第25話 確かな信頼

「ユーゴ様、お手数をおかけいたしました。もう大丈夫です」


医務室に向かう途中でサーシャはユーゴに告げる。体調不良というよりも精神的に負荷が掛かっただけなのだから医務室よりも自室に戻りたかった。


「それなら生徒会室に寄ってシモンに送ってもらいなさい。今なら生徒会室にいるはずだ。そんな酷い顔色のまま一人で帰すわけにはいかない」


シモンを煩わせるのも嫌だったが反論するのも億劫な気分で、サーシャは渋々頷いた。勘の鋭いシモンに何と言い訳をしたものか、考えるだけでますます気分が沈んでしまう。


「サーシャさん?」


生徒会室の付近で遭遇したのはアヴリルだった。その時になってサーシャはようやく自分の迂闊さに気づいた。ユーゴのことは何とも思っていないと告げたばかりなのに、二人で連れ立って歩いている光景を見たアヴリルがどう思うか。


(アヴリル様にまで誤解されてしまう。そうすればきっとソフィー様だって……)


サーシャを気に入って親しくしてくれたのに、彼女たちにも嫌われてしまう。もうどうしていいか分からなくなり、サーシャは俯いた。顔が熱くなり視界が滲みそうになるのを必死に堪えていると、耳にしたのは信じられない言葉だった。


「サーシャさん、大丈夫ですか?――ユーゴ様、サーシャさんに何をなさったのですか?」

おっとりしたアヴリルの口調が責めるような響きを帯びている。


「ちょっと待て、俺は何もしていないぞ。サーシャ嬢は体調が優れないようで――。いやそれよりも何でそんなに親しげな呼び方を?もともと知り合いだったのか?」


アヴリルの言葉に動揺したのか、普段よりもユーゴの口数が多くなっている。


「先日お知り合いになりましたの。サーシャさん、一緒に寮に戻りましょうか?」


(アヴリル様……心配してくれているの?)

疑うことなくサーシャの身を案じるアヴリルの言動に、気づけば涙が一筋こぼれた。


「サーシャ?ユーゴ様、その娘に何かしたのですか?!」


顔を上げずとも分かるソフィーの言葉もまたサーシャを庇うものだった。二人の優しさが沁みて堪えようとするのに涙が止まらない。


「っく、すみません。……ユーゴ様、のせいじゃ、ないです」


「ユーゴ様、サーシャのことは私たちが任せて仕事に戻りなさい」

「しかし…」


「男性には話しにくいことだってありますわ。サーシャ、行くわよ」


ユーゴの迷いを断ち切るようにソフィーはすぐさまサーシャを促す。その行動力に感謝をしながらサーシャは一礼してその場を離れたのだった。



「それで、どうしたのよ」


ソフィーの部屋に連れてこられたサーシャにソフィーは早速質問をする。涙は止まったものの、まだ思考がぼんやりしていて何から説明してよいか迷ってしまう。


「ソフィー、少し時間をあげて。サーシャさん、お茶をどうぞ」


甘い香りが鼻腔をくすぐり、落ち着こうと紅茶に口を付ける。

果実のような甘い香りと柔らかい味わいにほっと息をついた。冷たい指先がじわりと温まり、強張った心がほどけていくようだ。


「ソフィー様、アヴリル様、みっともない姿をお見せして申し訳ございません」


人前で感情的な振る舞いをするのは貴族としても侍女としても恥ずべき行為である。だがソフィーもアヴリルも気にするなというように軽く受け流してくれた。そんな温かい雰囲気に押されて、サーシャは口を開いた。


「もしご迷惑でなかったら、ご相談に乗っていただけないでしょうか?」


そうしてサーシャは名前を伏せた状態で婚約者のいる男性から好意を寄せられていること、婚約者の女性を応援しようとしたが拒絶されたことなどを簡潔に伝えた。


「ユーゴ様にお声掛けいただいたので、はっきりと想いを告げられてはいないのですが……」


ともすれば自慢と取られそうな話だったが、ソフィーもアヴリルも嫌悪感など見せず真剣に話を聞いてくれた。


「ねえ、その男性って騎士団長のご令息ではなくて?」


第二王子の婚約者であるソフィーに名前を告げることが何となく憚られ、実名を告げなかったのにあっさりバレてしまった。


「色々な噂を届けてくれる方々がいるの」


種明かしをするようにアヴリルが教えてくれたが、通常よりもその笑みが何となく黒く見えるのはサーシャの気のせいだろうか。


「女性に乱暴な振る舞いをして騎士失格だと噂になっているわ。それに加えて婚約者以外の女性に言い寄るだなんて、さらに評判を落としたいのかしらね」


「サーシャさんは同年代の女性と比べて落ち着いていますから、甘えていらっしゃるのでしょう」


見かけによらず辛辣なアヴリルの評価にサーシャは唖然とした。


「あの、私の貴族らしからぬ言動が興味を引いてしまう原因となってしまったようです。お義母様に淑女としての在り方を教えてもらったはずなのに、上手くできなかった私にも責があります」


