第37話 船とエア

 船の中でジッとしていると、少しずつ気分が沈んでいく。

 ぎし、ぎしという軋み音と漕手たちの歌を聞いているのは別に構わないのだが、じっと座りっぱなしの上に狭い船室は圧迫感がある。

 その上、外がまったく見えない。

 メールの返信はとっくに終わって、ダウンロードしていた映画を観るのはなんとなく気が向かない。

 椅子に座り直すと、渡はぽつりとつぶやいた。


「……暇だな」

「ご主人様も本を読まれますか?」

「いや、なんか一人で黙々と過ごしているのに、ダレてきた。一度甲板に出ようかな」

「アタシが一応護衛につく……」

「悪いな。じゃあマリエルは船室の荷物を見ていてもらって良いか?」

「はい、ゆっくりしてきてくださいね」

「ありがとう。助かるよ。あとでトランプでもしよう」


 一人で残したマリエルには悪いが、船室にはこの旅行で使う荷物を置いている。

 ウェルカム商会から納めてもらった代金も大量に入っているため、誰も人を置かないわけにはいかなかった。

 あとで交代して、マリエルにも外の空気を吸ってもらった方が良いだろう。


 階段を上がって甲板に出ると、相変わらず多くの船員たちが動き回っていた。

 顔を少し湿ったひんやりとした風が撫でる。

 新鮮な空気を肺に入れると、スッキリとした。


「あー、いい風だな。空気が美味い」

「うん、気持ちいい。景色もきれいだし」

「マリエルも後で休憩させてやらないとな」

「んあー! 久々にみっちり稽古したから疲れたー」

「最近あんまり体を動かさせてやれてないな」

「うん。実戦もしないと鈍っちゃうからね。気をつけないと」

「こっちで手合わせできる人がいると良いんだけどな」

「イーダとの戦いも面白かったけど、また違うからにゃ」


 周りには緩やかな平地が緑の絨毯を作っていた。

 地平線の彼方まで見通せそうな、とても起伏の少ない土地だ。

 遮るものも少ないからか、風がよく吹いた。

 空高く白い雲が、強い勢いで流れていく。

 照りつける日差しも風に冷やされて、ちょうど良かった。


 長い金髪が風になびいて、エアが髪を押さえる。

 陽の光を浴びて、黄金のようにキラキラと輝いた。

 こちらの世界では隠していない、エアの本来の虎耳がぴょこんと見える。


 本当に美しい少女だ。

 人とは思えない精巧で整った作りをしているのに、同時に生々しく、生気に満ち溢れている。

 宝石のように綺麗で大粒の瞳が、渡を見て嬉しそうにしている。

 目を見るだけで、エアが今の状況を楽しんでいるのが分かった。


「とっても綺麗だ」

「うん、素敵な光景だね」

「違うよ。エア、君が綺麗なんだ」

「……ありがと」


 恥ずかしそうにエアがはにかんだ。

 好意は何度伝えたって良い。

 それが本心ならなおさら。


 急にキスがしたくなった。

 肩を掴むと、顔を近づける。


 渡の気配に気づいたエアが目を閉じる。

 人の目なんて気にしない。

 しばらく二人と関係を重ねてから、マリエルに、あるいはエアに悪いという気持ちもなくなった。


 ゆっくりと口づけして、唇の感触を楽しんだ。

 舌を絡め、唾液を交わしあう。

 ぷるぷるとした弾力のある唇をかるく甘噛みすると、フルフルとエアの体が震える。

 渡を見つめる目が潤んでいて、とても美しい。

 鋭く尖った犬歯を舌先で弄び、優しく耳を撫でた。




 少しして、ゆっくりとエアが肩を押してきたため、渡は身を引いた。

 まだ唇に、舌に、余韻が残っている。


 エアがキスを終わらせた理由が分かった。

 船長のマスケスが操舵輪を離れ、渡たちのもとにやってきたのだ。

 エアは服の皺をさっと伸ばすと、さり気なく渡の後ろに立ち直した。


「どうだ、船旅は楽しんでるか?」

「マスケス船長。ええ、船室の中はすぐに飽きてしまいますが、こうして船から見える景色は格別ですね」

「そうだな。代わり映えのない景色ではあるがとても美しい。少しずつ街の景色が遠くから見えて近づいてくると、心が沸き立つ。俺の船はどうだ?」

「とても素敵です。揺れもひどくないですし、グイグイと川を遡っていくのはスゴいと思います」

「そうだろうそうだろう」


 実際に川の流れが緩やかとは言え、一本マストで後は手漕ぎである。

 大量の荷を積んでグイグイと進んでいくこの船はかなり優秀だ。

 船だけでなく人員もまた巧みだった。

 風に、川の流れに流されないように的確に帆の角度や舵の切り返しを行っている。

 あるいは櫂の漕手たちが息を合わせて、左右で絶妙な調整を行っているのだろう。


 行く手にアーチ橋が見えた。

 川幅が広いため、橋もとても大きい。

 橋脚がいくつも支えている。

 ただ、マストの高さを考えると、潜り抜けられるのか不安になってくる。


「何度も通ってるんでしょうけど、皆さんよくぶつかりませんね」

「ああ問題ない。ま、たまにぶつける奴が出てくるけどな」

「いるんですね!?」

「俺たちの船は大丈夫さ、操舵手も慣れたもんよ。ほれ、見てみな」

「お、おおお、スゴい! こんな狭い隙間を完璧に!」

「すげー」


 風を受けて川の流れの影響だって受けている。

 だというのに、船先はまるで導かれるようにアーチの最高点の真下を通っていく。


 視界の目の前を橋脚が通り過ぎていく。

 川の流れに対して直角になるように突き刺さった橋脚が、水しぶきを上げているのが見えた。

 長い年月が経っているのか、苔むしている。


 山道をスイスイと曲がるバスに乗っているときも思うが、神業のような運転技術だ。

 ペーパードライバーでビクビクとしている渡では、このような操作は一生できないように思える。

 渡とエアは感心しながら、船の進みを楽しんでいた。


「しかし暇そうだな」

「そう見えますか?」

「ああ。どうだ、街に着くまで少し遊ばないか?」

「それは構いませんが、良いんですか?」

「ああ、せっかくの客の相手をするのも俺の仕事だしな。今は部下に任せて大丈夫だ」


 渡はエアの顔を見た。

 エアも型稽古を終えてからはずいぶんと暇そうにしていた。

 マリエルにも息抜きさせてあげたい。

 そう考えると、悪い提案ではないように思えた。


「何の遊びでしょう?」

「サイコロだよ。船乗りといえばサイコロとカードと酒に相場が決まってる」


 なるほど。

 こちらの世界でもサイコロはあるのか。



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