたんです。先輩と出会った頃と違って、身長なんてそうは伸びませんよ」
「はは、確かにそれはそうだ。しかしまさかお前がカーリンに来るとは、夢にも思わなかったよ。来るなら来るで、連絡の一つでも寄越せばいいのに」
少し拗ねたような口調で後輩をからかうも、久々の再会に自然とユイの頬はゆるむ。
すると、エインスは苦笑交じりに首を左右に振った。
「いくら先輩といえども、王家の機密視察の情報を外部に漏らすわけにはいかないですよ」
「まあその通りか。しかし、まさか君が王女様の同伴でここに来るとはね」
「以前から先輩の赴任地を訪ねてみたいとは思ってはいたんですよ。でもこんな形で来ることになるとは、僕も想像していませんでした」
「しかしお前も大変だな。もし私があのお姫様の同伴ならば、とっくに胃を壊している頃合いさ。いやはや、先ほどの演説にはしびれたよ」
エインスは今日一日の出来事を思い出し、頭痛を抑えるように右手をそっと額に添える。
「エリーゼ様の演説については……察して下さい。何かやらかすだろうとは思ってはいたんですが、まさかあんなことを言い出すとは……」
「私の勘だが、ここに来る前に、彼らの下調べをしてきたということだろう。本当は今は動いてほしくないんだが……一体、彼女はどうしたいんだ?」
方法論には多分に苦言を呈したいところであった。
だが王家の若い姫であるエリーゼが、自ら率先して国のために尽くそうとする強い思い自体は、ユイも貴重なものだと考えている。
しかしこの街で三年をかけて行ってきた準備を考えると、まさにこの詰めの時期に横槍が入ることは、悩ましいという一言ではとても済まないものであった。
「申し訳ないのですが、あの方が何を考えているのかはわかりません。ただ市長である伯爵は良い方のようですが、一部の方々は露骨にやりすぎていますからね……先輩が三年前にここへ飛ばされたのだって元々はそれが遠因ですし」
「ふむ、つまり軍内部では奴らと帝国との関係は既定事実と考えているわけだ」
「否定はしません。ですが王家の直轄地でないにも関わらず、エリーゼ様がこのように動かれるのは、軍としても完全に予想外でした。とりあえず今回の僕の役割は、エリーゼ様が起こす混乱をうまく収めることだと思っています」
真剣な表情を浮かべながら、そう答えるエインス。
そんな彼の表情を目の当たりにし、ユイは思わず彼へと笑いかけた。
「はは、お前もちゃんと大公の後継者らしくなっているじゃないか。初めてあった頃はあんなにやんちゃだったのにさ」
「昔の話は勘弁してくださいよ、先輩。だいたい僕も軍に身を置いたわけですし、少しくらいは成長もします」
子供の成長を喜ぶかのようなユイの言動に対し、エインスは多少抗議の意味も含め、彼の手にするオー・ド・ヴィを奪う。
そしてそのまま手近なグラスに中身を注ぎ込むと、それを一気に喉へと流し込んだ。
「すまんすまん。階級も同じ六位に並ばれたし、いつまでも先生気分ではいけないな。実際に来年辺りには追い越されているかもしれないからね」
「まあ、僕には家庭の事情がありますから……まあ家庭の事情のおかげで無理を通す事ができたわけですから、今回の件に関しては素直に父に感謝しています」
今回の王女の視察において、当初随員は魔法省の近衛を中心に人選が行われた。
しかし、各省からのバランス人事が望ましいという外部からの声もあり、戦略省からも幾人かがリストアップされることとなり、ユイとの再会を希望していたエインスは自ら同行を願い出たのである。
「しかし、よくライン公が許可したな。こんな僻地への任務は、普通なら反対されるものなんじゃないか?」
「もちろん最初はあまりいい顔はしていませんでしたよ。ですけど、先輩のことを口にした途端、『そうか、ならいい』と言ってそれっきりです」
「そうか……あの方も相変わらずのようだね」
エインスの話を耳にして、懐かしいライン公の顔がユイの脳裏に浮かび上がる。それとともに、エインスの家庭教師をしていた頃の記憶も。
両親を亡くしていたこともあり、奨学金と短期間の雇い入れで生活のやりくりをしていた士官学校時代のユイに、彼の担当教官であるアーマッド教授が自らの親戚を家庭教師先として紹介したのである。
そう、その家庭教師の相手こそ、ライン大公家の長子エインス・フォン・ラインであった。
家庭教師の紹介を依頼したライン公としては、当初はもっと実績豊かな人物を紹介してもらえるものと思っており、まだ少年の面影が残るユイに対し当初は少なからぬ不安を覚えていた。