「サーシャ、何を言っているの?そんなのサーシャの個性じゃない。悪いのは配慮もなく勝手な振る舞いをするセーブル伯爵令息ではなくて?」


「サーシャさんが誤解されるような言動をしたとは思いません」


お互いに面識ができたのはほんの数日前のことである。にもかかわらず二人はサーシャに非はないと疑っていない。


「……どうしてソフィー様とアヴリル様は私のことを信じてくださるのですか?」

サーシャの言葉にソフィーとアヴリルは顔を見合わせて答えた。


「サーシャはそんなに器用な性格ではないわ」

「サーシャさんの性格からして男性を弄ぶような方ではありませんし」


それに、とソフィーは言葉を続ける。


「私たちのことを見くびらないでちょうだい。幼少のころから貴族や王族と接してきたのだもの。信じていいこととそうでないことの区別はついているわ。特にアヴリルは大人しいけれど人の本性を見抜く力は私よりも優れているのよ」


「うふふ。サーシャさんは誤解されやすいけれど、とても優しい方だと思っていますよ。先ほども私のことを慮ってくれたでしょう?そういうところはちゃんと理解しているつもりです」


ユーゴといた時のことを指摘され、サーシャは言葉に詰まる。二人で一緒にいるところを目撃すれば冷静ではいられなかっただろうに、アヴリルは正確にサーシャの心情を見抜いてくれたのだ。


二人が信頼してくれていることに再び涙が込み上げそうになって、サーシャは慌てて紅茶を口に運び、湧きあがる温もりを噛みしめた。


「サーシャさんは伯爵令息とも婚約者さんとも一度距離を置いた方が良いですわ」


ふわりと柔らかな笑みを浮かべながらも、きっぱりと告げるアヴリルにソフィーも同意を示す。


「サーシャが仲良くなりたいと思っても今のままだと平行線。騎士団長の息子とは関わらないに越したことがないから、お昼は私たちとサロンで摂ればいいわ」

「ソフィー様、さすがにそれは畏れ多いご提案ですわ。友人がおりますので大丈夫です」


諸事情によりアーサーのような王族が利用できるサロンというものがある。高位貴族の中でもアーサーが許可した者でなければ使用できない。ソフィーは婚約者、そしてその友人であるアヴリルも立ち入りを許されているようだが、サーシャには分不相応の場所であり、さらにはアーサーと遭遇する可能性はなるべく減らしておきたい。


「サーシャさん、ソフィーはお昼をご一緒したいだけですよ」

笑いを含んだ言葉にソフィーが顔を赤くしながら反論する。


「アヴリル!違うわよ。ただそのほうが、サーシャがそいつに絡まれなくて済むと思っただけだから。私も忙しいからいつも話を聞けるとも限らないし、といっても別に会いたいと思っているわけじゃないのよ」


(ソフィー様、なんて可愛らしいの!これがツンデレの魅力……)


前世ではあまり理解できないジャンルだったが、転生してからツンデレについて再認識させられるとは思わなかった。


「そういうわけなので、明日はご友人も一緒にサロンにいらっしゃいませんこと?」


ミレーヌたちに確認する旨を伝えてサーシャはソフィーの部屋をあとにした。来た時には沈んでいた心がすっかり軽くなっている。レイチェルのことは悲しかったが、いつかまた言葉を交わせる日が来ることを待つしかない。


(友達出来ればいいなぐらいだったのに、気づかないうちにどんどん欲張りになっていたのね)


同級生たちとは友人になれなくても適度な距離を保てればいいと思っていた。交友関係を築いたとしてもそれは学園の中だけのこと。卒業すれば身分が違うから顔を合わせることも難しくなる。それがひねくれた考え方だったと恥ずかしくなくるぐらい、今のサーシャには一緒に過ごす大切な友人たちが出来た。


レイチェルの気持ちを尊重しようと決めたサーシャは、友人たちの存在に改めて感謝したのだった。

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