第47話 王立学園にて

 マリエルを立派に着飾ろう。

 社交という名で呼ばれる火花散る戦場にふさわしい装いを用意する。


 言うは易く行うは難しの地で行くほどに大変だった。

 なんといっても大量生産のできる時代ではなく、手工業制の世の中だ。

 王都と言っても貴族向けの服が早々に出回っていない。


 また貴族は流行を大切にする。

 型遅れではどれほど優れた物でも低く見られる原因になりかねない。

 そうなると流行を押さえて仕立てることが一番なのだが、そんなにすぐに用意できるような仕立て屋は存在しない。


 ほとんど袖を通していない中古服を求めるか、あるいは貸衣装屋に行くか、そのどちらかが現実的に取れる選択肢だ。

 いま豪勢な服を購入したところで、今のところ着る機会もほとんどない。

 貸衣装屋で用立てることになった。


「おお、すごいな!」

「こんな素晴らしいドレスをご用意していただいて、ありがとうございます」

「馬子にも衣裳とか言うけど、マリエルみたいな美人が綺麗に着飾ると、本当に映えるよなあ。とっても似合っていて、綺麗だよ」

「ご主人様はすぐにそう言って私を綺麗だ、綺麗だって褒めますよね」

「本当のことだから、ちゃんと言葉にしておかないとな」


 おためごかしではなく、本心から言っている。

 今もマリエルを見ていてドキドキしていた。

 貸衣装屋から出てきたマリエルは、落ち着いた黒のアフタヌーンドレスに身を包んでいた。


 過度な装飾は廃していながらも、元々マリエルの持っている体の美しいラインを際立たせ、より洗練された美しさを引き立てていた。

 また白銀の長い髪と、黒のドレスの対比がとても美しい。


 着る物一つでこれほど雰囲気が変わるのか、と渡は心底驚いた。

 もともと高貴な雰囲気を持つ少女だったが、今はまさに深窓の令嬢、まがうことなき貴族のお姫様だった。


 そんなマリエルの姿を、エアがじっと見つめている。


「マリエル、すっごいキレイだね」

「ありがとう」

「エアも着てみたかったか?」

「全然、アタシは動きやすい服の方が良いし。アタシは戦士だから」


 エアは声だけを聞いていれば、まったく何でもない様に答えていた。

 だが、尻尾がしょんぼりと垂れているのを見るに、本心ではなかっただろう。

 理性と感情は別物だ。


 普段さばさばとしていて、常に明るいエアだが、そんなエアだってお姫様のように綺麗に着飾りたい、という気持ちがあってもなにもおかしくはない。

 思わず渡はエアの肩を抱き寄せた。

 この柔らかな体のどこにあれだけの暴力的な力が宿っているのか、不思議になるほど柔らかい感触。


「エアにも立派なドレスを着る機会を作るよ。これから商売を続けてたら、晩餐会とかに参加する日が出てくるだろうしな。その時は、今日の分も取り戻すぐらい派手にやろう」

「いいの? でもそんなのもったいなくない?」

「いいや、エアがそうしたいと思う気持ちはきっと無駄にはならないさ。それに場の雰囲気を壊さずに護衛を頼むときもきっとある。今回はマリエルが主役だからな、次の機会を待ってくれ」

「ん……大丈夫。アタシはアタシで、主から大切な物を貰ったから」


 そう言ってエアは腰に佩いている愛剣を手で軽く叩いた。


 〇


 貴族の令嬢が歩いて通学するのは滅多にない。

 ということで、馬車も用立てることになった。

 貸衣装と含めればこの二つだけで金貨が飛んでいて、渡としては驚きの連続だった。


 だが、購入するとすれば、渡の今持ってきた全財産をつぎ込まないといけないぐらいには高い。

 貴族というのは稼ぎも莫大だが、出費も同じぐらい必要なようだ。

 渡自身は商人ということもあって、そこまでお金がかからなかったが、それでも場に備えて衣装を借りていた。

 やるなら徹頭徹尾、とことんまでやる、と覚悟を決めていた。


「アタシが先に出るから、主が次に、その後マリエルが降りて」

「よし、じゃあ行くぞ。ほら、マリエル。手を」

「はい。ありがとうございます」


 馬車が学園に停車したので、まずエアが降りた。

 彼女が周辺の確認を終えたあと、渡が降り、中に手を差し伸べる。

 マリエルの手を掴んで、エスコートして降りる手助けをした。


(この場面だけ見れば、俺も貴族の仲間入りができるんだろうか) 