だが当時は思春期ゆえの気難しさを有していたエインスが、若く緩いにも関わらずどことなく理知的なこの教師に良くなつき、家庭教師の契約は次第に延長されていく。
そうして気がついた頃には、エインス以上にライン公当人が、他の誰よりもユイを気に入るようになってしまったのであった。
結局、ユイの家庭教師業はライン公による援助の意味合いを帯び、エインスが士官学校一年生として入学してもそのまま一年間は継続されるにいたる。
その後ユイに対しライン公は、エインスの右腕として大公家を支えていって欲しいと強く願っており、事ある毎にライン家への仕官を彼に対して薦めていた。
しかしこれ以上甘える形でお世話になることはできないと考え、ユイはこの申し出を固辞したのである。
だからこそ今でも当時のことを思い返すたび、ユイは必ずライン家のこの父子には何らかの形で恩を返すと、何度も心に誓い続けている。
「あの人は今でも先輩のこと諦めきれていないみたいですからね。まぁ、その気持ちもわからなくはないですが……でも、僕が先輩を使いこなせるなんて、本気で思っているんでしょうか?」
「お前達親子はさ、私のことを買いかぶり過ぎなんだよ。このまま地方でゆっくりと余生を過ごしたいと、私自身は思っているんだけどね」
「先輩……なんだか前以上に老成しちゃってますよね」
「全くだ。正直、とても同期とは思えんな」
部屋の入口から割り込むように掛けられた声に、ユイとエインスは視線を動かす。
するとそこには、片手にトランプを握りしめたリュートが、手にしたそれをユイ目がけ放り投げるところであった。
苦笑を浮かべながら未開封のトランプを受け止めると、ユイは溜め息を吐き出しながら取り出したカードをシャッフルし始める。
「そんなことはないさ。君だって、アレックスだって、人は皆等しく歳を取っていくものだよ。そうしていつかは年寄りになっていく。爺さんや婆さんへとね。ふふ、いい機会だ。君と僕とどちらが老けているか決める意味で、ババ抜きでもすることにしようか」
「ふん、いいだろう」
リュートの返答を受けると、ユイは手近なバーカウンターの周りに三脚の椅子を寄せ、二人をそこに座らせる。
そしてリュート、エインス、最後に自分の順番で一枚ずつカードを配り始めた。
「ところで、貴様に一つ聞いておきたかったことがある。どうして王都を出たんだ?」
「どうしてって言われてもな……」
カードを配り終えたユイは、手元のペアを場の中央に捨てながら、困ったような表情を浮かべる。
「そうです。なんで僕達に相談もなく、左遷人事なんかに乗っかってしまったんですか?」
エインスも手元のカードを並べ直しながら、ユイに向かって強い口調で問いかける。
そんな彼らの詰問に対し、自らのカードを引くようリュートに左手を突き出しつつ、ユイはゆっくりとその口を開いた。
「リュート、周囲には誰もいなかったかい?」
「ああ、確認してきた。間違いなくこの周りは俺達だけだ」
リュートは嫌そうな表情を浮かべながら、その問いかけに対して肯定してみせる。
そして彼が一枚のカードを手にしたところで、ユイは二人にだけ聞こえる程度の声で話し始めた。
「ふむ、どこから話したものかな……取り敢えず、コートマン三位を知っているかい?」
「コートマンと言うと、戦略省情報局局長だったコートマン三位のことですか?」
リュートの手元から一枚のカードを引きながら、エインスは学生時代に遠巻きに目にした、官僚臭溢れる丸眼鏡の小男のことを思い出す。
「ああ、そのコートマンだ」
ユイは頷きながらエインスのカードを引くと、できあがったペアを場に捨て、カードをリュートに向かって差し出した。
「あの方のことは俺も知っている。魔法省の大規模演習にも必ず顔を出されていたからな。それでそのコートマン三位がどうされたんだ?」
引いたカードがまたもハズレであったリュートは、舌打ちをしながらエインスにカードを突き出すと、ユイに向かってさらに話の続きを促す。
するとエインスのカードを引きながら、なんでもないことのように、ユイはあっさりと軍部の不祥事を口にした。
「ああ……別に大した話ではないんだけどさ、あの方がクーデターを起こそうとしたことがあってね」
「な、なんだと!」
思わずカードを保持している手をテーブルに叩きつけると、リュートは驚きのあまり目を見開く。
「彼はもともとケルム帝国に軍部の情報を横流しして小銭を稼ぐ、まあその程度の男だったんだ。ただそれがよりによってシャレム二位にバレてしまってね、それで彼は脅されたというわけさ」
「シャレムと言うと、元戦略省次官殿じゃないか」
