周り周られ周りぬく

 翌日——ループの最終日にして箕美の命日。

 その日の朝を、ボクは伊勢神宮寺邸にて迎えることとなった。

 彼の家は箕美家の真横にある一軒家であり、古くから友好関係にあったと邪推するに足る物品の数々は探さずとも室内の至るところに飾られていた。幼い男女の写真(恐らく幼稚園の入園式の時のものだろう)などの思い出な品が、壁や棚の上といった至る所に。

 というのも、伊勢神宮寺哨戒——彼の両親はご存命であり、尚且つ毎日仕事に行き毎日帰ってくるという素晴らしく一般的な方々だからである。我が家のボケとボケにも見習って欲しいものである。

 とは言え、それ故の面倒事もある。

 我が家などは六感課外活動部において既に公道と化してしまっているが、このようにご両親在宅となると勝手に上がり込んで宿泊するワケにもいかなくなる。ご挨拶と許可を頂かなくてはならない。

 簡単なモノではあるが菓子折りを持って伊勢神宮寺家へと赴き、伊勢神宮寺家のご両親の前で真面目な顔で「同居人と喧嘩をしてしまい、気まずくて家に帰れない。今晩だけでもどうか泊めていただけないでしょうか」といった内容の嘘を息をするように吐き出すことでものの見事にご両親より宿泊許可を得たのであった。考えずとも嘘を吐けるのも、考えものだけれどもこれは成長すれば治るだろうさ。そうでも思わねばやってられん。

 それが、昨晩の話である。

 目覚めた後、ボクはすぐに出て行って、適当にコンビニで朝食でも取り再度伊勢神宮寺と合流しようと考えていたのだけれど、ご両親のご好意によって伊勢神宮寺家の朝食に同伴させていただくこととなった。自分で朝食を作らないというのはなかなかに不思議な気分であったが、伊勢神宮寺母の質問責めを受けていたために、そう暇はせずに済んだ。暇はしないが、ある種の辛さもある。その間も我が家ではあまり嗅ぐことのない料理の香りが伊勢神宮寺父のいるキッチンから漂ってきており、新たな発見に心躍らせたりもしたものだ。

 この家でも食事中会話厳禁のルールはないらしく、食事の最中にも伊勢神宮寺哨戒についての会話は行われた。隣に座ってトマトスープ——と思われるが何やら不思議な味がして、どこの地域の料理なのか予想のつかない汁物——を食べている伊勢神宮寺哨戒が、勘弁してくれも言わんばかりに顔を崩している姿をちらりと見つつ、伊勢神宮寺母が「おかしなところもある子だけど仲良くしてあげて」とボクに言ってきた時は、流石のボクとて乾いた笑みしかこぼすことが出来なかったものだ。

 朝食をとり終えるたら、ご両親が仕事の準備に移る前に一宿一飯のお礼を伝え、ボクは伊勢神宮寺宅を後にしたのである。ボクは、と言っても哨戒と共に家を出たのだけれども。

「良い両親じゃないか。暖かかった」

 と道すがら、伊勢神宮寺に素直な感想を伝えてみる。

 その言葉に「そうでもないさ」と返してきた伊勢神宮寺の表情を、心底残念に思うが、見ることは叶わなかった。ただひとつ言えるとすれば、あれほど良い両親を持ちながら「そうでもない」だなんて言葉を口に出来るということは、それだけ家族のことを知っているに他ならないということだけだろう。

 それは、良いことではないか。

 考えてみると、ボクの両親共はほとんど何考えているのかわからず、両親はボクにほとんど何も残してはくれていないのだ。事実、我が家はそんな荒んだ家庭環境にある。

 例えば、目に見える財としてあの無駄に巨大な木造平屋の我が家——あれは、実を言うと母方の祖父母のものであったのだ。まあその母方の祖父母はボクがこの世に生まれる少し前、未だ母の腹の中にいた頃に凍った道路を自動車で走行中、誤って交通事故を起こしてし、死亡してしまっている故、所有の話をしてしまうと両親となってしまうのだけれど。あれは、ボクの思い描く両親がボクに対し残してくれたものとは少し違う気がする。

 後は、騎式というこの名前も両親から貰ったものではなく、今度は父方の祖父母から貰ったものである。由来などは聞いたことがないため知らないけれど、以前、ボクの名前の発音は同じでも、書いた際の字が両親と母方の祖父母、父方の祖父母で異なるという謎の都市伝説を耳にしたことがある。今の「騎式」という字で書くこの名は、どうやら父方の祖父母考案のものであるらしい。両親のものと母方の祖父母のものは知る由もない、と言っても過言ではない。

