第32話 工場見学 上

 平田の案内で工場の中を進む。

 コツコツ、と足音が響く。


 進みながら、渡は周囲を観察していた。

 床も壁も天井も、ツルツルとした感触の素材が使われていて、掃除がしやすかったり、ホコリなどが沈着しづらくなっているようだ。


 小さな所から工夫を積み重ねているのだろうなあ。

 製造区画に入る前に一度着替え、透明な板張りの部屋に入ることになった。


「さて、堺はんは創薬に取り組みたいということで、その辺りを中心にうちが案内させてもらいますけど、よろしいですかな?」

「お願いします」

「もうすぐ廃業するとは言え、まだ薬は作っておりますから、ここクリーンルームで一度清潔にしてもらいます」

「おお、これが例のクリーンルームですか!」

「はは、皆さん映像では一度は見たことがあるんやないですか? 食品工場や製薬工場など、清潔性が求められる工場では導入されてはりますしね」

「一度は体験してみたいって思ってたんですよ」


 やれるならぜひやってみたい、と思っていただけに、少しテンションが上がる。

 強い風に吹かれながら、体についたかすかなゴミを吹き飛ばす。

 髪の毛はもとより、皮膚の欠片などに付着したわずかな細菌が問題となることもあるので、重要な工程だ。


 施設によって求められる衛生管理の度合いは異なり、 食品・製薬工場ではだいたいランク5前後が要求され、これはクリーンルームを設置する施設の中では特別高すぎず、低すぎず、といった塩梅だ。


