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その日を境に、多々羅の思いは一層熱を帯びた。
だが、その後、初恋は幻想の内に散るという事を、多々羅は思い知ることになる。
あれから二十一年の時が過ぎた現在、多々羅は恥ずかしいやら悔しいやら悲しいやら、複雑な気持ちを絡ませ合い、目の前の男を見下ろしている。
「返せ!俺の初恋!」
「は?何の話だよ」
あの可憐な少女は、間違いなく、多々羅の目の前で不可解な表情を浮かべているこの男、
愛が男の子だと気づいたのは、愛との出逢いから約二年が過ぎた頃、多々羅と愛が小学生に上がるタイミングだった。バッサリと髪を切り、自分と同じ男子の制服を身につけた愛の姿を見て、多々羅はようやく気づいたのだ、愛が自分と同じ男である事を。その時の、脳天に雷が落ちたような衝撃は、今でも鮮明に覚えている。
それまで愛は、今のような乱暴な言葉遣いも横柄な態度も取らない、そもそも口数が少なく、そっと控えめに微笑むような性格だった。それでいて、愛らしい見た目で髪は長く、服も女の子の服ばかり着ていたので、多々羅が勘違いしても仕方がないかのもしれない。
何故、愛が女の子の服ばかり着ていたのかというと、妹を欲しかった結子が、愛を大変に可愛がった結果だった。
結子は、自分のお気に入りの服を引っ張り出しては愛に着せ、髪を結ってと、まるで愛は着せ替え人形のようだった。養子に迎え入れられた遠慮もあったのか、愛は結子にされるがままで、反抗する態度は一切見せなかったが、それでも、小学校の制服を着た時は、とても晴れやかな顔をしていたと、多々羅は今になって思う。愛としても、女の子扱いされているのは嫌だったのだろう。
それでも拒否出来なかったのは、結子から愛情を感じたからなのかもしれない。愛も女の子の服は嫌だけど、構われる嬉しさはあったのだろう。それを見た凛人が羨ましくなったのか真似をして、一時は瀬々市三姉妹と、近所では話題になった事もあった。
愛は、多々羅と出会ったあの頃から、瀬々市の養子として迎え入れられたが、彼の本当の親が誰なのかは、今も分かってはいない。
愛が瀬々市家へ迎え入れられるきっかけとなったのは、
正一は宵ノ三番地の店長で、正一も愛と同じく、物に宿る化身が見える人間だ。正一も、家業を継ぐ前から、この宵の店の手伝いをしていたらしく、先代から店を受け継いでからは、社長業の傍ら、宵の店の仕事もこなしていたという。
愛の主治医である
愛が正一達と出会ったのは、その信之が開いている
この子を、助けて下さい、助けて下さい。
そう涙ながらに縋りつかれ、信之は子供を受け取った。その子供が愛だった。愛は意識を失い、ぐったりとしていたという。
男性の必死な様子からは、愛が大事にされている事が伝わってくるが、事情を聞こうにも、男性は頭を抱えて涙に踞るばかり、信之は男性を処置室の前にある長椅子に促して宥め、愛を抱えてひとまず処置室に向かった。
そして、愛の瞳を見て、信之はすぐに男性に確認を取ろうとしたが、その人の姿は既になく。出来る限りの治療を終えて目を覚ました愛は、自分が誰であるか、その記憶を失っていた。
信之から連絡を受けて駆けつけた正一は、自分が愛を引き取ると申し出た。愛と名前を付けたのも正一だ。
正一が愛を家族として迎え入れた理由の一つは、恐らく物の化身が見える瞳にある。正一が預からなければ、愛はどこかの施設に入るしかない。物の化身が見える愛に、理解者が現れるだろうか、誰にも見えないものを指差す愛を、普通ではないと考える人の方が恐らく多い。
それに、やはり愛の瞳は特殊だった。
あの時、シロツメクサの原っぱで愛が倒れたのは、瀬々市の家にも慣れて気が緩んでいた所で見知らぬ少年と出会い、パニックになったせいもあるだろう。この頃はまだ、愛は瞳の色が変わる特殊な眼鏡は掛けておらず、左右の瞳の色が違う事で、好奇や嫌悪の眼差しを向けられる事に、傷ついたり窮屈な思いをしていた。また、瞳の色が違うと指をさされるのではないか、そんな恐怖を抱いたのかもしれない。
だが、愛が倒れるに至ったのは、心的負担からくるものだけではない。
愛の不思議な瞳には、常人にはない力が秘められている。愛がよく倒れていたのは、その瞳に見られる物の化身の痕跡が影響しているという。信之が愛の瞳を見て、先ず愛を連れて来た男性に話を聞こうとしたのも、その瞳に化身の痕跡が見られたからだ。