 ……両親から真の意味で貰ったものは、この生命と今を生きるために使っている金と言ったところでだろうか。

 なんだかな。

「どうでもいいか」

 どうでもいいのだ。

 今はそんなもの関係ない。今は伊勢神宮寺の願いを成就させることだけを考えていればいいのだ。聖杯みたいな願望の成就方法ではなく、人道に基づいた、己が正しいと胸を張れるような手段にて。

 そんなことを考えながら歩いていると、昨日伊勢神宮寺と久方振りの再会を果たしたあの山中の枯れ草の広間へと到着していた。意味もなくダラダラと歩いているだけの気でいたのだけれど、どうやらボクは無意識中にこの場所へと引かれていたのかもしれない。

 あまりにも超自然的で気付かなかった。

 ボクの誘拐がいかに簡単なものであるかの証明がされてしまった。

「——で?」少しばかりの羞恥を打ち消そうと、ボクは伊勢神宮寺に質問する。「ボクは一体、何をすれば?」

「あの人曰く、霧ヶ音は見ていればいいらしい」

 ………………?

 見ていればいいって……お前は力不足だから出るな的な? 手伝えって言ったのに? 新たないじめか?

「箕美真衣が生きている姿をその目で見ている。それは、箕美真衣の生存に直結するんだとか」

「ほう? そりゃ、また何で?」

「見る——つまり視認されているということは、イコールでそこにそのものが存在していることの証明になるだろ? 証明されているものを否定することは不可能だ。既に証明されてしまっているんだから。例えば、『地球とは平面であり、世界の端に行けば海水は滝のように流れている』と昔は考えられていたが、人間は宇宙へと飛び立ち、その目で確かに『地球とは球体であり世界の端なんてものは存在しなかった』と証明し切った。視認することも込みで、証明したんだ」

「成る程」

 わからん。

「つまり、箕美真衣が生きている姿をその眼で見る——三月一日を越え、三月二日に入るまでその生きている姿を見続ける。そうすることで、箕美真衣は『死の運命』から解き放たれるんだ。死を乗り越えられるんだ」

「成る程ね。了解了解」

 まるで意味がわからない解説だったけれど、要するにボクは今までと変わることなく、ただ傍観者であれば良いらしい。いやぁ、楽な仕事だこと。自ら手を下すことなく、傍観者たれと言われるとは——それはそれで酷い話だ。

「で、何? ボクは箕美が生きている姿を後方支援部隊と書いてストーカーみたく、ずっと見続ければいいの? おはようからおやすみまでじーっとじとーっとした目で監視し続ければいいの?」

「ああ。何か異常とか、箕美が死ぬようなことがあれば報告してほしい」

「? ああ、りょか」

 まあ、いいか。

 深く考えない方が良いとみた。

「んじゃま、早速失礼させていただくとするよ」

 そっと目を閉じて、軽い深呼吸を二、三度行う。

 心臓の鼓動を手中に収め、自分の体で言うことを聞かない部位をただのひとつとして殺ろし切る。

「霧ヶ音」

 困ったような、嬉しさと後ろめたさがごちゃ混ぜになったような不安そうな声。

「頼んだ」

 その声が聞こえると同時にボクは目を開く。

 答えは返さない。伝わると信じて。

 開いた瞳の先に映ったのは、なんてことはなくいつも通り学校へと登校する箕美の姿であった。実を言うと、箕美が死ぬから世界がループするなんて話を信じるに足る証拠なんてものは、今この世界にはないのだ。何だかそう考えると、伊勢神宮寺の言葉に対しての信頼が、ちょっと半信半疑になってしまう。疑っているワケではないのだけれども、至って平凡な軽い足取りの箕美を見ていると、次の瞬間死んでもおかしくないとはとても信じられない。

 まあ、人なんてものは誰であっても次の瞬間死んでいてもおかしくないものなので、信用も信頼も疑惑も疑問も何を考えたところで意味はないのだろうけれど。六感能力なんてものがあることを知ってしまっているというのに、次の瞬間箕美が死んでもおかしくないだなんて、とても信じられないとは言えないだろう。次の一秒、ボクが生きているだなんて確証、この世のどこにもないのだから。次の刹那、この心臓が止まってそのまま死んでもおかしくはないのだから。

