第32話 運命の相手は堕天使で浮気者

 猫背で歩いている男がいた。

 数日現れないことを覚悟して待ち伏せしていたが、まさか一日目で釣れるとは思わなかった。


 俺達が近づいていくと、風呂に入っていないのか酸っぱい匂いがこっちまで漂ってきた。

 嫌な感じがしながらも、俺は独り言にも聞こえるぐらいの小さい音量で話しかける。


「『ワサビ抜き』さん」


 ゆっくりと男が振り向く。

 頭にニット帽とマスクをしている人であり、監視カメラに映っていた男だ。

 近くで観るとよく分かる。


 この人、やっぱり学生だ。


「ネットの名前で振り向きましたね? あなたがツユを追いかけまわしていたんですよね?」

「なっ、何のことですか? 意味、分からないです……」


 眼球をギョロギョロと常に動かしながら、自分の腕を手で掴みながら肩を揺さぶっている。

 極度の緊張状態にある彼を、ここ数日ずっと追いかけて来た。


「須藤大我ですよね?」


 俺の横にはアイ、それからツユがいる。

 その中で俺が代表して男の名前を呼ぶ。


「…………な、なんで、俺の名前を?」

「SNSで調べたのよ」


 アイが一歩前に出る。


 俺達はここ数日、ずっとSNSでこの男について検索を続けた。

 ずっと文字を追い続けたせいで頭がおかしくなりそうだった。


「お、お、お、俺は……本名ではやってない!!」

「あなたはやってなかったわね」

「まさか。探偵でも使ったのか!?」

「いいえ。自力で。あなたが本名でやってなくても、あなたのフォロワーはやっていた。だからあなたの本名にも辿り着いたの」


 この『ワサビ抜き』という男は複数のSNSを連携していた。

 そして、全てのSNSを確認し、そこからフォロワーを全員確認した。


 SNSをやっていれば、必ず一人はいるネットリテラシーの低い人間を洗い出した。

 匿名のSNSであっても本名でやっていたり、顔写真をバンバン乗せたりする奴だ。

 そんな奴がいれば、もっと情報を集められるからだ。


 どれだけ内向的な人間であっても、学校というコミュニティには属さなければならない。

 特に仲良くもないのに勝手にフォローしてくるお調子者がいて、そういう奴をブロックするのも後々大事になるからフォローを返す人間がいる。

 それは、この人もそうだったらしい。


 そして、ストーカー本人を探し出すことに成功した。


 呟きの内容や日時、それから友好関係など、匿名SNSと実名SNSと符合する点を照らし合わせてようやく特定したのだ。


 ストーカーの本名や顔写真を。


 その特定のせいで時間を要した。


「だ、だけど、そもそも俺のアカウントすら知らないだろ!?」

「最近『こんな変なもの落ちてた』って呟きしてなかった?」

「あっ……」


 動画に登録していた『ワサビ抜き』というアカウントから、人物を特定できれば一番だったのだが、サブ垢の一つしか特定できなかった。


 だから俺達はストーカーのメイン垢を探る為に罠を張った。


 用意した伊勢海老を、ストーカーが歩くであろう場所に置いたのだ。


 配信内であれだけ発信をしていた人間なのだ。

 俺達の狙い通り、ストーカーは、アスファルトに落ちた伊勢海老を写真で撮ってネットに流した。

 そこでストーカーのメイン垢を知る事ができたのだ。


 匿名性のあるアカウントだったが、そこからさっきの通りの手順で本名を割り出した。


「せめてリアルタイムで呟くのは止めた方がいいわよ。私だって、カフェに行ったっていうツイートは数時間後にするもの」


 伊勢海老を置いてから、その写真を撮って呟いた。

 そのアップの速さがリアルタイムだったので、すぐにアカウントを特定できた。


「特定したアカウントを見たら、相互フォロワーの中にあなたの裏垢があったんです。そこであなたと『ワサビ抜き』っていう人が同一人物って言うのが分かりました」


 今の時代、複数のSNSを同時にしているせいで、アカウントの管理が難しい。

 特に、一つのSNSであってもアカウントを複数持っている人間は大変だ。


 だから、管理しやすいように、複数のアカウントを相互フォローしておく人がいる。

 それをこの男がしていたおかげで、すぐにVTuber用のアカウントと、日常系のアカウントを見つけることができた。


「――これを警察に言ったらどうなると思いますか?」


 ここからは賭けだ。


 仮にストーカーの素性を特定できたとしても、それで警察が動いてくれるとは思えない。

 警察は事件が起きてからじゃないと行動できないのだ。


 だから、ブラフをかけた。

 ここ数日の草の根を分けるような検索作業は、このストーカーの心を折る為のもの。

 これで素直に警察に自首をしてくれたら、俺達の努力は報われる。


「――せぇ」

「え?」

「五月蠅ぇんだよ!! な、なんなんだよ、お前さっきから!! 調子に乗るんじゃねぇ!!」

「きゃああああっ!!」


 ツユが悲鳴を上げる。

 ストーカーが激高して殴りかかってきたのだ。


 へっぴり腰で放った拳だったので難なく躱せたが、いきなり暴力に訴えてくるとは思わなかった。


「お、お、お、お前。俺クンの彼女であるレ、レ、レ、レインちゃんに近づくんじゃねぇよ!! SNSにツ、ツ、ツーショットなんて乗せやがって!!」