正一も物の化身が見えるが、愛のようなオッドアイではないし、見えるからといって体に異常が出る訳でもない。愛も、瞳以外は健康体で、倒れて何日も寝込むという原因に至るものは、やはり瞳以外に考えられなかった。
今でこそ、自分の体と向き合い、倒れる事もなくなったが、当時はまだ心も体も不安定だった。物の化身に理解のある人間が愛の側にいた方が安全だ、正一はそう考え、愛を家族に迎え入れた。瀬々市家の家族も、正一が不思議なものを見れることは分かっており、正一の熱意に押されたのもあるだろう、愛を受け入れる決断をした。
まだ、愛を女の子だと勘違いをしていた頃の多々羅は、物の化身の事は聞かされていなかったが、愛が病弱だという事は分かっていたので、愛が倒れてしまわないように、いつも気合いだけは入れていた。多々羅が気合いを入れた所で、愛の体調の変化は止められないが、当時の愛にとっては安心材料にはなれていたのではないだろうか。
「大丈夫?辛くない?愛ちゃんが楽しくなれたらいいなって思って、いっぱい本を持ってきたんだよ!」
愛がベッドから起きられない日は、多々羅は図書館から沢山本を借りてきたし、調子の良さそうな日は、結子達も交えて中庭やシロツメクサの原っぱで遊んだりもした。小さな手を引いて、「僕がいるから大丈夫だよ!」と、根拠もない言葉をおまじないのように愛にかければ、愛はどこか照れくさそうにしながらも、安心したように小さく頷くので、多々羅の心はいつだってポカポカしていた。
振り返れば振り返るほど、苦さと甘酸っぱさと恥ずかしい思いに隠れたくなるが、現在の愛を前にすれば、それも何だか愛しい思い出に思えてくるのが不思議だった。
あの頃の愛ちゃんは、本当に可愛かったな…。
すっかり別人のようになってしまった愛を見下ろして、多々羅は思う。
何はともあれ、勘違いとはいえ五歳で果たしたプロポーズが実行されているようなこの状況。愛の為に家事をやって世話をして、仕事も一緒で、同じ屋根の下で寝食を共にして。
勿論、多々羅と愛は恋仲ではない。多々羅の恋愛対象は、異性である。別れてしまったが、最近まで彼女もいたくらいだ。
それにしてもと、多々羅は愛を残念そうに見つめる。今の愛は怠け者で、面倒臭がりで、仕事は果たしてちゃんとこなせてるのかと心配になってしまう程。
何故、こんな人間に惚れたのか、女の子と勘違いしていなければ、あんな恥をかかずに済んだのに。
「…なんかさっきからさ、失礼な事考えてるよね」
漫画雑誌に向けられていた愛の視線が、じろりと多々羅を見上げ、多々羅ははっとして表情を引き締めた。
「き、気のせいですよ、いつまでそこに座って漫画読んでるのかなって疑問に思っただけです」
多々羅が取り繕うように言えば、愛は多々羅の思いを見抜いているのだろう、溜め息混じりに漫画雑誌のページを捲った。
「仕入れはまだ来ないし、客も来ない、今やる事は何もないだろ?」
「それなら、こういった商品の手直しとかはしないんですか?探し物屋とはいえ、ここの商品は一応販売してるんですよね?」
物の化身というものが存在しているのは知っているが、それとどんな風に対話し扱っているのかまでは、多々羅は知らない。物の意思を聞くならば、修理は必須ではないのだろうか、人だって、怪我すれば治療しなくてはならないし、物に痛みがあるのかは分からないが、腕が取れかけているなんて、本人も気持ち悪いだろう。
「良いんだよ、ここの商品はこのままで」
だが、多々羅の思惑に反して、愛は必要ないと言う。それが多々羅には理解出来ず、眉を寄せた。
愛は多々羅の不服そうな顔を見上げると、再び溜め息を吐いた。そのまま雑誌をカウンターに置くと、多々羅によってカウンターに置かれたうさぎのぬいぐるみを、大事そうに手に取った。
「こいつはまだそれを望んでない。もし直す事があるとしたら、それは、こいつが持ち主を選んだ時だけだ。捨てられて、誰もが立ち直れるかって言ったら、そんな訳ないだろ」
「え?」
きょとんとする多々羅に、愛は何か言おうと口を開いたが、その思いは言葉になる事なく、小さな溜め息に姿を変えた。
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