ユイの口から飛び出してきた予想外の大物の名前に、リュートは思わずつばを飲みこむ。
「シャレムはコートマンを動かして、当時の政敵を排除しようと企んでいた。なにしろ内偵を行うには、国内の情報を一元管理する情報局の局長を使うのが最善だからね。まあそんなくだらない内輪もめは私にとってどうでも良かったんだけど、問題は当時の政敵の一人とみなされていたのが、私の上司だったラインバーグ局長だったことでね」
戦略省戦略局対外戦略担当。
それが当時のユイの所属部門であり、主に情報部から入る情報を分析しつつ、軍事計画の立案に彼は携わっていた。
もちろん若手のユイに直接的に計画を立案する権限はなく、軍部各省の調整と外務省や内務省との折衝が主な仕事である。そしてその当時の戦略局のトップが、そのラインバーグ三位であった。
「ラインバーグ局長もあの立場におられたわけだから、そりゃあ多少は後ろめたいところもあったさ。でも、それを補って余りあるほど器の大きい人ではあったけどね。まあそれから多少のゴタゴタがあった結果、最終的にコートマンたちは追い詰められ、帝国にこの国を売り渡そうと王家と軍部に対するクーデターを企画してというわけさ」
「……本当ですか、先輩?」
あまりに想像を超えた話の内容に、エインスは思わずユイを見返す。
そんなエインスの半信半疑の眼差しを目にして、疑いたくなる気持ちはわからないでもないと思いつつ、ユイは肯定の意味で軽く頷いた。
「ああ、残念ながらね。ともあれ、彼らの計画をなんとか未然に防ぐことができ、事件の関係者を芋づる式に捕らえ、派閥の解体も成功した。ただ連中の恨みは想像以上に根深くてね、不幸にも私にまで火の粉が飛んで来るようになったのさ。で、私の身を案じた局長が、彼らの手の及ばない場所へと私を逃がしてくれてね」
「それがカーリンだったというわけですか……」
ユイの説明を受け、エインスは納得したかのように一つうなずく。
一方リュートは、三年前のユイの転勤と時期を同じくし、数人の軍首脳が突然左遷や退任させられるという出来事があったことを思い出していた。そして眼前の男を知る彼だからこそ、一つの疑念を抱くに至る。
「事件に関し何もしなかった男に、そうそう火の粉が飛んで来るとは思えんな」
「まあ……多少のいたずらと工作をしたのは事実さ。一応、結果としてコートマンは帝国への内通が明るみになり極秘裏に投獄。ただ事件の黒幕とも言えるシャレム自体は、尻尾を掴ませてくれなくてね。次官辞任だけで逃げ切り、未だに自分の領地でのうのうと生活しているようだね」
「そんなことが許されるのですか」
初めて知った事実を前に、義憤を抱いたエインスは怒りの声を上げる。
それに対しユイは、小さく首を左右に振ってみせた。
「残念ながらね。ただそれも些細な事だよ。私にとって最大の誤算は、騒動の責任をラインバーグ局長が取らされたことさ。閑職である士官学校の校長職へ左遷……まさか上司ともども二人で仲良く左遷になるとはね」
苦笑いを浮かべながら、ユイは二人から視線を外すと、そのまま天井を眺める。
その視線は天井の壁を超え、まっすぐに空へと向けられていた。
「お前が話したことが真実だとしてだ……なぜ俺達に一言も言わなかった? お前のことは嫌いだが、アレックスの奴も含めて、俺はお前たちを今でもライバルだと思っている。それにエインスがお前がいなくなってから、どれだけ荒れていたか知らんのか?」
「リュート先輩……それは勘弁して下さいよ」
当時のことを思い出し、エインスは弱ったような表情を浮かべると、リュートに対して非難めいた言動をとる。
「ふん。ともかくだ、俺から勝ち逃げして王都を出て行ったんだ。今日はこいつできっちり借りを返させてもらうからな」
そう言って、リュートはゲーム再開とばかりにユイの手元のカードをつかみに掛かった。
その時、ユイは学生時代からのリュートの癖を思い出し、五枚あるカードの中で中央に位置するカードを少し突き上げる。
すると、リュートはその少し突出したカードを無意識に手にして、一気に引きぬいた。
「君は今も変わらないね、リュート」
ユイが頭を掻きながら苦笑いを浮かべると、まんまとジョーカーを引かされたリュートは屈辱の表情を浮かべた。
そしてその後、結局ユイに翻弄されるがままに望まぬカードを引かされ続け、リュートはなすすべなく最下位となる。
そんな士官学校時代に何度も繰り返された光景を前に、エインスは思わず忍び笑いを浮かべずにはいられなかった。
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