「ツーショット? そんな前から……?」


 俺達がSNSで上げた写真は、偽装カップルの時だけだ。

 しかも、あれは数日経って削除している。


 それを知っているってことは、この男は大分前からツユのことを調べ上げていたということになる。


「だって俺クンは彼氏だもん! 彼氏なんだから彼女のことをずっと見ているのは当たり前だよねぇ!!」

「あ、あの……」

「なぁに、レインちゃん」


 寒気がするような、ねっとりとした声で男は聴き返す。


「あなた、誰ですか?」


 男の反応が遅れる。


「…………え?」


 男が腕を振るって熱弁を始める。


「な、何言ってるの!? 電車の中でいつも一緒になるじゃん」

「で、電車?」


 ツユは心当たりがないようで、ずっと困惑の表情をしている。


「そうだよ。電車の中で君と隣の席になったこともあるよね? いい匂いだったなあ。気になってたら、新しいシャンプーをどこの使っているかSNSで上げてくれたよね? 俺クン達って以心伝心だよねぇ。それに運命を感じたんだよ。俺の好きなレインちゃんと、まさか君が同一人物だったなんて。他の奴等は気が付かなかったけど、俺クンは勿論分かったよ。――だって、運命の相手なんだから!!」


 つまり、電車でツユのことを見かけて好意を持っていた。

 そして、その声をずっと近くで聴いていた?

 そのお陰で自分の好きなVTuberだと特定できた。


 そういうことか。


 だからこの人、他校の生徒だったのか。

 どうやってツユのことを特定できたのかずっと疑問だったが、なんとも怖い偶然が重ななったものだ。


「たまたま電車の中で一緒になっただけ、か。ツユが誰なのか分からないのもの納得だな」

「お前ぇ!! 五月蠅いんだよ!!」


 飛沫を飛ばしながら、男は地団太を踏む。


「レインちゃんは天使なんだよ。俺クンを救ってくれたんだ。なのに、男がいるなんておかしいよねぇ。俺クンだけの天使が堕天使になんてなっていないよね?」


 男が懐から取り出したのは、包丁だった。


「浮気した女には相応のお仕置きが必要だよ」


 逆手に持って振り被る。

 その標的となっているのはツユだった。

 俺はツユを押しのけて盾になろうとする。


「――きゃっ」


 だが、大きく振りかぶった男の腕を、後ろからガッシリと掴む人間がいた。

 いや、腕だけじゃない。

 腰や足にも数人がかりで捕縛する人間がいた。


「な、なんだ、お前らはあ!!」


 全員スーツ姿の男達に捕まったストーカーは、俺達の話に夢中で接近に気が付かなかったらしい。

 陰に隠れていた男達は、徐々に距離を詰めていた。

 その内の一人はずっとカメラを回して、音声と映像を拾っていた。

 これが証拠になるはずだ。


「どうしますか?」


 スーツ姿の男の一人がアイに質問してきた。


「警察に連れて行きましょう。映像は?」

「撮れています」


 もしもの時の為に、アイの家の人間がスタンバイをしてくれていた。

 だからあれだけ俺は強気に出られたのだ。

 だけど、まさか凶器を隠し持ってそれで攻撃してくるとは思わなかった。


 自首をしないのなら、自供を映像で撮ってそれを警察に提出すれば、起訴されるかもしれない。

 そう思って映像を回していたのだが、想定以上のものが撮れた。


 これで、このストーカー犯は確実に警察のお世話になることだろう。


 すぐそこにリムジンやらベンツが停めてある。

 後は彼らに任せて警察まで連れて行ってもらおう。


「このビッチがああああああああああ!! 何してんだよおおおおおおおおおおお!! 俺を助けろよおおおおおお!! この尻軽女があああああああああ!!」

「――ひっ」


 男の大きな叫びにツユが怯える。


 ツユを眼の前にした方がストーカーは本音を喋りやすいからと、連れて来た。

 だが、やっぱり家に置いておくべきだった。


 ――私、やりたいです。その方が捕まりやすいっていうのなら。


 その覚悟を俺は聴いていたので意見を尊重したが、恨まれるのを覚悟で踏みにじるべきだったと反省している。


「お前、もう黙れ」

「……は、はぅあ」


 シャツを掴んで、首を軽く絞めるようにすると、すぐに男は黙った。

 それからさっきまでの暴れ方が嘘のようにおとなしくなって、男はリムジンに乗せられて、近くの警察署まで行った。


 俺達も警察に事情を話す為に行かなければならない。

 だが、その前に、


「ううう」


 膝をアスファルトにつけて呻いているツユを、どうにか元気づけてやらなければならない。


「終わったよ。あいつは何処かへ行ったよ」


 ツユは俯いたまま顔を上げない。

 俺は彼女を抱きしめると、なるべく優しい声色を心がけて呟く。


「だから、もう泣くな」

「うあああああああああああああああああっ!!」


 泣くなといった瞬間、堰を切ったように泣き出してしまった。

 そのせいで警察署に行くのは遅れてしまったが、そこまで急ぐ必要はない。

 なにせ、もうこの事件は解決したのだから。


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