 馬車から降りたマリエルは、美しく背筋を伸ばし、顔に軽い緊張を保ちながらも、あえて微笑を作って渡の腕を持った。

 これでかつての同級生に会っても、上手く見せつけることができるはずだ。

 また、会わなくてもそれはそれで構わない。

 渡にとっては、マリエルの心理的な負担をなくせれば、それだけで大成功なのだから。


 王立学園はとても広かった。

 貴族が通うということで出入口すべてには門衛が立ち、厳めしい門と、まるで城壁のような立派な壁に覆われている。

 馬車停めの一画があって、渡たちもそこに馬車を停めていた。


 学園の中はとても静かだった。

 マリエルからの情報によると、王立学園に通うのは貴族や高額な学費を払える一定階級以上の子女、もしくは地元で優秀と認められ援助された才媛に限られるらしい。

 貴族の前で粗相しないぐらい躾の行き届いた人ばかりが集まるため、基本的には落ち着いているとのことだ。


 学園に向かおうとするまでに、いくつかの貴族が通り過ぎた。

 マリエルは一瞬だけ硬直したが、何事もなく通り過ぎていく。

 学年が違えば顔の知らない貴族も多いだろう。

 ちらりと視線を投げかけられたが、その程度のものだった。


「あら、もしかしてマリエルさん?」

「これはローラさん、ご無沙汰しています」

「お元気そうで良かったわ。急にお姿が見えなくなっていたから心配していたのよ」

「その節はご心配をおかけしました。今はご覧の通り、問題なく過ごせております」

「そう、それは良かったわね」


 マリエルの姿に気づいたのは、一人の少女、ローラ・ド・ブラッスールだった。

 今年十九歳のマリエルより二つ下のローラは、この時十七歳、ブラッスール男爵家の次女だ。

 御付きの男性が鞄を持っていることから、学園の帰りだろうか。


 一瞬マリエルの姿に気づいて、残忍な笑みを浮かべた後、表情を綺麗に覆い隠す。

 対してマリエルは完璧な笑顔を保ち続けていたが、その目だけが笑っていないことに渡は気づいた。


(女の戦いはこえー!!)


 会話の内容も、安否を案じているように話していながらも、実際は退学の理由も重々承知の上だろう。

 となると、言葉の裏としては借金が返せなくて没落しちゃったんだって、といったところか。


 下手に口出しすれば、自分の失言に繋がりかねない。

 あくまでもエスコートしている体を保ちながら、渡は二人の応酬を見守る。


 マリエルの凋落、あるいは実家の没落を哂っていたのは、同じように困窮している男爵家や騎士家の者たちだ。

 モイー男爵のように豊かな領地を持っている者や、大領地を運営する上位の者たちは、むしろ情けをかける余裕がある。

 自分と同じように追い詰められていたハノーヴァー家が没落したことで、自分たちでなくて良かった、と暗い喜びを得ているのだろう。

 この辺りは貴族でも平民でも、あるいは異世界と地球でも、大した違いはないらしい。


 マリエルがゾッとするほど美しい微笑を浮かべて、渡を紹介した。


「こちらは渡様です。とてもやり手の商人の方で、主にモイー家や南船町で取引されているんです。今度当家の支援もしていただけることになりましたの」

「はじめまして、渡と申します。お家のために微力ながら助力させていただきます」

「へ、へえ。素敵なご縁があったのね。まあマリエルさんはとても美しい・・・・・・方ですからね。殿方なら放っておきませんものね」

「たしかブラッスール家は先の旱魃で大変なご様子だと伺っておりましたが、その後の様子はいかがですか?」

「うっ。おかげさまで昨年は平時の収穫が戻りましたわ」

「それはとてもよろしかったですね水神のご加護を肖りたいところです」


(なあ、エア。怖くない? これって顔で金のある男を咥え込んだんだろって言ってるよな?)

(アタシこの戦いには参加したくない)


 目でエアと会話するが、意見は一致したようだ。


 渡には二人の応酬がどれほどのものかは分からなかったが、身分では奴隷になったはずのマリエルの方が、明らかに優勢なように見えた。

 ローラは務めて平静を保とうとしているが、少しずつその威勢が削がれていっているのが見ていて分かる。

 内心で馬鹿にしていたマリエルが思った以上に落ち着いていることに、圧迫感を覚えているのだろう。


 また、ブラッスール家の事情がそれなりに厳しいことも分かった。

 落ち着いてみれば、召し物の質も体型も美貌も、マリエルと比べると質素・・だ。

 マリエル自身の資質と、渡の財力が立派な武器として働いている。


 御付きの男も劣勢のローラに助け舟を出すことしたようだった。


「お嬢様、そろそろ次のお時間が迫っております」

「あら、そ、そうね。せっかくなのだけれど、私も忙しくて。また機会があればお会いしましょう」

「ごきげんよう、ローラさん。次はゆっくりとお茶でも飲んでお話ができると良いですね」


 マリエルの落ち着いた言葉に急かされるように、ローラは馬車に乗り込んだ。

 扉が閉まる瞬間に見えた顔は、悔しさに歪んでいた。


 御者が手綱を引き、ヒューポスがゆるやかに走る。


『~~~~ぁあああ! なんなのよあの女ぁっ!!』


 走り去る馬車からヒステリックな叫び声が風に乗って届いた。


「ウシシ……めちゃくちゃ悔しがってる」

「ブラッスール家は旱魃で当家と同じように借入金があったはずですから、資金繰りに困っているのでしょう。噂が流れて縁談も纏まっていないと以前聞いたことがあります」

「まあ、なんだ。やったな、マリエル」

「はい! おかげで先ほどまで感じてた怖さがまったくなくなりました!」


 そう言って笑うマリエルの表情は、重荷を一つ降ろしたように、晴れやかな物だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る