 無理矢理に自分を納得させて、親友の私生活を覗き見ている背徳感にゾクゾクしつつ認識を続ける。

「どうだ? 元気そうか?」

 ソワソワしているのであろう伊勢神宮寺が、ボクに対して訊いてくる。

 その姿が鬱陶しかったこともあり、

「あー元気元気。スキップしながら学校に向かってるよ」

 と少しの嘘を混ぜての報告をしてみた。

 その嘘に対して、伊勢神宮寺がまさかの情報を開示する。

「あいつ、スキップ出来ないんだぜ?」

「マジで? ああいうタイプの女子ってみんなスキップ出来るもんじゃないの? 必須事項じゃないの? 必須スキルじゃないの? 検定試験とかあるんじゃないの?」

「スキップが必須事項て何だよ」

「そうなのかぁ」

 ダブルショック。

 クソ程どうでもいい情報だ。

「いやしかし、人様の私生活を無断で覗き見ていると何かこう——背骨の辺りがゾクゾクするな。背徳感と原始的興奮を覚える」

「ストーカーとかの才能あるんじゃね? 蛸足配線に盗聴器とか仕掛ける人の神経ってのはそういうものなんじゃない?」

「成る程ね。こういう……でもゾクゾク止まりだからなぁ、メリットとデメリットの利益勘定は微妙だな」

「そこは個人の癖だろ」

 癖なのかぁ。

 ボクはゾクゾク止まりだけれど、人によってはこれでフィニッシュ決められるのだろうか。世界は広いんだなぁ。世界は広いクセに、世間は狭いもんだ。

 そんなどうでもいい生産性もない会話を挟みつつも、何ら変わることなく足を進め続ける箕美を見ていると、やはり、この後本当にその身を打ち砕かれて死に至るのかと信じている——あるいは信じたい——気持ちが次第次第に失せてゆく。

 これは酷い冗談で、ボクはただ騙されているだけなのではないか——と。

 それは恐ろしい夢で、目を覚ましてみれば頭の隅にも残らないような夢物語なのではないか——と。

 そんなことはないはずなのに、救いを求めて妄想する。

 本当はもう知っているはずなのに、それでもボクは目を逸らす。

「どうでもいい」

 巡る気味の悪い優しい世界を否定して、ボクは機械のように箕美を見守る守護天使代理としての責務を全うする。

 箕美の登校を見守り、遂には見事十字ヶ丘高校へと到着したところまで見届ける。その後教室に行くまでの廊下でもこれといっておかしな点、危ない点などは見受けられない。

 見受けられないから少々休憩、と洒落込みたいところではあるが、もうすでに十五分以上千里眼の行使を続けてしまっているため、ここで見ることをやめた暁には死ぬよりも苦しい生き地獄を味わうこととなってしまうので、解くに解けない状況になってしまった。この職場は前三日間は休暇を取れるが、最終一日のみは丸一日の労働を強いられるブラックな職場なようだ。特殊な技能が必要なお仕事です、ってか。

 箕美の学校生活を二限——一限が古典で二限が物理——も見ていると、忍耐力のないボクとしては流石に飽き飽きして飽きてしまった。まさかのつまらない授業二連続でゴリゴリガリガリと精神力が削られてゆくのだから、仕方ないだろう。

 乾燥する冬空の下日向ぼっこしていることもあり、喉が渇いてくる。しかし、今のボクは少々手が離せないというか目が離せないため、伊勢神宮寺にパシリをして頂いた。この山の昇降が唯一可能なあの謎の山道の入り口付近に自動販売機が二台ほどあることはチラリと見て知っていたので、一瞬箕美から目を離し自販機へ視線を向けて販売されている飲み物を確認する。どれにしようかと一瞬の逡巡の後に『MAXコーヒー』を所望する旨の言葉を先んじて伝える。

 伊勢神宮寺をパシラせた。

 つまりボクは、ひとりになってしまったのだ。

 身の危険を感じる。

 自動販売機から箕美へと視認対象をチェンジしたけれど、そんなことをしたところで変わることなく本体周辺の状況は全く全然これっぽっちも認識出来ない今日この頃。必然、必死な盤面を作り上げてしまった無能なボク。

 知らぬが仏、知らぬが花の真実だ。

 取り敢えず、恐怖を紛らわすためと動物避けの意味を込めて鼻歌でも歌ってみるか。鼻歌を歌うと表現するのは間違っている気もするが、よくわからないのでよくわからないままにしておこう。変に知った気になるのが、一番マズイのだ。

