第6話 攻略対象(候補)

学長挨拶から始まった入学式は、厳かな雰囲気の中で進行していく。


緊張感を孕んだ空気が変わったのは、ダークブロンドの理知的な瞳をした生徒が壇上に上がってからだ。


「生徒会長を務めるユーゴ・デュランだ。在校生代表として君たちに歓迎の言葉と祝辞を送ろう」


涼やかで落ち着きのある声に一部の女生徒からため息が漏れる。


学園での振る舞いや注意事項などを述べて祝いの言葉で締めくくりかけた時、ユーゴの言葉が一瞬途切れた。


疑問の声が上がる前に、何事もなかったかのように言葉を続けてユーゴは降壇した。

ほんの僅かな間だったため、ほとんどの生徒は気に留めていないようだ。


(何か、目が合った気がする……)


自意識過剰なのかもしれないが、あのときユーゴはサーシャを見てはっと息を呑んだようだった。記憶を辿っても心当たりがないので、サーシャは気のせいだと思うことにした。


入学式の後、クラスに分かれて教師から明日の予定と注意事項の申し送りが終わると、今日の予定は終了だった。


寮に戻って荷物の片付けをしていると、遠慮がちなノックの音が聞こえてサーシャは返事をする。


「サーシャ、今いいかな?」

聞こえてきたシモンの声にサーシャは思わず硬直してしまった。


(女子寮なのに、何でお義兄様がいるの?!)


落ち着いて考えれば家族なので、受付で申請すれば面会が可能だったはずだ。

入学祝いだから夕食の誘いに来たというシモンに対して断る理由が思いつかず、一緒に夕食を取ることになった。よくよく考えてみれば、シモンが入学して以来二人きりで話すことなどなかった。


(お義兄様には確かめたいことがあったのだから、ちょうど良い機会かもしれない)


頭を切り替えてサーシャは出かける準備に取り掛かった。


10分前に支度を済ませて玄関ホールに向かうと、すでにシモンが待っていた。寮を出て数歩踏み出したところで、シモンが立ち止まる。

不思議に思ったサーシャが目線を辿ると、一人の男子生徒の姿があった。


「やあ、奇遇だね」


にこやかな笑みを浮かべた青年は、夕暮れの中でも輝くような黄金色の髪と透き通るような青い瞳の持ち主だ。


「……偶然にしては出来過ぎていますよね。アーサー様、義妹のサーシャです。サーシャ、こちらはアーサー・ドゥ・ランバート殿下だ」


その言葉にサーシャは膝を折ってカーテシーを取ろうとするが、止められた。


「サーシャ嬢、学園では身分の差を問わず勉学に励むよう過度な礼儀作法は不要だ」


確かに入学前の通知にもそのような注意事項が記載されていた。


「ご教授いただきましてありがとうございます。いつも兄がお世話になっております」


控えめに礼をすると楽しそうな口調でアーサーが続ける。


「どちらかというと私が世話になっているほうだ。シモンは優秀だからね」


「ええ、私どもの自慢の義兄ですわ。殿下のおかげで義兄も恙なく学園生活を過ごしているようで安心いたしました」


顔を上げるとアーサーは少し驚いたような表情を浮かべている。


「サーシャ嬢、君は――あ、いや何でもない。足止めしてしまって悪かったね」

そう言ってアーサーはその場を離れてしまった。


「お義兄様、私は何か粗相をしてしまったでしょうか?」

「いいや、大丈夫だ。サーシャは何も気にしなくていいよ」


いつもと変わらないシモンの顔を見て、サーシャはそれ以上気にするのをやめた。



シモンとの食事は思いのほか楽しかった。サーシャはほとんど聞き役だったが、シモンの最近の研究結果や最近読んだ本の話は興味深く、時折質問をすると分かりやすく的確な答えが返ってきた。


幼いころから植物に関心があったシモンは、現在薬草学について独自に研究開発を進めている。既にシモンが発表した研究結果の中には実用化されたものもあり、今も致死率の高い疫病に効果的な薬の開発に力を入れているところだという。