 わずかな埃でも支障をきたす半導体工場などでは、最高レベルの清潔性が求められるそうだが、一体どれほどの厳しさなんだろうか。


「キャップ、手袋、マスク、靴などを身につけてもらって、作業着に着替えてもらいましょか。お姉ちゃんらは美人でスタイルええねえ……。合う服あるかな」

「キャップにマスクしてても、美人は美人って分かるんだな……なんかズルいぞ」

「こんな美人をぎょうさん連れてて、堺さんは隅に置けん男やで」


 そういった会話をしながらも、渡は実は、気が気ではなかったりする。


 マリエルは問題ない。

 だが、エア、クローシェは獣人族のために虎耳、狼耳があるし、ステラにいたっては、エルフ特有の長耳がある。

 ちゃんとキャップに収まるのかどうか、不安でならなかった。


 変化の付与がされた錬金術の品を持っているから、バレはしないだろう。

 だが、衛生管理が十分にできなければ、商品に問題が出るかもしれない。


 知らないうちに何処かの誰かに迷惑をかける行為はしたくなかった。


 渡がじっと目を凝らして見ていたら、エアの虎耳はペタンと倒れて収まったようだが、どことなく窮屈そうに見える。

 エアの表情も、どことなくショボンとして見えた。


「うう、耳が塞がって落ち着かない……」

「エア、大丈夫か? 可能なら悪いが我慢してくれ」

「うぅぅう……。あるじぃ。ちょっと苦しい」

「どうする? 本当にキツそうなら、エアは見学を外れてくれてもいいぞ?」

「やだ。アタシも一緒にいる」

「分かった。でも無理はするなよ?」

「うん、ありがと……」


 無理やり押し込むような不快感が、どれほどツラいかは分からない。

 だが窮屈なズボンやシャツ、あるいは靴などに身を包むことを想像すれば、相当なものだろう。


 クローシェなどは、キャップの中で耳がパタパタと慌ただしく動いて、せっかく被ったキャップがモコモコと動いてしまう始末だ。

 あわわわわ、と焦燥を浮かべながら、自分の頭を押さえている。

 尻尾はズボンの中にむりやり収めることにしたようだが、こちらも窮屈そうだった。


「これは……無理ですねぇ」

「まあ、仕方がないんじゃないか」


 そして、ステラは――。

 ああ、諦めたんだ……。まあ無理だよな。


 サイズ的にどう考えても耳をキャップ内に入れるのは不可能だったらしい。

 耳の上から髪の毛のラインギリギリまでをキャップに収めることで妥協したようだった。


 こればかりは仕方がないことだろうし、工場内で働く人達も、完全に素肌が露出していないわけではない。

 どうにか許される範疇だと思われた。


 涼しい顔をしているマリエルと、今後の相談を軽くする。


「今後何度も使用するなら、このあたりは改善しないといけないな」

「そうですね。キャップの形を工夫するか、そもそも大きなサイズを用意すると良いかもしれませんね」

「ああ。それか特注の帽子を作るのもありだなあ」

「ふふ、耳の形に膨らんだキャップなんて、可愛らしいですね」

「たしかに」


 今後獣人・エルフ用のキャップを用意していても良いかもしれないな、と思った渡だった。


 猫耳、犬耳、エルフ耳。

 それぞれの形に合わせた帽子も見てみたいものだ。


 そして、顔の殆どをキャップやマスクで覆っているにも関わらず、マリエルたちは美しかった。

 美しい女性は、その目一つでも魅力的なのだな、ということが改めて理解させられた。

 長いまつ毛や、キラキラと光る目を見ているだけで、思わず見惚れてしまいそうになる。


 準備ができた渡たちは、クリーンルームエアに吹き付けられて、目を細める。

 渡の初めての体験にワクワクとさせられたが、特に反応が大きかったのは、エアとクローシェの二人だ。


「えー、なにこれー! おもしろいっ!」

「はわわわ、すごい風ですわ!」

「アタシたちの家にもほしいかも!」

「要らないだろう……どれだけ清潔性を求めてるんだ」

「ニシシッ!」


 目をキラキラと輝かせて、風を喜んでいる。

 マスク越しにニパッと笑うエアの表情は、邪気のない小さな子どものように純粋だ。


 まだ製薬区画に入る前から、ずいぶんと騒がしいイベントになってしまった。


 案外淡々とした反応を示しながらも、目には深い興味関心を示している者もいる。


「見えないゴミや汚れを風で落とすのですねえ……。錬金術にも使えそうですぅ」

「原理的には、ステラさんの錬金術で再現できるんじゃありませんか?」

「そうですねぇ。そうでなくとも、風竜の杖があれば、わたし個人の魔法で再現できるかもしれませんねぇ」

「原理的には十分できるでしょうね。扇風機や空気清浄機なんかの、市販品と仕組み自体は大きく変わらないですし」

「一考の価値あり、ですぅ」


 ステラとマリエルは、現代地球の技術を、魔法や錬金術で再現しようと考えて、アイデアをああでもないこうでもない、と話し合っていた。

 あるいはこちらの技法を異世界に持ち込むのも、十分に良い稼ぎになる。


 ステラにしてみたら、新しい技術や考え方は、刺激的なのだろう。

 ほんのりと頬を染めて、真剣な顔で周囲を観察を続けていた。




 クリーンルームを抜けて、工場の中に入る。

 普通に営業を続けている工場内では、従業員たちがいつもと変わらぬ日を過ごし、目の前の作業を続けていた。


「ここが製造区域ですか」

「ええ。ここで実際に商品が作られております」


 とはいえ、製造区域まで入って見学する人物に興味があるのか、いくつもの視線を渡は感じた。

 大半はチラッと一瞥し、興味関心を示したあとは、作業に戻る。


 気にはなるのだろうが、本気で近づいてくる者はいないし、話しかけてくるような人も皆無だ。

 経営者である平田が案内していることも、大いに影響していただろう。


 ただ視線が追いかけてくるのは分かった。


 五〇〇〇万円で売却される工場として、ここが広いのか、狭いのか渡には分からない。

 だが、少なくとも数十人が稼働するぐらいには規模のある話なのだ、とようやく実感が湧いた。


――――――――――――――――――――

クリーンルームエアとエアの表記が紛らわしいな、と書いてて思いました。


いつも感想やレビュー、ありがとうございます。

ギフトも毎回いただいて感謝してます。


おかげさまで、コミックの方も売上好調らしいです。

厚かましい話ですが、良かったらぜひ身近な方に布教してください。


さて、近況ノートに最新2話をなんとか更新しました。

限定公開イラストも掲載する予定です。

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