「ふーん。ふふふーんふんふふふーんふん。ふふふーんふんふふーんふん。ふふふふーふーふー…ふーふー…ふー…ふーふーふーふ。ふふふふーんふーん…ふーふーふーふーふーふーふーふーん。ふふふーふ、ふふふーふ……etc」

 題名「エミヤ」。正直に告白してしまうとうろ覚えのため、確かこんなんだった、でしかないために、言わば「偽・エミヤ」となっている。

 生来、ボクは歌というものを真剣に聴くタイプではなく、環境音のように流し聴きするタイプの人間なので、歌のイメージはあっても正確な歌詞はわからないのだった。テンポも微妙だし、これは最早別ものか。何なら国歌すらもまともに覚えちゃいなかったりする。

 唯一フルで歌えるのは「Hot Shot」だけだ。

「どうした? なんか楽しそうじゃん」

 そんな時、半笑いの伊勢神宮寺の歌が背後から聞こえてきた。恥ずかしい。どうやら、聞かれてしまった様子である。まさか、友人をこの手に掛けなくてはいけないなんて——運命とは悲しいものだ。

「MAXコーヒー買ったらあたりが出たんだ。当たりなんて初めて出したわ。しっかし、ぼくの分は買った後だったからさ、何を追加で買ったもんか悩みに悩んだわけよ。んで結局、もう一本MAXコーヒーを買っちゃった。二本飲む? それとも片方はこっちで飲もうか?」

「ん? じゃあ両方飲むわ。見ての通りどこにボクのMAXがあるのかわからないから、キャップを開けてこの手に渡してくれると助かる」

「りょか。……箕美に何か変わりは?」

「まるでなし。授業は水圧。お、テンクス」

 手渡されたペットボトルを慎重に口元へと持ってゆく。なかなかに渇いて干物になりかけていたために、ペットボトルの口と唇が触れ合った瞬間、ボクは一気にMAXコーヒーをあおった。

 最早甘すぎて甘いという感想しか出ない味。この有無を言わさぬ甘ったるさがとても良いのだ。しかし喉はあまり潤った感じがない。

「甘ぇ」

「MAXコーヒーだからね」

 そんな平和な時間は、日常の中に消費されてゆく。

 結局何事もないまま時間だけが流れゆき、遂に放課後となった。箕美真衣は吹奏楽部に入ってるため、放課後の二、三時間は校内から出ることはないだろうが、一応、万が一にもと考え、伊勢神宮寺とぺちゃくちゃお喋りしながらもしっかりと見守り守護天使を続けた——が、何も起こらなかった。

 箕美の下校時間が近付いてきた辺りで、伊勢神宮寺は守護天使ならぬ守護霊となるために箕美のストーキングを行いに向かった。また一人になってしまったが、気が引き締まるのでプラスなことだと考えることにしたため何の問題も発生し得ない。思い込みは強くなるために何よりも必要な儀式である。

 ボクと伊勢神宮寺という二人の男にボディーガードされて歩くお嬢こと箕美真衣。しかし、すぐにボクら二人はボディーガードなんて名乗れたものではないのだと思い知ることとなる。

 確かな足取りで、確かに青信号のため横断歩道を渡る箕美。

 そんな箕美の元へ、さながら猪のように速度を下げることはせず逆に加速度を上げたトラックが突っ込んでゆく。トラックにはね上げられて死亡するなんて、最早日本では伝統芸能と言っても過言ではないほどに良く知られているものだ——そんな死に方では、面白みがない。

 「ふざけるな」

 と闇が包み込む山中で叫び声がこだまする。

 箕美が命を刈り取らんとするトラックの存在に気付き、その瞬間、一瞬動きが止まる。驚きと戸惑いが、箕美のその脚の動きを止める。

 そして遂に、トラックの頭が停止線を越え——次の刹那、そのトラックは大きく進路を左に曲げて、ガードレールごと横断歩道に乗り上げて見せた。凄まじい曲芸などではなく、どうやら伊勢神宮寺が間に合ったらしい。

 箕美の体は反射的にトラックから距離を取るようにふらふらと横断歩道の逆端へと逃げてゆく。

 これで終わりだ、と安堵の息を吐くと、トラックの背後から逸れて出て来た後続車が箕美の体を跳ね上げた。

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