第36話 忠誠と親愛
モイー男爵によって登城許可証、いわば御免状が発行され、渡に手渡された。
サラサラとした手触りの羊皮紙に、モイーの直筆のサインと紋章、そして登城や関での優先的な通行を許可する旨が書かれている。
滅多に発行されない貴重な品を丁寧に受け取って、渡が自分の鞄に入れる。
「さて、ではこちらの万華鏡と引き換えに、免状と君の奴隷の剣を交換するとしようか」
「たしかに。非常に失礼ですが、この場で中身を検めさせていただいてもよろしいでしょうか」
「もちろんだとも」
「エア、頼んだよ。俺が下手に抜くと手を切ってケガするかもしれないからさ」
「うん」
城内で武器を抜くことは許可がなければ決して許されないことだが、中身が正しく本物であると確認しなければならない。
これは相手を疑っているかどうかとはまた別の問題で、お互いに疑いを持たずに交渉を終えました、と確認する意味合いもある。
だが、エアは堂々とした振る舞いで、テーブルに置かれた大虎氷を受け取り、洗練された動きで鞘から抜いた。
幼いころから何度も繰り返し無駄を削ぎ落したであろう一連の動きの流れは、渡にとっては万華鏡よりもはるかに美しいもののように思えた。
「うん、これは間違いなく、アタシたち一族の剣だ。主、アタシの誇りを、一族の誇りを取り戻してくれて、ありがとう」
「良かったなあ、エア」
「うん、……う゛ん!」
感極まったのだろう。
できるだけ平静を保とうとしながらも、エアの声が震えていた。
目が潤み、顔が紅潮している。
俯いて肩を震わせる姿には、見ている渡にも心を打つものがあった。
多忙なモイーにとっては貴重な時間だっただろうが、ここで話を割り込むような察せない男ではなく、静かにお茶を飲んで落ち着くのを見守ってくれていた。
やがて震えが止まり顔を上げたエアの表情は、とても晴れやかなものだった。
これまで明るい態度や口ぶりから悲壮感を感じなかったのだが、それでも思うところは大きかったらしい。
全然気づかなかったなと渡は反省した。
「今度は手放さないですむように、頑張ってくれよな」
「アタシの誇りにかけて、主に誠心誠意お仕えする。アタシの心も体も、その魂までもあなた様のものです」
「おいおい、そこまでしてくれなくても良いんだぞ」
「ううん、決めたから」
エアが片膝をついて深々と体を折り曲げて頭を下げる。
騎士の誓いともまた違う、金虎族に伝わる一族の作法だった。
渡は重い宣言だと思った。
自分の人生を他人のために尽くすと言うのだ。
渡が考えすぎではないか、と軽く考え直す余地を与えようとした所、モイーという思わぬ方向から、援護射撃が来た。
「断るのはむしろ失礼であろう。金虎族は一度主と定めたら、決して裏切らないし、全力で忠誠を誓うと言われている」
「そうなんですか?」
「うむ。ただ彼らは自分たちの力に誇りを持っているからな。特に君の奴隷のような優れた戦士は、自分で仕えるべき主を決め、一度決めたら心を変えないと言われている。多くの者が金虎族を従えたがるが、金で雇えても心までは捧げられないことがほとんどだ」
「俺は何も知らずに購入したんですけど、そうだったんですね」
「そんな金虎族に忠誠を捧げられるとはな、面白い男だ」
エアが奴隷になっていなかったら。
渡がたまたまウィリアムの勧めに従って奴隷商館に行かなければ。
愛剣がモイー男爵の手に渡っていなかったら、このような事態にはなっていなかったかもしれない。
いくつもの縁や小さな幸運が積み重なって今、渡はエアから無二の忠誠を得ている。
その忠誠に足る主人でいられるだろうかという不安はある。
だが、それだけ助けになれたのだということが、渡には嬉しかった。
「さて、君たちにも我の自慢の蒐集品の数々を見せてあげたいのだが、残念なことに非常に忙しい。優先的に謁見したが、まだまだ顔を合わせねばならない要件が多数残っているのでな」
