二章 拡大

第01話 問い合わせ

 モイー男爵領から南船町までの帰路は、特筆すべきこともなく、順調に帰ることができた。

 ちょっと宿場町で酒場の女の子に声をかけられて渡がホイホイついて行きそうになったり、小さな賭場で腕比べが行われていたから、エアが賭場荒らしをして騒ぎになりかけたりしたが、大したことではないので割愛する。


 帰ってきたときには夜も遅くだった。

 七月初めに異世界に渡って二人と出会って、それから色々な出来事が起きて、今や八月に入った。

 久々の自宅の感想は、とにかく快適ということだ。


 すべてのものが使い慣れていて気が落ち着く、家電が便利と、文句のつけどころがない。

 商談の旅というよりは、旅行として考えると新鮮な気持ちにはなれたが、それも帰る家があってこそなのだろう。

 エアコンをしっかりと入れて冷えた部屋で、アイスコーヒーを飲む。


 そのため、渡たちは食事を済ませてすぐに寝たのだが、翌日の食後、パソコンを起動させて、渡は唖然とした声を上げる。


「なんだこれ……」

「どうかしましたか? この……パソコンとかいう機械ですよね」

「俺たちがモイー男爵のところに出張してる間に、ポーションの注文についてはメールてがみで受け取るようにしていたんだけど、その数が」

「少なかったと」

「多いんだよ。一〇件もある」

「良かったじゃないですか! もっと喜ばれてください」

「忘れたのかマリエル。あの慢性症状に効くポーションは今手元に十五本しかないんだぞ。これで追加の注文が来たらパンクしてしまう」

「あっ……」


 急性治療のポーションで多くの人が回復してしまう関係上、慢性治療のポーションの需要はそこまで高くない。

 それに症状が長く定着した古傷に対しては、薬師だけでなく魔術師の力も必要とするらしく、作るのにも手間暇がかかってしまうそうなのだ。

 モイー男爵領で薬屋をいくつも回ったのは在庫を一本でも増やすためだったが、根こそぎ買い占めると、今度は現地の人が困るために、そこまで買い揃えることはできなかった。

 自分たちの利益のためだけに、他の人に不利益を押しつけるわけにもいかない。


「それだけ悩んでいる人が多いんですね」

「ああ。それも深刻な問題なんだろうな。効くかどうかも分からないものに、そっちのお金だと金貨五枚分を出すわけだから」

「大金ですよね……。ご主人様と一緒にいるとつい忘れてしまいそうになりますけど」

「いや、俺にとっても大金だよ」


 驚くべきは遠藤亮太の顔の広さか。

 あるいはプロ選手のコンディションへの情熱の強さか。

 五〇〇万円でも治るなら惜しくない。

 そう考えられる選手が、たったの二週間ほどで、十人も集まったのだ。


 今後もその規模は拡大していくに違いない。

 パッと名前を見た限り、そこまで野球ファンではない渡でも覚えのある名前の選手が三人はいた。

 一人はオールスターに選ばれたり名球会に入ってもおかしくないレジェンド級の選手もいる。


「どうされるのです? 誰か断るつもりでしょうか?」

「最終的には全員受ける。だが順番待ちになるのは諦めてもらうしかないな。問題は先着順にするか、影響度を考えて順番を入れ替えてしまうか」


 マリエルの提案を渡は否定した。

 メールには皆丁寧な文章で、一日も早く会ってみたいと書かれている。

 八月初めの今、プロ野球選手たちはそろそろ中盤も後半に差し掛かり、交流戦を終えたあとの時期だ。


 来季の契約継続が叶うかどうか瀬戸際の選手もいるだろうから、来年も現役を続行できるか、あるいはクビになるか、ポーション一つでその選手の今後の人生が左右されるかもしれない。

 可能であれば、いますぐ全員に使ってもらいたい。


 だが問題もある。

 渡にはメールを送ってくれた全選手の情報が分からない。

 名前からこれまでの記録を調べることはできるだろう。


 年度毎に出ている『選手名鑑』のような本で調べれば、好きな物や趣味、推定の年俸も分かるかもしれない。

 過去の故障歴も分かるかもしれない。


 だが、本当に知りたいパーソナルな部分はきっと分からない。

 どんな症状にいつから、どれぐらい悩んでいるのか。

 治る見込みはあるのか。


 公になればなるほど活躍から遠ざけられるからこそ、選手もあまり話したがらないはずだ。

 そんなことが分かるのは、それこそ家族などの近しい存在や仲のいいチームメイト、そして守秘義務を負っている治療家ぐらいだろう。


 それに競技中の選手たちは、全員が今すぐ会えるわけではない。

 全国の様々な球場に出かけているのだ。

 相手の予定に合わせる必要もあるだろう。


「十分な情報がない今の状態じゃ、決断がまともに下せないな」

「なるほど。では情報収集ですね?」

「ああ。まずはそれぞれの予定を聞いた後、前に会った知り合いの選手に聞いてみるよ。紹介元だし、一番確かな情報が得られるだろうから」

「それが確実ですね。あとは一日も早く薬師ギルドに出向いて、定期的な制作をお願いするのも重要ですよ」

「ああ。それは今日中にでもやろうか。悪いな、ようやく帰ってきたばかりなのに」

「いいえ、お役に立てるなら本望です」

「そう言ってくれて嬉しいよ」

「ねーねー、主」


 マリエルもエアも本当に信頼に足る、素敵な女性だ。

 感謝の気持ちが湧き上がって、暖かい気持ちになった。


 渡がマリエルとまじめな会話を続けている間、エアはそれまで黙って経緯を眺めていることが多い。

 今もじっと耳を傾けつつ口をはさんでいなかったエアだったが、ふいに注意を引くように声を上げた。

 表情を見れば、なにやら期待した顔つきをしている。


「どうした、エア」

「今度もアタシたちお留守番しなくちゃダメ? せっかく『変身のネックレス』があるんだし、アタシもこっちで出歩きたい!」

「あー、そうだな。たしかに問題になる可能性は少ないし、いいだろう。騒がないって約束するなら連れていく」

「やりぃ! やったねマリエル! アタシこっちの街を見て回るのすごく楽しみにしてたんだ」

「ふふふ、そうね。ご主人様にエスコートしてもらいましょう」

「おいおい、仕事で行くんだからな。遊ぶのは終わってからだぞ」

「はーい!」


 楽しそうに笑う二人を見ていると、渡も悪い気はしない。

 それに日本の暮らしぶりを知ってもらい、楽しんでもらいたいという気持ちも強かった。

 大切な仕事が終わった後なら、出歩くのも問題ではないだろう。


 仕事へのやる気も高まるというものだ。

 素直に喜ぶマリエルを見て、渡は笑顔を浮かべた。

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