「お義兄様の研究は本当に素晴らしいですわ。殿下が優秀だとおっしゃってくださるのも分かります」


内心の興奮とは裏腹にサーシャの表情は変わらない。傍から見れば皮肉を言っているように受け取られても仕方がないのだが、シモンにとってはいつものことだった。


「サーシャにそう言ってもらえるのが一番嬉しいな。――ところでサーシャはアーサー様に興味はないの?」


唐突な質問にサーシャは思わず口に含んだお茶を吹き出しそうになった。


「……特にございません」


王族なんていう最高権力者と関わり合いになりたくない。何よりサーシャの予想ではアーサーも攻略対象候補だ。

悪役令嬢のように下手を打って国外追放や死罪になる可能性だって十分に考えられるのだから、むしろ一定の距離を置きたいと考えている。


「そうか。……良かった」


後半部分の小さな呟きは無意識のようだったが、それはサーシャの耳にも届いていた。嫌な予感に鼓動が早くなる。


平静を装ってシモンを見れば、いつもの優しい笑顔だが瞳に熱がこもっているように感じるのは気のせいだろうか。


店を出るとシモンはおもむろにサーシャの手を取った。


「夜は危ないからね」

「子供扱いなさらないでください」


危ないからと言って手を繋ぐのは子供の時までだ。はっきりと拒絶の意を示すと、困ったような笑みを浮かべたものの、シモンはそれ以上何も言わなかった。




部屋に戻ると、サーシャは今日の出来事について考えるため机に向かった。

サーシャが予想した攻略対象候補は4人だ。


ランドール国第二王子であるアーサー・ドゥ・ランバート殿下、伯父を宰相に持つユーゴ・デュラン侯爵令息、騎士団長の次男、ジョルジュ・セーブル伯爵令息、そして義兄であるシモン・ガルシアだ。


今日一日で全員と何らかの接触を図ったことになる。随分と偏りのある出会いが多かったが、乙女ゲームの強制力というやつだろうか。


「まあユーゴ様は勘違いかもしれないけど。…それにしても一番厄介なのにお義兄様なのよね」


実はサーシャとシモンの間に血の繋がりはない。なぜならシモンの父親はジュールではないからだ。


といってもマノンが浮気したわけではなく、元々マノンはジュールの兄であるマシューの婚約者だったのだ。


結婚直前に事故で亡くなり代わりに白羽の矢が立ったのは弟のジュールだ。その時マノンは既にマシューの子を身ごもっていたため断ろうとしたのだが、「兄の子なら僕が育てるのが適任だ」というジュールの言葉と周囲の説得もあって結婚したそうだ。


(それだけ聞くといい人なのに、お父様は考えが足りないのよね)


母のことにしても「既婚者だと伝えれば、会ってもらえなくなると思った」という理由でその結果何が起こるのか考えが至らず、母を失うことになったのだ。


ちなみに何故サーシャがそれを知っているかというと、マノンが教えてくれたからだ。


使用人として働き始めた当初はクズ認定した父を認めず、旦那様と呼び続けていた。ジュールはそれに大層ショックを受けて、自室に引きこもってしまったのだ。


見かねたマノンが父の優しい一面を伝えるために、シモンの出自をサーシャに打ち明けた。本来言わなくて良いことを話してくれたマノンの信頼を裏切りたくない思いもあって、クズから残念男にシフトしたジュールをサーシャは再びお父様と呼ぶようになった。


「血の繋がりのない兄妹なんて王道パターンだけど、自分の身に降りかかるとなればちょっとどうかと思うわ」


シモンが自分を女性として見ているかどうかは分からない。ただの妄想であれば土下座して謝罪したいぐらい失礼なことだとも思っている。


「でも何で急に手なんて繋ごうと思ったのかしら」


義兄が攻略対象候補であることに思い至ってからは一定の距離を取っていたし、好感度が上がる要素はないはずだ。

そもそも直前まで普通に会話をしていただけだし、特に変わった行動をしたつもりもない。


いくら考えても答えは出ず、サーシャは諦めて休むことにした。




論文の続きに取り掛かろうとしたが、一向に集中できずシモンはペンを置いた。今日は気づけばサーシャのことばかり考えている。


半年ぶりにあった義妹は随分と綺麗になったように思う。屋敷にいる頃は侍女の服装で仕事がしやすいように髪も束ねていたが、艶やかな黒髪をおろし堂々と歩く姿に一瞬見惚れてしまったほどだ。


「ちょっとどうかしているのかもしれないな。サーシャは義妹なのに…」


昔からサーシャに関してはつい過保護になってしまう。初対面で侍女になりたい、という彼女は周囲に迷惑をかけないようにひたすら気を遣っていた。

母親を亡くしたばかりなのに、泣き言一つこぼさずに、ただ与えられた仕事を懸命にこなす姿に彼女を守ってやりたいと思ったのだ。


花冠や菓子をあげても丁重に礼を言うだけだったが、勉強を教えてあげるときらきらと輝く目で取り組む変わった少女だった。

それが嬉しくてシモン自身も勉学にさらに力を入れるようになり、研究にのめり込むようになったのだから今の自分があるのはサーシャのおかげなのかもしれない。


「あの子はいつも我慢しているし、学園にいる間ぐらい甘やかしてやっても罰は当たらないだろう」


——自分はあの子の義兄なのだから。


そう結論づけるとだいぶ気持ちが落ち着いた。何故帰りにサーシャの手を取ったのか、無意識のうちに考えることを避けていることにシモンは気づかなかった。

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