「そんな忙しい中ご無理をしていただいてありがとうございました」
「なに、こちらにとってもとても有意義な時間だった。良ければうちの領地を周って楽しんでほしい。王都とまではいかずとも、なかなか楽しめると思う」
「アクセサリーを見たり、薬を買ったりさせてもらいましたよ」
今回は急に予定を変更したのだ。
モイー男爵との交渉を終えたあと、もう一度街を周るつもりだった。
特にこのあたりの産業で力を入れているという装飾品の一部だけでも、なんとか手に入れたい。
「左様か。もう星見ヶ丘には訪ねたかね?」
「いえ、知りません」
「我が領地の名所だよ。ここから半日足らずほどの距離にあり、不思議なことにモンスターは近づかない丘だ。神域ではないかと考えられている」
「それでこの街の名前が星見ヶ丘なんですね」
「そうだ。夜には驚くほど満天の星空が眺められ、交際中の男女に人気がある。神々の目に適えば将来に祝福を授かることもあったと記録に残っている」
「それは、すごいですね……」
「まあ、我が領主になってからは一度も実際に祝福を受けた者はいないため、過分な期待はせず、時間があるなら行ってみるとよい。ではな」
「ありがとうございました。またお会いできる日を楽しみにしています」
「ふっ、我もだ」
そう言ったきり、モイーは従者に次の面会人を呼ぶように言いつけた。
本当に忙しいらしい。
渡たちは護衛に案内されて、再び城内を歩く。
うまく交渉を終えられた。
渡は御免状を手に入れたし、本来の目的であったエアの武器も取り戻すことができた。
不安もあったし、途中で強い重圧もあったが、いい結果に終われたなあ。
清々しい気分で胸がいっぱいだった。
城内の石積みや回廊の仕組み、中から伺える庭の様子などに目をやる余裕を感じ、目や空気で楽しみながら、出口へと向かう。
後に続くマリエルはもとより、エアもとても機嫌が良さそうだ。
そして、門を出て坂を下っている最中に、不意にマリエルとエアが渡に抱き着いた。
マリエルは腕に抱きつき恥ずかしそうに顔を伏せ、エアは満面の笑顔を浮かべていた。
肩に感じるおっぱいの柔らかな感触。
視界を大きく占める二人の美女の顔に、ドキドキする。
「主、ありがとう。好き、大好きだよ!」
「うおおお、エア!?」
「私だって愛しています。あの時モイー男爵に手放さないってきっぱりと断ってくれたの、すごく嬉しかったんですよ。ご主人様の覚悟が分かって、とっても胸がドキドキしました」
「マリエルも!?」
突然の告白に、渡は心底驚いた。
「剣を取り返してくれてありがとう。領主とも対等に交渉してた主はとっても、すごくカッコよかった! アタシにはできないから、惚れた」
「そ、そうか。そんなに愛情をまっすぐ伝えられると、嬉しいけど恥ずかしいな」
「も、もう。エアばっかりズルいわ!」
「マ、マリエル?」
「ご主人様、モイー男爵に相思相愛って言われて否定しませんでしたよね。あれ、信じて良いんですか?」
「も、もちろんだよ」
興奮に顔を赤くさせていたエアと、突然の告白にのぼせた渡に加えて、マリエルまでが羞恥に顔を赤くさせていた。
「ふふふマリエルの奥手で恥ずかしがりなところはダメ。こういうのは早い者勝ち。主、チューしてあげる」
「ちょっと。わ、私も負けないから」
エアが渡の頬に柔らかな唇を落としたすぐあと、マリエルも顔を赤らめながらも、勢いよくキスをする。
左右に感じる柔らかな感触、甘い匂いにクラクラとしながら、渡は恥ずかしさよりも喜びを感じていた。
怖い思いもしたけれど、その甲斐は十分にあった。
こうして二人の愛情を得るためならば、きっとどんな危険にも恐れず立ち向かえるだろう。
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